第十二章 『胸に詰まってたモノ』
背中の上に虫が這うような感触がある。
そいつは私の背中を真面目に直進したかと思えば、突然私の皮膚をトランポリンかのように扱ったりした。
実に不快である。
私は右手を以てそれを払い除けた。
と思った途端、私の顔面は机の天板に叩きつけられた。
大いに驚いて目を開けると、視界一面が文字列で満たされている。
その文字とバックの藁半紙色とで、私は自分が長瀞先生お手製のまとめプリントの上に上半身うつ伏せになっていることに気づいた。
私は気持ち急いでゆっくり上体を起こした。
久々にがっつり寝落ちした。
最後列の真ん中という位置にいるにしては、私はほぼ授業中に寝落ちする事はあまり無かったわけだが、今回ばかりは耐えられなかったらしい。
寝汗で制服がベトついて気持ち悪い。
黒板を見る。
ニューオリンズ会議、聞き覚えあり。
ジョシュア・ブライト、聞き覚えあり。
世界オカルト連合、言うべきにもあらず。
ラスベガス議定書、……これは聞き覚えないな。
プリントに目を落とす。
第二次世界大戦中に異常存在の軍事利用を目指していた組織、は『ロシア連邦軍参謀本部情報総局“P”部局』と『第日本帝国陸軍特殊医療部隊』の二つ。
戦後かつての全米確保収容イニシアチブを中心に複数の超常組織を統合した史上最大の超常組織、はARC機構。
そしてその存在意義や活動内容を成文化したのが……、ああ、これがラスベガス議定書だ。
よかった。
思っていたほど長くは寝ていなかったようだ。
未だ若干霞の残る脳を頭の周りを―20℃まで急冷して覚醒させる。
……残り30分か。
時計は丁度ダリの髭の形をとっている。
10時40分にこの授業が終わるまでもつかは、非常に怪しいと言えよう。
「……さん、図南さん、これ」
横の席の式宮さんが、私のことを小声で呼んでいる。
「なに?」
私は寝起き特有のいらついた口調で答えてしまった。
「い、いや、これ、前に回して」
式宮さんは四つ折りにされたメモ用紙を持っていた。
「まだやってんの?」
「そ、そう、ごめん」
「別にあなたが謝る必要はないわ。 貸して」
私はメモ用紙をもぎ取ると、前の榊技さんにゴミを押し付けるように投げ渡した。
彼女もこのアホな遊びを認知しているから、この手紙は更にその前の薪木さんに届くことだろう。
薪木さんはクラスの上位カーストの人間からいじめを受けている。
不本意だが、こう表現するのが、最適解と思える。
こう表現を迷うようなことが行われている場合には往々にしてその手口というものは陰湿でかつ(ー私たち第三者から見ればー)軽薄な物で、一言で言うとしょうもない。
よっぽどのことがない限りこの系統のいじめというものはただの手慰み以外にいかなる意味も持たない故、一線を超えるなんてばかなことをする奴などいまい。
このクラスに於いても、連中はその原則を遵守していて、薪木さんが受ける被害といえば、かなり趣味の悪い手紙と場合に応じたからかいを延々と食らい続けることだけである。
しかしそれがきつい。
薪木さんはよくいる読書好きの大人しい子で、連中のように陽の場所にいることもできなければ、私や林歌ちゃんの様にぶっ飛んでしまうこともできない訳で、連中には良い慰み者なのである。
手紙が薪木さんのところに渡り、連中の方から不愉快な笑い声が聞こえてくる。
何度か文句は言ってみたのだが、あちらさんは一切の聞く耳を持ってくれない。
どうも連中はヲタクと言う存在を軽視しているようで、私の発言はまるで重さを持って伝わってはいないようだ。
薪木さんの方を見る。
彼女はいつもの様にいつもの様にそれを広げて、いつもの通り目を通していた。
そしていつもの通りそのポーズのままふるふると、まるで心細動の様に小刻みに震えた。
……これは一度どうにかしないといけないレベルではある。
小野寺さんあたりに一度この系統の物の処理方法を聞いてみたほうがいいのやもしれぬ。
薪木さんはそのままメモ用紙を畳むと、首をぐるりと回して右斜め後ろのバカどもを睨んだ。
いままでにない行動だった。
かつて彼女が多くのカウンターパート達と同じ様に積極性の一切を見せなかったせいで連中を説得することに失敗していた私は、首を机から少々迫り出して彼女の顔を覗き見た。
背筋が凍った。
彼女の顔は何か異様な物を宿したかの様に変貌していた。
目は死に、口元は歪んでいる。
目には虹彩の動きも涙膜のさざめきもなく、口元は無理やりねじ曲げられたかの様に曲がっている。 それは本当に薪木裕子だったのか。
それとも別の何かだったのか。
それすらわからなかった。
バカどもはそれに気づいていなかった。
彼女の醸すある種凄まじいまでの憤怒に、一切気付いてはいなかった。
バギギャッ!
