乙女の陥落
熱く思いを語るニーノの隣で、パウラは静かに身を震わせていた。
最初に出会った時は、物腰は丁寧だがどこか危うい目をした人物という印象だった。
容姿も整ってはいるが、取り立てて人を惹きつけるほどでもないと。
けれども、その身にあふれる魔力は別格であった。
確かに魔力の量だけなら、爵位の高い帝国貴族なら同等以上の者もそれなりにいるだろう。
しかし六つもの色を帯びた魔力など、パウラはそれまで見たことがなかった。
二色や三色の魔力が弱々しく絡み合う程度なら、そう珍しいものでもない。
しかし虹のごとく美しく彩られた魔力の波が、凄まじい奔流となって押し寄せ一瞬で満たしていく。
そんな光景は、パウラには初めてであった。
ゆえに心を奪われた。
虜となったのは、パウラだけではない。
かつて魔導帝国には、全土にその悪名を轟かせた凶悪無比な二匹の魔獣がいた。
時の皇帝が自ら討伐に挑み、三日三晩の死闘の末に辛うじて封じることができたと言われる大妖だ。
パウラが家を出る際にこっそり持ち出したのは、その魔獣たちの卵と言い伝えられ、厳重に保管されてきた品だった。
そんな伝説の魔獣たちが、今やニーノに首ったけである。
従魔や使役魔は従来の魔物とは違い、主から魔素を吸い上げることで糧とする。
二匹の懐き具合からして、よほどニーノの六色の魔力を気に入ったのであろう。
あれほど親密な態度を示す従魔の姿は、帝国でも指折りの魔物使いである母の操る下僕たちにも見られなかったものだ。
そう、最初はそれほどに底しれぬ魔力に心惹かれたのだ。
だがニーノに秘められたものはそれだけではないという事実に、パウラは少しずつ気づき始める。
容姿に優れる魔人種の中でも、パウラの美貌は抜きん出ている。
さらに貴種であり、強い魔力をその身に宿しているとなれば、殿方が放っておくはずもない。
幼い頃からかしずかれ、大切にされるのが当たり前であった。
もっともそこで増長してしまうと、貴族の子女は務まらない。
特に魔人種は男性優位の社会のため、女性は尽くすべき立場であると考えられている。
パウラもまた幼少時からそういった教育を当然のように施され、乾いた砂が水を吸うように吸収してみせた。
かくして数多の男どもが、その美しさと献身的な物腰に骨の髄まで魅了されることとなる。
けれどもニーノは、そういった骨抜きにしてきた男性たちとは、やや異なっていた。
むろんそういった視線をまれに向けてくることもあったが、本当にその程度で積極性の欠片も見せないのだ。
しかも驚いたことに女性としてのパウラではなく、魔物使いのパウラに関心を寄せている素振りまである。
自分の魅力が通じない相手は、パウラとしてはこれまた初めてであった。
そしてさらに理解を超える出来事は続いていく。
そこで生まれ育った村人さえ気づかなかった場所に、いきなり現れる地下迷宮。
しかも溢れ出す気配の禍々しさは、皇都にある"災禍の深穴"に匹敵、いやそれ以上である。
だがニーノは恐れおののくどころか、希望とまで言ってのけたのだ。
平然と地下迷宮に踏み込んだニーノは、次に見知らぬ薬品をどこからか取り出し全員に与える。
けれども自信たっぷりな割に、対処はたったそれだけであった。
伝説といえどまだ幼い魔獣たちに、爪先ほどの炎しか出せない魔術士の少女。
身を張る覚悟を決めたパウラだが、その眼前で数倍に膨れ上がった火球が魔物を貫いた。
さらに生まれたての魔物と思えぬ動きで、二匹が苛烈な攻撃を繰り出してみせる。
信じがたい光景であった。
魔術の威力をこれほどまでに向上させる薬など、帝国ならば天井知らずの値がつく代物だ。
ましてやそれを、一介の村娘に無償で与えるなど――。
膂力を高める薬なども、軍務に携わるものなら進んで金貨の詰まった袋を積み上げるに違いない。
