馬車での出産
「産まれるって、大丈夫か!?」
「あら、ご心配いただいてありがとうございます」
慌てた俺の呼びかけに、女性は丁寧に顔を下げてのん気な言葉を返してきた。
その拍子にフードがスルリと脱げて、素顔があらわになる。
息を呑むような妖艶さ。
そんな形容詞が、とっさに俺の脳裏に浮かんだ。
こちらへ向けられた目尻の下がった大きな瞳は、こころなしか潤んでいるようだ。
すっと持ち上がった高い鼻梁に、熟れたイチゴを思わせる肉厚な唇。
腰元まで届く真っ直ぐな赤髪は、広いおでこが見えるよう綺麗に切り揃えてある。
そしてそれらのパーツを見事に際立たせる、上品なチョコレート色の肌。
この辺りでは珍しいその肌の色に、俺は目の前の女性が魔人種だとようやく気づいた。
龍骸大島の東にある龍尾高地を統べるドゥンケルハイト魔導帝国。
そこの住人である魔人たちは、生まれながらに高い魔力を持ち闇の加護を授かった種族だ。
ただ帝国とか闇の加護とかの物騒な単語が多いが、そう身構える相手でもない。
他種族を露骨に見下したり侵略主義を掲げているとかはなく、むしろ他者に関しては寛容であり、積極的に移民を受け入れる姿勢だったりする。
まあ、今のところの話ではあるが。
楕円の形をした短い眉を少し寄せた女性は、俺を見つめながらわずかに小首をかしげた。
その何気ない仕草だけで、知らずに生唾を呑み込みかける。
「わ、分かりました! すぐに止めますね。お気を確かに!」
ハンスさんの焦った声と急停止した荷台の動きに、俺は即座に正気を取り戻した。
今は色香に迷っているような状況じゃない。
「お湯を沸かせばいいんだっけか。熱水と温水の両方、レシピにあるな。消毒は<浄化>でいいか。あとは清潔な布と――」
「あのぅ?」
「無理に動かないほうがいい。えっと、破水とかはもうしたのか?」
うろ覚えの知識を総動員していると、女性は首を傾けたまま言葉を続けてくる。
「少々、お手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。なんでも言ってくれ」
どこかテンポがずれた会話に不安を感じながら、俺は急いで女性に近寄った。
その整った顔には汗一つ浮かんでおらず、呼吸も普段と変わらないようだ。
しいて言うなら、頬にやや赤みが差している程度か。
ともかく出産前の切羽詰まった感はどこにも見当たらない。
訝しげな俺の表情に気づいたのか、女性は唇の両端をゆるく持ち上げる笑みを浮かべた。
そしていきなりローブの前をはだける。
「ありがとうございます。それでは――」
薄い布地を押し上げる豊かな双丘。
むっちりと豊かな曲線を描く腰回り。
しなやかに伸びる細い二本の足。
男なら絶対に目が吸い寄せられてしまうと言い切れる素晴らしいプロポーションだ。
しかしながら、俺の視線は一点に集中していた。
女性の下腹部。
そこに妊婦ならあるべきはずの膨らみがなく、代わりに現れたのは光沢を放つ白い大きな丸みだった。
見覚えのあるその球形に、俺は思わず疑問を漏らす。
「……た、たまご?」
「おや、珍しい! 魔物の卵でしたか。しかも、そんな大きいのは初めて見ますね」
御者台から身を乗り出したハンスさんの叫びに、俺は自分の見ている物の正体を察する。
女性の腹部にさらしで括りつけてあったのは、一抱えはありそうな巨大な卵だった。
この世界の魔物とは、体内に多くの魔素が溜まって変容した生物を指す。
通常の生物よりも頑丈かつ凶暴で、他の生物が有する魔素を求めて徘徊し見境なく襲いかかる習性がある。
ゲームだとモンスターと呼ばれていた存在だが、実はこの現実化した世界だとそうそう頻繁に出現するようなことはない。
