第十五章 『魔法使いの過誤 後編』
初めそいつが雲を割って飛び出して来た時、私達はそれを巨大な一艘の船と空目した。
飛行用に改造した艦艇を使い魔として召喚する魔法少女にも、私達は後に遭う事になるが、そんな彼女の召喚する超弩級戦艦『ヴァンガード』を数倍に拡大したような巨躯に逆光が照っているのは、交戦中の両陣営の全員を圧倒するには十分だった。
暫しの静寂。
そしてその巨躯の前方三分の一が突然折れ曲がった。
90度折れ曲がってこちらを向いた部分を日が照らし、それによって私はそれが人間の皮膚のような表皮と、異様にぎょろついた目を持っていることに気付いた。
ぎょろついた目と聞くと何やらかわいらしいイメージを持つ方も多いだろうが、こいつとそのイメージとは、子供のイメージするアイアイとその実物程の乖離があると思う。
今私を睨み付けているそれは、その嫌に滑らかな表皮も相まって、まるで向う数百年間人類と相まみえた事のない深海魚のような、俗に言う『コズミック・ホラー』の基盤にすらなり得る醜悪な外見をした化け物である。
簡潔に言うと生理的に受け付けない。
そいつは頭の両脇の深く切れ込んだ鰓から黄色く染まったガスを放出すると、突然異様なまでに速度を上げて一気呵成に薪木さんにかぶりついた。
その一撃で艦橋部分前部が握りつぶされたアルミ缶の様にひしゃげ、そいつの軌道上にあったVLSが薙ぎ払われ、爆炎を上げる。
その轟音の中に、乾いた冷風が壁の隙を縫って吹き込む様なか細い音が聞こえた。
それを薪木さんの悲鳴と認識したとたんに、私達は全砲門を開放し、あらん限りの弾幕を浴びせかけた。 数分が経ち、総計で日露戦争一日分ほどの砲弾を浴びても、奴はびくともしなかった。
それどころか皮膚を破って突き出してきたにくにくしい触手状の物が船体に絡みつき、より一層拘束を強めている始末である。
「なんでみんな息をするように再生すんのかな」
「不壊属性なんざそこいらの凡百のエウクレイデスでも標準搭載してるからね……、ちっ!」
断月さんの発射したナパーム弾は奴の鰓に着弾したが、その爆風は相手の肉を焼き焦がすだけで留まった。
しかし、それが積み重なった奴のフラストレーションを刺激したのか、奴は薪木さんの船体をより一層締め上げると、鎌首をもたげて絶叫を上げた。
それは絶叫としか言えないような、ひどく高く、金属を憎しみのままに引き裂いたような醜悪な音であった。
周りを見回すと断月さんは比較的平気な顔をしているが、小野寺さんはかなりダメージが大きめに見える。
しばらく聞いていたら頭に何かしら変調をきたしかねないな(魔法少女補正であまりダメージはないが、補正無しだと果たしてどうだろうか)。
そう思った途端その絶叫を突き破るかのように金属のこすれ合う嬌声が聞こえた。
初めは奴が自らの巻き付く船体をより一層強く締め上げたことに付随する船体の断末魔だと思っていたが、その数瞬後にはそれは間違いだと私は悟った。
空中で蟠を巻く細長い肉塊の数カ所を突き破って、角張った金属塊数個が飛び出してきた。
それは水盆に落とした墨汁の一滴のように急速にそこを起点として膨張し、奴の下半身三分の二を包み込んだ。
それは枝葉では砲塔や探照灯等一般的な艦船の部品部品を再現しているが、全体としてはグロテスクな肉の部分を度外視しても、高致死性の寄生虫のような大変気色悪いシルエットをしている。
新興工業国の人口爆発張りの急速な肥大化は、元々の艤装のサイズの30倍弱程になってようやく沈静した。
既に扶桑や怪魚の面影は見られず、見た目は機械と肉の混ざった醜い球体でしかなかった。
断続的に吹いていた火力の嵐も収まり、私たちは次弾を警戒すると同時に少々ホッとした空気になった。
「……かなりマズいわ」
唯一人分かりやすく剣呑な雰囲気を漂わせていた断月さんが親指の爪を噛みながらぼそりと呟いた。 「何が?」
「原形が崩壊しかけている。 多分現実性が非現実の流入でくたばりかけてるのね」
「と言うと?」
出来たらでいいから日本語でしゃべって欲しい。
