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探索の後のひとっ風呂 後篇



 もうもうと湯煙を上げながら壁の獅子の顔から吹き出す湯は、真下の大きな受け口へ注ぎ込まれている。

 俺たちが勝手に浴槽として使ってるこの水場だが、縁の部分は底に腰をつけるとお湯がちょうど胸元にくる高さとなっていた。

 幅も壁まで二メートル以上あるので、足をゆっくりと伸ばすこともできる。

 つくづく湯船におあつらえ向きである。


 と、奥の壁に背を預けながら俺はしみじみそう思った。

 絞ったタオルを頭の上に乗せて、じんわりと手足に熱が染み込んでくる心地よさを楽しむ。


 湯の吹き出し口近くは温度が高く、俺好みのちょうどいい湯加減となっている。

 泉の周りを覆ったおかげで湯気が籠もり、顔や肩も肌寒さをさほど感じずこちらも程よい加減だ。


「ふはぁ……」


 思わず再度のため息を漏らしながら、俺は楽しげなヨルとクウに視線を移した。

 見た目は二、三歳児ほどの二匹は、そのままだと水面に出てくるのは顔の上半分だけとなる。

 最初は溺れないかと心配したのだが、尋常じゃない身体能力を誇る二匹の肺活量も当たり前だが普通ではなかったようだ。

 

 お湯から目だけだした状態で平然と歩き回ったり、湯船の底で青スライムを枕に横になってみたりとやりたい放題である。

 今日は姉弟仲良く並んで、水面にプカプカと仰向けに浮かんでいる。

 たまに手足をパタパタ動かして、向きを変えつつあっちこっちへ移動していた。


 何かを探しているように見えたが、目的はどうやら俺であったようだ。

 耳の先をちょこんと俺の胸にくっつけたヨルが、見上げながらにんまりと笑ってくる。

 続いて漂ってきたクウも、俺の腕に頭をゴツンとぶつけると小さく笑い声を上げた。

 よく分からない遊びである。


「気持ちいいか?」

「ごくらくー」

「くぅ!」

「そうか」


 もう一度深々と息を吐くと、湯船の中央に吊られた毛皮の向こうから水音が響いてきた。

 パウラたちも、ようやく湯に入る支度ができたようだ。

 

「お嬢様、洗い終えた物はこの子たちの上に置くと、早く乾きますよ」

「あら、ありがとう。これはいいわね」

「赤いスライムは便利にゃあ」


 どうも先に洗濯を済ませていたようだ。

 軽い汚れ程度なら<浄化>である程度落ちるのだが、直接肌につける物を俺に触られるのはやはり恥ずかしいらしい。

 まあ俺も他人の下着をじっくり観察する趣味はないので、助かってはいるが。

 

「じゃあ、お礼に今日はわたくしが背中を流すわね」

「はい、お嬢様。お願いいたします」

 

 普段のかしずいた態度からてっきり遠慮するかと思ったら、ノエミさんは二つ返事でパウラの申し出を受け入れてしまった。

 それを不思議に思ったのは、俺だけではなかったらしい。


「姐さんたち、ずいぶんと仲良しにゃ」

「お嬢様と私は一人前の魔物使いになるために、魔素溜まりに何ヶ月もいっしょに籠もった仲なのよ」

「そうね。誰が何をすべきとかいちいち主従を気にしていたら、あそこではきっと生き残れなかったわね」


 以前に貴族の令嬢のくせにいろいろとできるパウラに感心したことがあったが、世話係を連れていけない場所に長らく身を置いた成果であったようだ。

 もしかしたら軍事訓練に近い物なのかもしれないな。


「それにしても、この石鹸の泡立ちは本当に素晴らしいですね。きっと皇族の方でもご存知ありませんよ。それにこの香りときたら――」

「ええ、我が君のお創りになる品は、全てわたくしの心を弾ませてくれます」


 わざとらしい二人の称賛の言葉に、バツが悪くなった俺は湯船の端へと移動した。

 聞き耳を立てているつもりはないが、毛皮一枚じゃ話し声まで遮れないしな。

 そうこうしているうちに、水を流す音が再び響いてきた。

 

「ふう、さっぱりしました。ありがとうございます、お嬢様」

「どういたしまして。では、次はティニヤの番ね」

「にゃっ! う、うちはいいにゃ。パウラ姐さんに背中を流してもらうとか恐れおおいにゃ!」

「遠慮は無用ですよ」

「にゃあ、うちがお背中流すから勘弁してほしいにゃ!」

「いいから、早く座りなさい!」

 

 急かすノエミさんの声が響いたかと思うと、強引に布を剥ぎ取る音が聞こえてきた。

 しばしの間を置いて、消え入るような少女の声が耳に届く。


「う、うちの体汚いにゃ……。あんまり見せるのダメにゃ……」

「いいえ、とっても立派なたてがみですよ。素晴らしい毛並みですね」

「にゃあ、ありがとにゃ……」


 獣人種はその背中に密集して生える毛が自慢の種であり、ヘイモもここで散々俺に見せつけてきたものだ。

 てっきりティニヤも誇らしげにするかと思ったが、声の調子がどうにもおかしい。

 新たに生まれた疑問を解消してくれたのは、ノエミさんの淡々とした指摘だった。


「ずっとタオルを取らないからおかしいと思っていたけど、あなたが隠しておきたかったのってこの古い傷のことかしら。脇に肩に胸まで……。そこら中にあるようだけど、いったいどうしたらこんなに傷がつくのよ?」


