ただいま商談中
ぼや騒ぎが収まるまで、三十分ほどかかった。
火は消し止めたものの床や壁に焦げ跡が点々と飛び散り、暖炉も煤で真っ黒になっている。
さいわいにも怪我人は出なかったのが、一歩間違えれば酒場が全焼するところであった。
そんなわけで現行犯で逮捕された放火魔の少女は、現在床で正座させられていた。
ただ本人は反省してるようだが、その口元からはニマニマと笑みがこぼれている。
まあ無理もないか。
「お、驚いたよ、ミアちゃん! なんだい、ありゃ!」
「いったい、いつのまにあんな凄いことを!?」
「本当に魔術士様だったんだねぇ。バカにしちまってすまなかったね。でも、びっくりしたよ」
ミアの周囲には興奮した女性たちが群がり、口々に少女を褒め称えているのだ。
そんな周りの反応に、頬が緩むのはどうしようもない。
その反対側。
そこにも人だかりができつつあった。
輪の中心にいるのはパウラ。
と、もう一匹。
ふわふわと飛び回る愛らしい妖精だ。
暖炉の代わりに明かりを投げかけてくれる魔物に、男どもがこぞって感嘆の声を上げている。
見た目が愛らしく脅威を全く感じさせないその姿に、皆の警戒心はかなり薄まっているようだ。
これを狙って<従属>してもらったのだが、簡単に行きすぎてちょっと心配になるレベルである。
もっとも指を軽やかに振って、妖精に指示するパウラお目当ての連中も多いみたいだが。
ちょっとだけ面白くないなと思った瞬間、いきなりピカッと眩しい光が漏れた。
そして<目くらまし>をもろに食らった男どもが、目を押さえてうめき声を上げる。
あら、うっかりといった風に頬に手をあてるパウラ。
初対面なら騙されるだろうが、今のは絶対に狙ってやったな。
とか考えていたら、パウラが不意に俺へ視線を移し妖しく微笑んでみせた。
怖い。心を読まないでください。
さっそくヘイモたちが、目を押さえてしゃがみ込む連中に魔物の強さについて大げさに語りだす。
正直、あの時はやりすぎだとは思ったが、この流れは大歓迎である。
着々と魔物に慣れ親しんでもらう目論見は進んでいるようだ。
これなら近い内に、使役魔を村に引き入れても大丈夫そうだな。
安堵しながら俺は、カウンターへと向き直った。
もう一つの明かりとして置かれた白照石のランタンが照らし出すのは、村の重鎮たるディルク村長に行商人のハンスさん、それに酒場の女主人ウーテさんだ。
この三人の説得が、今日の最大の山場である。
「はい、確かに魔活回復薬ですな。等級ははっきり分かりませんが、おそらく中級よりは下かと。ただ、最下級でも金貨一枚はしますよ」
「なんと!」
「……そんなにかい? 驚いたわね」
ハンスさんの鑑定結果に、二人は思わず唸り声を漏らした。
改めて説明すると、ドラクロ2ではGとだけ表現されていた通貨だが、こっちの世界では銅貨、銀貨、金貨の三種類の貨幣で流通している。
他国じゃ貝貨や骨貨なんかもあったりしてややこしいが、とりあえず王国内だとこの三種を知っていればこと足りる。
銅貨百枚で大銅貨一枚。
大銅貨十枚で銀貨一枚。
銀貨四十枚で金貨一枚。
王都の生活じゃ、銀貨一枚あれば三日は余裕である。
すごく大雑把な計算だが、価値としては日本円で三千円ほどだろうか。
そうなると金貨一枚は、十二万円相当といったところか。
王立錬成工房の下っ端職人だった俺の年収は、金貨三十枚だったので三百六十万円。
そこそこのように思えるが、物価の安さもあり平民出としては最上位の高給取りである。
逆にこういった開拓村の農夫の平均年収は金貨三、四枚。
俺がこの村に工房を開くといって、すぐに信じてもらえなかった理由も納得の格差だ。
