新たなきっかけ
「村長ぉお!」
「お任せを!」
俺の叫びに駆け付けてきたディルク村長は、素早く手を差し出して魔力を解放する。
<清癒>によってもたらされる光が、妖精の体を優しく照らし包み込んだ。
辛うじて息が残っていたヨーは、安堵したように口元を緩めた。
しかし所詮は、魔法陣や魔導陣を通さない癒やしの術。
<清癒>の効果は、傷口の消毒とわずかな痛みの軽減だけしかない。
カラスの爪で荒々しく掴まれていたヨーの肩口は大きく裂けており、流れる血は今なお止まる気配はない。
背中の羽も全てへし折れ、辛うじて根本にぶら下がっている有り様だ。
痛みが少し治まったせいか、妖精は目を開きわずかに唇を動かした。
だが、いつもの笑い声にはならない。
痺れ茸を好む森カラスの爪には痺れ毒が蓄積しており、捕まえた獲物を一時的に麻痺させることができる。
だから悲鳴を上げることも叶わなかったのだろう。
「今すぐ楽にしてやるぞ!」
そのために俺は居るのだ。
手を伸ばし、枝角鹿の体に触れて回収。
アイテム一覧からお目当ての品を見つけ出し、数個の魔石とともに一瞬で取り出す。
大鹿の唾液腺を<分解>。
現れた唾液をそのまま<浄化>。
一角馬の角の粉末と乾燥させた苦汁草、迷宮水、それと大鹿の唾液を<混合>。
三つの錬成をまたたく間に済ませた俺は、できあがった外傷治療薬を妖精の傷口に振りかけた。
たちまち裂けた肉が盛り上がり、流血が止まる。
不規則だった呼吸も、緩やかな吐息へと変わっていく。
目をまんまるに見開く村長を前に、ヨーはむくりと身を起こした。
その肩口の傷は、完全に塞がっている。
背中の翅にも薬を流してやると、妖精は嬉しそうに身を震わせた。
こちらも数秒で元通りとなる。
「おお……。こ、これほどとは……」
まだ驚いている村長を尻目に、ヨーは軽やかに宙へ舞い上がった。
痺れ毒も抜けたのか、元気よく笑い声を放つ。
「クシシシシシ!」
その声が耳に届いたのか、ゴブっちが慌てた顔で駆け寄ってきた。
そして空を飛ぶヨーの姿を見上げ、安心したように笑った。
「ギヒ! ギヒヒヒヒ!」
相棒の無事な姿を喜ぶゴブっちだが、その体のあちこちに血が滲んでいる。
弓も真ん中でへし折れて、酷い有り様だ。
残った外傷治療薬を振りかけながら新しい弓を取り出して渡すと、ゴブリンは嬉しそうに邪悪な笑みを浮かべた。
戦いというものを、軽く考えていたつもりはない。
しかし受けた傷なら治せばいい。
そう考えた時点で、俺は全く分かっていなかったのだ。
無意識のうちに手がこぶしを形作り、力がこもっていく。
今ここで謝罪の言葉を口にするのは簡単だ。
だが命がけのヨーの行為を、そんな言葉だけ終わらせていいはずがない。
命を賭した行いには、同じく行いで返すべきである。
それがヨーたちをこの階へ連れてきた俺がやるべきことであり、取るべき責任だ。
静かに息を整えた俺は、いつの間にか無言で傍らに立っていたパウラへ声をかけた。
「どうなった?」
「十一匹に逃げられました。申し訳ありません」
「いや、よくやってくれた。みんな、怪我は?」
「特に大きなものは。ご心配いただきありがとうございます」
ヨルやクウ、青スライムたちに多少の噛み傷があったものの、それだけで済んだようだ。
魔活回復薬を配りながら、骨子ちゃんを周囲に徘徊させて警報代わりにする。
黒毛狼の死骸は、全部で十六頭だった。
森カラスも忘れず急いで回収を済ませる。
「よし、今日はここまでにしよう。引き返すぞ」
「うーん、わたし全然だったなー」
「むねんー」
「くぅー」
結果で見れば大きな勝利なのだが、どうにもスッキリしないようである。
それは俺も同様だ。
今後の探索を考えると、そうそう甘いことは言ってられない。
無事に階段までたどり着いた俺たちだが、そこでヨーがいきなり止まってしまった。
名残惜しそうに何度も飛び回って、なかなか上の階へ行こうとしないのだ。
「うん、どうした?」
「クヒヒヒ!」
「もしかして何か不満があったのか?」
「キハハ」
「あなた様。おそらくですが、この階が気に入ったのではないでしょうか?」
「え、そうなのか?」
驚いた俺の問いかけに、妖精は頷くように何度も上下に飛んでみせる。
パウラの言葉が正しいようだが、あんな目にあったのによくそんな気持ちになれるな……。
これが魔物的な思考なのだろうか。
「うーん、キノコが生えているのがそんなに重要なのか」
「ケヘヘヘ!」
先ほど考えた通りヨーが望むのならば、それはきちんと報いてやりたい。
しかし、ここに一匹だけで残していくのはあまりにも危険である。
「さすがに一人じゃ危ないからなあ……」
「うん? ほかの妖精っちも連れてきちゃダメなの?」
「<従属>できる数がもういっぱいなんだよ。これ以上は増やせない」
「そっかー。残念だねぇ」
使役魔の数が増えれば、黒毛狼の群れに焦る必要もなくなる。
ただ枠を増やすには、パウラのレベルをもっと上げなくてはならない。
そのためにはより深い層で、もっと強い相手と戦う必要がある。
当然、リスクが大幅に増えるため、安全を確保するなら味方を増やさねばならない。
そこで使役魔の数を――。
無限ループである。
考えあぐねる俺の耳に、柔らかな声がそっと響く。
「手がないわけでもありませんよ、あなた様」
思わず顔を上げた俺に、パウラはいつもの妖艶な笑みを浮かべてみせた。
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