宴会と浮かび上がる問題
「これからよろしくな、錬成術士の先生!」
波々と琥珀色の液体が湛えられた木製のジョッキを掲げられた俺は、急いで自分のを持ち上げた。
ガツンとぶつけあうと、わずかに浮かんでいた泡がこぼれる。
慌てて水平に戻そうとしたら、横から新たなジョッキがぶつかってきた。
「おれもよろしくな、先生様!」
さらに数人が、慌てた顔でジョッキを突き出してくる。
「お、おれだって!」
「うちもぜひ、頼むぜ!」
「頼りにしてるぜ!」
強引に乾杯させられた俺のジョッキは、勢いに耐えきれず中身を派手に飛び散らせる。
飛沫を頭からかぶった男どもは、いっせいに笑い声を上げた。
「あー、もう、何やってんだい! あんたら」
カウンターの向こうからウーテさんに叱られた俺たちだが、顔を見合わせながらもう一度ジョッキを持ち上げる。
そして再び、大声を張り上げてぶつけ合った。
「錬成術士の先生様に乾杯!」
「かんぱーい!」
夕刻に村に到着した俺やパウラは、晩餐を兼ねての歓迎会ということで、村の唯一の酒場である"明日の酒樽亭"へ場所を移していた。
土を固めた床や壁に、梁がむき出しの狭い天井。
カウンターやテーブルも木を荒削りしただけで、椅子にいたっては輪切りの丸太だ。
なんとも粗雑な造りだが、広さは十分なため三十人ほどが詰めかけている。
主な参加者の面々は、村長を始めとした村の男衆たちだ。
錬成術士という花形職人が村に来たことが、よほど嬉しかったのだろうか。
全村を挙げての大歓迎ぶりらしい。
工房時代や前世の飲み会じゃ無難に隅のほうの席で相槌を打つだけの俺だったが、こう囲まれてしまっては逃げ場はない。
これからは人付き合いも大事だと覚悟を決めて挑んではみたものの、大勢に持て囃されるのは意外と悪い気分ではないし、見知ったゲームのキャラが生身で喋っている興奮もあって、思っていたよりも雰囲気を楽しめていた。
ただし、問題は――。
「ほらほら、遠慮せずにどんどんやってくれ、先生様」
勧められた俺は、ジョッキに残った麦酒をぐいっと呷った。
淡い苦味と、かすかな炭酸が口の中に広がる。
あっさりして飲みやすいと言えば聞こえがいいが、正直なところ薄い。
麦酒という字面だとついビールが思い浮かぶが、この世界ではエールが正しい。
エールもビールの一種ではあるが、前世でよく飲まれていたビール、いわゆるラガーとは醸造法が違うのだ。
常温で放置して発酵させるのがエール。
低温で長期保存して発酵させるのがラガーだ。
で、そんな低温で長く保管できる技術がとぼしいこの世界では、麦酒と言えばエールである。
エールも別に美味しいのだが、ラガーに比べるとややキレやコクがなく炭酸も弱い。
しかもちゃんと造ってない品の場合、その差は顕著である。
さらに保存技術もないということで、この世界の酒はすぐに悪くなって味が落ちやすい。
それを誤魔化すために、だいたいが無理やり水で薄めてあったりする。
ここのは特に酷く、王都の居酒屋なら間違いなく酒精監査に引っかかって営業権を取り上げられるレベルだろう。
つまり薄めの味が、さらに薄くなってしまっているというわけだ。
しかし、こんな辺地の村では仕方がない。
なんせ流通がほぼないのだ。
"はじまりの村"で渉外活動を行っているのは、行商人のハンスさんただ一人である。
ここや近辺の村で、小麦粉や干し魚、干し果などを買い付け、王都周辺へと売りに行く。
そして代わりに衣類や小物、塩などを仕入れて、戻ってくるというわけだ。
その中でも一番の人気の品は、この村の最大の娯楽でもある酒類である。
だが大量に消費されるので需要が多いとはいえ、小麦粉の相場自体はそう高くはない。
代価で購入できる麦酒の量は、せいぜい四、五樽ほどだそうだ。
しかも結構、質の落ちた代物でだ。
そんな貴重な酒精は、水で盛大に薄められるのもやむなしというわけである。
「先生様、どしどし喰ってくれよ。この塩漬け肉、うちの豚だぜ」
「おいらは豆の煮込みを持ってきたべ。ささ、どうぞどうぞ」
村人たちにも金銭的な余裕がないので、つまみは持込可能らしい。
こちらも素朴な田舎料理と言えば聞こえがいいが、ハッキリ言ってそう美味くはない。
肉類は基本、塩たっぷりというか、入れすぎて塩の味しかしない。
これも長く保存する手段がないため、仕方がないといえるが。
ただ豆の料理には、その塩さえケチっているので、一緒に食えばなんとかなる。
あと付け合せのパンは、貧乏人おなじみのどっしり歯ごたえの黒麦製だ。
白いふわふわのパンが焼ける小麦は全て売り払ってしまい、自分たちが食べる分などないらしい。
