一服の危険性
俺の目をしばし見つめた後、村長は口調を変えずに質問を重ねた。
「まずとおっしゃられましたが、他にもあると言うことでしょうか?」
「はい、二つ目のお願いは地下迷宮への同行依頼です。現状、俺たちだけでは人手不足なので、お手伝いの方が欲しいんです」
「それでミア殿を?」
村長の問いかけに、ウーテさんが弾かれたように顔を上げた。
しっかり、娘を案じる母親の顔に戻っている。
俺は二人を安心させるため、急いで言葉を続けた。
「入り口で返すつもりだったんですが、ミアさんが中に入ってきてしまったので、探索に一緒に来てもらう形となりました。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「あの子、悪気はないんだけど、お節介焼きだからね。どうせ、あんたらが心配になってとかだろ。世話かけたね」
「いえいえ、ミアさんの魔術士の素質はかなりのものでしたし、おかげで凄く助かりましたよ」
「で、その結果がアレかい?」
俺の感謝を込めた返答に、ウーテさんは皮肉な眼差しを黒焦げの暖炉へ向けた。
そしてため息を小さく吐いて続ける。
「うちの娘はお調子者だけど、根は優しい子なんだ。人を傷つけるような仕事には、とうてい向いちゃいないよ」
魔素溜まりにしか魔物が発生しないこの世界では、魔術や魔法が向けられる先は圧倒的に人間のほうが多い。
魔術士なら軍属や傭兵稼業に引っ張りだこではあるが、純朴な村娘には厳しい世界だろう。
もっとも雇用先なら心配せずとも、十二分なあてがある。
「ご安心してください、ウーテさん。だからこその地下迷宮ですよ。魔物相手なら、遠慮はいりません。どんどん倒して、どんどん素材を集めて、どんどんお金持ちになれますよ」
「そう、上手くいくのかい……? 地下迷宮ってのは、騎士様とかが討伐に向かうものなんだろ?」
「ええ、そうですけど、今のミアさんはそこら辺の騎士様より余裕で強いですよ」
今度は俺がその証である暖炉に視線を向けると、ウーテさんは困ったように頬に手を当てた。
「それに優秀な魔物使いもついていますし、今日だって誰一人怪我もしていませんよ」
「たしかに、言われてみればそうだね」
「五階まで行った証も、ちゃんとほら、この通り揃ってますし」
カウンターの上に並んだ白照石と魔活回復薬へ、ウーテさんの目が迷うように行き交う。
後ひと押しといったとこだが、そこへ村長の冷静な声が水を指した。
「申し訳ありませんが、私はニーノ様のお話をお断りしようかと思っております」
まあ、そうくるだろうな。
俺が来た翌日、いきなり地下迷宮が見つかって、不気味な魔物を手足のように操って、村娘も半日で魔術士になって、さらにとても高価な品を村にただで寄付したり、売上の一部を寄越すと言いだされる。
詐欺とまで思っていないようだが、裏があるのを疑うのは当然だ。
俺だって、まず信じない。
「この村の村長として、村民の安全を第一に考えるのが私の仕事です。お話を聞く限り、現状ではニーノ様のおっしゃるとおり危険は少ないのかもしれません。ただ、先のことは誰にも分かりません」
うん、俺にしたって絶対の確証があるのかと問われたら、首を横に振るしかないしな。
「今は安全でも半年後には、もしくは半月後、いや明日にでも何が起こるか分かりません。地下迷宮にはそれだけの高い危険性があると、私は思っております。そして確実な安全が約束されない限り、地下迷宮は公にして領主様の判断をあおぐのがしかるべき対応かと考えます」
ゲームでも堅物だったが、こっちでも変わってないようで、嬉しくなった俺は心の中でつい笑みを浮かべた。
ただディルク村長が、これほど安全にこだわるのにはちゃんと理由がある。
ゲームでのメインヒロインであり、村長の娘であるエマ。
彼女は去年、この村の近くの森で魔物に襲われ命を失ってしまったのだ。
その事件で深く悲しんだ村長は、人命をより優先にするようになったというわけである。
昨夜の飲み会でオイゲンじいさんにその話を聞かされた時は、俺も凄く落ち込んだものだ。
「皆が明日の心配をしたり、怯えることなく暮らしていける毎日が、村長である私の目指すものです」
「でも、村がなくなっちまうんじゃ、それも無理な話だね」
鬼人種の代官とは思えない素晴らしい台詞だが、ウーテさんのツッコミもやむを得ない。
それに村長が目指す理想は、日が進むごとにどんどん酷くなる現実とかけ離れてくだろうしな。
むしろ安全を得るためにこそ、ダンジョンに潜るべきなのだ。
まあ、説得が難しいだろうとは予想済みである。
そしてこんな時こそ、錬成の出番だ。
ちょうど時間も頃合いだしな。
「まだ結論を急ぐことはないと思いますよ。少し休憩を入れませんか。地下迷宮の土産はまだあるんですよ」
そう言いながら俺は、アイテム一覧から迷宮水が詰まったスライム袋を取り出してカウンターに置く。
さすがに今回は見過ごせなかったのか、ハンスさんが目を丸くして尋ねてきた。
「先ほども不思議に思いましたが、どこからこんな大きな品を持ってきたんです!?」
「ああ、これですか? 実は特別な空間に収納できる魔道具を持ってまして」
「そんな凄い物は初耳です! 見せていただくことは?」
「すみませんが、扱いが非常に難しい品なので……」
「いえいえ。残念ですが、下手にいじって壊してしまってはたいへんですからね」
あっさり引き下がってくれたハンスさんと入れ替わるように、今度はウーテさんが質問してくる。
