迷宮で一休み
どこまでも連なるなだらか丘と、あちこちで生い茂る雑木林。
大きな岩が剥き出しとなった斜面や、白い花をつけた小さな繁みたち。
空をよぎる鳥たちの群れと、彼方で輝きを失っていく太陽。
全てが薄ぼんやりとした輪郭に移り変わる黄昏の一時。
それは"はじまりの村"に着くまでに、たっぷり馬車の荷台から眺めさせられた夕暮れの風景とそっくりであった。
どこか懐かしく気持ちが落ち着く眺めに、しばし見入って――。
「………………いや、まだ地下だぞ」
「あっ、ホントだ!」
よくよく見ると俺たちの真上には、ちゃんと天井が存在していた。
どうやら地上でも、ちょうど日が暮れる時間帯だったのだろう。
お日様と連動している太陽岩が消えかけているせいで、天井付近が薄暗くなりすぎて闇空に見えてしまったようだ。
「しっかし天井、物凄く高いな……」
改めて上に視線を向けると、今までとは比にならないほどの高さである。
そして、どこまでも広がる奥行き。
五階や八階でも圧倒されたが、それでもまだ辛うじて迷宮内だと分かる広さであった。
だがここは違う。
本当に地上と遜色ない光景なのだ。
「地下深くにこんな場所を……、いったいどうやって……」
「ええ、まことに不思議ですね」
驚きのあまり声を絞り出すエタンさんに、パウラは静かに言葉を繋げた。
そして美しい瞳を輝かせながら淡々とつぶやく。
「これら全てがあなた様の物に……。ああ、なんと素晴らしい眺めでしょうか」
うん、今は聞き流しておこう。
ただし素晴らしいという点は同意だ。
密かに期待はしていたが、この階は大当たりの予感がする。
ここは特別な階だから、本当にありがたいとしか言いようがない。
「ホントすっごい広いねー。これ、みんな絶対、外と間違えるよー。ほら、鳥まで飛んじゃってるし」
「そうだな。鳥まで……、うん!?」
喋りながら空を見上げた俺は、微妙な違和感に気づく。
鳥にしては、羽がちょいと大きくないか。
いや羽というより、あれは昆虫の翅っぽいな。
飛び方もヒラヒラと不規則だし。
あと数もおかしい。
…………なんか空が埋め尽くされているように見えるんだが。
「あなた様!」
「まずい、逃げろ!!」
こちらへ急速に向かってくる黒雲のような塊を前に、俺は大声で叫んだ。
慌てて振り返り、背後の階段へ飛び込む。
狭い地下空間に戻ってこれた俺は、安堵の息を吐きながら急いで全員の無事を確認した。
「い、今のなに?」
「大きな蛾の群れのようでしたね」
「ハァハァ、たぶん大目玉蛾だな。そんな強くないはずだが、数が多すぎだろ」
翅を広げると俺の指先から肘ほどの長さがあり、背面に大きな目玉そっくりの模様がある蛾である。
物理的な攻撃力は低いが、いろいろ嫌らしい手を使ってくる魔物だ。
「よし、揃ってるな。今日はここまでにしょうか」
「うん、もうクタクタだよー。あー、ヨルっちとクウっちはいいなぁ」
先ほどの襲撃もどこ吹く風とばかりに青スライムの上ですやすや眠る二匹を、ミアは羨ましそうに見つめた。
今から地上まで歩くことを考えると、正直俺も心が折れそうである。
「せめて、なるべく最短ルートで戻るか……」
九階の地図は半分しか埋まっていないため、通ってきた道をそのまま引き返す。
十五分ほどで抜けられたが、次の八階が長い。
一直線に真ん中を横切っても、一時間もかかってしまった。
階段の前で、斥候役の妖精とはお別れだ。
迎えに来た仲間たちと仲良く連れ立って、木々の間へ飛び去っていく。
「またねー!」
「あいつら、夜はどうしてるんだ?」
「西の角の木に大きなウロがあるんですよ。そこをねぐらにしてますね」
「なるほど。狼は木に上れませんしね」
