蜂の巣に入らずんば
高い天井から差し込む光が、音もなく薄らいでいく。
同時に周囲が影に満たされ、あらゆる物の輪郭もぼやけていく。
そっと振り返った俺は、背後で出番を待ち構える人や魔物たちの顔を眺めた。
こんな暗がりであっても、一人一人一匹一匹の顔がハッキリと浮かんで見える。
本当に頼もしい仲間たちだ。
視線を遠くへ向けると、東と西、両方の壁際から飛び立ついくつもの黒い影が目に入る。
ひらひらと薄闇に舞う虫の影を数えながら、俺は肺に溜めていた空気をゆっくりと吐いた。
よし、もう十分だな。
「行くか」
「はい、あなた様」
ふわりと俺の体が宙に浮かぶ。
頭上で小刻みに翅を震わす剣尾トンボの仕業だ。
隣ではパウラが、もう一匹のトンボに持ち上げられている。
巨大な二匹のトンボにしっかり抱きかかえられた俺たちは、なだらかな斜面に一息に近づく。
狙いは赤い実が枝をしなわせる豆リンゴの木だ。
一本目にぎりぎりまで接近してもらい、腕を伸ばして枝に触れる。
そして空いているもう片方の手に、アイテム一覧から白い石を取り出す。
もう一度深く息を吸って覚悟を決めた俺は、手の中の白照石に魔力を込めながら、梢に引っかかるように投げ込む。
まばゆい光がたちまち溢れ出し、豆リンゴの木を明るく照らし上げた。
深まる夕闇の中、まるでイルミネーションに飾られたかのごとく輝く一本の木。
当然、その挑発行為を大目玉蛾が見逃すはずもない。
明かりに吸い寄せられるように、数枚の翅が毒々しい模様をはためかせた。
集まってきた大目玉蛾を寸前まで引きつけてから、俺はアイテム一覧を開いて素早く回収する。
もちろんピカピカしている白照石ではなく、鈴なりの豆リンゴたちをだ。
赤い実が全て消え失せ丸裸になった瞬間、パウラを掴んでいたトンボが次の木を目指して動き出す。
俺を抱えたケンちゃんも、迷わずその後に続いた。
一呼吸遅れて目覚める見張りの軍隊蜂。
そこへ間を置かず、飛び込んでくる大目玉蛾たち。
かくして蜂蛾戦争は開幕した。
首を伸ばして小競り合いが始まったのを確認しつつ、俺たちは二本目の木で全く同じ行為を繰り返す。
三本目は少し離れた木で、四本目は中央の目立つ木に。
そして五本目の豆リンゴの木が輝き出すころ、戦線は大きく拡大しつつあった。
壁際の林から次々と飛び立った大目玉蛾たちは、一目散に光に満ちたこの丘陵地を目指す。
対する軍隊蜂どもも、間断なく巣穴から飛び出してきて迎え撃つ。
戦況は攻撃力のない大目玉蛾が不利かと思われたが、搦め手もそう甘くはない。
撒き散らされた鱗粉で距離を見失い、さらに目玉模様で混乱した蜂どもが同士討ちを始めたのだ。
さらに大量の蛾に集られ、翅が折れて地面に落ちる蜂の姿も少なくはない。
蜂の翅は素早く飛び回るために軽くできているのだが、そのため結構もろいらしい。
もっとも地力で言えば軍隊蜂に軍配は上がってしまうため、大目玉蛾たちはまたたく間に地面へ落下していく。
ただそれを上回る数が、続々と押し寄せてきているようだ。
二種類の虫の凄まじい争いの場と化した丘を、俺とパウラを掴んだ剣尾トンボは一気に駆け上がった。
地面スレスレの低空飛行のため、異物である俺たちを咎めて襲ってくる蜂たちは居ない。
皆、空から舞い降りて縄張りを犯す蛾たちを追い払うのに懸命なようだ。
「降りますね、あなた様」
「……ああ」
狙いの巣穴までたどり着いた俺とパウラは、ようやく固い感触を伝えてくる地面へ足をつけた。
振り向いて見下ろすと、白照石に照らし出された丘の中腹は、無数の毒針や鱗粉が飛び交う戦場となっていた。
その地面には、累々と虫どもの死骸が転がっている。
自分で仕組んだとはいえ、なかなかに凄惨な光景であった。
これを思いついたきっかけは、軍隊蜂に追われ剣尾トンボの縄張りに誘導したあの時である。
向こうが数で押してくるのなら、こちらも違うところから引っ張ってくればいいと。
数の暴力には、数で立ち向かおうという発想だ。
ただしトンボたちは、そうそう湖から離れることはない。
巣がある丘までは少々距離がありすぎるため、蜂どもを誘導するのも難しい。
その点、大目玉蛾は光さえあればすぐに襲ってくるので、巻き込むのは非常に簡単である。
ちなみに検証時にも同じように白照石を使用したのだが、大量に集まってきた蛾の気持ち悪さに耐えきれず、ミアが<火弾>を撃ち込む事件があった。
結果、一気に燃やせて経験値が大量に稼げることが判明した。
おかげで今のミアはレベル25である。
このやり方は今後、<火弾>持ちの経験値稼ぎのスタンダードになりそうだ。
「大丈夫そうですね。行きましょう」
「ふう、上手くいったようだな」
巣穴を覗き込んでいたパウラの言葉に、俺は安堵で胸を撫で下ろした。
まず剣尾トンボに掴まった俺たちが、丘の裾から中腹で蛾を呼び寄せ騒ぎを起こす。
大量の蜂がおびき出せたころを見計らい、魔物忌避薬を体に振りかけたメンバーがこっそり巣穴まで近づき、一気に突入して巣の主を叩くという作戦だ。
豆リンゴを一瞬で全て回収できるのが他に居ないため、騒ぎを起こす囮を仕掛ける役は必然的に俺となった。
パウラは強硬に反対しかけたが、一緒に行ってトンボを先導してくれと頼むとしぶしぶ頷いてくれた。
どんな時もそばで助けて欲しいと、あらかじめ言っておいたのがよかったようだ。
巣穴内部の構造が不明なため、行き当たりばったり感が強いが、現状は首尾よく進行しているようである。
剣尾トンボの翅の横幅ではつっかえてしまうため、二匹はここで留守番となる。
入り口を死守してくれるよう頼んで、俺たちは巣の中へと足を踏み入れた。
白照石のランタンに照らし出された巣穴の壁は、土がしっかりと固まっており崩れる心配はなさそうだ。
ただよく見ると、あちこちに蜂の死骸が転がっている。
突入時に出くわしたのだろうか。
一応、骨子ちゃんを先頭に立たせて、俺たちは先遣隊に追いつくべく足を早めた。
五分ほど下っていくと、前方に明るい光が見えてくる。
どうやら広い空間に繋がっているようだ。
同時に戦闘中らしき物音も、耳に響いてきた。
感覚の鋭いヘイモと観察力のあるエタンさんに選んでもらった巣穴は、正解であったようだ。
目的地がすぐそこに見えた俺たちは、穴の中を駆け足で急ぐ。
「ふう、はぁ、全然、効いてなさそうだべ」
「くそくそくそ、きりがねえぞ! 一体どうなってやがんだ!」
「うわ、また出やがった」
「落ち着きなさい! 攻撃の手を休めてはいけません!」
「いけー! クウっち、そこそこ!」
声に導かれるように慌てて走ってきた俺たちだが、不意に大きな空間へ出てしまう。
そこに見えたのは懸命に戦う皆の姿と――。
空中で羽ばたく、とてつもなく巨大な蜂の姿だった。
あと一息。
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