ピンクゴールドの約束
いつも確かなものが欲しかった。
曖昧なものは何もいらなかった。
久しぶりに降りた、高校の最寄りの駅。懐かしい匂いがして、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
高校のころ通学で使っていた赤色の電車をホームのベンチで眺める。
平成最後の夏が来る。でも、そんなことはどうでもいい。きっと、時代が変わろうと、私の生活はそんなに変わらない。悩みごとだって解決しないし、嫌いなものは嫌いなまま。好きなものはきっと好きなままでいるし、課題から目を背けて遊ぶのも同じ。罪の記憶が消えることはないし、突然もどかしさから解放されることもない。私たちはタイミングと隣合わせで生きていて、そのタイミングが少しでも違ったら、たぶん全然違う生活を送っている。タイミングの前後に逆らえば、時には世間から認められない決断になってしまうことだってあるかもしれない。世間は私を許さない。でも、それ以上に私も私を許せない。
かつて私が着ていた制服を、今の私よりも素敵に着こなせる後輩たちが当たり前のように身にまとっている。もちろん当たり前なのだけれど。スカートの裾を翻して、スマホ片手に楽しそうに会話を弾ませている。ホームに電車が入ってくる。電車が連れてきた風は、私の伸びた髪を揺らした。ショートカットだった頃は、この風をこんなにも感じることはなかったのにな。そろそろ行かなきゃ…。そう思って、私は少し重くなった腰を持ち上げた。
街はお祭りムード全開で、屋台の香りが夏を実感させた。うるさい人たちが騒いでも許してくれる公共の場所って、お祭りくらいなんじゃないかな。そんなどうでもいいことを思って、私は目的地へ足を運んだ。
行かなきゃいけない場所がある。夕方の街はピンク色に染まっていた。部活帰り、それを見上げて写真を撮った記憶がある。昨日の大学からの帰り道も、同じような空だったな。私の瞳が太陽とは逆の、昨日の方向にある灰色の雲を映す。私の胸元に光るピンクゴールドが存在を主張したような気がした。
「そのネックレス、彼氏にもらったの?」
大学で新しくできた友達は目をキラキラ輝かせてそう私に尋ねた。
「ちがうよー」
そう、笑ってごまかしたのは、半分正解で半分不正解だから。
「きれいだね」
言葉の代わりに私は微笑んだ。きれいだったはずの思い出が、どんどんくすんでいく。このネックレスは、自分の幸せと引き換えに大切にしなきゃいけない人を大切にしなかった、そんな私の罪の記憶だから。
駅から少し歩くと、赤い橋がある。昨日から明日まで、少し街は騒がしい。高校があるこの街には、毎年この時期に小規模なお祭りがある。喧騒を抜け出して座った橋の上のベンチ。野球応援の盛り上がりから抜け出してトイレに行くとき、コンサートホールのリハーサル中の舞台から抜け出したとき、その感覚と同じものがあって、少し安心したのを今でも鮮明に覚えている。くすぐったいような、心拍数が上がって寿命が縮まったような、私がもう少し幼かったとき。
私は本当にだめな彼女だった。こんなにもぐらぐらで、地に足がついてない私をしっかり支えてくれたのは、たぶん彼だけだ。この先も、こんなにも私のことを思ってくれる人は現れないと思う。そして、現れなくていいとも思う。それが私の贖罪なのだとしたら、それでも足りないと思う。
「秋帆ちゃん」
その声は、たしかに私の後ろから聞こえて、私は静かに振り返った。
「雄飛…来ると思ってた」
彼はこんなに暑いのにもかかわらず、長袖のYシャツを着ていた。もう夏なのに、シャツから除く雄飛の腕は日焼けなど知らないのかように白い。
「相変わらず不健康そう」
「うるさいなぁ」
私の言葉に口を尖らせる。その癖は何も変わっていなくて、私の心に錘が追加された。
「秋帆ちゃんは、2年前、ここでなんて言ったか覚えてる?」
