七分身の罠
紅蓮の火球が照らし出す暗がりの奥。
ギョロギョロと眼球を動かす巨大なネズミの顔が、不意に浮かび上がった。
人の体に獣の頭部を乗せた不気味な魔物は、耳障りな鳴き声を短く漏らしながら、身を屈めて飛んできた火の玉をやり過ごす。
その胸板に、トトンと二本の矢が刺さった。
驚いたように口を大きく開くネズミの顔。
そこへ、またも飛来した灼熱の塊が命中した。
またたく間に、ワーラットの上半身は炎に包まれる。
が、まだ終わりではないようだ。
燃え盛る両腕を振り回しながら、魔物は前に出ようと足掻いてみせる。
その前に出した足の膝を、鋭く放たれた鞭が強かに打ち据えた。
足を払われた形となったワーラットはあっけなく転倒し、地面の上でバタバタと手足を動かす。
そして十秒ほどで静かになった。
「うん、もう連携は完璧だな」
「ふふーん! そうでしょ、そうでしょ!」
「慢心はいけませんよ、ミア」
「はーい!」
注意にしては柔らかすぎるその口ぶりに、少女はにっこり笑ってパウラの腕に飛びついた。
そして俺にこっそり尋ねてくる。
「……センセ、まんしんて、どういう意味?」
「調子に乗りすぎるなってことだよ」
「あー、あるある。あたし、あるあるだー。うんうん、乗っちゃうねー」
「もう、仕方がありませんね、ミアは」
またも優しく言い含められたミアは、嬉しそうな笑みを浮かべてパウラにぴったりとくっつく。
もうすっかり姉妹同然の仲のよさである。
でもまあ、多少の油断もやむを得ない。
ワーラットも慣れてみれば、そうそう脅威ではない相手であった。
ミアの<火弾>で注意を引きつけ、エタンさんが矢を素早く射掛ける。
仕留めきれず近づいてきたら、パウラの鞭で牽制してさらに攻撃を重ねていく。
この作戦で、ほぼ完封できてしまうのだ。
そう広くないこの坑道は大きく動き回れない分、遠隔攻撃手段が揃った俺たちに非常に有利であったというわけである。
ただしこの戦い方にも、一つ大きな問題があった。
一部のメンバーの出番が、ほぼなくなってしまう点だ。
接近して病毒に感染してしまうと面倒なので、適切な距離を取るのはやむを得ない話ではあるのだが……。
「むにゃむにゃ、かんべんー」
「くうくう」
おかげでヨルとクウの二匹は、青スライムのベッドですっかりくつろいでいる。
仰向けに横たわり、だらしなくお腹を見せつけてくる有り様だ。
まあ、そろそろ夕方近いしな。
「あ、ありましたよ。ニーノ様、こっちです」
熱心に周囲を探っていたエタンさんだが、ワーラットの宝物置き場を見つけたようだ。
可愛く俺に手を振って知らせてくる。
ちなみに年上の男性からの様付けはどうかと思って、もっと気安く読んでくれと前に言ってみたのだが、怪我を治してくれた大恩人をそんな軽々しく呼べませんと言われてそのままとなっている。
さっそくガラクタの山に近づいて回収した俺だが、今回も鉱石ばかりであった。
装備品が見つかったのは最初の一回だけで、合計八回目の空振りである。
ま、壊れかけたツルハシとかはあったりしたが。
俺が首を振ると、エタンさんは残念そうに肩を落とした。
「なかなか見つかりませんね」
成人した男性が装身具にこだわるというのも奇妙な話ではあるが、エタンさんの場合はそれも仕方がない。
龍腕森林を居住域とする樹人種は、大地の加護を持つため植物の育成を得意とし、また木々と一体化し気配を消すことにも長けている。
と、ここまでならよくある耳の長い種族と同じなのだが、樹人種は一妻多夫制の女性上位社会なのだ。
女性は龍の加護を持つ六種族中で一番大柄で、逆に男性は一番小柄で華奢。
そして男性側は選ばれる立場として着飾る習性があり、より可愛らしい装いを好んで身につけるらしい。
そこでふと思いついた俺は、話を振ってみた。
「そういえばエタンさんは、いい人居ないんですか? その、こっちに呼べそうな」
思いっきり下心丸出しの問いかけに、樹人種の青年は一瞬困ったような表情を浮かべた後、頬を赤らめてうつむいた。
「い、いるにはいるんだけど。その、彼女……、森の外にあんまり出たがらないからね」
ああ、そういえばそんな設定もあったな。
