神様、二月十四日(きょう)だけ私にどうか勇気を
あの日、私はついに見つけてしまった。
自分の心の存在を―――
粉雪がホロリと舞い落ちていく中、私は通い慣れた道を市販の『箱』片手に歩いて行った。
今は校門をくぐり、一番近い校舎の裏で、野球部の朝練に来るアイツを待ち伏せているところだ。
あ、きたきた。
「達哉」
いつものノリで話しかけようとした矢先、私の声は別の声に掻き消された。
「な、中島くん」
達哉は彼女の方を振り返る。
学年一番人気の彩城 綾女。
私の一番の親友だ。
私は彼女の声で再び校舎裏に身を潜め様子を伺う。
「こ、これ良かったら受け取って下さい」
そう言って手渡したのは可愛いピンクのリボンで装飾された『綺麗な箱』だ。
「お、俺に?ありがとう」
照れ臭そうに、そして嬉しそうに受け取るアイツに天使は続ける。
「もしよかったら私とお付き合いしてくれないかな?」
一層赤らめた顔でアイツは言う。
「えーと……その、ありがとう、すげー嬉しい―――」
そこから先は聞きたくなかった。
耳を両の手で押さえ込み、ギュッと瞼を閉じる。
ホロリと落ちる涙は『無機質な箱』が音を立てて受け止める。
先程までは寒さなど気にならなかったのに、今ではこんなにも肩を震わせている。
しばらくそのままじっと時が経つのを待つばかりだった。
結局学校では渡せないまま、気付けば自宅に帰って来ていた。
ポストにでも入れといてやろう。
そう思って家を出ると、丁度『綺麗なあの箱』を持った達哉と遭遇してしまう。
「おっ、それ今年もくれんのか?サンキュー」
彼女に向けたのと同じ笑顔が返ってくる。
「それ誰かから貰ったの?良かったじゃん」
私は半ば強引にそれを手渡す。
「まぁな。それより、今年は家の前で渡すんだな。いつもは幼馴染のくせに学校で渡してくるのに。んで今回も結局一緒に食うんだろ?中入れよ紅茶淹れるから」
少し寂しそうな顔の達哉には気付かず、
「そうね、でも今回はちょっと疲れたから遠慮しとく。じゃあね」
と軽く返事をして玄関を開ける。
冷たい空気がいつも以上に皮膚をいじめてくるあの日。
私は九年間の付き合いで、ついに恋を知ってしまった。
失恋と同時に……
あの日からあと二日でもう一年になろうとしている。
「もうすぐバレンタインだね。京香は達哉くんにあげるんでしょ?」
綾女はあの日から達哉とよく学校でも話している。
一年弱で呼び方も下の名前に変わっていた。
「どうしようかな……」
「え、あげなよ!頑張って!」
そう言って真ん中ガラ空きのガード甘々なファイティングポーズを取っている。
この子はバカなのか?
私の気持ちを知ってて言っているのか?
喧嘩を売っているのならば、お望み通り受けて立とう。
その前に自分の彼氏が他の子に貰うのは別に気にしないのか?
そんな言葉達が次々と頭をよぎる。
もちろん素通りで口には出さない。
しかし、自分の約一年で何倍にも膨れ上がった気持ちに決着をつけるべく、私は最初で最後の「決戦の装備」を用意することにした。
九年間市販の物で済ましてきたバレンタイン。
十年目にして初めて手作りを試みる。
最後くらい納得のいくものを作ろう。
前日の日曜日に何十回と試行錯誤を重ね、遂に納得のいく物が完成する。
今年は包装だってこの通り。
真っ赤なリボンで包んだ『箱』にお洒落な紙袋。
準備万端だ。
あとは伝える言葉をメモに書き練習する。
《私は達哉の事が好きです》
たった一言伝えるだけだ。
この一言でこの気持ちに終わりにし終わりにしよう。
明日の朝最後の練習をしよう。
リボンにメモを挟み込み、ゆっくりと意識を手放す。
「遅刻するわよ、早く起きなさい」
母に叩き起こされる。
「もう少し……」
寝ぼけた私に怒号が飛ぶ。
「何時だと思ってるの!あと一時間切ってるのよ!遅くまで何呟いてたのか知らないけど朝弱いんだから。お母さん昨日から砂糖切らしてるし買い物行ってくるからね」
その言葉に目が完全に開く。
こんな大事な日に寝坊なんてあり得ない!