名物料理の多い王都育ちで、その上前世では飽食さえ体験した身では、ぶっちゃけると相当きつい。
しかし粗末な食事といえど、これらの料理は村の人たちの心づくしのもてなしである。
頑張って口に詰め込んでいると、俺を見守っていた男衆たちがしみじみと呟いた。
「先生様、顔が引きつってるべ。そんな無理に食わなくてもいいぞ」
「こんな田舎者の貧相な料理、口にあわねえだろしな」
自虐に満ちたその言葉に、周りの村人たちも顔を反らすか俯いてしまった。
酒場全体が薄暗いせいか、余計に陰鬱さに拍車がかかってしまっている。
これも仕方がない。
なんせ光源は、隅の暖炉でボソボソと燃えている小さな焚き火のみなのだ。
王都では様々な灯火に照らされる暮らしが当たり前であったが、豊かではない辺地の集落じゃロウソクどころか獣脂でも貴重品である。
太陽が沈めばその日はもう終わりで、寝台に潜り込むのが当然の生活なのだ。
現にこの酒場を除いて、明かりが灯っている家は一軒も見当たらない。
傷みかけた薄い酒に、塩味だけのみすぼらしい料理。満足な明かりもない生活。
これが今のこの村の精一杯なのだ。
以前の俺ならば、こんな時は当たり障りのない話でお茶を濁してしまっただろう。
けれども滅びが待つ未来を考えると、せめて村の人たちにはもっと明るい希望を抱いてもらいたい。
ジョッキを一息で空にした俺は、コマンドメニューからアイテム一覧を開き、お目当ての品を素早く探し出す。
一瞬で手の内に現れたそれを、おもむろにテーブルに置き魔力を注ぎ込む。
たちまちまばゆい光が溢れ出し、部屋一面を照らし出した。
驚きで目を見開く人々に、俺はしっかりと言い放つ。
「大丈夫、任せてください。みなさんがもっと美味しい料理を食べたり旨い酒が飲めるよう、俺が頑張って色々と変えてみせますよ」
口に出した後、格好つけすぎたかと後悔が巻き起こる。
しかし、無用な心配だったようだ。
まじまじと白照石のランタンを見つめた村人たちだが、唖然と口をあけたまま互いの顔を見合わせる。
そして深々と頷きあったかと思うと、いきなり歓声を上げた。
「おおおお! すごく明るいべ!」
「こりゃ、お日様か! とんでもねえな」
「びっくり仰天だな。さすがは偉い先生様だ。こんな立派なもの持ってるとはよう」
俺の気合の入った言葉は、ランタンのせいで誰も聞いていなかったようだ。
白い光に虫のように群がる村人たちの姿に、こっそり肩を落としていると背後で大きな物音がした。
振り向くと、もんどり打って床に倒れるオイゲンじいさんの姿が目に飛び込んでくる。
その向かい側には、大きなジョッキを手にしたパウラの姿。
ほろ酔い加減なのか、赤く染まる頬が恐ろしいほどに色っぽい。
と、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
酒の席で急に老人が倒れたのだ。
何か危険な兆候ではと立ち上がりかけたその時、不意に大きな拍手が巻き起こった。
同時にパウラたちのテーブルに居た連中が、口々に賞賛の言葉を口にする。
「すげぇ、飲み比べでじいさんに勝っちまったぜ」
「村一番の酒豪を打ち負かすとは、ネエちゃんすごいな!」
「しかもなんて美味そうに飲みやがるんだ。眼福だったぜ、ありがとう!」
「ふふ、馳走になりました」
どうやら知らぬ間に、二人は酒飲み対決をしていたらしい。
俺の視線に気づいたパウラは、恥ずかしそうに頬に手を添えながら微笑んだ。
その様子もまた、なんとも言えない風情がある。
思わず唾を呑み込みかけたところで、またも違うテーブルから大きな声が上がった。
何ごとかと視線を向けると、今度は魔物っ子たちであった。
その手前には、テーブルに打っ伏した獣耳の男性の姿が見える。
テーブルの高さに合わせて重ねた丸太にちょこんと座らせてもらった二匹は、もぐもぐと美味そうに料理を平らげていた。
その傍らには空になった木皿が、山と積み上がっている。
あの小さな体のどこに入ったのか不思議な量だ。
「おい、大食い自慢のヘイモがやられたぜ! なんて素晴らしい食いっぷりなんだ」
「ああ、信じらんねぇな。こんなに食うやつ、おいら生まれて初めてだ」
「見てて気持ちがいいな。あと可愛らしいしな」
「かたじけないー」
「くー」
いつのまにか、俺以外はあっさり場に馴染んでしまっている。
すっかり人気となったパウラや魔物っ子、それにランタンを横目に見ながら俺は呆れたように息を吐いた。
かくして村での一日目は、喧騒とともに終わっていった。