彼女は机を蹴って立ち上がった。
「薪木さん。 どうかしましたか」
長瀞先生は話をやめ、静かに彼女に問うた。
「いえ、先生には特別関係のあることではありません」
バカどもを含めたクラスの全員が彼女の激高に釘付けになっていた。
たとえそれが激高と気付かなくても、彼女の今の雰囲気は、人の目を引くに足るほど異様な物だった。 例外はいた。
私だけは彼女が右腕に桃色のカードを握りしめている事に気付き、それに目が吸い寄せられていた。 所謂交通系ICカードの、九州で流通しているタイプの奴で、恐らくこの学校の人間の殆どが常用している代物である。
何故にあんな物を……。
「先生には関係ないんです」
……奇しくも私は意味の解らないアイテムを切り札にしている連中を知っている。
私は机の横にかかってるリュックサックに手を伸ばすと、外ポケットに入れてあるスマホを取ろうとした。
偉大なセンパイタチに意見を乞おうとしたのだ。
チャックを引いた。
ポケットの中で何かが光っている。
なんと例の拳銃が起動していた。
取り出してみると、拳銃の横の液晶ディスプレイが再生中の表示になっている。
曲名欄の表示はたった一語、『Encountering』。
メタルマックス辺りになら有りそうな曲名だが、音楽も流れていないのに曲名だけ(作曲者とかそれ以外の情報もない)表示されていることを考えるに、バグとしても不可思議である。
しかし、この拳銃はipodである以前に魔法少女用の変身アイテムであり、そこに『出くわしている』との表示。
これは本当に出くわしていると考えるのが自然ではないだろうか。
異常存在に。
「お前らだよ! 未垣っ!」
ぴっ。 小さく高い音が鳴った。
改札を通るときになる、いかにも電子音じみた効果音である。
そのことに気付くか気付かないかのうちに、凄まじい轟音と衝撃がクラス全体を薙ぎ払った。
……OK、生きてる。
体の節々の痛みに耐えながら周りを見渡す。
隣で式宮さんがダウンしている。
倒れた備品、一部割れたガラス、失神してるかもしくは放心しているクラスメイト達。
激高した時と同じ場所に薪木さん……、だった魔法少女が突っ立っている。
うちのかなり野暮ったいセーラーの代わりに、紺色の外套に身を包んでいて、下半身は同じく紺のズボン。
完全金属製の官帽を被り、足先や右腕に金属製の何やら支援兵器じみたパーツが取り付けられていて、長さ2m強の鋼製レールの束を両手持ちしている。
そして両肩からだらりと落ちた両腕と平行に、厚さ30㎝で高さが1mほどの、鉄枠がはめられ、つた状のワイヤーが絡まったレンガの防護壁の様なものが浮かんでいる。
私から見える左肩の防護壁にはかすれた白ペンキで『589-jp』と書かれているのが見えた
言動は狂気其の物で、何やらぶつぶつ呟いては突然キレてレールを床にたたきつけていた。
私は周りに倒れている机を少しづつ動かして彼女からの死角を作ると、彼女がレールを振り上げるのに合わせて拳銃の引き金を引いた。
我ながら高校生の妄想張りの手際の良さだが、『でぇじょうぶだ! スクラントン現実錨でいきけぇれる!』的な安心感さえあれば、それこそ妄想並みにてきぱき行動出来るのである。
それでもいきなり艤装フルスロットルで変身したりはしない。
唯武器を召喚するだけである。
この拳銃の本来の能力は『相手の殺意から芸術作品を作り出す事』。
それが例のご都合主義的なオブジェクトにゆがめられて誕生した能力がこれらしい。
横目で液体金属が窓から這入ってきていて尚且つ魔法少女に気を取られたクラスメイト達には一切不審に思われていないのを確認して、私は机に凭れ掛かって深呼吸をした。
右手を地面において脱力する。
手先に絡みついた液体金属が一つの形を取って凝固する。
今回使おうと思っているのはエクスキャリバーMKⅡ、やはり暴徒鎮圧にはグレネードランチャーである。
もちろん今回は非殺傷弾なんちゅうあまっっちょろいもんは端から使う気もないが。
40×46㎜グレネード弾がしっかり6発入っているのを確認すると、私はバリケード代わりの机の天板に銃身の付け根を噛ませると、膝立ちで目線を銃口と同じ高さにして彼女に狙いを定めた。
彼女は未だにしっかりとは周りを認識できておらず、自らを狙う銃口には一切気づいていない。
……というかあの様子を見るに自分の狙っている相手もろくに認識できていないのやもしれぬ。
彼女には恨みはないのだが、魔法少女たるもの、降りかかった火の粉は己で払わなければならない。 ヲヤスミケダモノBY×2BYDO。
私は躊躇いなく引き金を引いた。
ポン、と打ち上げ花火に火をつけた瞬間のような軽い爆発音とともに一発目の榴弾が射出され、続いて打った二発目の負荷がトリガーから消えかけたその時、爆発した。
「ひぐぁっ!」
わかる、魔法少女への変身は痛覚の鈍化っていうドラえもん読んでれば一発でやばいってわかる副作用があるけれども、やっぱり本来なら部位をなくすレベルの攻撃だと普通に痛いのよね、わかるわかる。
「くぁっ、誰!? なんで私が、らっ、痛い!! 私が悪いの!?」
体のどこかが吹き飛んだのか、赤い血しぶきが上がる。
変身の動機が動機だからか、それでも彼女は悲劇のヒロインじみた悲鳴を上げている。
私は基本的に彼女を不憫に思っていた訳ではあるが、こんな狂い方は嫌いではある。
六発目が爆発したとたんに床が崩落し、彼女は悲鳴を上げたまま階下の物理実験室に転落した。
南無三。
ただの鉄の塊となってしまったランチャー本体を床にたたきつけて液体に戻す(魔法少女でてんやわんやのクラスメイト達に未確認飛行物体まで目撃させるわけにはいかないから、空にはすぐには返さずに取りあえずは腕時計にでもなってもらおう)と、私は机をどけて教室の真ん中に走り寄った。




