狡猾な包囲網と瀕死の口づけ
俺が大きく手を上げた瞬間、即座にパウラが動いた。
背後からミアの口と首に手を回して音を立てないようしてから、その場に無理やりしゃがませる。
一歩遅れて、剣を手にした村長が身を低くして俺に駆け寄ってきた。
付き添われながら、枝角鹿の死骸の陰で膝をつく女性二人に合流する。
ヨルとクウたちも、スライムたちの背中にぴったりとうつ伏せになっていた。
ちゃんと危険を知らせる合図を覚えていたようだ。
「どうかされました?」
「ふぐぅ! うぐぅ!」
「骨子ちゃんたちが消えた。……ヨーは?」
「……見当たりませんね」
枝角鹿との戦闘中は、周囲の警戒に当たっていたはずである。
これは嫌な予感しかしないな。
「ヒヒッ」
いつの間にか離れた下生えに紛れ込んでいたゴブっちが、木の陰を指差して知らせてくる。
鹿の死骸の後ろから顔だけ出して覗いてみると、草むらに身を潜める黒い塊が見えた。
「あれは……、狼ですか?」
「黒毛狼ですね。面倒なやつがきたな」
「あなた様、あちらにも」
「ふぐぐぐっ!」
パウラの指摘通り、数匹の獣がそこかしこから俺たちを窺っていた。
黒毛狼は単体でもそこそこ強い魔物だが、厄介なのは集団戦を得意とする点である。
ゲームでは機動力の高さを生かして味方一体を取り囲み、連続で集中攻撃してくる鬱陶しいモンスターだった。
ここから見る限り、普通の犬より一回りは大きい。
さらに足も太く、体つきはガッシリとしている。
特技は確か<噛みつき>。
骸骨犬と同じだが、筋肉がついている分、威力は上がっているだろう。
それと名前の由来となっている黒い体毛。
あれも確か面倒な特性があるはずだ。
「これほどの数が、いつの間に……」
「俺たちが枝角鹿と戦っているのを嗅ぎつけたんでしょうね。そしてあわよくばと」
「なるほど、狡猾ですな。どうされますか?」
「囲まれたら、完全に不利です。壁際へいったん引きましょう。あそこなら背後から襲われる心配はないですし」
一匹一匹なら、そう苦戦する相手ではない。
しかし絶え間なく周囲から次々と挑まれれば、先に力尽きるのは間違いなくこっちだ。
俺たちもボスモンスター戦で散々やってきたことだが、数の暴力というのは本当に侮れない。
それに<びりびり>と<火弾>が使えないのも、本当に痛すぎる。
威嚇の低い唸り声を隠さなくなった狼どもを前に、俺たちは場所を変えることを決めた。
村長を先頭に、東へ向けて走り出す。
が、わずか数十歩でその足は止まってしまった。
「ぐっ、こいつら!」
牙を剥き出しにした数頭が、行く手を阻むように集まってきたのだ。
倒せなくもないが、この場に留まるとすぐさま囲まれてしまうだろう。
「迂回しましょう。あの木のところへ」
ゴブっちに矢で牽制してもらいながら、右手の大きな木へ進路を変える俺たち。
が、近づく前にその木陰から、またも数頭の狼が姿を現す。
「だめか。ここは下がりましょう」
急いで向きを変える俺たち。
足を止めれば、それだけどんどん不利になっていくだけだ。
が、再度向かった先にも、狼たちが立ちはだかる。
「だったら木を壁にしましょう。あそこへ」
しかし、そこもすでに狼たちの縄張りと化していた。
もう一本の木も、全く同じ結果となる。
逃げ道をことごとく塞がれた俺たちは、結局、枝角鹿の死骸の側に戻るしかなかった。
「はぁはぁ、完全に動きが読まれているな。ふぅふぅ、どうなってんだ……」
いくら足が速い狼でも、この先回りぶりは異常である。
俺の疑問に、パウラと村長が素早く目を合わせた。
「あなた様、実は先ほどから耳慣れない音が……」
「私もです。動こうとするたびに、上のほうから何か響いてきますね」
「うわわわわ! 集まってきたよ!」
ミアの言葉通り、十数頭の狼たちがジリジリと距離を詰めてきている。
考える時間も残されていないようだ。
足止めになるかと思って未回収にしておいた枝角鹿だが、その体に漁られた形跡はない。
そして走り回ったせいで、俺の体力は限界に近い。
全部、あいつらの狙い通りということか。
魔活回復薬を飲み干した俺は、息を整えながら腹を決めた。
できれば無理せず倒したかったのだが、そんな余裕を持てる相手ではなさそうだ。
「やむを得ません。ここで迎え撃ちましょう」
一箇所に集まってきたのなら、それは一網打尽にできるチャンスでもある。
それに多少の怪我なら、狼どもが手を付けなかったこの枝角鹿でなんとかなるしな。
「時間がないな。ヨル、クウちょっと来てくれ」
「およびー!」
「くう!」
無邪気に見上げてくる二匹に頷きながら、俺は急いで痺れ茸を取り出す。
反射的によだれを流す魔物っ子たち。
その口元にキノコを持っていきながら、俺は謝罪の言葉を口にした。
「すまんな」
「ごにょー!」
「ぐにゅ!」
ヨルとクウの鼻の穴に痺れ茸を突っ込みながら、俺は取り出した迷宮大蒜をゴブっちに投げ渡す。
「よし、かましてやれ!」
ガブリとにんにくを噛みちぎって呑み込んだゴブリンは、すっかり馴染みとなった邪悪な笑みを浮かべた。
そして大きく息を吸い込んで、身を乗り出した。
――<臭い息>!