魔素溜まりと呼ばれる危険な場所の近辺にしか、発生しないのが基本のようだ。
まあゲームと同じ感じで凶悪な怪物が次々湧いて出たら、人類はこんなに繁栄できなかったろうしな。
気を取り直した俺は、女性が抱える魔物の卵を改めて見つめた。
人を見れば襲いかかってくる魔物であるが、卵の時点で魔力を注いで孵せば、その人間に懐き従魔と呼ばれる忠実な下僕となる。
そういった魔物を操る人々は魔物使いと呼ばれおり、闇系統の魔術を使いこなす魔人たちにぴったりの職業だった。
「そうか、あんた魔物使いだったのか。で、俺は何をすればいいんだ?」
「手を触れて、この子に魔力を注いでいただけますか。わたくしのだけでは、足りそうにありませんので」
言われた通り、女性のお腹にくっついている卵にさわってみる。
表面はすべすべしており、ほんのりと温かい。
確か殻の内部を人の魔力で満たしてやれば、生まれてくる魔物から凶暴性が消える設定だったはずだ。
ただ当たり前だが、そうなる前に殻が割れてしまうと失敗である。
そして卵の内部は、まだかなり空きがあるように感じた。
「よし、注ぐぞ」
「はい、どんどんお願いしますね」
今日は錬成をしてないので、魔力はまるまる余っている。
それに魔力回復の特技で、半日あれば半分近く自動で回復できるのだ。
ここで使い切っても支障はないだろう。
俺は遠慮なく、魔力を卵へ流し込むことにした。
「あら、あららら?」
美人の驚く顔は、なかなかに素晴らしい。
調子に乗った俺は、さらなる魔力を次々と送り出す。
またたく間に殻の中が、俺の放った魔素で満たされていき――。
「あのぅ、ちょっとお待ちを」
「うん?」
次の瞬間、いきなり卵の表面に無数のひび割れが生じた。
一瞬の間を置いて、殻の破片が宙に派手に飛び散る。
合わせて黒い塊が二つ、中から飛び出してきた。
ころころと勢いよく荷台の床の上を転がったそれらは、置いてあった小さな樽にぶつかると、跳ね返って今度は俺に向かってくる。
避ける暇もなく、胸元と腹に衝撃が生じる。
耐えきれなかった俺は、そのまま床へ押し倒された。
「な、なんだ!?」
急いで目を向けると、俺の胸や腹にしがみつく塊たちと目が合う。
大きさは三歳児くらいだろうか。
見た目は人間と同じで、両手両足の数も一緒である。
顔つきも、愛らしい子どもそのものだ。
ただし、その体表は顔を除いて隙間なく黒い毛皮や羽毛で覆われていたが。
分かりやすく言い換えるなら、着ぐるみ姿の幼児である。
もふもふの毛に覆われた子どもは、俺を見つめ返しながら目を輝かせた。
そして元気よく声を張り上げる。
「あるじどのー!」
「喋った!? って、寄るな!」
毛むくじゃらの子どもは、俺の胸の上をずりずりと前進しながらまたたく間に近寄ってくる。
思わず手を伸ばすと、今度は横からふわふわの羽毛に包まれた子どもがぱくりと服の袖を咥えた。
そのまま、もぐもぐと咀嚼を始める。
「くー!」
「おい、食うな!」
生まれたての魔物の子どもたちにまとわりつかれながら、俺はなんとか上半身を起こした。
そして、まじまじとこちらを見つめる美人と目が合う。
しばしの沈黙の後、女性は片手を顎に当てたまま驚いたように呟いた。
「あら、双子さんだったのですね。どうりで重いなぁと思っておりました」
「いや、気にするとこはそこじゃないだろ!」
思わずツッコミを入れると、女性はまたも不思議そうに首を傾げた。
困った俺は、この中で一番物を知ってそうな馬車の主に助けを求めることにした。
「なあ、ハンスさん。これ魔物なのか?」
「うーむ。卵から生まれた以上、人でないのは確かですな」
「魔物って喋るものなの?」
ゲームの中では、鳴き声さえあった記憶はない。
