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 第二十四章 『歌わない雨音』

 私たち姉妹は向こう五年間二人一組の漫画家をしている訳で、その経歴の一年目の半分くらいから、私が下書きで雛が清書であるという役割分担は確固たるものとして存在して来た。

 この事を私たち姉妹の事を質問してきた相手に言うと、『朋の方は楽そうね』などと言う心外な感想が返ってくることが多い。

 恐らく絵で食ってる人間を取り扱ったドキュメンタリーなどを見て、ささっと鉛筆で下書きをするシーンが記憶に残っているのだろう。

 しかし、それは間違いである。

 勿論下書きの完成は線画の完成であり、単体の作業時間だけを比較すると、確かに下書きの方が圧倒的に短い。

 しかしながら、下書きは一つ完成させただけでは終わらないのである。

 何十最悪百幾らの下書きを積み上げ、雛のお眼鏡にかなって初めて下書きは完成品の御名を賜る事が出来るのである。

 今回の仕事にしてもそうで、球児たちがボールを振り投げ、バットのしならんばかりに振られ、砂塵がマウンドを走る人間の軌跡をたどって舞い上がるのを推定百、簡素ながらスケッチしなければならないのだ。

 写真と言う概念がまだ成人を迎えていない頃の写真家のように対象を制止するなどもってのほか、路傍の石のように気配の息の根を止めて動かなければならないのだ。

 見られているのを判ってて自然体になれる奴は香川支部の某南瓜レベルを要求しなくてもそう多くはおるまい。

 当然だね。

 一連のウォームアップを終え、学校同士での練習試合はがじまって当校が休憩タイム(五校あるから一校ははみ出すんだよね)に入った事によって、私も高台の例の休憩室に引き返す部員達について行って冷房の効いたユートピアに引っ込んだ。

 そこで私は今まで書いた十二枚の下書きを検分していた。


 「うんめぇ~!」


 「うわ、これ俺、確実に俺だよな!?」


 「ここまでイケメンじゃねーだろオメー」


 「うっせぇ!」


 「言いたかないがお前よりこの俺の方が明らかに力入ってるぞ」


 「「「それはない」」」


 大変賑々しい。


 汗臭い男どもに取り囲まれ、運動部そのものの太い声でぎゃぁぎゃぁ騒がれている訳だが、不思議と嫌な気持ちはしない。


 思えば最近の私達は数十時間掛けた絵で『合格』の一言を貰うだけと言う荒んだ日々を送っていたので、ここまで素直に褒められたのは久々である。

 ……プロになるってこういう事だったんだな。

 先程のウォームアップの時間に作った下書きの内訳は、投球が4、捕球が3、ランニング、喝、水分補給、スライディング、コーチが各1。

 野球はあまり詳しくないので、玄人にしかわからない寿司屋の卵的な物は恐らく拾えていないが、基本的な野球の動きは採集済みである。


 「いや~、私は中学の頃から体育会系だったもので、絵の事はからっきしなんですよね。 でも、やっぱりうまい人のは本当に上手いですよねぇ。 たまに羨ましくなります」


 当校野球部専属コーチである越智舟太郎氏が後ろから私の原画をのぞき込んで言った。

 彼は元野球選手である。

 ……その事しか知らない。

 本職は別にスポーツ系の何かをしているらしいが、当校のOBであるよしみでコーチもしているそうだ。 ……これ以上は絞り出す事すらできない。

 文化系のスポーツに対する意識なんてこんなもんである。


 「そうですよねぇ。 高校生だからと言って下に見てはいけませんね、本当に」


 横に立っていた中務先生が応えた。

 ピコン。


 「志筑高校から。 試合の方、終わったそうです」


 「うす。 お前ら、行くぞ」


 『『『うす!』』』 


 私を囲んでいた球児たちが一斉に反駁した。

 耳がじんじんした。

 まぁ、元気なのは良い事である。

 試合風景は野球を大して知らない私には最初から書こうと決めていた唯一の物である。

 見にいかない手はない。

 私は原画の束をまとめてスケッチブックの裏に強いて一緒に持ち、武者震いをしている野球部の面々(本番でもないのに……、と思ってしまう私は人として間違っているのだろう)の後ろについて行った。





 「しかし、やみませんねぇ」


 雨がざんざか降っている。

 練習試合の会場になっている合宿所で一番広いグラウンドの東端は屋根付きはスタンドになっている。  殺伐とした移動ルートに突然の雨に降られた私達は今迄の試合前特有のハイテンションすべてを放棄し、ここに逃げ込んだのである。

 雨は深々と降っている。

 ここが七月中旬の温帯湿潤気候地域山間部であるからして、突然の雨など想定されてしかるべきことではあるが、仮に想定されてたとして、雨中で野球をする訳に行かない事は変わりない。

