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 第二十八章  『死体漁り』

 音楽室は恐らく15畳ほどの部屋だった。

 楽器室と言うわりには楽器はそこまで沢山置かれているわけでは無く、奥の方に金管楽器が並べられていたのと入って左手にオルガンが置かれているだけで、それ以外はオルガンの上に放置されている古臭いデディベアと言い、オルガンの向かい側に摘まれたスーツケースの山と言い、うち捨てられたという感じがしてならない。

 しばらく後になって気を持ち直してから私がこの部屋に抱いた感覚はそんな感じだった。

 しかし、私は部屋に入った瞬間から、『それ』以外の物に意識を向けられるほどの余裕をなくしていた。 会津聡子の屍体は部屋の中央手前よりの所でうつぶせになって倒れていた。

 部屋に入った直後、それが目に入る以前から私の意識を掌握していたのは、何か今までに嗅いだことのない様な悪臭であった。

 中学の頃、さる事情で純度98%の濃硫酸がぶちまけられ、科学棟が丸ごと大パニックになった事件があった。

 あの時私は直ではないと言えわりかし近くからそのきつい腐卵臭を嗅いだのだが、それにもまして臭い、 というか生理的にどこか嫌悪感を拭いきれないそれは臭いだった。

 いやな予感はしていた。

 というかただ私がすぐに部屋に充満する煙の中から『それ』を見つけ出してしまったから結果的にそれに気付かなかったと言う事になっただけで、仮に私がそこで不安を感じて後ずさったりして認識までの時間が伸びていたとすれば、多分私は気付いていただろう。

 それが人の肉の焼ける臭いだということに。

 此処から見える会津聡子の正面は殆ど焼け焦げていた。

 着衣は殆ど光沢のない黒色の炭化物に置換されていて、消え残った小さな火が微かに赤光を放っていた。 火の勢いは生前はそこそこ整っていた彼女の顔に及んでいて、顔の三分の二、即ち左目から鼻にかけての部分以外は見るも無残に焼けただれていた。

 残った左目には普通では有り得ない程濃い表情、驚愕が浮かんでいた。

 突然視界が急下降した。

 足に力が入らなくなっていた事に私はその時まで気づけていなかった。

 込み上げてくるものがあった。

 とっさに翳した両手も役に立たず、私は嘔吐した。

 昨日の晩から持ち込んだ蒟蒻ゼリーしか食べていなかった所為か、フローリングにぶちまけた胃液はほとんど完全な液体で、床に広がった髪の毛の燃え滓を押し流したのが見えた。

 この時ばかりは十五年絵を描いてきた所為で身に付いた癖、物事を無駄に子細に観察する癖がこの上なく恨めしかった。

 口に広がった塩酸の苦みが気つけになったようで、吐き出す物を吐き出した後は、何とか立ち上がれるだけの気力は復旧した。

 私はFNP90を杖代わりにしてよろよろと屍体に歩み寄った。

 『人の』が付かない肉を焼くにおいなどウン百回は嗅いできたはずなのに、『人間の』以外の屍体は普通に見てきたはず(小学校の頃クラスで買っていた兎の九相図を書いた事がある。 親呼ばれた)なのに、そこに横たわっている蛋白質の塊をじっと凝視する事は出来なかった。

 私は目をそらしそらし彼女に近づいた。

 と、「!」

 気付いた。

 彼女の服は前面は殆ど燃えてしまっているが、背中の部分は火をまともに浴びる事が無かったのか、焼け残っていた。

 元の姿を残していた布地の色は、……茶色。

 うちの制服は紺色だし、女子マネの基本装備であるジャージは浅葱色だ。

 であるからして……。

 私は唯一救いようのある未来につながる可能性に瞬間虜になった。

 私は銃を放り出して彼女の屍体の前に跪いた。

 彼女の体に覆いかぶさる焼けた髪の毛?を払い落とし、彼女の懐をまさぐった。

 探し物は直ぐに見つかった。

 熱変性する有機物の中で、この粘土像は火との取り合わせはまだましな方だったらしい。


 『……貴方は?』


 ARC-892-jp。

 さっき小野寺さんから報告を聞いて調べた時に前知識は得ていた。

 こいつは喋る。


 「説明は後でするから、取り敢えず、ご主人様の変身を解いてくれるかしら?」


 私は意識してゆっくりとそれに話し掛けた。

 変身がなされているということは、現在この屍体を中心として半径100mほどにスクラントン低現実領域が展開されており、それが解除された暁にはこの圏内で発生したありとあらゆる異常関連の事象現象が無かったことになる。