現実化したこの世界だと、王都で使役されていたのも何匹か見たことはあるが、牛や馬と変わらぬ家畜のような感じであった。
「たしか天使族や悪魔族は、人語を解して意思疎通ができると聞いたことはありますが……」
「天使? 羽があるけどさすがに違うような。こっちも悪魔って感じはしないな」
袖を噛みしめる魔物の子どもの手には、長い羽毛が生えており翼のようにも見える。
ただ天使というなら、背中に翼を持つ翼人種のほうがはるかに近いだろう。
もう一匹も頭部に大きな獣耳が生えており、悪魔というより獣人種に近い外見である。
「なんとも不思議な見た目でございますな。ふむむ、お力になれず申し訳ない。このような珍しい魔物、わたしは寡聞にして存じておりません」
見聞の深いハンスさんでもお手上げのようだ。
俺もドラクロ2で仲間にできるモンスターは全てカンストまで育てたが、こんな変な生き物に心当たりはないしな。
「それはそれとして――」
「はい?」
「これはまた、ずいぶんと愛らしいですな。ニーノ様にも、すっかり懐いておられるようで」
そう言って顔を綻ばせるハンスさんに、俺は苦笑を返すしかなかった。
獣っ子のほうは先ほどから、俺の首根に顔をうずめ熱心に匂いを嗅いでいる。
そのたびに大きな三角形の獣耳がピコピコ動いて、顎に当たるのがくすぐったい。
袖を咥えていた鳥っ子はそのまま寝てしまったのか、口元からよだれを流しながら小さく寝息を漏らしていた。
二匹とも全身真っ黒だが、よく見ると紫色の毛や羽が混じっており、ところどころで美しい縞模様となっている。
顔の造形も人形のように整っていて、ぷっくらしたほっぺまで可愛らしい。
軽く息を吐いた俺は、もう一つの疑問を口にする。
「なあ、なんでこいつら俺のほうに来るんだ? 卵を孵したのはあんただろ」
俺と魔物っ子らの絡みを微笑みながら眺めていた女性は、丸い眉を優雅に持ち上げながら答える。
「それはあなた様の魔力が、わたくしが注ぎ入れた分を上回ったからでございますよ。まことに感服いたしました」
「……そうか。謝って済むとは思わんがすまないことをした」
加減が分からなかったとはいえ、魔力の多さを見せびらかしてしまった結果がこのざまだ。
万能とか調子に乗っている場合じゃなかったな。
「いえ、お気になさらないでください。わたくしからお願いしたことですから」
「そう言ってもらえると助かる。で、こいつらはどうすればいい?」
「はい。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「うん?」
「あなた様も、リヒトの都へ向かわれるのですか?」
「ううん?」
リヒトというのは王都の正式な名前だ。
またもずれていく会話に、俺は慌てて軌道の修正に入る。
「まて、まず王都は逆方向だ」
「あら、もう通り過ぎてしまったのですね。てっきり西へ行けばいいのかと」
「あと、ふつつか者ってどういう意味だ。この子らを俺に預けるってことか?」
「道を違えたのに出会ってしまうとは、とても強い運命を感じますね、あなた様」
ここで俺の脳裏に、不意に複数の符号が噛み合う。
あなた様という呼び方。世間知らずで、極度の方向音痴。
極めつけは、服の下に隠しもった魔物の卵を孵すイベント。
全てが一致している。
しかし、その容姿だけは俺の記憶とあまりにもかけ離れていた。
思わず問い掛けが口から漏れる。
「もしかしてパウラか?」
「まぁ、どうしてわたくしの名を?」
驚きながらも目の前の美女は、赤い薔薇のように瞳を輝かせ妖艶な笑みを浮かべてみせた。
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