「で、これはなんなんだい? 水が詰まってるみたいに見えるけど」
「迷宮で採れた貴重な水ですよ。美味しいので、ぜひ召し上がってください」
スライム袋にはとても小さな穴が環状に並ぶ口の部分があり、そこを圧迫すると水が漏れ出すようになっている。
ジョッキを押し当てて手本をみせると、すぐにコツを呑み込んでくれた。
「はぁぁ、こんな美味しい水を飲んだのは久しぶりだねぇ」
「ええ、なんだか頭もスッキリしてきますね」
「よかったら皆さんもどうぞ」
ボススライムの大袋を取り出してテーブルに乗せると、大きな歓声が上がった。
すかさずパウラが寄ってきて、ジョッキに水を汲んで次々と村人に手渡してくれる。
まるで手伝いをするかのように、妖精もその上をパタパタと飛び回った。
またたく間に減っていく水と、互いに目を合わせて喜ぶ村人の反応に俺はこっそり笑みを浮かべた。
「いかがですか? 村長。迷宮の水は」
「えっ、う、うむ、非常に美味ですな。これは驚きました」
「川の水は酷い有り様でしたね。あれでは近い内に干上がりそうですよ」
「え、ええ……。もしかして、あの地下迷宮と何か関係が?」
「いえ、原因は月のせいです。あの不吉な月の影響で、水が濁ったり枯れたりしてるんですよ」
「そんな馬鹿な! 女王陛下は吉兆だと!」
「本当のことを打ち明けると大混乱となりますから。ですが、俺が王都で文献を調べた結果、あの月が元凶だと分かりました」
「そ、そうなのですか?」
都会ではしがない一市民であった俺だが、この村では誰もが耳を傾ける錬成術士様である。
一度、失敗を味わった身としては、今度ばかりは説得に成功したい所存だ。
というか、ここでしくじると本当に後がない。
なので、少しばかり卑劣な手を使わせてもらったが、責めないで欲しい。
「しかしあの地下迷宮があれば、皆さんにこんな美味しい水を毎日、提供できますよ」
「は、はい。本当に美味しいですな。もう一杯いただけますか」
「姉さん、私もお願いしますね」
「お待ち! 私が飲んでからだよ」
「確かに安全を大切にする村長のお気持ちもよく分かります。しかし、だからこそ地下迷宮が重要なのです」
「と、言いますと?」
「あそこでは、どんな怪我でも瞬時に治せる治療薬の材料が採れる可能性が非常に高いのです」
「なんと、そんなことが!」
「他にも優秀な防具の材料も揃えられます。生活を快適にできる道具の材料もたくさんですよ」
「で、ですが……、しかし…………」
「ああ、もうじれったいね。ほら、もう一杯飲みな」
「姉さん、私にも」
「ああ、なんて美味い水だ。だが村人の安全のためにも……」
もう一息と言ったところだな。
「では、こうしましょう。明日の探索に村長も同行してください。実際に地下迷宮の内部を確認すれば、疑念も晴れると思いますよ」
「ああ、それがいいねぇ!」
「羨ましい! 私も見てみたいものですね」
ジョッキを手に盛り上がる姉弟の言葉に、村長はなにかに耐えるような顔つきになる。
しかし抗えずもう一杯飲み干した後、俺のほうへと向き直った。
「ああ、素晴らしい。村の皆が笑っている。これほど幸福な眺めがあるだろうか」
ぇ?
よく見ると満足気に笑う村長の視線は、俺を捉えていない。
見つめている先は、俺の背後だ。
慌てて振り向くと、大きな笑い声が耳に響き渡る。
同時に目に飛び込んできた光景に、俺はあんぐりと口を開いた。
村長らに気を取られて今の今まで気づいていなかったが、酒場の中は酷いことになっていた。
まるで光に集まる虫のごとく、村人たちは中央のテーブルに置かれたスライム袋へと群がっている。
そして配られた水を奪い合っては、片っ端から喉に流し込んでいく。
腹の底から放たれる楽しげな笑い声。
その瞳の焦点はまるで定まっていないのだが、ギラギラと強い光を放っている。
ついには男女入り乱れて、互いに水を掛け合って大声で笑い転げだした。
実は村長たちに提供した迷宮水。
それには、ある素材を一つ密かに混ぜておいたのだ。
隠し味の正体は妖精の鱗粉。
気持ちを高揚させる効能がある、ちょいとやばめな代物である。
といっても中毒性や後遺症が残るような危険はなく、気持ちが少しばかり上向きになるだけの品だ。
当然、毒物ではないため、鬼人種が持つ<自然治癒>も効き目がない。
ちなみに妖精たちが常時笑い声を発しているのは、自分たちの鱗粉を吸い込むせいではと言われている。
少しばかりディルク村長に、地下迷宮の件を前向きに検討してもらおうと仕込んだのだが……。
慌てて視線を向けると、パウラは嬉しそうに頬を染めた。
その周りを飛び回る妖精の翅からはキラキラと光る何かがこぼれおち、ジョッキの中へと降り注いでいる。
急いで止めようとした瞬間、村長がいきなり声を張り上げて俺に頭を下げてきた。
「ニーノ殿、明日はなにとぞよろしくお願いいたします!」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「がんばりなよ、村長! さ、あんたも乾杯だ」
「姉さん、私にももう一杯ください」
「あ、いえ、俺は――」
「遠慮することはないよ。ほら、ぐいっといきな」
「もしや私たちの盃は受け取れないと?」
「さあ、一息にどうぞどうぞ。ニーノ様」
「えっ、ちょっ、あ――」
かくして俺の意識も、混濁に呑み込まれていった。
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