いつも通りの出発
迷宮探索七日目。
ハンスさんは旅立ってしまっても、やることはいつもと同じである。
とか考えていたが、今日最初に起こった出来事はいつもと違う酒場での言い争いであった。
「先生様、俺は村一番の力持ちだぜ。切り株だって引っこ抜けるぞ」
「うそつくな! 腕相撲ならオラのほうが強かったべ」
「はいはい、腕力自慢なんて無駄なことは他所でやってちょうだい。ところで先生様、わたしの魔力、もっと伸ばしたほうがいいと思うんだけどどうだい?」
「なあ、先生。年寄連中よりも、若い俺たちのほうがきっといいって!」
「うるせぇ、ガキは引っ込んでろ!」
「そっちこそ、さっさとくたばりやがれ!」
朝っぱらから、なんとも元気である。
レベルが上った村人が吹聴したせいか、現在、"はじまりの村"では迷宮熱が恐ろしい勢いで高まっていた。
一日行くだけで身体能力が格段に上がり、おまけに肉などの土産ももらえるのだ。
参加したいと思うのも無理はない。
さらに今朝は、試食会に蟹肉のスープを出したのが不味かったらしい。
あまりの美味さに我を忘れて売り込み合戦となり、それが加熱して口論になってしまったというわけである。
「みなさん、落ち着いてください。ちゃんと希望する方は全員、連れていきますから」
「でもよ、先生様。俺たちはいつになったら地下迷宮ってのに行けるんだ?」
「んだ。ちっとも俺たちからは連れて行ってくれねえじゃないか!」
不満の声を上げたのは、弓をひたすら練習している一団だ。
ただ所詮はずぶの素人が、闇雲に的めがけて撃っているだけではそうそう上達はしない。
もう少し形になってくれないと、戦力として厳しいというのが本音である。
しかし弓士は育つと、強力な味方となってくれるしな。
頑張っている男衆を、ここで突き放す真似はできない。
「安心してください。弓士になった方は、よりたくさんレベルを上げてもらう予定ですから」
たちまち戦士認定された村人たちから、悲嘆と非難の声が上がる。
数が多いだけあって、ちょっとうるさい。
「皆様、お静かに!」
そこへ声を張り上げてくれたのは、ディルク村長であった。
同時にパウラの鋭い鞭の音が響き渡り、水を打ったように酒場は静まり返る。
息を呑む村人たちを見回した鬼人種の男性は、よく通る声で言い放った。
「勘違いされている方が多いようなので、きちんと言っておきましょう。我々が地下迷宮に入れるのは、あくまでもニーノ様がおられてこそなのです。その好意に甘え、厚かましくも催促するなど、言語道断な振る舞いとそしられても仕方がありません。これ以上の狼藉は、この村からの放逐も考えましょう」
威圧的な村長の物言いに、村人たちは顔色を変えていっせいに目を伏せた。
うん、大柄な角をはやした男性と鞭を構えた褐色肌の美女が並んで、村の住民を脅しているような構図は、どうみても悪の組織っぽいな……。
ただ、村長が言ってくれたことは大げさだが、正論でもある。
いや、そこまで多大な恩をきせる気はないが、あれこれ要求が増えてしまうと優先すべき仕事が止まりがちになるのはよくあることだ。
しかし不満をそのままにしておくと、組織そのものが立ち行かなくなる場合もありえる。
ここは、どう動くべきか――。
「できたよー、センセ」
「うん、なんだこれ?」
「誰が行くかもめてんでしょ? だったらこれが早いよー」
にっこり笑いながらミアが差し出してきたのは、藁の束であった。
よく見ると数本の先に、色が着けられているようだ。
「なるほど、くじびきか」
「これなら、外れてもうらみっこなしでしょ。ささ、みんな引いた引いた」
「さすがですね、ミア。素晴らしい解決法です」
村長の一喝が効いたのか、村人たちは大人しく並んでくじを引き始めた。
そして当たり外れに、激しいリアクションを繰り出す。
「やったぁぁぁぁああああ!」
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
「くそ、不甲斐ない父を許してくれ……」
「天は俺を見放したのか……」
ある意味、すごく楽しそうでもある。
そんなわけで今回は一人増やした四人が、無事に選抜できた。
「あれ? 村長はくじ引かなかったんですか」
「それについては少々お話がありまして。ニーノ様は、最近ずっと妻ばかり連れて行っておられるようですね」
「はい、カリーナさんはゴブリンたちの大事な教師ですからね」
「それなんですか。その……、妻のレベルは今いくつでしょうか?」
「えーと、16だったかな」
「…………4しか変わりませんな、私と」
「言われてみれば、そうですね」
真顔で俺の目を覗き込んでくる村長。
ちょっとどころじゃなく怖い。
「そろそろ私も連れて行くべきだと、ご提案を申し上げます」
「へ?」
「このままでは夫の威厳が失われてしまいます。それはあまりにも酷い仕打ちではありませんか?」
レベル抜かれたくらいで、なくなっちゃう威厳って……。
そもそもさっき偉そうに言ったことと、やってることが正反対だよ!
