炎雨の激闘 前編
「射て!」
いつもの可憐な声とは程遠いエタンさんの鋭い号令に、弓弦が次々と鳴り響く。
美しい放物線を描いた矢の群れは、巨大なニワトリの頭部に降り注いだ。
普通であれば弓を扱い始めてまだ二ヶ月足らずの素人の矢が、狙ったところにほいほい当たるはずもない。
たがこの迷宮での二ヶ月の経験は、地上の二年に等しいと言える気がする。
加えて標的のほうも嫌ってほど大きいからな。
「クックドゥゥゥウウ!」
頭から首筋にかけて大量の矢が突き刺さった双つ頭のユニークモンスターは、金切り声を放ちながら身を震わせた。
同時にその頭の上のとさかが、より高々と火の粉を吹き上げる。
「おうおう、怒ってやがるな。よし、出番だぞ、みんな!」
「クパァァア!」
俺の掛け声に勢い込んで答えてくれたのは、岸辺に上がって待機していた河童たちだった。
いつもの電車ごっこのように、仲よく肩を掴んで一列に並んでいる。
先頭のカッちゃんの声に、河童たちはいっせいに天を仰ぎ見た。
とたんに視界の左右にそびえる山々から、大量の黒雲が湧き出す。
そして集まってきた雲は、晴れ渡っていた頭上をまたたく間に覆い尽くしてしまった。
「おお、壮観な眺めだな」
なんせ二十匹以上の河童たちが、揃っての<雨乞い>だ。
薄暗く立ち込めた分厚い雲は、そのまま地面を殴りつける雨へと変容する。
辺り一面が水煙で白く霞み、その向こう側から怒りに満ちたニワトリの声がこだまとなって響いた。
「足止めは上手くいったようですね、あなた様」
「ああ、ここまではなんとかなってるな」
火属性には水系特技がドラクロシリーズの鉄板だが、現実化したこっちの世界でもその法則は揺るがなかったようだ。
叩きつけるように降り注ぐ雨に遮られ、前に進めないニワトリはまたも甲高くいなないた。
そしてくちばしから、大量の熱気を轟々と噴き出す。
が、怒りを具現化したかのようなその炎は、雨の壁にあっさり遮られてしまった。
いつでも川に飛び込めるようにしていた俺は、白い蒸気を上げただけの<火の吐息>に深々と安堵の息を吐き返した。
「やっぱり攻撃範囲はゲームと同じか。これも予想通りだったな」
<火の吐息>は攻撃力が高く範囲も扇状に広がるので使いやすい反面、到達する距離がそう遠くないのだ。
なので、その範囲ギリギリから遠隔攻撃を仕掛けるのが、こいつとの戦い方の常石だった。
ただしもう一つの特技<水の吐息>は、そうもいかず――。
「ぐはぁぁあ!」
軽々と雨粒の防壁を突き抜けてきた水流が、盾を構えた村人らを容赦なくなぎ倒す。
ゴロゴロと地面を弾んでいく若者たち。
その鎧や盾は大きく歪み、額からは汗混じりの血が滴り落ちる酷い有り様だ。
<水の吐息>は着弾範囲が狭く攻撃力もやや落ちるが、その反面、命中率が高く飛距離もあるという面倒な技だ。
遠くの相手には水流をぶつけ、近寄れば炎の渦が迎え撃つ。
ユニークモンスターと称されるのも納得の凶悪ぶりである。
「おら、もう一丁きやがれ!」
「こんなもんじゃ、俺たちは簡単にやられねぇぞ!」
もっともノエミさんが鍛え上げた頑強な盾は、そうそう敗れるものでもないようだ。
体力回復薬を一気に飲み干して立ち上がるその姿には、闘志がまだまだ満ち溢れている。
伊達に修羅場をくぐってきてないぞと物語る彼らの背中に、俺は顎にグッと力を込めた。
「ヘイモ、どうだ!?」
「任せろ! お前らいいか?」
「ギヒヒヒ!」
「よーし、ぶち込んでやれ!」
小柄な獣人の合図に、ゴブリンたちは一時に引き金を絞る。
空気を穿つ重い音が鳴り響き、顔面に太い短矢を生やした大水蛇は怯んだように顔を左右へ振った。
盾たちが稼いでくれた時間で、無事に新しい矢の装填を終えれたようだ。
撃ち終えたゴブリンたちは、蜘蛛の子を散らすように後方へ逃げ出す。
そして十分な距離を取ると、クロスボウ一台に三匹がかりで矢の再装填を始めた。
さらにその間もエタンさんたちが長弓の弦を唸らせ、ニワトリの頭に矢ぶすまを浴びせる。
「いいぞ、もっともっと撃ってくれ!」
雨で足止めできている間に、可能な限り傷を負わせないとな。
俺の言葉に応えるように、弓士とゴブリンたちは絶え間なく矢を放ち続ける。
気がつくと巨大なニワトリのあちこちは、羽毛が赤く染まりだしていた。
「フハハハ、やはり戦いは数だよ。見ろ、圧倒的じゃないか!」
「そんな強気なこと仰ってよろしいのですか? あなた様」
想像以上の成果を前に思わず悦に浸る俺に、背後からパウラがやんわりと注意を促してくる。
「ここから先が一番気を引き締めるべき難所というお話でしたが」
「うん、そうだったな。……うん、すまん」
「ふふ、配置は手筈通りに終わっておりますよ」
「おお、助かる。俺の記憶だと、そろそろのはずなんだが……」
言い終わるタイミングを見計らっていたように、凄まじい怒りの声が戦場に鳴り響いた。
同時に足踏みしていた"貪婪たる双頭"の姿が、急激に変貌する。
とさかの炎が火柱の如く吹き上がったかと思うと、そのまま下降してニワトリの全身を包み込む。
同時にうなぎの口から吐き出された水流が、その黒く長い胴体へと巻き付いていく。
うなぎとニワトリの接合部分からもうもうと立ち昇る蒸気の柱に、俺は恐れおののきながら呟いた。
「ついに来たか……」
<火水の守り>。
火と水両属性を併せ持つこいつだけが使用可能な特技だ。
<火まとい>と<水まとい>の複合技であり、その防御性能は厄介極まりない。
「ふん、こけ威しだろ! ぶっ放せ、お前ら!」
「キヒィ!」
ヘイモの掛け声に、クロスボウの矢を次々と放つゴブリンたち。
が、その太い矢はことごとく、うなぎの体表をぬるりと滑り明後日の方角へと消えていく。
「ならばこちらも! 射てぇ!」
愕然と口を開けるゴブリンたちを横目に、弓士隊がいっせいに矢を撃ち出す。
しかしこちらは驚くべきことに、ニワトリの体に到達する前に火にまみれ全て焼け落ちてしまった。
いとも簡単に優勢さを失った俺たちに、巨大なユニークモンスターはずいっと一歩踏み出す。
たちまち雨粒がその全身を襲うが、こっちも本体に達する前にもれなく蒸気と化した。
無機質な眼球を巡らし、双つ頭は俺たちを睥睨する。
その恐ろしさにゴクリと息を呑んだ俺は、力の限り声を上げた。
「撤退だ! 撤退するぞぉぉおお!」




