王都での取引 三日目とその後
白照石のスタンドの買い取り値は、あっさり一台金貨五十枚でまとまった。
値段を決める上で考慮されたのは、その販売方法である。
いくらでも供給できるとなれば、その価値を維持することは難しい。
さらに既存の市場を荒らすことにもなり、要らぬ敵を作ってしまう可能性も高い。
逆に数を絞れば、裕福な客層を相手に強気な価格を維持することはできる。
安易に値崩れしないとなれば、資産として購入を考える人間も増えるだろう。
ただし問題は、ハンスたちにはその販路がない点だ。
上流階級と繋がりのある商会を通すしかないのだが、そうなると今度は仕入先を怪しまれる可能性が出てくる。
利に聡い商人であれば、仲介する人の数を減らしたほうが儲かるのは重々承知しているからだ。
現状では本気になった商売人を前に、地下迷宮の存在を覆い隠せるほどの力はニーノたちにはない。
そこでパウラの叔父にあたるレオカディオを頼ったというわけだ。
この国の王侯貴族とも通じており、しかも異国の出身であるゆえ、どこから商品を仕入れてくるのか誰にも予想がつかない。
その上、頼めば余計な詮索はせず、たいがいのことには目をつぶるかもみ消してくれる。
まさに理想の取引相手である。
「ふむ、事情をおおむね理解したよ。可愛い姪の頼みだ。任せてくれたまえ」
結果、白照石は言い値で簡単におさまり、月の買い取り数は三個から五個までとなった。
さらに翡翠油に関しても、レオカディオの商会の専売となる。
「宣伝として知り合いの宿屋に一部を譲渡か。今、調べてもらったが上出来だね。もう噂で持ちきりだよ」
こちらは一樽、銀貨二十枚となった。
庶民の手が届きにくい値段となってしまったが、かえって金熊亭の人気が上がりやすくなったとも言える。
そしてレオカディオと取引する大きな利点は、もう一つあった。
「さあ、なんでも言ってくれたまえ。あらゆる物を揃えてみせるよ」
最初に強くおすすめされたのは馬車だ。
道中の安全と移動期間の短縮は、商売上の必然であるらしい。
立派な幌付きの荷台に二頭の大きな馬と合わせて、金貨七十枚。
さらに幾冊かの書籍と、珍しい作物の種。大量のガラス瓶。
新しい農具や武具に、大工道具や裁縫道具等々。
こちらは、しめて金貨三十枚ほどである。
しかも、それだけにとどまらない。
「ノエミと申します。どうぞ、お見知りおきを。ハンス様」
優雅に頭を下げてきたのは、レオカディオの秘書の一人だ。
魔人種の証である褐色の肌に、アーモンド型の赤みを帯びた大きな瞳。
体つきはスラリとしており、無駄な肉は見事に削ぎ落とされている。
実は彼女は、パウラがぜひともと注文した人材であった。
さらにレオカディオは、口の固い職人をできるだけ早く探すことも確約してくれた。
丸一日かけて持ち帰る商品を吟味したハンスは、翌日に村へと旅立つ。
その背中を見送ったレオカディオは、静かに踵を返し自室へ戻った。
重要な仕事が、まだ一つ残っている。
「さて、陛下にいかに報告すべきかな。どうやっても、絶対に欲しがるに決まっているだろうしな……」
魔人種の男性は独り言をぼやきながら 机の上に据えられた白照石の表面を指でなぞった。
パウラの手紙では上手くぼかされてはいたが、間違いなく未登録の迷宮を見つけたのだろう。
それも気にかかる点ではあるが、それ以上の問題はこの加工を行った人物である。
これほどの光量を増す技術となれば、応用はいくらでも利く。
価値としては、白照石程度では比べ物にならない。
しかし悲しむ姪を見るのは、レオカディオとしても本意ではない。
大きく息を吐いた叔父は、いつもの定形の挨拶をしたため出した。
「我が偉大なる皇帝陛下――」
§§§
「白き法の書だと?」
「はい、後学のためにぜひにとのことです」
「それは傑作だのう。あの業突張りの褐色肌が、我らの聖典を欲するとは……。ふむ、何が狙いだ」
白い法衣をはためかせながら、老人は飾り気のない頑強な木の椅子に腰を落とした。
腰まで届きそうな長い白ひげに、目尻や口元に刻まれた笑いジワ。
一見、好々爺のような印象を受けるが、その双眸は刺すように鋭い。
頭部にはこめかみから伸びる二本の角と、その地位を示す大きな僧帽。
鬼人種の信徒を多数抱える神聖光明教の最高指導者の証である。
大司教ニクラウスから値踏みするような眼光を向けられた侍者の青年は、背中に冷たい汗を垂らしながら答えた。
「分かりませぬ。ただ、その……」
「なんだ?」
「そのような素晴らしい道具と引き換えになら、そう惜しくはないかと」
青年の視線の先にあるのは、テーブルの上に置かれた台座付きの大きな白照石だ。
出入りの商人から寄贈された品であるが、その価値は世俗に疎い修行の身でも簡単に推し量ることはできる。
対して白き法の書は、中位の回復法を会得するための教本でしかない。
しかも渡す相手は、光の加護などない魔人種である。
軽くかぶりを振ったニクラウスは、無造作に指を伸ばし白照石に触れた。
一瞬でまばゆい光が溢れ出し、鉄格子に隔てられた地下室を隅々まで照らし出す。