樹人種の女性は木々を守るために、基本的に森から出ようとはしない。
逆に男性は己を鍛え上げ見初めてもらうために、花嫁修業ならぬ花婿修行として各地を放浪し見聞を広める習わしがあるのだとか。
「でも、こんな面白い場所を教えたら、もしかしたら来るかも知れないね。あの子、珍しいもの好きだから……。ああ、でもここは秘密だったね」
「いえ、口が堅い人でしたら教えていただいても大丈夫ですよ」
「いいのかい? うん、口が堅いというかほとんど喋らないし、きっと大丈夫だと思うよ!」
基本的に樹人種は森しか興味がないので、そうそう問題にはならないだろう。
それにそんな欲の皮を突っ張らせる種族でもないしな。
新たな戦力の加入に期待しつつ、坑道を進んでいくとあっさり階段前に到着してしまった。
八階の狼退治を始めたのは昼過ぎで、この九階の探索もすでに一時間半。
地上はおそらく薄暗くなっている頃合いだろう。
十階の確認だけ済ませて、今日は切り上げるか。
と思いつつ、ボスモンスターへ目を向けた俺たちだが――。
「うん?」
「あれれ?」
「あら?」
思わず疑問の声が揃ってしまった。
階段前のやや広い空間。
そこに居たのは見慣れたワーラットたちだ。
全部で七体の魔物が、あちこちせわしなく歩き回っている。
ただ、それだけなのだ。
「ボスはどこだ……?」
「ええ、取り巻きしかいませんね」
動き回るワーラットたちの背丈はほぼ変わらず、突出して強そうなのは見当たらない。
これまで屠ってきたのと、全く見た目は一緒である。
「あ、どっか隠れてるんじゃない? で、最後にバンって出てくるとか」
「あー、それありそうだな。じゃあ雑魚から片付けるか」
と言っても矢や<火弾>が躱しにくい狭めの通路だから今までの戦法が通じたのであって、これだけ広い空間だと自由勝手に動き回られてしまうのは確実だ。
ならばここは、うちの切り札を出すしかない。
密かに残しておいた青すぐりの実を一粒取り出した俺は、眠りこけるクウの鼻先に差し出した。
たちまち鳥っ子のまぶたがピクピク動き、その口元がよだれを流しながらぱっくり開く。
同時にパウラの肩に止まっていた妖精が、興奮した笑い声を上げながら飛びついてきた。
さらに隣のスライムの上で寝ていたヨルも、目をつむったままむっくりと起き上がり、そのまま俺のほうに向かってくる。
妖精と姉に奪われそうだと察したのか、寸前でクウの瞳がぱっちりと開いた。
ギリギリで両手を羽ばたかせた鳥っ子は、青い実を吸い込んで宙に舞い上がる。
そして青すぐりを見失ったヨルは、眠ったまま俺の指を無心で舐め回しだした。
妖精のほうは俺の服に潜り込んで、懸命に残っていないか探し始める。
「うーん、すごい食欲だな。いや甘味への執念か」
その姿にほだされた俺はもう二粒取り出し、ヨルと妖精に与えてやった。
嬉しそうに貪る獣っ子たちの頭を撫でながら、飛び回るクウに命じる。
「よーし、クウ。ちょちょいと片付けてくれ。<ぱたびり>だ」
「くうぅぅうう!」
略してもちゃんと伝わったらしく、羽で激しく空気を打ち据えたクウは七頭のワーラットの前に躍り出る。
風をまとった小さな羽が左右に広げられ、紫色の電が急速に集う。
――<びりびり>&<ぱたぱた>!
容赦なく地上に振り注ぐ羽吹雪に、ネズミ顔たちはいっせいに甲高い悲鳴を上げる。
そして次々と黒く焦げながら地面に倒れ込んだ。
一仕事を終え戻ってきたクウを抱っこしながら、俺たちは警戒を解かず階段前の空間を見つめる。
しかし何も起きない。
いや、驚きの変化はあった。
…………鉄格子が静かに上がっていくのだ。
「え、終わり?」
「えー、あれだけ!?」
魔物の死骸を探ってみると、一体だけ赤魔石の塊が回収できた。
どうやら、なんの変哲もないこのワーラットがボスであったらしい。
よく分からないが、これで終わったようだ。
釈然としないまま、階段を下りて十階に進む俺たち。
そしてそこで広がっていた予想外の光景に、大きく目を見開く。
「あれっ、外に出た!?」
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