第二章 『stableクラスオブジェクト』
思えば私は怪しむべきだったのだ。
彼女は貰ったマジックアイテムを、自分の手には負えないとみなして私に連絡を取ったのだ。
では、何故彼女は、それの効果について、実験したと言う話をしなかっただろうか。
もしアイテムを貰った時に危険だと説明され、それを享けてそのまま使用せずに厄介払いにしたのだとしたら、偽の実験記録を私に提示するくらい、すべきではないのだろうか。
つまりこのように私に実験記録を提示しないと言う事は、即ちケースの中のアイテムが、実験できる方が不審である物、その上危険性が一目でわかる、そういう物であることが、容易に想像できるはずなのだ。
思慮が足りなかった。
私は昂った気分のまま、思い切り箱を開けてしまったのだ。
箱の中には、角度110度のⅬ字型の物体が、恐らくシルクの、手触りの良いカーキ色の布で包まれて入っていた。
そのせいで物体のディテールは判らない。
しかし、例えば小さな子供の描いた絵の中で、棒人間がこんな形の物体を持っていたら、それは何のメタファーだと考えられるだろうか。
最適解は勿論……。
彼女がこちらを見てこくりと頷いたのを見て、私は震えながら布を取った。
中身はデカい銀色の拳銃である。
「っと。 それ、なんだかわかる? 」
私が中身ごと突き飛ばしたケースをキャッチすると、矢盗さんはそのままこちらを見据えて聞いた。
「……グロック19ですか? 」
余りの恐怖に答え方が真面目になってしまっている。
先程突飛ばしたせいで、拳銃は相手に渡ってしまった。
胸ポケットに忍ばせたS&W製のタクティカルペンでは、リーチが足りない。
無力な今の私にできる事は、できる限り丁寧な対応をすることだけである。
社会的に正しい受け答えをして目の前の女に撃たれる可能性と馴れ馴れしく話しかけて目の前の女に撃たれる可能性とを比べたら、絶対に後者の方が高い。
「ふうん。 武器ヲタクで特撮ヲタクの貴方と違っての私はそんな詳しい銘柄とかは知らないんだけども、それでもこの銃、なんか変に見えるんだよね」
そう言いながら彼女は手元の拳銃を弄繰り回している。
その過程で、一秒未満ながらこちらに銃口が向く度、私は恐怖からかじっとりと震える。
「あの~、出来たらでいいんですけども、銃をこっちに向けるの、やめてもらっていいですかね? いやその勿論出来たら、でいいんですけれども」
私はできる限界まで遜って頼んだ。
途中で目が合ったのがマジで怖かった。
「そう? 気になってるなら、止めたげる」
気にならねぇ訳ねぇだろ! 麻薬やってんのか!
今にも溢れそうな『秘密の窓』を全身で抑え込みながら私は毒づいた。
その溢れて来たもので胸が押しつぶされそうになる。
何処からか重い足音のような音が聞こえてくる。
汗が噴き出す。 呼吸が荒くなってくる。
それらの身体的異常が加速度的に精神を追い詰めていき、それに誘発されたように頭痛までがしてきた。
全く現状を理解し切れていない。
「図南さん、パニックになるのは判るけど、落ち着いてよ。 ファーストコンタクトの衝撃が強かったからてって、実物をちゃんと検分しないのは、あまり褒められたことじゃなくってよ」
私は半泣きで顔を上げる。
呆れたように肩を竦めると、矢盗さんはケースの中に放っていた拳銃の銃身を握ってこちらに差し出した。
それを受け取った私は、あまりに急速に訪れた安堵に力が抜け、銃を取り落としそうにすらなった。
改めて見てみても、やはりそれはグロック19で間違いなかった。
しかし、この銃には、自動拳銃において芸術的意匠を巡らすことが本来難しい筈のグリップ部分の縁に、何か曲線が浮き彫りにされていたのだ。
私は渡されたときの手の感触でそれを察し、不審に思った。
と言う訳でひっくり返してみると、そちら側のグリップ部分の大部分がタッチパネルスクリーンに換装されていて、先程私が触れたグリップ側面には、『A Farewell to Arms』と彫られていた。
そのうえ――なんならこれが最も異様なのだが――タッチパネル側の銃身の殆どがくり抜かれ、代わりにスピーカーフォンがはめ込まれていた。
恐ろしい事に、はんだ付けで。
「なに、この……、なに? 」
「ipod touchの機能が組み込まれた――グロックだっけ? ——拳銃、そう私は認識してるけど」
「っていうか、これ、多分撃てないよ」
「え? あの人は、出くわしたら迷わず撃てって」
「こんな物もし撃ったら確実にこのはんだが壊れて暴発するよ、ってか、大体弾が込められない」
私は銃身を握って、グリップの底部を彼女に見せつけた。
本来マガジンを装填するための各種機構がある部分だが、この銃にはイヤホンジャックしかついていない。
「大体出くわすって、何に? 」
「私が説明されたところでは…」
『退避勧告。 退避勧告。 ARC-1370のレギュレーション違反が発生しています。 以下の地域の住民は、屋内へ退避してください。 長崎市中心地区……』
警報特有の耳障りなジングルが鳴り響き、私は現実に引き戻された。
「図南さん、ここって中心地区でいいよね? 」
「……そうよ」
緊急放送を聞いた一般人のやるべきことは即ち素直に従う事のみ。
私は荷物をまとめ、彼女の手を引いて、カフェの中に入った。