「光のやすらぎに永久の感謝を」
思わず祈りの言葉を口走った侍者を一瞥したニクラウスは、吐き捨てるように言葉を発した。
「たわけが。それが奴らの手だとなぜ分からん」
「し、失礼しました、猊下」
「最初は控えめな要求を呑み込ませてくるが、それが次第に大きくなり、やがては喉を詰まらせることとなる。ふん、厚かましい褐色肌どもめ!」
「では、今回は……」
「いや、渡してやれ。この石を錬成できる人間には非常に興味が湧く。繋がりを切るわけにはいかん」
聖職者らしからぬ笑みを浮かべたニクラウスだが、そのまま静かに立ち上がる。
「さて、魔力も戻ったことだし続きといくか」
つぶやきながら老人が近づいた石壁には、両手両足を鎖で拘束された男の姿があった。
背中の翼からして翼人種のようだが、その目と口は黒い布で覆われており人相は定かではない。
ニクラウスが頷くと、侍者の青年は真っ赤に熱してあった鉄の棒を持ち上げる。
そして躊躇する素振りもなく、壁の男の胸に押し付けた。
たちまち肉が焼けただれる臭いが立ち込め、翼人種の男は狂ったように首を左右に振ってくぐもった叫びを発した。
しかし気にかける様子を全く見せず、青年は続けて肩と腹もまんべんなく焦がしていく。
鎖が何度も引っ張られて耳障りな音を発するが、もがき苦しむ男に自由は訪れない。
「よし、その辺りでいいだろう。重度の皮膚の火傷、六箇所と」
他人事のように男の症状を手元の紙に書き連ねた老人は、手をかざしながら膨大な魔力を高める。
そしていともたやすく解き放った。
「光の導きあれ、<完全治癒>」
次の瞬間、男の体を覆っていた酷い火傷の数々が、嘘のように消え去ってしまう。
信じがたい光景を前に、侍者の青年は恍惚の表情を浮かべた。
しかし大司教のほうは、そうでもないようだ。
瞑想にふけるようにしばし目を閉じてから、ニクラウスは残念そうに首を横に振る。
「万翼の勝者という触れ込みだったが、期待を裏切られたな。深奥の御技、いまだ至らずか」
§§§
「あら、これ美味しいわね」
小鉢に盛られた見慣れぬ料理に、頭部に三つもの角を持つ女性は弾んだ声を上げた。
その軽やかな言葉遣いに、同席していた双角の男性は静かに笑みを漏らす。
「翡翠油というものらしいですよ、陛下」
「うんうん、この牡蠣にぴったりの味ね。素晴らしいわ」
「なんでも珍しい植物から採れるのだそうで」
「ずいぶんと詳しいのね、ジーク」
「ええ、私もレオカディオ殿から、一瓶もらい受けましたので」
「まあ、そうなの?」
そう言いながら女性の目は、卓上に置かれた大きな白照石へと移る。
なんでも帝国の迷宮で採れた、とても珍しい石だという触れ込みであった。
「こちらも驚かされたというのに、何が起こっているのかしら」
「…………分かりませぬ」
不意に声のトーンを沈ませた男性に、女性は目を伏せながら皿の料理をフォークで軽く突く。
「これ、きっとあの子の好きな味ね。……あれから何か?」
「いえ、破損した船の残骸以外は、新たな手がかりはいまだございません」
「……そう。あの子ったら、いったいどこにいるかしら」
「アルマ様は必ずご無事で居られます。今は全力で行方を探しておりますゆえ――」
その言葉に再び顔を上げた女性は、娘を案じる母親の顔から為政者の顔にさっと切り替える。
「捜索と言えば、例の噂を流していた彼もしくは彼女はどうなったの?」
「残念ですが、そちらも手がかりはございません」
「錬成術士の子ではなかったの?」
「それに関しては裏を取る前に逃げられました。工房側の話では東の国境の村へ出向したとのことですが、向かわせた部下から現地には着いていないと報告がありました」
わざとらしくため息をつく上司に、龍槍聖騎士団の団長は抗議の声を漏らす。
「陛下が気にかけるほど、重要な相手ではないと思えるのですが」
「いえ、間違いなく彼は何かを知っているか、気づいているわね。もしくは……」
王宮に届けられる数多くの知らせの中で、ここ一ヶ月で急増しているのは水源に起きた異常を告げるものばかりであった。
件の人物が流した噂通りである。
「何かが起ころうとしている。いや、起こっているのは確かね」
「分かりました。そちらの人員も増やしましょう」
「忙しいのにごめんなさいね」
各地の異変に加え、辺境伯や神明教にもきな臭い動きが見られる。
建国祭を間近に控え、この神聖ヴィルニア王国は大きく揺れつつあった。
今こそ家臣一同が、もてる力を振りしぼる時期である。
「いえ、全ては御心のままに。ヴァルトルーデ女王陛下」
万能の錬成術士が生み出した白照石は、龍骸大島のあちこちに運ばれ様々な波紋を引き起こすこととなる。
そしてそれはやがて大きな波と化して押し寄せてくるのだが、当の本人はまだそのことを知る由もなかった。
やや半端ですが、ここで一章が終わります。
もう少し他の視点を書きたかったのですが、時間がなく断念いたしました。
明日からはニーノたちの視点で巻き戻してお送りします。
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