まあ俺の場合、いろいろと魔道具や錬成関係の書籍を買い漁ったせいで、貯蓄はほとんどなかったりするが。
今、カウンターで輝いているランタンも、実は金貨三枚もした代物だ。
と言っても魔道具の中では安いほうで、先ほどハンスさんが使っていた鑑定眼鏡などは金貨で二桁近い金額のはずである。
この鑑定眼鏡というのは、光の"照らす力"を<付与>した白照晶を磨いた物で、基本錬成の<解析>とよく似た機能を持つ魔道具だ。
商人の大事な商売道具で、これがないと始まらないと言われるほどだったりする。
バルナバス工房長の愛用の片眼鏡も同じ白照晶製だが、あっちは透明さが段違いなのでもっと確実にかつ詳しく鑑定できるはずだ。
そう、魔素関連の鉱物は、透明度というのが非常に重要なのである。
俺はアイテム一覧から黄魔石と緑魔石を取り出し、手に握ったままランタンの中心にある白照石に触れた。
土の"砕ける力"と風の"分かつ力"。
魔素によって構築された二つの魔法陣が、瞬時に石の表面に浮かび上がる。
そして複雑に絡み合ったかと思うと、新たな魔法陣を見るまに描き出す。
――<磨減>。
石の表面の細かな凹凸がたちどころに消えさり、同時に内側の輝きがありえないほど増していく。
桁違いに眩しくなった光に、村長たちはまたも大きく目を見張った。
「今のは、一体!?」
驚いて問いかけるハンスさんに、俺はもったいぶるように唇の端を持ち上げた。
「こういった石の表面を加工する錬成をご存知ですか?」
「ええ、たしか風の魔法錬成<切削>ですね」
「やっぱり、お詳しいですね。ただ<切削>は基本的に切り削るだけの力なので、細かい調整ができないんですよ。そこで<粉砕>の魔法陣と組み合わせて、表面をほんの少し砕いてから分離する複合錬成を試してみたんです。うん、上手くいったみたいですね」
「ふ、複合! そんなことができるのですか?」
「ええ、たぶん俺だけですが。この件は、秘密にしていただけると助かります」
これから長い付き合いとなるかもしれない相手だ。
ある程度手の内を明かして、信頼を得ておくのも悪くはない。
目を丸くしていたハンスさんは、俺の言葉に急いで頷いてくれた。
「その代わりと言ってはなんですが、そちらの鑑定眼鏡もよかったら磨きましょうか?」
「え、よろしいのですか?」
「あんた、それ財布の底をはたいて買った虎の子の魔道具だろ。いいのかい?」
慌てて止めに入る姉に、ハンスさんは人のいい笑みを返す。
「姉さん、ニーノ様は信用できるお人ですよ。それに私の商人としての勘が、大丈夫だと告げております」
「あんたがそこまで言うなら、もう何も言わないよ」
いや、ウーテさんはもうちょっと引き止めたほうがいいと思う。
言っちゃなんだが、俺ってこの村に来てから問題しか起こしていない気がするしな。
そこまで簡単に信用されると、逆に心配になってくるぞ。
「では、お願いいたします、ニーノ様」
手渡された魔道具は三センチほどの金属の筒で、中央に平べったい白照晶がはめられている。
筒の側面にくぼみがあり、そこから白照晶に触れて魔力が流せる仕組みとなっていた。
<磨減>を施すと、白照晶にあったくすみが綺麗に消えて美しく透き通る。
「はい、これで前よりよく見えるはずですよ」
「おお、ありがとうございます。では、早速」
受け取った鑑定眼鏡を嬉しそうに何度も覗き込んだハンスさんは、もう一度魔活回復薬を持ち上げた。
そして眼鏡を目に当てて、すぐに唖然とした声を漏らす。
「……こ、これは」
「どうなんだい!?」
「素晴らしいとしか言えません。こんなにハッキリ見えるとは。しかも魔力の反応も物凄く早いですな。いつもなら三十秒以上はかかるのに。しかも……」
「まだ、なんかあるのかい?」
