コマンドメニュー(地図あり)
ガタゴトと揺れる馬車を乗り継いで十日目。
どこまでも続く寒々とした光景に、俺は白い息を吐きながら大きく伸びをした。
視界の果てまで広がっているのは、ひたすら石だらけの丘、丘、丘だ。
あとはそこに、ほんの少しだけ色を添える雪をかぶった荒れ地茨の茂みのみ。
緩やかに蛇行する道がなければ、前に進んでいるのかさえ分からないほど変化がない。
龍がくるりと円を描いて、自分の尾を咥えたような龍骸大島。
その長い首に当たる北部の龍首平野に築かれたのが、我らの神聖ヴィルニア王国である。
平野の名の通り、国土の大半は農業に適した肥沃で平らな土地が占める。
王都近辺の地平を埋め尽くす青々とした麦畑は、本当に素晴らしい眺めだった。
そのまま三日間も同じ景色で、最後は飽きてしまったが。
多くは農地に向いた国土だが、平野の端っこ辺りだと、痩せた荒原か石まみれの丘陵地しかない。
特に僻地と呼ばれる国境沿いはその傾向が顕著で、人気のない不毛な土地ばかりであった。
ゲームだと目的地を選んで行き来するだけだったのでピンとこなかったが、実際に移動しながら自分の目で見てみると、辺境に村や町が少ないのも納得の状景だ。
おかげで目的の"はじまりの村"に行こうにも、向かう馬車がなく一苦労であった。
村に荷を運ぶ行商人を見つけられたのは、なかなかの幸運だったと言わざるを得ない。
「なんと! 村においでくださる錬成術士様ですか。こ、これはこれは、ぜひともわたしの馬車にお乗りください!」
二つ返事で乗車を快諾してもらい、今は親切な彼の馬車でのんびり最後の旅の途中というわけである。
もっともこうなるのは、ある程度予想済みであった。
俺が声をかけたのは、この行商中の人物がゲームで見知ったキャラだったからだ。
名前はハンス。
見た目は口ひげをはやした恰幅のいい汎人種のおじさんで、商人らしくない人のよさ気な顔立ちをしている。
ゲームでは王都と村を一ヶ月単位で往復しており、注文した品の仕入れや取り寄せ、買い取りに委託品の販売、さらには掘り出し物を持ってきてくれたりと非常に便利なキャラであった。
行商イベントは毎月の一日と決まっており、今は一月の末なので、もしやと思ってそれらしい商人に声をかけたところ大当たりだったという感じである。
ただゲームだと、ハンスは立派な幌付きの二頭立ての馬車で村に来ていた。
が、こっちのハンスさんの馬車はほぼ荷車同然の質素な物で、引いているのもみすぼらしいロバ一頭だけである。
そのせいで、まったり景色を眺められる程度にしか速度が出ていないというわけだ。
おかげで揺れが少なくて、尻の痛みも少しだけ和らいでくれたが。
ハンスさんの旅程は現実化したこの世界でも一緒らしく、次に村を訪れるのはまた一月後であるらしい。
彼以外に村へ行き来する奇特な馬車はないため、王都からの追手もしばらく心配しないで済むだろう。
いや、騎士だから自前の馬で追いかけてくる可能性も十分にありえるな。
ただそれだと途中でとっくに捕まっていただろうし、たかが不穏な噂を流しただけの小者にそこまでしないか。
そんなわけで、安堵しながら馬車の荷台の隅に乗せてもらっていたのだが……。
まだ若干、気にかかる対象があった。
実は乗客はもう一人いたのだ。
俺と同様にフードを目深にかぶり、顔立ちがはっきりしない女性である。
ハンスさんにさり気なく確認したところ、心配げにこう答えてくれた。
「なにやら西のほうに行きたいとおっしゃられましてな。あのお身体ですから、無理をさせるわけにもまいりませんし」
その言葉も仕方ない。
荷台に腰掛ける女性のお腹の部分は、傍からでもよく分かるほど大きく膨らんでいたのだ。
顔が見えないのに、性別が分かった理由もこれである。
さすがに騎士団も、臨月が近そうな身重の女性を差し向けるようなバカな真似はしないだろう。
なので追手ではないと思うのだが、妊婦という点が俺の中で少し引っかかっていた。
まあハッキリ思い出せないので、たいしたことじゃないかもしれない。
俺は現在位置の確認のため、もう一度視線を右上の空間に向けた。
何もない薄曇りの冬の空。
普通の人には、そう見えているだろう。
だが俺の視界に浮かんでいたのは、半透明の四角い区切りだった。
コマンドメニュー。
俺がこの世界を、ゲームと同じだと確信した最大の要因である。
月の異変を見て記憶が戻ったあと、いつのまにか視界の片隅にこれが浮かんでいたのだ。
慌ててオッリたちに確認してもらったが、全員首をかしげる結果となった。
町中を歩いていても誰も振り返らないし、やはり見えているのは俺だけらしい。
このメニューだが、実体がないのか触ることはできない。
だが視線を一秒以上固定させることで、コマンドを選ぶことができる。