疑念と驚嘆の念を深めるパウラをよそに、ニーノは恐ろしい地下迷宮をよく見知った場所を散策するかのように踏破していく。
案内人も居らず地図もないのに、迷う素振りをわずかたりともみせずにだ。
それでいて戦いに関しては、素人のような反応を見せるちぐはぐさもある。
ならば代わりにと、パウラは気を張りつめて戦いに挑んだ。
だがすぐに自分を含めた全員の動きが、尋常でない速度で向上していく事実に言葉を失う。
その上ありえないことに、魔物使いの最初で最大の壁と称される<従属>までも、パウラはやすやすと会得してしまった。
ここにきてパウラは、もはや常識が通用しないことを改めて肝に銘じる。
ただせめて振る舞いだけは、普段どおりを心がけようと固く心に決めた。
はずであったが、次なる大きな魔物との戦い。
そこでパウラは、つい出過ぎた真似をしてしまう。
我知らずの内に、ニーノへの功名心が勝ってしまったようだ。
指揮を勝手に行ったなど、本来であれば激怒されても仕方がない。
仮に上手くいったとしても、不機嫌になるのがパウラのよく知る男性たちの気質であった。
ありがとう、助かった。これからも指示を出してくれ。それ以外でも、助力してほしい。
世辞や媚を一切含まない率直な言葉で気持ちを伝えられたことは、パウラにとってまたまた人生で初めてであった。
もっと、この人の役に立ちたい。
いつしか心の底に芽生えていた感情に、パウラは抗うことなく身も心も委ねていく。
そして気がつけば、次々と見知らぬ魔物を打ち伏せ下僕に加えていた。
純朴な村娘であったミアは、二種の魔術を使いこなすひとかどの魔術士に。
幼かった魔獣たちも、かつての力の片鱗を示すほどの成長ぶりだ。
心躍る体験を幾度も重ね、とうとうたどり着いた五階層。
目を疑う光景を前に、ニーノはようやくその真意を明らかにした。
「この地下迷宮に、我が帝国を作る!」
凡俗の徒が聞けば、荒唐無稽と嘲笑うであろう。
しかしパウラの耳と思考は、この地下迷宮でとうに常人とは異なっていた。
「この世界はあと三年で滅ぶ。だから、その前に成し遂げる必要がある……、俺の野望を!」
まるで見てきたかのように、これからの未来を語りだすニーノ。
それが卓越した能力から導き出された必中の予言であると、パウラは即座に理解する。
パウラを溺愛し過剰なほどに束縛しようとする父や兄たちは、ことあるごとにこう断言してきた。
「あの男はお前にふさわしくなかった。我らがもっと魔力を持つ婿を、必ず見つけてやる。だからお前は何も心配せずともよい」
その言葉を信じた結果は、不自由で退屈しかない日々であった。
そんな折、叔父であるレオカディオが屋敷に訪れ、可愛い姪の現状にぽつりと尋ねた。
「パウラ、君はこの暮らしに満足なのか?」
「わたくしには、相応かと」
「自分で探そうと思わないのかい? 自分にふさわしい道を」
「そんなこと……、できるのでしょうか? わたくしに」
「やろうと思わなければ何も始まらないし、できると信じなければ何も成し得ないよ」
帝国を飛び出て他種族の都で成功を収めた叔父の言葉に、パウラは静かに決意を固め実行に移した。
そして今、自らにふさわしい道を見つけたその胸は、いまだかつてないほどの高鳴りを告げる。
――この方だと。
ニーノが話し終えるのと同時に、パウラはその場にひざまずき頭を深々とたれた。
二匹の魔獣も、そっくり同じ真似をしようとしてぺたんと尻餅をつく。
生涯を捧げて仕えるべき主へ、パウラは心からの願いを口にした。
「どこまでもお側にいさせてください、あなた様。いえ、我が君」
「あるじどのー」
「くー!」
かくしてこの日、この時。
錬成術士の青年は、真に忠実なる下僕たちを手に入れる羽目となったのであった。
「え、いや、俺の言ったこと、ちゃんと伝わってる!? ねえ、大丈夫?」




