激闘、一騎打ち
正直、勢いに呑まれて一対一を承諾したのは、悪手だったのかもしれない。
体力増幅薬に攻撃強化薬、防御強化薬とガチガチに薬漬けした上で、魔物使いのステータス強化の支援もある。
おそらく相手はレベル20以上だが、十分に差は埋められるはずだ。
しかし不安は拭えない。
通常のボス戦なら大怪我を負ったとしても、動ける誰かが時間を稼いでくれれば、その間に薬で治療はできる。
だが今回の戦闘は、そういった手助けが認められない。
万が一の場合を考えた俺は、皆で小声で作戦を指示した。
「いざとなれば全員で加勢して、あのボスゴブリンを倒しましょう」
「うん、やるよ! でもヨルっち強いし、きっと勝っちゃうよ!」
「分かりました。その時は合図をお願いします」
「しかし、そうなると……」
闘技場を埋め尽くすゴブリンを見回した村長に、俺は部屋の奥までの距離を目測しながら答える。
「あのキングを倒せば、鉄格子が上がります。下の階に逃げ込めば、ゴブリンたちは追ってはこれません」
「……そうですか」
ただしその前に、大量の矢を浴びる可能性は高い。
全員無事という保証はないことを、村長も察したのだろう。
それ以上は何も言わず、ただ顎を引いてみせた。
最後にパウラに目を向けると、黙ったまま俺を静かに見つめていた。
その赤みを帯びた瞳には、いつもの柔らかな光はない。
俺は何も言えず、ただ頷くだけに留めた。
姉を心配したのか、近寄ってきたクウが俺の足にしがみつく。
抱き上げて一緒にヨルの頭を撫でると 獣っ子は嬉しそうにぐるぐると喉を鳴らした。
後はもう信じるしかない。
「じんじょー!」
スタスタと闘技場に進み出たヨルに、観客席から次々と笑い声が漏れた。
なんせ、身長差が三倍近いのだ。
知らない者が見れば、戦う前から勝敗は明らかだと思うだろう。
しかしキングが王座に立てかけてあった大きな骨の棍棒を手にした瞬間、観客どもはぴたりと静かになる。
大腿骨を軽く振り回して感触を確認したゴブリンは、小さな挑戦者に牙を剥いてみせた。
次の瞬間、戦いの幕が切って落とされた。
四つ足モードで、一気に距離を詰めるヨル。
地面スレスレを駆け抜ける小柄な影は、振り下ろされた棍棒を鮮やかにかいくぐった。
鋭い爪の一撃に足の腱をえぐられたキングは、苛立たしそうに叫びを放つ。
その表情から余裕が消え去り、戦士の顔が現れる。
腰を落とし、前傾姿勢となるゴブリン。
同時に大振りだった棍棒の動きが、一転して鋭い突きへ変わった。
こうなるとリーチがある分、キングが一気に有利となる。
はずであったが、ヨルの足は止まらない。
雷の如く地面を駆け抜け、巧みに棍棒を躱しながら手傷を負わせていく。
やはり素早さの値は、かなり上回っているようだな。
「グァァアアアアア!!」
すばしっこく動き回るヨルに業を煮やしたか、キングは上体を起こし怒りの咆哮を放った。
ただ、その隙を見逃す獣っ子ではない。
瞬時に距離を詰め、ゴブリンの懐に飛び込もうと――。
「危ない!」
その瞬間、キングの体が倍速のように動き、恐ろしい勢いで棍棒が薙ぎ払われる。
――<ラッシュアタック>。
ゴブリンの持つ特技だ。
連続で繰り出された棍棒はヨルの体を真芯で捉え、そのまま一気に振り抜かれた。
すっ飛んでいく小柄な影。
闘技場の地面を弾み転がったヨルは、壁にぶち当たってようやく止まる。
べたりと倒れ込むその姿に、俺は思わず叫び声を上げた。
「ヨル!」
「いえ、今のは大丈夫ですよ」
「えっ?」
「棍棒が当たる直前、後ろに飛んで衝撃を逃していましたからね。ほら」
突然、格闘漫画の序盤で出てきそうな技法を解説してくれるハンスさん。
しかしその言葉は間違っておらず、ヨルはケロリとした顔で立ち上がった。
急いでステータスを確認したが、体力の数値も5しか減っていない。
安堵の息を深々と吐く俺に、ハンスさんは感心の声を漏らした。
「しかし今のはよく対応できましたね。さすがはヨル様ですな」
「ああいう特技があるのは、事前に教えておきましたから。接近する時は気をつけろよって……」
「なるほど、それでですか」
自分の言葉にふと引っかかりを覚えた俺だが、観客から大きな歓声が上がったので急いで視線をヨルたちに戻す。