コマンドの種類は全部で四個。
上から錬成、持ち物、仲間、地図となっている。
ゲームだと他にクエストや会話、休息に設定などもあったはずだが、省かれてしまったようで見当たらない。
現実だと必要のない命令だからだろうか。
まず一番上の錬成だが、これはそのまま錬成が行えるコマンドである。
サブメニューとして自由錬成とレシピ錬成の二つ。
自由錬成のほうは手持ちの素材と魔石から、組み合わせや配合率などを好きに選んで錬成することができる。
むろん加工品が存在しない場合もあり、その時は何も起きないか、素材が変質するだけとなる。
当然、使った魔石も消費されて消えてしまう。
また錬成の階梯が低かったり、配合率や素材の理解度が薄いと、同じように失敗に終わる。
悪いこと尽くめのようだが、まずこの自由錬成で作成を成功させておかないとレシピに登録されないのだ。
けれども、一度作ってしまうと、あとは物凄く簡単である。
レシピ錬成から欲しい品を選ぶだけで、即座に出来上がりだ。
素材や魔石の消費数や残量も表示されるので、便利なことこの上ない。
これがどれほど楽かと言うと、例えば実際に最下級の回復薬を作るだけでも以下の工程となる。
まず材料である白根花と水を準備する。
次に青魔石で<抽出>して、白根花から白根花のエキスのみを取り出す。
ここで先に白魔石で<解析>しておくと、効能成分が集中している部位が分かり<抽出>できる量が増える。
で、そのエキスと水を白魔石で<浄化>してから、緑魔石で<混合>すればやっと完成だ。
ちなみに<解析>や<浄化>をしなくても作成はできるが、その場合だと品質が低下してしまう。
回復薬を一瓶だけ作成するにも、二つ以上の錬成を挟む必要があるというわけだ。
しかしメニューからだと一括で、しかも視線を移動するだけで連続に作れてしまう。
俺がアルノルトの嫌がらせで振られた大量の錬成をあっさり終えられたのも、このレシピ錬成のおかげであった。
この錬成コマンドだけでも、数十人分の錬成術士に相当する素晴らしさであるが、メニューはこれで終わりではない。
次の持ち物コマンドも、それに匹敵する便利ぶりだった。
このコマンドは俺の現在の所持品を確認できるのだが、特色はその収納場所が異空間にある点だった。
不思議なことに、誰にも悟られない謎の場所に大量の品を保管できるのだ。
基本的な使い方は、対象に手で触れるだけ。
あとは持ち物コマンドを開くと、自動で吸い込まれて収納される。
先に開いておくと、連続で回収することも可能だ。
出す時はアイテム一覧を開いて、目当ての品を見つめると勝手に手の中に出てくるようになっている。
同じ品は九十九個までで、品目はまだ確かめていないがゲームと同じ仕様なら九百九十九項までだろう。
ただ入れ放題なのはありがたいが、そこら中の物に触って調べた結果、ゲームに出てきたアイテムしか収納できない縛りはあるようだ。
ともかくも俺が自分の荷物やサンドイッチを一瞬で仕舞って持ち運びできたのは、この素晴らしいコマンドのおかげだった。
三番目は仲間コマンド。
これはゲームだと、自分や仲間になったユニットのステータスや装備品を見たり、配置を変えることができるコマンドだった。
当然だが現在一人ぼっちのため、仲間の欄に居るのは俺一人である。
ステータスという能力値の一覧が見られるのは助かるが、便利さでは錬成やアイテムに一歩劣ってしまう。
普通ならそう考えそうだが、このステータスにも画期的な利点があったのだ。
以前の俺のステータスだが、こんな感じとなっていた。
――――――――――――
名前:ニーノ
種族:汎人種
職業:錬成術士(レベル:18)
体力:9/9
魔力:54/54
人気:11
名声:0
特技:<全属適合>
魔術錬成:<解析>、<除去>、<凝固>、<抽出>、<加熱>、<混合>
光錬成階梯:3 (熟練値:699)
闇錬成階梯:3 (熟練値:781)
地錬成階梯:3 (熟練値:677)
水錬成階梯:3 (熟練値:751)
火錬成階梯:3 (熟練値:793)
風錬成階梯:3 (熟練値:702)
――――――――――――
で、現在はこれである。
――――――――――――
名前:ニーノ
種族:汎人種
職業:錬成術士(レベル:46)
体力:23/23
魔力:230/230
人気:11
名声:0
特技:<全属適合>、<魔耗軽減>、<魔力回復>、<成功上昇>
魔術錬成:<解析>、<除去>、<凝固>、<抽出>、<加熱>、<混合>
魔術複合錬成:<分解>、<枯渇>、<接合>
魔法錬成:<浄化>、<偽装>、<粉砕>、<冷却>、<燃焼>、<切削>
魔法複合錬成:<増幅>、<昇華>、<磨減>
魔導錬成:<復元>、<腐爛>、<封印>、<浸透>、<溶解>、<付与>
光錬成階梯:7 (熟練値:99)