そこはちゃんとくじ引きで当ててから、主張しましょうよ。
「ダメですよ。不正はいけません」
「そ、そんな……」
自分の父親ほどの年齢の男性ががっくり膝をついて打ちひしがれる姿は、胸にくるので止めてほしい。
俺は急いでディルク村長の肩に手を置いて、強引に励ました。
「そのうちきっと村長の出番がありますから、それまでちょっとだけ我慢してください」
「本当ですか!?」
「ええ、そうなればすぐにレベルなんて上がっちゃいますよ」
すぐさま晴れやか表情を浮かべる村長。
本当に、この村は大丈夫なのだろうか。
立ち上がった俺は、同じように声を殺して悔しがる村人たちを見回してから口を開いた。
「では、こうしましょう。地下迷宮で捕れた肉ですが、だいぶ余裕が出てきましたので、これからは少しずつですが無償で配給します」
俺の宣言に、酒場中の目の色が一瞬で変わる。
村人らの反応を確かめた俺は、そのまま言葉を続けた。
「同行して畑作りを手伝ってくれた方や、道具の作成に協力してくださる方には、それとは別に希望する報酬をお渡しします。それと同行する方ですが、後になるほど報酬を多めにしましょう。これでいかがですか?」
甘すぎる処置かもしれない。
ただ一番重要なのは、村人たちをその気にさせていくことである。
まさにパウラがムチを振るうならば、俺はこうやって飴をばらまいていく役割なのだ。
一呼吸置いて、建物を揺るがすほどの歓声が上がった。
さっきまで仲違いしていた村人たちは、互いに肩を抱き合って喜びの声を上げている。
なんとも単純すぎる思考である。
もしかしたら餌の数を朝夕、入れ替えただけでも喜ぶかもしれない。
本当の本当に、この村は大丈夫なのだろうか。
「もし、まだ疑問や不安に思う点がありましたら、……そうですね。ウーテさんまでお願いします」
「仕方ないね、引き受けるよ。ところで私の不満は、誰に打ち明けりゃいいんだい?」
「そ、そこは……。ハンスさんがきっとたんまり稼いできてくれますから」
俺の言葉に酒場の女主人は、器用に片目をつむったあとひらひらと手を振ってみせた。
どうやらジョークであったらしい。
「けんざんー」
「くー!」
そこへタイミングよく青スライムにまたがったヨルとクウが、扉を開けて入ってきた。
朝のこの時間帯は、二匹とも腹ごなしに広場をぽてぽて巡回しているのだ。
その後ろには、小さな子どもたちがぞろぞろ付いてきている。
全員が揃ったところで、俺はようやくいつもの言葉を口にする。
「じゃあ、そろそろ出発しますか」
ふう。
いつもどおりのなんと難しいことよ。
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