軽く頷いたエタンさんは、俺の目を心配げに覗き込みながら尋ねてきた。
「私もいずれ、この地に小屋を建ててみたいのですが……。よろしいでしょうか?」
「お、それはいいですね」
今日みたいに遅くなった時に、休息できる場所が増えるのはありがたい。
七階は迷路じみた通路を抜けるだけなので二十分ほど。
六階はほぼ地下塩湖に沿って引き返すだけで十五分。
二時間弱で五階へ戻ってきた俺たちだが、そこで出迎えてくれたのは明るい輝きであった。
天井の太陽岩はすっかり光を落としてしまっていたが、集落の広場のそこかしこに置かれた白照石がまばゆく照らしてくれている。
響いてくる陽気な太鼓の音と大勢の笑い声にホッと一息ついていると、村長が慌てた顔で駆け寄ってきた。
「ご無事でしたか、ニーノ様!」
「すみません、ちょっと時間がかかりました」
「いえ、お怪我がないなら何よりです。確認に向かうべきかと、ちょうど話し合っておりました」
「ご心配をおかけしたみたいですね。申し訳ありません」
「おう、遅かったじゃねぇか、あんちゃん! まったく、どこで道草食ってやがったんだ!」
鍛冶屋のヘイモも、皆と一緒に待っていてくれたようだ。
元気に怒りながら、うず高く積まれた大きな骨の山を指差す。
「ほーら、見やがれ! すげえだろ!」
「お! もしかして来ましたか?」
「はい、ニーノ様の予想通りでした」
「怪我人は……、いなさそうですね。薬品は足りましたか?」
「はい、全く使っておりません」
突撃鳥の大群を、俺たち抜きで余裕で退けてしまったらしい。
多少の不安もあったが、村長たちは無事に俺の期待に応えてくれたようだ。
「……素晴らしいですね。お疲れ様でした、みなさん」
「過分のお褒めをいただき、身にあまる光栄と存じます」
わざわざ膝をついて頭を下げようとした村長を、俺は慌てて押し止めた。
ちょっと過剰すぎるというか、騎士のような振る舞いだな。
ゴブリンたちが陽気に騒ぐ広場に入ると、いい匂いが漂っていた。
たちまち女衆が集まってきて、美味そうな鳥肉入りのスープをよそってくれる。
「遅くまで大変でしたね。さぁさ、どうぞ召し上がってくださいな、先生様」
「美味そうですね。ありがとうございます」
木匙ですくい一口流し込むと、温かい塊が喉を通り胃袋へ落ちていく感触が伝わってきた。
塩のみの味付けだが、疲れ切った体に染み渡る美味さだ。
「…………今日は、ここに泊まるか」
もう立ち上がって歩き出す気力は、俺の中にほとんど残っていない。
考えてみれば、今日は二階分も走破したことだしな。
村長たちも元よりそのつもりであったらしく、全員で一晩ゴブリンの集落で厄介になることした。
眠りに落ちるまで、鍋を囲みながら今日の出来事を話し合う。
鉄鉱石などを取り出すと、ヘイモもこの迷宮に工房を開きたいと言い出した。
ならば炭などは僕が調達しますよと、エタンさんが請け負う。
場所はどこがいいかと話し合う二人に、弟子のゴブリンたちも笑い声を上げて参加していた。
カリーナさんたちには八階で採れた新たな食材を見せてみると、さっそく女性だけで話し合いが始まった。
とても楽しげに料理法をあれこれ提案しあっている。
それと大量の突撃鳥の肉だが、エタンさんが燻製にしたらと言い出すと赤羽根が食いついていた。
あとは十階の話だ。
五階よりも広いということに、非常に興味が湧いたようだ。
様々な意見が飛び交い、最後はこれからの村のあり方について村長が夜遅くまで熱弁を振るっていた。
そんなこんなで長い一日は、ゆるやかに終わっていった。
よろしければブックマークや評価の☆もお願いいたします。
下の☆をぽちぽちして下さいませ。