闇錬成階梯:8 (熟練値:81)
地錬成階梯:7 (熟練値:77)
水錬成階梯:8 (熟練値:51)
火錬成階梯:8 (熟練値:93)
風錬成階梯:8 (熟練値:2)
――――――――――――
なんとレベルが一気に28も上がってしまった。
その理由は、溢れかえっていた熟練値のおかげである。
ゲームでは錬成を繰り返すと、ほんの少しずつだが熟練値が溜まっていく。
この熟練値が100溜まると、引き換えに錬成階梯が一つ上がる仕組みとなっていた。
そして錬成階梯の総合計が、錬成術士のレベルとなる。
問題はその熟練値に、俺だけ選択肢があったという点だった。
実は熟練値は、階梯を上げる以外にも使い途がある。
それは複合錬成の習得だ。
階梯1からは初級の魔術錬成、階梯4からは中級の魔法錬成。
そして階梯7からは上級の魔導錬成がそれそれ使えるようになる。
複合錬成とは、それらの錬成を級ごとに二つ組み合わせた特殊な錬成のやり方だ。
で、この複合錬成は階梯が4や7に上がる際に、熟練値を200消費して覚えるかどうか決められるのだが……。
こいつが俺の錬成階梯を、全て3で押し留めていた要因だった。
複合錬成を習得するか、そのまま階梯を4に上げるか。
どちらかを選ばないかぎり、熟練値は使用されずただただ溜まっていくだけとなる。
当然、コマンドメニューに気づけなければ、選ぶことは不可能である。
その結果、俺は基本である初級の魔術錬成しか使えない便利屋に甘んじるしかなかったというわけだ。
おそらくだが加護持ちの場合、使える錬成が一種類のため複合錬成習得の選択肢が生じないのだろう。
だから自動で熟練値が消費されて階梯が上がっていき、上位の錬成も使用可能となっていく。
前に加護持ちしか上位の錬成ができないのが常識だと言ったが、実は加護の有無に関係なくゲームの仕様のせいでしたというなんとも酷い話であった。
むしろ魔力の操作に長けており全属性に対応できる汎人種こそが、錬成術士にもっとも適した人間だったのだ。
辛酸を嘗めている世界中の汎人種の錬成術士たちに、この事実を大声で教えてやりたい。
でも、仲間コマンドが使えないと、選択肢は選べないしな……。
うん、言っても仕方ないか。
それと俺の場合、十年間の下積みに関してはむしろよかったとも言える。
ゲームでの話だが、錬成の階梯が上がってしまうと、下位の錬成では熟練値が溜まらなくなるのだ。
さらに階梯が上に行けば行くほど、熟練値は逆に上がりにくくなる。
その点、俺は階梯が初級の3のまま、延々と基本の錬成を繰り返してきたのだ。
しかも六属性の錬成を、まんべんなくである。
そりゃ熟練値もバカみたいに溜まるってもんだ。
ゲームだと依頼をこなさないと話が進まないため、どんどん錬成の階梯を上げていかねばならない。
しかし現実化したこの世界では、そんなことを気にする必要はない。
まあ階梯が上がったほうが、給料や扱いはよかったりするけど。
しかしながら結果として、俺は六属性全ての魔導錬成まで行える凄い錬成術士になれたので良しとしよう。
王立錬成工房でさえ魔導錬成を行使できる錬成術士は、主任クラスの一握りであった。
しかも当たり前だが一属性のみである。複合錬成に至っては皆無だろう。
比べてみると、まさに今の俺は錬成に関しては万能といっても過言ではない。
あとはこの力を、出し惜しみなく振るうだけである。
もう無難な生き方のために自重している場合じゃないと、俺は心に決めたのだ。
ステータスを閉じた俺は、最後のコマンドを見つめた。
たちどころに目の前に、大きな世界地図が映し出される。
さらによく見ると、その地図の上をゆっくり移動していくアイコンがあった。
デフォルメされた主人公、つまり俺である。
その向かう先には、集落っぽいアイコンと"はじまりの村"という表記。
地名の表記に関しては、ゲームと同じように俺が存在をちゃんと知った時点で地図に表示されるようだ。
なので他の部分は、有名な場所以外は何も記されていない。
この四番目の地図コマンドも、俺の現在位置が表示されるため、結構便利であった。
残り距離からして、今日中には無事に目的地に到着できそうである。
深々と息を吐いた俺は、もう一度大きく両手を天に伸ばした。
そこへ柔らかな声が耳朶を打つ。
「あのぅ、到着まであとどれくらいでしょうか?」
「そうですね。あと三時間弱といったところですね。どうかされましたか? お嬢さん」
不意の問い掛けに、御者台に座っていたハンスさんが返答する。
それに対し同乗者の妊婦の女性は、あっさりと尋ねた理由を明かした。
「はい、そろそろこの子が産まれそうなので、どうしようかと思いまして」
いきなり投げ込まれた爆弾発言に、俺は伸びをしたままあんぐりと口を開いた。
 