起き上がった獣っ子は、ギアをもう一段階上げたようだ。
さらに加速した動きで、キングの視界を駆け巡り翻弄していく。
結果、少しずつであるが流血が増えていき、じょじょに巨体の動きも鈍っていく。
逆にヨルの足は止まらない。
楽々と棍棒の軌道を見切り、容赦なく爪を立てていく。
ここに来てステータスの数値の差が、ハッキリと現れだしたようだ。
苦し紛れに、またも咆哮を上げるキング。
だが勢いのまま放たれた二度目の<ラッシュアタック>は、ヨルの軽やかなステップにことごとく空を切った。
そして動きが止まってしまったゴブリンに、満を持して獣っ子の特技が炸裂する。
高く跳ね上がったヨルが、お尻をぷるっと振り、その付け根から長い何かが飛び出し――。
待ち構えていたように、ゴブリンの口元がニヤリと歪んだ。
「まずい!」
一瞬の間を置いて、ゴブリンの口が大きく開かれ、大量の空気が吐き出された。
同時に鼻がもげるほどの臭気が、たちどころに充満する。
――<臭い息>。
ゴブリンのもう一つの特技だ。
至近距離で苦手なにんにくの臭いをまともに浴びたヨルは、目を大きく見開き口をぽかんと開けて動きを止めてしまう。
すかさずキングの手が伸び、ヨルの尻尾の先をがっしりと掴んでしまった。
宙吊りにされた獣っ子は、苦しそうにもがくが逃げることは叶わない。
「くそ!」
見過ごした点を今さら察した俺は、怒りに歯を食いしばりながら悪態をつく。
ゴブリンキングはレベル20はあるはずだと、分かっていたはずだ。
ならレベル10ごとに習得する特技が、二つ以上ある可能性は十分にあった。
事前にそのことにちゃんと気づいていれば、今の状況も避けられたに違いない。
尻尾を強く握られたヨルは、小さい悲鳴を上げてぐったりしてしまった。
その有り様にキングは最大限に口を開き、尖った牙を剥き出しにする。
骨の棍棒がゆっくりと持ち上がり、頭上に掲げられていく。
同時に観客たちの期待を込めた笑い声が、闘技場中に鳴り響いた。
「いこう。ヨルを助ける」
「お待ち下さい、あなた様」
鋭く制止の声を放ったのは、パウラだった。
焦る俺の前に進み出て、落ち着かせるように首を横に振る。
「まだ、決着は付いておりませぬ」
「何を言って……」
悠長に会話をしている間にも、血を求めるゴブリンどものわめき声はどんどん高まっていく。
勝利を確信したキングは、身動ぎできない獲物へ舌なめずりをしながら顔を近づけた。
その時、ぱちりとヨルが目を開いた。
そして、びゅーと口から液体を飛ばす。
まっすぐに宙を横切った謎の液体は、キングの無防備な顔面を直撃した。
とたんに白い煙と凄まじい絶叫が上がった。
眼球を<消化液>で溶かされたゴブリンは、酷い痛みに耐えかねて両手で顔を押さえる。
その首元に、自由を取り戻したヨルの尻尾がぱくりと噛み付いた。
「へっ……!?」
今、なんだか別の生き物が、ヨルのお尻から生えていたような。
慌てて確認しようとしたが、すでに尻尾は巻き尺のようにお尻に仕舞い込まれてしまっていた。
くるりくるりくるりと三回転した獣っ子は、華麗につま先から着地する。
その背後。
目を掻きむしって苦痛に悶えていたキングだが、不意に体を痙攣させたかと思うと地面に倒れ込んだ。
その上半身の肌は、見事に紫色に染まってしまっている。
ビクビクと数度、体を震わせたゴブリンは、そのまま動きを止めて静かになる。
観客全身が息を潜めて見守る中、音もなく鉄格子が持ち上がりだした。
「うちとったりー」
大喝采が巻き起こった。
キングの体によじ登って勝ちどきを上げるヨルに、ゴブリンたちは惜しみない歓声を送る。
それだけではなない。
勝者を称えて、次々とにんにくを投げ込みだしたのだ。
たちまち苦手な臭いに取り囲まれたヨルは、青ざめた顔になる。
そしてパタリと、ゴブリンの上に倒れ込んだ。
「むねんー」
慌てて救い出そうとすると、先ほど引っ込んだ側女の二人組がしゃしゃり出てきて、ヨルを助け起こす。
そしてぐったりとした獣っ子を王座に座らせると、頭の上にちょこんと銀の王冠をかぶせた。
新しいキングの誕生に、ゴブリンたちの盛り上がりは最高潮に達する。
俺はその様子を見ながら、ようやく人心地を取り戻し、深々と肺の底から息を吐いた。




