いけ好かない同僚
「で、なんの話だったんだい? 凡人君」
席に戻った俺に馴れ馴れしく話しかけてきたのは、隣の机に腰掛ける鬼人種の同僚アルノルトだった。
俺より三つ下の後輩ではあるが、すでに魔法陣を使う中位の魔法錬成を取得済みの若手の有望株だ。
おまけに見た目も男前の部類に入る顔立ちで、背も高く足も無意味に長い。
ただ確かに優秀で見栄えもいいのだが、他人を平然と見下す人間でもあった。
しかもたちが悪いことに、本人にその自覚がまるでないタイプだ。
真面目に受け答えしても疲れるだけなので、俺は無難な返事で誤魔化した。
「ああ、ちょっとした野暮用だよ。気にするな」
「ほら、また敬語を忘れているよ。本当に言葉づかいがなってないね、君は」
当たり障りなくがモットーの俺だが、なぜかこいつには下手に出る気がいっさい起きない。
なので同僚に敬語を使ういわれはないと返しているが、そのたびに不思議そうな顔をされる。
そして親にちゃんと躾けられなかったんだねと、同情気味に言ってくるのだ。
彼の中では優れた自分のような人間は、周囲から敬意を払われるのは当然であるらしい。
なので、それができない愚かな人々は、矯正してやるのが務めなのだそうだ。
心底、余計なお世話である。
「それに野暮かどうかを判断するのは、君じゃないよ。僕が決めることだ」
さらに勝手なことを言い出したアルノルトは、強引に俺の手から書類を奪い取った。
止める間もなく、勝手に目を通し始める。
「ふむふむ。回復薬用の白根花の<解析>とエキスの<抽出>が二十。活性薬用の苦毛虫の毒腺の<除去>は十五か……。ふうむ、相変わらずつまらない仕事ばかりだね」
「放っといてくれ」
工房長の辞令書は、部屋から退出する際に内ポケットに収納済みである。
そして代わりに本日の作業が箇条書きしてある紙を、それとなく手にしておいたというわけだ。
興味が失せた顔で作業表をピンと弾いて返したアルノルトは、大げさに肩をすくめた。
そして、さり気なく言葉を付け加える。
「なんだ、残念。てっきり酒場の件で首にされたかと思ったのに」
――こいつか。
思わず作りかけた握りこぶしを、寸前で留める。
俺もそこまで馬鹿ではないので、酒場を巡る際にはフードを目深にかぶって顔は極力、出さないようにしていた。
さらに変声薬まで使った念の入れようだ。
おそらく知り合いでもなければ、すぐに俺とは分からないはずであった。
それなのに騎士団があっさり特定できたということは、俺をよく知る誰かが密告した可能性が高い。
声を上げるのは我慢できたが、目つきまではどうしようもなかったようだ。
俺の視線に気づいたアルノルトは、唇の端を軽く持ち上げてみせた。
「凡人君が世の中に不満を持つのは仕方がないと思うよ。ただ、くだらない噂ごっこはさすがにいただけないね」
「さあ、なんのことだ?」
俺の返しに、アルノルトは薄笑いを浮かべたまま、またもわざとらしく肩を持ち上げた。
仮面が張り付いたような後輩の表情に、俺は今さらながらその下の悪意に気づく。
こいつは、ずっと窺っていたのだ。
自分の意に沿わない人間を排除する機会を。
そして傲慢なだけだと侮っていた俺は、見事にここから追い出されてしまったというわけだ。
それに傍から見れば こいつの行動は何一つ間違っちゃいない。
夜な夜な酒場で不吉な噂を流して回った俺が悪いのは、誰が見ても明らかだ。
こいつはただ良心に従って、危険な思想持ちかもしれない同僚を告発した正義の人というわけである。
しかも騎士団に通報したかどうかも、今の時点では口にしていない。
あからさまな挑発はするが、言質は取らせない周到ぶりである。
楽しげに頷いたアルノルトは、見透かすように俺の目を覗き込んだ。
「その顔だと首か、それに近い状況になったのは間違いないようだね。ふうむ、工房長は君に甘いからね。地方に左遷といったところが落としどころかな」
スラスラと言い当てる後輩に、俺は黙り込むしかなかった。
そんな姿にアルノルトは、さらに唇の端を持ち上げる。
「凡人君でもお別れとなると寂しくなるね。ああ、そうだ。餞別代わりに、その錬成ちょっと手伝おうか? ただし……」
一呼吸置いた鬼人種の若者は、芝居がかった口ぶりで言い放つ。
「どうかお願いします、アルノルト様と言われたら、手を貸してあげてもいいけどね。ほうら、言ってごらん、凡人君」
こいつは……。
こんな状況で、まだそんなちっぽけなことにこだわってやがるのか。
そのせいで、どれほどの人間が――。
腹の底から煮えたぎる熱さがこみ上げてきて顔が歪みかけるが、俺はまたも寸前で留まった。
足を引っ張られた怒りよりも、はるかに深い哀れみを覚えたせいだ。
それに考えてみれば、こいつのおかげでわずかだが希望が見えてきたとも言えるしな。
言葉を呑み込んだ俺の様子に勘違いしたのか、目の前の男は勝ち誇ったように畳み掛けてきた。
