隠されし宮殿
「ふぁあ、おはよう」
歓迎の宴から一夜。
いつのまにか酔いつぶれて、酒場の床で一晩過ごしてしまったようだ。
美味そうな匂いに鼻腔をくすぐられた俺は、伸びをしながら起き上がる。
「おはようございます、あなた様」
「たっしゃー」
「くー!」
すでに村人たちの姿は見当たらず、パウラと魔物っ子たちが元気に挨拶を返してくれた。
見ると昨夜の食い散らかした皿を綺麗にかたして、テーブルの上を拭いてまわっているようだ。
貴族のご令嬢とは思えない、かいがいしい働きぶりである。
ちび二匹はその足元にまとわりついていたが、俺が目覚めたのでトテトテと駆け寄ってきた。
魔物っ子たちを抱き上げると、毛が生えたほうは俺の首筋の匂いを熱心に嗅ぎ出し、羽が生えたほうは襟をはむはむと噛みだす。
朝っぱらから活動的な二匹に和んでいると、パウラが微笑みながら水の入ったジョッキを手渡してきた。
「どうぞ。お口をゆすいでくださいな」
「お、ありがとう」
酒をたらふく飲んで眠ったせいか、口の中が最悪に近い。
ありがたく口をつけ、その味に思わず眉根が寄る。
少しばかり泥臭かったのだ。
「お口に合いませんか?」
「いや、大丈夫。ふう、スッキリしたよ」
うがいした水をジョッキに吐き出して、俺はパウラに礼を述べた。
そこへ酒場の主であるウーテさんが、タイミングよく湯気の上がる大鍋をテーブルに運んでくる。
先ほどから漂う匂いの正体は、胃に優しそうな麦粥だった。
木皿に粥をよそいながら、ウーテさんは申し訳なさそうに謝ってきた。
「水が不味くてすまないね。できるだけ上澄みをすくってんだけど、元が酷いから勘弁しておくれ」
「これって川の水ですよね?」
「ああ、今年に入ったとたん、急に濁りだしてね。おかげで何かとたいへんさ」
「それで井戸を掘ってたんですね」
広場の掘りかけの井戸を思い出した俺に、酒場の女将は困りきった顔で頷いた。
滅びの龍覚醒ルートの一年目で、もっとも顕著な異変は水関係だ。
異常に濁ってしまったり、腐りやすくなったり、挙げ句に渇水まで引き起こったりと。
その辺りがもろに農作物に影響が出て、不作へつながっていくのだ。
"はじまりの村"を少し南に下ったところに、龍腕森林から出て龍の内海へ流れ込む川がある。
畑の水やりはもちろん、生活用水もそこで賄っていると、昨夜の宴会で酔い潰れる前のオイゲンじいさんから聞き及んでいた。
あと、最重要な情報も。
「ごちそうさまでした。朝食代、おいくらですか?」
ほどよい塩気でさっぱりと食べやすく、なかなか美味しい麦粥だった。
代価を支払おうとすると、ウーテさんは愉快そうに笑って首を横に振ってしまう。
「大事な先生様から、お代は受け取れないよ」
「いえ、そうはいきません。ちゃんと払いますよ」
「若いんだから、遠慮しないでおくれ」
「そうそう厚意に甘えるわけにはいきませんし、それにほら……」
「あらま、よく食べたわね!」
俺の視線に気づいたウーテさんは、空っぽになった大鍋に目を丸くする。
喋っている間に、求められたパウラがせっせと二匹の皿によそってしまったのだ。
ぺろりと大盛りの粥を平らげた魔物っ子たちは、ごきげんな顔で満足の声を上げた。
「ちそうー」
「くぅー」
さすがに大鍋いっぱいの食事を、タダというわけにはいかないだろう。
しばし考え込んだウーテさんだが、ポンと手を打って条件を持ち出してくる。
「それじゃあ、代わりといっちゃなんだけど……。昨夜のあのランタン。あれ、うちに貸してもらえないかい?」
「いいですけど、これ魔力持ちの方がいないと動きませんよ」
「そうなのかい? ミア、ちょっと来ておくれ」
「なーに、母さん?」
カウンターの奥から顔を出したのは、二十歳未満の若い女性だった。
派手にカールした金髪の持ち主で、メリハリがきいた体つきの女の子だ。
「紹介しとくよ、うちの看板娘さ」
「はじめましてー。あっ、うわさの錬成術士の人? 思ったよりカッコいいねー」
お世辞でも可愛い子に言われると、案外嬉しいものだ。
しかもそれがゲームで見知ったキャラだとなおさらである。
ドラクロ2でのミアは雑貨店の店員をしており、売り買いでしょっちゅう会話する相手だった。