ARCオブジェクトのレギュレーション違反はこの国では地震並みの立場にあるので、店内の人間はみな慣れたものとでもいう風に落ち着き、ある物は『災難ですね』と言う風に会話を切り替え、ある物はスマホでレギュレーション違反情報を調べている。
或は実はこんなのは長崎だけで、これもまた魔法の国たるゆえんなのだろうか。
隣の矢盗さんはかなりそわそわした風情だが、神戸は日本国内でも特異点的にこの系統の事物とは縁がないので、比較対象にはなり得まい。
『ARC-1370 『困らせルボット』による人的被害は、収容開始時から確認されておりません。 機構機動部隊須―参”スプリットリーフフィロデンドロン”到着まで、決して屋外に出ないでください。 繰り返しま,Thh……。』
放送が突然途切れた。
その代わりにドン!ドン!と言う足音と金属同士が擦れ合うような雑音が耳に入り始める。
店内にあまり健全とは言えない戦慄が走る。
どう考えても『困らせルボット』とやらはこちらに近づいてきている。
先程日本国民はレギュレーション違反には慣れっこだと言ったが、流石にここまで肉薄するとなると、話が変わってくる。
「まさか……」
矢盗さんの呟きを享けて、私は少しウンザリしながら相槌を打った。
「随分とドラマチックね、旅行先で最初の脅威に遭遇、ってか」
「似たような感じ、ちょっとこれを見て」
彼女は体を私に密着させ、店内からの死角を作ると、わあたしのカバンから銃を取り出した。
この国では拳銃は恐らく下手なARCオブジェクトよりも恐ろしがられている(その所為で私たちの肩身は狭い訳だが)ので、これは実に適切な行動だ。
彼女は多分麻薬はやってないと分かった。
拳銃の彼女の示した部分には、000000000000pと言う刻印が見て取れる。
ここには本来製造番号が刻印されているのだが、流石に製造番号の仕組みとかは知らない(私はあくまでガンオタではなく武器オタなのだ)私でも、さすがにゼロ十二個は製造番号として有り得ないと解る。
「製造番号ではなさそうね。 pで終わる数列と言うと、何かのポイントの集計かしら? 」
ゲーム脳的にはそう見える。
「そう、このポイントを貯めるのが夢をかなえる正道らしいね。 その人が言うには、完全歩合制だって」
「そのポイントの元は、あなたたちが出くわす何かのことかしらん? 」
「ピンポーン」
「それがこいつ? 」
「多分。 神戸でも一回似たようなのにあったけど、その時は機構に通報して事なきを得たわ」
夢を叶えるアイテムが欲しい人間が求めているのはそんなハクスラじみたシステムのものではなく、多分魔法のランプとかその系統の代償なしで叶えて貰える物だと思う。
ARC機構の熱心なファンであるうちの妹によると、機構日本支部管内にはその系統の嫌がらせを本業とする『博士』なる人物がいるそうだが、関係があるのかもしれない。
「このポイントを一兆。 これと夢が引き換えらしい」
「なんというか、邪道。 てか、兆? 」
「実に的確な意見ね。 ちなみにこれは打ち込み点方式になってるのね。 STGは判る? 」
おそらくこの甘言を信じた奴は『詐欺に合わない方法』という本にの一頁目に『こんな本を買わないこと』と書いてあった位な失望がその身に滲みたことであろう。
その上、こいつには実体があるのでよりタチが悪い。
変な重みがある。
「もしかして貴方が私にこいつを託そうとした理由は、私のヒーロー願望にあるんじゃない? 」
願いを叶えるためであることを除けば、超自然的存在から貰ったアイテムで敵を倒すとなると、それは変身ヒーローそのもので有る。
先ほどから言うように武器オタであると同時に、父親の影響もあって私は特撮オタでもある。
今はそうでもないが、中学の頃は行動に若干それが滲み出ていた節があって、まあ、厨二病という奴だったのである。
流石に行動には出さないが、心は今でも同じである。
次第に大きくなっていた足音が一線を超えた大きさになり、大地を揺らす。
同時に目の前を、ARC機構のロゴが大きく染め抜かれたトレーラーがパトランプを鳴らしながら通り過ぎた。
「受けてあげる。 今回だけだけどね。 その代わり、こいつの効果を、説明されただけ全部、徹底的に教えて頂戴」
そう言って私は彼女からグロックを受け取ると、それを鍛え抜かれた手捌き(厨二病に限らず中学生という存在は時として通常では考えられない物に力を注ぐ)でクルクル回した。 彼女から説明の代わりに受け取ったスマホ上のメモ(そういえば新聞部だったもんな)を一通り読み切った途端、ひときわ大きな地響きが私の体を震わせた。 私は彼女に顔を向けて少し頷くとスマホを返した。 そして自身は脳内のテレビカメラを足元に向け、意識して足を踏み抜きながら、さも荷物を忘れたので取りに行きますと言った風情でデッキに出、そのまま柵を飛び越した。
負けられない戦いが始まる。
そう頭の中で再生しながら。
CC BY-SA 3.0に基づく表示
scp-1370 by Photosynthetic
http://www.scp-wiki.net/scp-1370
この小説の内容は『 クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス 』に従います。