ゴブリンの口腔から放たれた凄まじい悪臭が、今まさに襲いかかろうとしていた狼どもを包み込む。
たちまち獣の群れは、激臭に顔を歪め体をよろけさせる。
なまじ鼻が利く分、効果は抜群だな!
「今だ!」
「クウ、<ぱたぱた>です!」
「ぐー!」
一気に空へ舞い上がった鳥っ子は、羽ばたきとともに大量の尖った羽根を降らせる。
これでたいがいは決着がついてきたのだが、今回の相手はそう甘くはない。
「く、やっぱりか」
狼の体を包む黒い毛皮だが、柔軟性が高い上に非常に滑りやすいのだ。
半分ほどが刺さらず、体表を滑り落ちてしまう。
が、それでも少なからずダメージはあったようだ。
血を滴らせる狼どもの有り様に、パウラが続けて指示を飛ばした。
「畳み掛けます! ヨル、<ぎゅん>!」
「がっでん!」
小さな姿がかき消えたかと思うと、いきなりヨルが狼の群れの中に姿を現す。
紫の雷を足元にまとわりつかせた獣っ子は、鋭い爪を狼どもに叩きつける。
苦痛の吠え声と血しぶきが、みるみる上がった。
ゴブっちの第二の特技<臭い息>。
これを大の苦手としていた二匹が平常通り動けるのは、その鼻から覗く痺れ茸のおかげである。
あのキノコには、実は感覚器官を短時間だけ麻痺させる効能があるのだ。
そのため工房ではもっぱら、麻痺薬の原料として扱われていた。
俺が触ったことはあっても食べたことがないと言っていたのは、それが理由である。
「うわわわ、いっぱいくるよ!」
「ゴブっち、後ろだ!」
「キヒヒヒ」
前方の狼どもは足止めできたものの、今度は手薄となった背後からの襲撃だ。
しかしゴブっちの動きを見切ったかのように、狼どもは寸前で足を止めてしまう。
そのまま大きく迂回したかと思うと、左右から数匹が迫る。
「くそ、またも読まれてるぞ!」
恐鳥の骨を取り出した俺は、呼び鈴を振って続けざまに骨子ちゃんを三体呼び出す。
少しでも壁を増やさないと。
村長とパウラも剣と鞭を振るって牽制するが、巧みに間合いを外されてしまう。
ミアの<風刃>は威力不足で、決定打にもならない。
「く……、ジリ貧だな」
俺がつぶやいたその時、不意に頭上からけたたましい鳴き声が響いた。
同時に黒い影が、狂ったように飛び回りだす。
「あれは!?」
次の瞬間、ゴブっちの弓の弦が鳴り響き、撃ち落とされた影が真っ逆さまに落ちてきた。
地面に転がったのは、全身の羽根を黒く染めた鳥であった。
そしてその足の爪には、ぐったりとした妖精のヨーが握られている。
「そうか、こいつの仕業か!」
狼どもの異常な動きとパウラたちの言葉が、俺の中でがっちりと噛み合う。
森カラス。
ゲームでは黒毛狼と組んで、こちらを追い詰めてくる厄介なモンスターだった。
多分こいつが空から俺たちの動きを観察して、狼どもに知らせていたに違いない。
そして……。
血まみれとなった妖精を、俺はそっと抱き上げる。
おそらく偵察していた段階で掴まったのか。
だが俺たちの危機を感じ取って、力を振り絞り<妖精の接吻>を放ってくれたのだろう。
空からの目を失った狼どもは、もはや俺たちの敵ではなかった。
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