 雨はしとしとと降っている。 

 スタンドの最下層には半地下になっている身内用の観戦席がある。

 私は目線が丁度グラウンドの地平に一致するように開けられた窓から、マウンドの枠部分に設置された排水溝に滝のような勢いで流れ込む雨水を眺めていた。


 「なんかすみません。 折角来てくださったのに」


 選手たちがスタンドに詰め込まれているのと対照的にマネージャーたちはもともとここに入る予定だった為という口実で自分たちだけの居場所を確保していた。

 その理屈だと顧問や補欠メンバーも此処に居なければいけないのだが。

 雨中に取り残された三校の男性陣で犇めきあっているスタンドの方に対する慈悲はないのか。

 そこそこの広さのある半地下の観覧席には三校分の女子マネ計七名だけである。

 雨はざかざかと降っている。

 その中の4名はお互いに面識があるらしく、隅に固まって何やら騒がしい。

 残された三人はその対となる端に固まっている。

 そのうちの一人である菰田由借は私の知己であり、そもそも私のことを先生に教えたのも彼女である。  もう一人。


 「別に私はそこまで気にしてないよ。 そこまで時間が厳しかったわけでもないし」


 私は片手間にスケッチブックの空白に水滴を書き込みながら答えた。

 彼女、会津聡美は薪木さん(擬態モード)によく似た大人しそうな子で、野球部のマネージャーと言う立ち位置にはあまり似つかわしくない様に見える。

 とは言っても二週間前は彼女とよく似た感じだった薪木さんは今は異世界に行って帰って来たかのような変貌(陽の方向で)を遂げており、人を見た目で判断してはならない事を私は改めて学んだばかりである。


 「やっぱりうまいんですね……、ユカリちゃんはちょっと話盛りがちなんで、いまいち信じてなかったんですけど、すいません」 


 「別に良いよ」


 今の状況を俯瞰してみてみれば、悪いのは菰公の方であるのは間違いなく理解できよう。

 彼女は菰公の中学の時の友人であり、高校に入ってお互いかなり離れた学校に行くことになっても付き合いが続いていたようだ。

 雨はしとしとと降っている。


 「てか菰公。 お前野球部でもその意味の分からん調子のままなの?」


 「それが私のアイデンティティでございやすからね」


 ○○公などと言う昭和も中旬には消えていたと思われる呼称が未だ罷り通っている理由は即ちこいつも又昭和はおろか明治にもいたか怪しい、最早百科事典の片隅にその名を残すだけの存在となってしまった何か、つまり絶滅種じみているのである。

 この感想を聞いた本人の感想を例に挙げてみよう。


 『うなはは、良いですね、良いです。 私も今日からリョコウバトの仲間入りですか』


 そう言って彼女は自身のtwitterアカウントの名前を『鼻行類子』に変えた。

 違う、そうじゃない。

 これで模試で全国二桁を取ったり音楽活動でyoutube登録者25.2万人を侍らせてたりツーマンセルのボカロPの片割れとしての私の相棒だったりとあまりに意味不明なプロフィール付きである。

 雨はパラパラと降っている。

 ただ先程から言っているように彼女はかっトんだ人間である。

 そこら辺の服を三種類しか持ってなさそうな学生が『姑獲鳥の夏』を書いたら物凄く衝撃的だが、京極夏彦がアレを書くと、さもありなん、と言った感情が優越する。

 これはこの女にも言える。

 これは私だけの認識では無く、周りの女子連中の評価が『MHFの毒飯旨そうに食いそう』、『いたいけな後輩に綾辻行人の『殺人鬼』勧めそう』、『血の代わりにドクターラッパー流れてそう』、『友達の卒アルに清涼院流水引用しそう』等々、お前らも大概じゃねぇかと言いたくなる事に目を瞑ればこの女の異常性を理解して頂けるだろう。

 旨そうにルーサーバーガ-を食ってたり、いたいけな後輩に京極夏彦の『狂骨の夢』を薦めたり、友達の卒アルに綾崎隼を引用したりはしているので決して誇張ではない。

 血は知らん。

 女子中学生クリエイター繋がりでツイッタランドを経由して付き合いを初め、最早5年を超えた付き合いの相手だ。 

 殆ど親友と言っても過言ではあるから、今迄の悪口はツンデレ発言だと思ってほしい(空)。

 唯何故野球部のマネをしているのかはわからない。 教えては貰ったが高度過ぎて理解できなかった(皮肉)。

 雨はポツポツと降っている。

 「あ、止んだ」

 いつの間にか雨はやみ、雲間から夏特有のクッソきつい陽光の片鱗まで除いていた。

 それに気付いた場のテンションが大きく上がった

。 上から球児たちの喝も聞こえる。

 「あっ、由借ちゃん! ちょっと、言い忘れてました」

 「何だ?」 会津さんは立ち上がって菰公を制止した。

 「あ、あの、音楽を、教えてほしいんです」

 意外だ。 確かにこの女は音楽で一山築いている人間ではある。

 「え! あんた、そんな趣味あったの?」

 菰公ですら知らなかったようだ。

 「いや、実はある人から、『お前には音楽の才能がある』って言われて。 あっ、私としては、その人、信用できると思ってますよ!」

 緊張からか、声が裏返っている。

 「う、……そういうの初めてなんだけど、まぁ、よし! なっ、朋」

 「いいんじゃない?」

 「いいんですか!?」

 ……可哀想に。

 私には彼女が良い玩具にされる未来しか見えなかった。

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