 深く踏み込んだその問いかけに、少女は何も答えない。

 ただ背中を優しく洗う音だけが、ゆるやかに浴槽へと響き渡る。


 しばしの沈黙の後、ティニヤの掠れた声が聞こえてきた。


「特訓でこうなったにゃ……」

「特訓って、王都の騎士団の?」

「そうにゃ……」

「あなたならこんなに傷を負わなくても、もっと上手にやれたでしょ……?」

「……避けたら練習にならないにゃ。……騎士になるなら、我慢しないとダメなのにゃ」

「そんなわけないでしょ!」


 いきなり声を荒げたノエミさんに、少女が小さく息を呑む気配が伝わってくる。

 そこへ柔らかなパウラの声が、間を置かず被せられる。


「そう言われたのでしょ、ノエミ。この子は少しも悪くないわ」


 気まずい空気を押し流すように水音が響き、もう一度優しい声が聞こえてくる。


「はい、綺麗になったわよ」

「あ、ありがとにゃ」

「髪は後で洗ってさしあげるわ。さ、体が冷える前にお湯に入りましょうか」


 浴槽の水面が揺れ、人が増えた気配が伝わってくる。

 そしてタイミングを見計らったように、三人は大きな吐息を漏らした。


「ふはぁぁあ、気持ちいいですねぇ」

「ふにゃあ、最高にゃぁぁぁあ」

「ふぅぅうう。本当にいいものね」


 またも少し間が空いて、小さく三つの笑い声が響いてくる。

 意図せず似たような言葉を口にしたのが面白かったのだろう。


 獅子の口から滴る湯が水面を波立たせる音のみが、黒い毛皮で仕切られた空間内で反響していく。

 緩やかに時間が消えていく感覚に身を委ねていると、ぽつりと声が聞こえた。


「ほんとうは分かっていたにゃ……」


 誰も何も言わない。

 プカプカと水面を漂うヨルとクウも、黙ったまま天井を見上げて――。

 いや、よく見たら目をつむってるし、すーすーと寝息も聞こえてくるな。

 

「でも、うちは下っ端の下っ端にゃ。我慢するしかないにゃ。いっぱいいっぱい我慢するしかないにゃ……」

「それで騎士にはなれそうだったの?」

 

 首を横に振ったのだろうか。

 左右に分かれた水しぶきの音だけが聞こえてきた。


「だから、あの兄ちゃんを捕まえたら、お手柄で騎士になれるかもと思ったのにゃ」

「そうだったのね……」

「でも、もういいにゃ。どうせ騎士にはなれないにゃ……」


 まあ、そうだろうな。

 王都騎士団とひとまとめに呼ばれてはいるが、正確には複数の騎士団の集まりである。

 最上位の聖騎士を揃えた精鋭たる龍槍聖騎士団に、王宮の警護を務める双角騎士団。

 あとは下部組織である東西南北の門を守る守門騎士団と。


 これらに所属する数百人の騎士および騎士見習いだが、もれなく全て鬼人種のみである。

 額に角が生えていることに誇りを抱く連中が、他種族の騎士など決して認めるはずもない。


 おそらくティニヤは、騎士見習い辺りの下働きをしていたのだろう。

 稽古というのも建前で、単なる憂さ晴らしの相手だったと思える。

  

「我慢すればちびたちの分のご飯ももらえたにゃ。でも、ここのほうがずっとずっと美味しいものを山ほど食べさせてくれるにゃ。あんな綺麗な服を着たのも、こんな気持ちのいいお風呂に入ったのも、みんなみんな初めてにゃ」


 一息溜めた後、獣人種の少女は弾んだ声で付け加えた。


「だからここはきっと天国にゃ。うちはもうずっとここに居ると決めたにゃ。ちびたちも、ハンスのおっちゃんがちゃんとここに連れてくるって約束してくれたにゃ。だから、ノエミ姐さんは、もうあの黒い鳥でうちを見張らなくてもいいにゃ」

「あら、ちゃんと気づいていたのね」


 黒い鳥というのは、夜間に村を警戒してくれているノエミさんの使役魔の森カラスだな。

 ティニヤの事情や本心は無事に聞き出せたようで安心していたら、今度はパウラの話しかける声が聞こえてきた。

 

「あなたは今日一日、一番前に立って魔物たちの攻撃を引きつけてくれましたね」

「にゃあ、あれくらい朝ご飯前のパンの耳にゃ」

「ふふ、頼もしいですね。その勇敢な行いと恐れない心こそが立派な騎士の証ですよ、ティニヤ」

「にゃ! うちは騎士にゃのか!?」

「確かに普通の騎士よりも凄かったわね。うん、もう騎士でいいんじゃない」

「にゃあー! 本当にゃ?」


 騒がしい水音が響き、柔らかい音が聞こえてくる。


「ご、ごめんなさいにゃ」

「ほら、急に立ち上がると危ないですよ」

「にゃあ、パウラ姐さんのおっぱいふかふかにゃ」

「ほら、早くどきなさい。お嬢様に失礼でしょ」

「にゃあ、もうちょっとだけこのままでお願いにゃ……」

「ええ、いいですよ。ノエミもいかがですか?」

「わ、私もですか? じゃ、じゃあちょっとだけ……」


 静寂を取り戻した浴槽の様子に、俺はまたもゆっくりと深く息を吐いた。

 どうやら村に新たな騎士が誕生したようである。



お風呂回だけにちょっと湿っぽくなりました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] おー、よしよし。 しかし一刻もはやく親族をハンスさんに連れてきてもらった方が良さそう
[良い点] おちびちゃんたちが来ると、一層騒がしく楽しい地下帝国になりますねぇ。 それにしてもハンスさん、他にどんな主人公ムーブをしているのやら(・∀・´) [一言] どこぞのおねにいさんのあんよのよ…
[一言] お風呂回 きた~!
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