「ああ云う異常存在とか異常工学の申し子は、簡潔に言うと現実性を捻じ曲げて、『現実には存在しえない』と表現されるあれこれを無理やり現実に押し込んでる。 現実的でない物は、この現実を固体とすれば液体のような比較的不安定な物で、それだけで個体ーこれは異学用語で一つの独立したものとして認識されるものの総称を表す言葉ーを構成するのははっきり言って不可能。 一応理論上は可能なのだけれども、現状異学の最終目標にあるー物理学で言う金属水素の位置ー訳で、一般的に異常存在は、異常と正常を混ぜこぜにした、『低現実』と呼ばれるもので構成されている。 ここにまだ異常構成学の萌芽時代の思考実験である『ホランドのパン屋』と言う物がある。 ここにおいては、現実を小麦粉、異常を鹹水に例えて異常構成の可能性を例えているんだけれども、ここでは非現実流入は、小麦粉に大量の水を流し込んだ状態-想像できる?-、コロイド溶液みたいな状況にある。 つまり液体、即ち非現実。 人間のような個体が非現実に晒されると、数分と持たずに離散してしまう。 スクラントン現実錨の開発者であるスクラントン博士の悲劇はこれによって引き起こされた物。 対処を怠ると、彼女もそうなってしまう」
物凄く早口で言われたが、かなりわかりやすい思考実験を引用してくれたおかげで何とか理解できた。
「じゃぁ、可哀想な小麦粉をエーテルに融解する恐怖から助け出してやるにはどうすればいいの?」
私は訊いた。
「簡単よ。 水が襲来している間に吹き飛ばしてあげればいい。 ……あと非現実はエーテルじゃなくてラジカルだし溶質が溶媒に溶けるのは融解じゃなく溶解ね」
化学は真面目に受けていた筈なのだが……、いや今はそんなことを気にしている場合ではない。
「吹き飛ばすって……?」
「物理的に破壊する事」
そこまで言って断月さんは薪木さんだったものの方を振り向いた。
「一撃でRgKQt(R:汎用現実定数,g:重力加速度,K:ケルビン温度,Q:閾値熱量,t:ハロウズ定数)≒0.71……、大体七割くらい吹っ飛ばしてくれれば助かるわね」
「七割って」
下から突き上げるようにして上昇して来た小野寺さんが私たちの真横で少し弾んで急停止し、同じように薪木さんをねめつけながら言った。
「一撃で七割となると……」
小野寺さんはへカートⅡのマガジンを再装填すると、それを天に掲げた。
なぜか閃光弾が発射される。
軍オタならざる一般人はそういうところ気にしないのだろうが、なんか気になる。
「わ、私に御用ですか」
若干疲れた様相の白鳥さんの声が聞こえた。
後ろを振り向くと戦艦大和の巨体が下からのっそりと上昇して来た。
「あんた、波動砲使えたよね?」
やはりそれか。
場にいた全員がそう思った。
史上最大の戦艦の一つである時点でも有名な大和型であるが、その装備の中でも特徴的な物として三連装四十五口径20インチ砲と振動波動砲、そして武蔵以降にのみ搭載されている波動防壁照射装置がある。
一般人に目線を置くならば、この中で一番有名なのは、やはり振動波動砲であろう。
そもそも波動砲と言うのは俗に言う光学兵器とは違い、膨大なエネルギーを固めて撃ち出す、そのものずばりのエネルギー兵器である。
1930年に開発された試作型波動砲を起点として進化を遂げ、最近では航空自衛隊の代名詞となっている波動兵器の歴史の一大ブレイクスルーがこの振動波動砲である。
波動兵器を搭載した艦は何もこの船が最初では無く、特型駆逐艦『吹雪』四姉妹に搭載されている特型磁力照射装置(四隻が専用の陣形を取って力を合わせて撃つ)や、防空戦艦『日向』に搭載されている拡散波動砲改良型などがあったが、それらは威力が低すぎる(拡散波動砲はもっぱら対空用に使われていた)かもしくは発射のハードルが大きすぎる(その先に待っているのは日本面名物『性能“は”良い』なのが救い)物だったが、この振動波動砲は射角と燃費以外は一般的な二連主砲レベルの取り回しの良さを実現し、猛威を振るった。
「勿論」
白鳥さんはそう言って指パッチンをした。
すると頭の上に鎮座している艦首の一部(本物だと菊の御紋がついてたりする場所。 彼女は注連縄を付けている)がカバー状にせりあがり、中から『懐中電灯』と形容される砲身がせりだして来た。
「……今は気にしてる場合じゃないわね。 うん」
想定外の場所から出て来たとは言え取り敢えず砲身部分の見た目はあってるので、想定通り活躍してもらう事は可能だろう。
「彼女の艦橋部分をそれでぶち抜いて。 きちんと元ネタをなぞってたら、そこのサイロにIRBMが三本入ってる筈」