「あんた、魔力持ちだったわよね。ちょっとこれ、さわってみておくれ」
「へー、なにこれ?」
「そこの穴から指を入れて、石に触れながら魔力を注ぎ入れると動くよ」
「ほんと? こうかなっ……わわっ、光った!」
白照石は光の魔素を集める特性があり、そこに魔力を注ぐと活性化して光を放つ効果を持つ。
ただし片手で持ち上げられる大きさなので、光量もそれなりである。
それと一度点くと光りっぱなしとなり、こちらから明かりを消すことはできない。
なので注ぐ魔力の量を調整するか、覆いをかぶせるしかない点もやや不便である。
「その辺りが注意ですね」
「なるほどねぇ。うんうん、こんだけ明るけりゃ十分だよ」
「やっぱり都会って、便利なもの多いんだねー」
「それと貸すのは夜だけでいいですか? ちょっとこれから使う予定がありまして」
「へー、今からかい?」
朝日が昇りきった窓の外の景色を見ながら、ウーテさんが不思議そうに呟く。
「ええ、行っておきたいところがありまして」
「なら、ちょうどいい。あんた案内してあげな」
「へっ、あたし?」
少々道が不安だったので、地元の人間がついてきてくれるのはありがたい。
あと、確かめておきたいこともあるしな。
「いいんですか?」
「うん。じゃあ、まっかせてー」
「わざわざ、ありがとうございます。お世話をおかけしますね」
「かたじけないー」
「くー!」
そんなわけで昼食用に黒パンと葡萄酒まで手渡された俺たちは、さっそく出発することにした。
酒場を出た三人と二匹は、まっすぐ南へ向かう。
広場では、井戸の周りで男衆が作業中であった。
先頭の俺に気づいたのか、作業を止めて手を振ってくる。
「先生、どこいくんだい?」
「ちょっと村の周りを見てきますね」
「そうかい。なんもねえと思うけど気をつけな」
「はい、ありがとうございます」
昨夜の飲み会で、すっかり馴染めたようだ。
家と家の合間を抜けると、広々とした畑が目の前に現れた。
よく見ると青い麦が伸びかけの畑と、茶色い土しかない畑に分かれている。
何も植えられていない農地を眺めていると、ミアが疑問に答えてくれた。
「ここは休ませているんだよ、センセ」
「ああ、休耕地か。ちゃんと三圃式でやってんだな」
三圃式とは畑を三つに分けて、一つを冬の小麦や黒麦、もう一つを夏の大麦や豆類、最後の一つを休耕地にして順繰りに使いながら地力を回復させる農法だ。
ゲームではおなじみのやり方だったが、この現実化した世界でもちゃんと広まっているようである。
「へー、パウさまって東のほうから来たの? あたし魔人の人ってはじめて見たなー。なんかめっちゃ美人だね!」
「そうでしょうか? ミア様も可愛らしいですよ」
「呼びすてでいいよー。なんか、くすぐったいし。パウさまって髪の毛、すっごいサラサラだね。どんな手入れしてるの?」
「わたくしの髪ですか? そうですね……」
最初だけちょくちょく解説してくれたミア嬢だが、すぐに飽きてしまったのか、パウラと熱心に情報交換を始めてしまった。
まあ迷子防止と確認のために付いてきてもらったので、いいと言えばいいのだが。
俺は歩きながら、昨夜、酒を酌み交わしつつ村長らと話しあった内容を思い返してまとめることにした。
この村で、俺に期待される役割は大きく分けて三つあるらしい。
一つ目は外資の獲得。
現状、ハンスさんが王都へ売りにいく品はほぼ農産物ばかりである。
しかしこの村は龍腕森林と、龍背山脈が交わる境界の地。
さらに足を伸ばせば、龍の内海もすぐである。
森や山、湖の恵みを、ふんだんに入手できる場所でもあるのだ。
ゲームでもその辺りを巡って、色々採取して回るのが基本だった。
で、取れた品々に俺が加工を施すことで、商品価値を上げていこうという算段である。
二つ目は村の開発の手助け。
現在進行中の飲料水の問題など、開拓村は何かと不便や不都合が起こりやすい。
そこで昨夜のランタンのように、解決に向いた品をひねり出すのも俺の仕事というわけだ。
三つ目は医者の代役。
満足な治療を受けられないこの僻地では、些細な病気や怪我でも思わぬ深手となりえる。
それを未然に防ぐために、各種治療薬を調合できる俺に期待が集まるという話だ。
一応、鬼人種である村長も中位の清めの力を使うことはできるのだが、それだけでは心もとないらしい。