私は急いで学校へと向かった。
いつも通りカバンだけを背負って。
下駄箱で靴を履き替え、達哉の下駄箱に手紙をそっと入れる。
《部活後、校門近くの校舎裏に来てください》
ギリギリで教室に入る。
もうすでに先生が朝のHRを始めていた。
授業中にも脳内で言葉を紡ぐ。
先生に質問されても聞き逃して注意される程に意識はどこか別の場所にあった。
放課後、時間を潰すために窓から野球部の練習を見る。
もう少し近くで見ようと階段をゆっくりと降りていく。
到着したところで私はやっと重大なことに気付いた。
"目的のものを持って来ていない"
焦った私は家へと全力で駆ける。
到着した私は鍵を開ける母を急かして中へ入ると家の中は暖かい。
私は血相を変えて自室のドアを開ける。
当然そこもいくらかマシとは言えども生温い。
恐る恐る中を開けると案の定チョコは少し溶けている。
幸い形は殆ど残っているため、急いで冷蔵庫で冷やし時計を確認する。
まだ部活終わりには早い。
部活終わりに着く時間を計算し、しっかりと包装をし直して、メモを持って家を出る。
メモを確認しながら歩き始めると声を掛けられる。
「どこ行くの?天音さん?」
振り返ると玄関を開ける達哉が目に入る。
「なんてな。京香、この手紙俺の下駄箱に入れたろ?」
口をポカンと開ける私を見て達哉は続ける。
「何年の付き合いだと思ってんだよ。手紙の字だけでお前からってわかったよ」
得意げに言う達哉は続けてメモを指差す。
「それなんだ?」
私は慌ててメモを紙袋に入れる。
「な、何でもない!あ、そう、チョコ渡そうと思ってたの」
そう言う私を家へとあげると、手際良く二つ紅茶を淹れる。
よし!言うぞ。
「それいつもと違うな。手作りか?」
不意を突く言葉に焦る。
「ま、まぁね。昨日自分で食べたくなっちゃって作ったのよ。別に達哉の為に作った訳じゃないんだけどさ。その時のが余っちゃったのよね。いる?」
(何が、『いる?』だ。受け取ってもらえなかったらどうするの!それに告白は?)
自分にツッコミを入れるが、達哉は子供のような無邪気な笑顔で即答だった。
「あはは、欲しいな、くれよ」
そう言って差し出す手に紙袋ごと手渡す。
受け取って早速達哉はチョコを取り出す。
「何で自分用にハート型なんだよ。ん、何だこれ?」
そう言ってチョコを確認した後、メモを確認しようとする。
「わあぁぁー」
恥ずかしくなり奪い取ろうとすると、チョコに手がぶつかり机から落下する。
無残にもチョコは真っ二つに分かれた。
「あーあ……」
そう言って達哉はチョコを拾い上げると、迷わず口へ放り込む。
「美味いな」
少し涙目の達哉に胸が締め付けられる。
「達哉、私……」
そこで達哉は私を抱き締めた。
「俺も好きだ、京香。付き合ってくれ」
「手紙見たの?それより綾女は?去年告白されてたんじゃ」
「知ってたのか。前から相談乗って貰ってたけどまさか綾女が俺をとは……まあ断っちゃったんだけど……」
まさかの返答に自分を責める。
バカは私だ。
綾女は喧嘩なんて売る子じゃないってわかってたでしょ。
あのポーズも応援してくれてたんだ。
いろんな感情が溢れて涙が零れ落ちる。
そんな私は告白のお願いしますの代わりにキスをした。
それは甘くてとろけるようなキス、ではなく顔を歪めるような塩辛いキスだった。