中距離弾道ミサイルは都市一区画を消し炭に出来る威力を誇る。
その爆発をまともに喰らえば、いかに異常存在だとは言え、七割焼損は軽いだろう。 況や三発をや。
「それが爆発したら私が突入して、彼女を助けてくる。 理解した?」
私を除く場の全員がコクリと頷いた。
「では、行っていいですか?」
殆ど間髪入れずに白鳥さんが言った。
「どうぞ」
私も同じくらい間隔を開けずに答えた。
先程の説明で余りのんびりしてはいけない事が理解できた。
彼女は私の承諾を受けてそのまま薪木さんの方に向き直り、両手両足を突っ張った。
すると彼女の頭上に大きな光球が生じた。
私も同じようにそちらへ向き直る。
視線の向こう側では肉と金属が混ざり合った球体がぷかぷか浮かんでいる。
表面の金属と肉の模様はまるで木星の表面のように絶えず移り変わっている物の、全体としてはほぼ同じシルエットを保っている。
平衡、と言った所か。
私は脳内のカウントが15秒を刻んだ所でR2000-7を吹かし、一気呵成に薪木さんの方へ突っ込んだ。
しかし、私の進撃は、私の横を突っ切るはずの波動の螺旋の不在によって挫かれた。
未だ振動波動砲が撃たれていない事に気付いた時には既に私は薪木さんだったものに肉薄しており、身体を縮めて身を庇うのが精いっぱいだった。
金属部分に叩き付けられる。
そこでバウンドした勢いで相手の表面を蹴り、態勢を立て直した。
波動砲が飛んでこない原因を探るために断月さん達の方を向く。
と、「痛っ!」。
足を撃たれた。
メタライト製の脛当て越しの衝撃から見て、単発銃ではない事は判った。
バレルロールを置いて次弾を躱し、弾の飛んできた方を向く。
「……ずいぶんなご挨拶ね」
私はアヴェンジャーの銃口を突き付けながら、その魔法少女に声をかけた。
そいつは私の上方150㎝、肉塊から60㎝程離れた所で浮かんだままこちらを見下ろしていた。 セミロングの茶髪にキャスケット、肩にインヴァネス、その下にはセーラー服。
それに小物としてモノクルとロングブーツと旧式のショットガン。 それが鋭い目でこちらを見下ろしている。
モチーフははっきりとは判らないが、両脇に浮かんでいるジェットエンジンから見るに、キーシシリーズあたりだろうか。
私は身構えた。
突然そいつの表情に怯えの色が生じた。
ちょうど私と目が合った瞬間だった。
そうしてそいつは左手を天に掲げ、薪木さんに巻き付いた肉の全てを回収した。
回収した。
そいつがあの化け物の主である事に遅ればせながら私が気付いたころには、そいつはぐるりと旋回して明後日の方向に飛び去ってしまっていた。
余りの展開に一瞬唖然としてしまったが、それが罠かどうか考える前に今はやる事がある。
私は肉が剥離した後の艤装の残骸に潜り込むと、大きく息を吸い込んだ。
「薪木さん!」
下の名前も覚えておいたほうが良かったかも知れない。
私は少しだけ後悔したが、それは薪木さんの声にかき消された。
「……図南、……さん!」
「大丈夫? ちょっと身構えてちょうだい」
私はそこからいったん抜け出すと、そのままアヴェンジャーをそこに打ち込んだ。
焼夷榴弾の十数発が弾け、歪んだ砲塔部分が爆発崩壊する。
何処にも引火していない事を確認すると、私は再び金属を掻き分け、彼女を探し出した。
彼女のいた所の上には対空砲が張り出して設置されており、そのお蔭で彼女は肉にも鉄にも潰されないスペースを確保できていた。
「うう……、ごめんなさい」
薪木さんは涙声で言った。
「動けない間に色々考えてて……、迷惑かけて……」
「大丈夫よ。 取り敢えず今は安全な所へ行きましょう」
私は彼女を左腕で抱きとめると、崩れ始めた構造物を右手のGAU—8で吹き飛ばし、脱出した。
「大丈夫だったか?」
断月さん一行が艤装の近くまでやってきていた。
誰もかれもが不安げな顔をしていて、それが一番ひどい白鳥さんにいたっては今にも泣きそうになっている。 ずっと思っていた事だが彼女はとても戦闘向きではない。
「万事大丈夫よ」
私は自分の事より寧ろ抱き留めた薪木さんの事をそう形容した。
疲れからか脱出するとすぐに彼女は気を失ってしまっていたが、その寝顔は遊び疲れた子供のような陰の無いもので、心的ダメージはその欠片も見えなかった。
本来の彼女はこっちの方なのだろうな。
なんのなくそう思った。