実はまだ会えていない重要なキャラが数人居るのだが、聞いてみたところ怪我や病気で療養中とのことだった。
そこら辺も、早急に手を打つ必要があるだろう。
正直、やることが多すぎである。
汎人種の錬成術士に求めるには無理があるレベルだと思うが、どうやらバルナバス工房長が手紙で俺をおおいに持ち上げてしまったらしい。
まったく、なんてことを……。
と、以前の俺なら真っ青になっていたところだが、今の俺は一味違うのだ。
ここなら他の錬成術士の目もないことだし、思う存分、好き勝手にやらせてもらうとするか。
と、格好つけてみたところで、実際のところ悠長に森や山を巡って素材集めをしている余裕はない。
それに誰にでも採取できるような物は、たいしたお金にならないしな。
村を助けつつお金をたっぷり稼ぎ、さらに凶作にも備えるためには、並大抵のことでは無理である。
特別な何かが必要なのだ。
そして今、期待に胸をふくらませながら、俺はそこへと向かっていた。
十分ほどで、目的地付近に到着したようだ。
世界地図で位置を確認した俺は、辺りを改めて見直した。
西の方角に目を向けると、かなり遠くを黒々とした塊が視界の端まで覆っている。
そしてその向こうにそびえるのは、雲を突くほどに雄大な山並みだ。
「あれが龍指森林で、奥の山が龍背山脈だな」
「そだよー。あっちにうっすら見えてるのが龍の内海だねー」
ミアが指差す反対側、東の方角にはキラキラと光を跳ね返す湖面がはるか遠くに広がっている。
「で、ここが川……かな?」
俺が疑問に思うのも無理はない。
目の間を蛇行しながら横切るくぼみの底には、大人がまたいで渡れるほどの水しか流れていなかったのだ。
岸の大半は茶色い地面がむき出しになっており、見事に乾いてしまっている。
「あっ、川来るんだったら水桶もってくればよかった。しまったなー」
「ここ以外に水場は?」
川底をよどみながら流れていく水は、想像以上に濁っており口をつけるにはやや勇気がいる酷さだ。
「ないよー。海まで行ってみた人に聞いたけど、あっちもかなり干上がってるっていってたよ」
「予想以上に深刻だな。水関係はなるべくはやく解決しないと不味いかもな」
「あっ、もしかして、この川元通りにできるの?」
「無茶振りはやめてくれ。錬成術士ってのはもっと地味な仕事なんだよ」
「あなた様、あそこに何かございますね」
「お!」
魔物っ子たちを足元にまとわりつかせていたパウラが、不意に岸の一角を指差す。
川岸の荒れ地茨が絡み合う茂みの奥。
そこにポッカリと口を開けていたのは、大きな横穴だった。
「えっ、ウソ!」
口を手で覆いながら、ミアが驚きの声を放った。
そして目を丸くしたまま、声を上げた理由を口に出す。
「毎日、来てるのに気づかなかったよー。えー、あんなのあったっけ?」
不思議そうに黒い穴を見つめるミアの態度で、俺は一つの確信にいたっていた。
おそらくあの洞窟には、これまで認識を阻害する結界のようなものが発動していたに違いない。
それが今、俺たちがここに来たことで解除されたというわけだ。
不可視の結界が消え去った理由は簡単である。
俺が昨夜のうちにオイゲンじいさんに川の話を聞いて、フラグを立てておいたからだ。
じいさん曰く、大昔にこの川の辺りで奇妙な穴を一度、見かけたことがあるとのことだった。
たったそれだけかと思えるが、実はこれゲーム内でこの洞窟を出現させるやり方なのだ。
そして現実化したこの世界でも、全く同じ方法で成功したというわけだ。
パウラの魔物の卵孵化のドタバタだが、あれもゲームでのイベントそっくりであった。
そこで他にもゲーム的な要素があるのではと思って試してみたが、大正解であったようだ。
これは考えてみると、非常に重要な発見でもある。
進行がゲームと同じであるならば、やはり滅びの龍が覚醒する流れには抗えない可能性が高いからだ。
「この穴はいったいなんでしょうか? とても禍々しい気配を感じますね」
「これか? これはドラクロ2名物の隠しダンジョン、龍玉の宮殿の入口だよ」
言われた意味を理解しようと努めるパウラに、俺はさらに言葉を重ねる。
「そしてこれこそが、俺たちに残された最後の希望ってやつだ」