「ほらほら、その量だと今日中いっぱいかかるだろ。いいのかい? のんびりしてても」
こいつの指摘通り、以前の魔力の乏しかった俺だったら、これだけの量の錬成はとても厳しい。
今日中どころか、明日にもつれ込むのは確実だ。
そうなれば騎士団の連中に出くわす可能性も、ぐっと上がってしまう。
そもそも、こんな大量の作業はいつもなら回ってこないのだ。
多分であるが、これも目の前で爽やかに笑うこいつの仕業だろう。
そして俺の性格上、一度受けた仕事は放り出せないのも織り込み済みと。
やれやれと息を吐いた俺は、蔑みと喜色の交じる同僚の瞳を覗き返した。
しばし見つめてから、おもむろに口を開く。
「いや、もう終わってるんだが」
「は?」
会話中に作業机の私物を全て仕舞い終えた俺は、呆気にとられた顔の同僚を残して立ち上がった。
慌てた顔で、アルノルトが声を張り上げる。
「おいおい、どこへ行く気だい? 凡人君。仕事放棄とはらしくないね」
「おい、いつまでくっちゃべってんだ、アル。白根花のエキスと苦毛虫、とっくに上がってきてんぞ。早く<浄化>に入ってくれ。三十以上あるから急がねえと残業だぞ」
俺たちの会話に割り込んできたのは、調合部の現場主任だった。
その言葉に共有の作業台へ視線を走らせたアルノルトは、そこに並べられた素材の山に両目を見開く。
そして振り返ると、凄まじい憎悪がこもった目で俺を睨みつけた。
先ほどまでの取り澄ました表情は、完全に消え失せている。
血の気を失った唇を開いたアルノルトは、絞り出すように俺に問い掛けた。
「…………どうやった? 貴様」
答える代わりに俺がやったのは、両肩を持ち上げて首を斜めにかしげる仕草だった。
ついでに一言、付け加える。
「そっちこそ、どうした? 言葉づかいがえらく乱れてんぞ」
次の瞬間、立ち上がりかけたアルノルトの額の角から、まばゆい光が溢れた。
感情が抑えきれない時に起こる魔力の逆流だ。
子どもの時分はしょうがないが、大人になってからだとかなり恥ずかしい行為である。
唖然とした顔で額を押さえたアルノルトは、力なく椅子に腰を落とした。
踵を返した俺は、うなだれる後輩をその場に残してさっさと立ち去る。
まだ怒りは胸の中でくすぶっていたが、これ以上の挑発は無駄な波風を起こすだけだ。
深呼吸して気持ちを落ち着ける。今のは、少しばかり俺らしくなかったな。
気を取り直して、そこそこ親しかった仕事仲間らに短く別れの挨拶を済ませていく。
長い付き合いであったが、訣別はあっさりと終わった。
かくして俺は、十年間慣れ親しんだ職場を離れることとなった。
工房を出て、大きく伸びをする。
目の前に広がるのは、石や煉瓦造りの立派な建物がどこまでも連なる光景だ。
そこかしこの軒先には、角を生やした龍をあしらった国旗が掲げられている。
春の建国記念祭に備えているのだ。
それと地面を覆う石畳が見えないほどに、溢れかえる雑多な人、人、人。
荷鞍をつけた馬やロバたちの蹄の音が鳴り響き、そこへ道具を担いだ流しの職人らの売り込み声が重なる。
白い布を頭に巻いた巡礼者の一団を、店先の小僧が必死で呼び込もうとしている。
騒がしい人足の群れが足早に行き交い、その後をゆうゆうと進むのは物々しい革鎧を着込んだ傭兵連中だ。
人だかりの奥では派手な装いの辻芸人が得意の技を披露し、今日の酒代をせしめている。
今日もあいかわらずの喧騒ぶりである。
どこに行っても人が多すぎて、ゆっくりくつろげたことがない。
物価も高いし、不親切な奴も多い。
路地裏はゴミだらけだし、スリやかっぱらいに出会うのもしょっちゅうだ。
二十年以上暮らしてきたが、よかったと思えた記憶があまりなかった街である。
それでも俺は、この王都をそれなりに気に入っていた。
雑踏のはるか向こうへ視線を向ける。
一際小高い場所にそびえるのは、白亜の巨大な城塞だ。
この神聖ヴィルニア王国を統治する女王、偉大なる三角冠を戴くヴァルトルーデ陛下のおわす輝角城である。
堅固な石組みの大きな城門や分厚い城壁。
赤い旗を垂らしたいくつもの尖塔が、天を刺すように伸びている。
盤石そのものとしか言いようのない眺めである。
俺はさらに、その上へと視線を動かした。
真昼の空に太陽と並んで浮かぶのは、真っ白な大きな月だった。
その丸い表面には、なぜか黒い曲線が横切るように走っている。
とても不思議な光景であるが、わざわざ立ち止まって見上げているのは俺くらいだ。
「なんとか、したかったんだがな……」
この巨大な都市には、バルナバス工房長やいけ好かないアルノルトを含め、数万を超す人間が暮らしている。
今から三年後、あの月によってここは炎に呑まれ、全員もれなく灰になることが決まっていた。
そしてその事実を知っているのは、この世界でおそらく俺一人だけであった。