「……品質まで分かるなんて、もはや別物ですよ。鑑定結果は魔活回復薬、等級は下級、品質は優良品、市場価格は金貨三枚相当です」
完全に動きを止めてしまったディルク村長とウーテさんを前に、俺は追加の魔活回復薬を錬成しながら一個ずつ取り出して並べていく。
手持ちの迷宮水苔を使い切ってしまったが、ここが勝負どころである。
ずらりと揃った十個のガラス瓶を指し示しながら、恩着せがましくないよう気をつけて話を切り出す。
「こちらの薬品ですが、この村で工房をひらく挨拶代わりに全て贈呈させていただきます。どうぞ受け取ってください」
「なっ!」
「はぁっ?」
「それと委託販売をしたい商品があるのですが、見ていただいても?」
「ぜ、ぜひ」
生唾をごくりと呑み込むハンスさんへ、俺は<磨減>を済ませておいた直径二十センチ越えの白照石をゴトリと置いた。
ランタンに使われている石の直径は三センチに満たないので、大きさの差がよく分かる。
前にも述べたが、白照石は迷宮内の照明の役割を担うため、持ち帰ることはほぼ許されていない。
なので採取が許されるのは、数に余裕のある場所か、迷宮による復元が早い場所だけである。
そうなると当然、大量に取るわけにもいかず、石自体は小粒な物ばかりとなってしまう。
手のひらに収まらないほどの白照石の意味を即座に悟ったのか、ハンスさんは石像のように固まった。
そこへ容赦なく、俺は新たな石を次々と取り出す。
ゴトリ、ゴトリ、ゴトリ、ゴトリ、ゴトリ。
並べ終えた六個の石を前に、俺は畳み掛けるように条件を提示した。
「取り分ですが、販売価格の三割をハンスさん、協力してくださるなら二割をこの村へ。残りの五割は俺ということでいかがですか?」
店舗がない行商の場合だと、三割は妥当な相場のはずだ。
俺の提案にウーテさんは大きく息を呑み込むと、おそるおそる弟に尋ねた。
「そ、その前に……。ハンス、これ一個いくらなんだい?」
「これは……。いや、でも、しかし、むむ……む……」
相場に通じているハンスさんでも、値付けに悩むのは仕方がない。
このサイズだと、まず普通の店には出回らない。
王侯貴族や金持ち層相手の大手の商会じゃないと扱わない品だしな。
その上、<磨減>で光度が数倍に上がっているのだ。
正直、俺もどれほどの値段なのか見当もつかない。
「じれったいね。だいたいでいいんだよ!」
「で、ですが……。そうですね……。前に王都のベルゲン商会で見た品は、これより小ぶりでしたが金貨二十枚でした。しかしこちらの石は、表面の光沢、きめ細かさが明らかに違います。二倍、いやそれ以上と考えて金貨五十枚でどうでしょうか?」
「じゃあ、ウチらの取り分は金貨九十枚かい!」
計算早いな!
うーん、やっぱりそれくらいするか。
完全に目の色が変わってしまったウーテさんは、食い入るように白照石を見つめている。
しかしもう一人。
ディルク村長は、やはり俺の条件を聞き逃さなかったようだ。
「まずはたいへん貴重な薬品を寄贈いただき、まことにありがとうございます。こちらは大切に使わせていただきます。さらに私どもにも二割もの分け前をいただけるとの破格なお話に、感謝の言葉もございません。ただ一点、気にかかることがございまして。ニーノ様のおっしゃられた協力ですが、それは私どものような野良仕事しか知らぬ無骨者でも務まるものでしょうか?」
静かだが圧のこもった村長の質問に、俺は目をそらさずにしっかりと答えた。
「はい、大丈夫ですよ。俺がお願いしたいのは、まずあの地下迷宮の絶対の秘密厳守ですので」
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