 小野寺さんはあの会合の時に、『魔法少女に従事して特別大きなデメリットはない』という話をしたのだが、その時先述の帳消しの話が出た時、私はこんな疑問を抱いた。


 『それって限界どこまで?』。


 いざ聞いて帰ってきた答えが、『そんなものはない』。

 わかりやすく書き換えてみると、『異常存在による障害、致傷、死、汚染、破壊、消滅、異常存在の起動など、異常存在さえ関わっていれば全て無かったことにできる』。

 いやいや。


 『本当にない?』。


 駄目押しをしてみた。


 『あ、記憶は残るぞ』。


 ……詰まる所、『死は絶対ではない』。

 うん。

 カチリとスイッチの入るような音がして、周囲一帯の輝度が突然スカイロケットし、極限小の時間で元に戻った(異常関連ではとかく数値がインフレしがちである。 問題を解く時には極限が大活躍する)。

 視界を覆われたほんの数刹那の間に全てが片付けられていた。

 煙も灰も、部屋に立ち込めていた火災の跡は皆消え失せていた。

 死の影、本来一度生ずれば向こう数百年は消えないそれも、……。


 「会津さん!」


 彼女を殺したものが過去改変の餌食になった今、会津聡子は生きている。


 「う、う……」


 「大丈夫?」


 「……多分。 さっきまでなんか暗いところにいた気がするけど、それ以外は。 うぢぅっ!」


 五体をそれぞれゆっくり動かして傷がないことを恐々確かめていた会津さんが突然絶叫した。


 「私私私、部屋に入って、鍵をかけて、それで大丈夫だと思っていたのに! よく覚えてないけど、突然苦しく……るっ!」


 自分に降りかかった恐怖を言語化するのは、恐怖を削り取るにはなかなかいい方法である。

 そうだとは言え、恐慌に陥った彼女を落ち着かせることはどうやっても到底不可能に思われて、はっきり言って今は落ち着いて欲しいと私は思った。

 勿論『生き返れるので死んでも問題なし』などという考え方は本来ドラゴンボール世界でもなければ成立し得ないものであり、ここまで極限まで怯えている方が健康的ではあろう。

 ただそうは言ってもこのキレ方は手に余る。

 感情を一通り吐き出し終え、号泣のフェイズに入った彼女をどう扱おうか、私の思考がいよいよどん詰まりに達しようとしたその時。


 「……地震?」


 大理石と鉄筋コンクリートの館が、突然軋むような音を立てて揺れた。

 体の中に残った揺れの残滓が消えた途端。


 「な、なんですか!?」


 再度揺れがが生じた。

 先ほどとは比べ物にならないほどに軋みが大きくなり、先ほどまでは安寧を保っていた視界にも目に見えて振動が顕れてきた。


 「来なさい!」


 一難去ってまた死の危機。

 人間の精神は存外強固に作られているようで、パニックになっている場合などない状況に置かれる可能性を瞬時に察した会津さんは私のコールを聞いて即座にこちらに抱きついてきた。

 私は落とした銃を拾い、彼女と足並みを揃えてドアへにじり寄った。

 その時、至近距離に隕石が落着したような、今までに聞いたことのないような破壊音が私たちの背後で響いた。

 私達は半ば反射的にお互いをパージして音源と距離をとった。

 あり得るありとあらゆるヤバい可能性を脳内で潰しながらゆっくりと後ろを振り向く。

 そこでは厚さ40cmのコンクリート床3枚をぶち抜いて落下してきたグランドスラム22000ポンド爆弾がフローリングに突き刺さっていた。 

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