雄飛の言葉には、重さがある。それが錘になって、また私の心臓に乗っかってくる。
「なんて言ったっけ」
少し悲しそうな顔をして、笑う。そんな顔を見るのがやっぱり苦しくて、私は顔を背けた。こんな顔をさせてるのは私なのに。
「『終わるのが怖いから、始まりは嫌い』って。告白されて言う言葉じゃないよね」
くすりと笑った雄飛。2年前、お祭りの2日目。私はここで、雄飛に告白された。あのときの気持ちは、たぶん半分くらいは覚えている。
「んで、」
話を切り出す雄飛。何を言いたいのか私はわかっていた。
「アイツとは仲良くやってんの?」
雄飛は真顔だった。一番話さなければいけない話なのに、頭の中が真っ白になる。
「なんとか…っていうか、知ってるんだ、よね」
「当たり前じゃん、好きな人の好きな人のことくらいわかるよ」
すぐに返ってくる言葉。
すぐに出てこない言葉。
「私…ごめん」
黙って私を見つめる雄飛の瞳は、とても透き通っていて、直視するのは少し躊躇われた。でも、ここに雄飛が来てくれたってことは、意味があるんだろう。私は伝えなくちゃいけない。
「私、雄飛のこと、大好きだった。大好きなはずだった。なのに…」
時間の感覚が、なくなったようだった。
「今、私が大好きなのは、大地なの。大地と、付き合ってるの」
誰よりも私のことを大切にしてくれた人に、私は何を言ってるんだろうと思う。
「雄飛と別れたとき、私はもう大地のこと好きだった」
冷めた、という表現であっているのかわからない。私は雄飛と付き合うことにしたけれど、雄飛が私を愛してくれたように、私は雄飛のことを愛せなかった。本当は好きになりたかった。でも、好きになれなかった。中途半端なまま付き合って、ずっと別れを切り出そうか悩んでいた。そんなとき、私はいつも私の話を聞いてくれるクラスメイトの大地に惹かれてしまった。なにもかも、私がいけない。私が好きになるのは、大地じゃなくて雄飛のはずだった。そうじゃなきゃいけなかった。なのに、私は――。
「そうか…」
まるで、何もかも知っていたような口調だった。
「なのに…なのに、雄飛は、私を助けるために、死んだなんて。どう考えてもおかしいよ」
「それはなんにもおかしくないよ。だって俺が勝手にしたことだから」
雄飛の優しい言葉が私の心臓を刺す。引き抜きたら、血が止まらなくなるから、私はこのまま、痛みを受け止めなきゃいけない。
去年の秋、私は高校のそばを歩いていた。雄飛と別れてから数ヶ月が経ち、大地と付き合いはじめて1ヶ月が過ぎた頃であった。
夕方までひとりで残って練習をしていたせいで、帰り道はひとり。薄暗い通学路を、少し怖いなと感じながらとぼとぼ歩いた。あと少しで駅につくという曲がり角を曲がったとき、突然真っ白な光が私を包み込んだ。その後のことは、よく覚えていない。「秋帆ちゃん――っ!」そんな悲痛な声が聞こえたような気もする。抜け落ちた記憶は、私の頭で迷子になったまま、所定の位置には戻ってきていない。思い出せないのだ。気づいたら、私は病院のベッドにいた。数週間ほどの怪我だった。何も知らない検査入院生活の途中、雄飛が私をかばって死んだことを知らされた。意味がわからなかった。もう手遅れだと知ったとき、私の中で何かが壊れる音がした。
「ずっと言いたかったんだ。秋帆ちゃんが、ずっと罪悪感感じて、無理やり作った笑顔ばらまいて、そんなのらしくないよって」
何も言えなかった。何が正解なのかもわからなかった。
「大地なら、秋帆ちゃんのこと、絶対に幸せにしてくれる。今日の約束、覚えてくてれてありがとう」
「忘れるわけないでしょ」
私の頬を、涙が伝った。
本当は、大地と付き合ってていいのかもわからない。別れるべきなのかもしれない。それなのにもかかわらず、私と大地の関係を後押しする雄飛の人の良さが本当に理解できなかった。こんなにいい人、この世にいてたまるか、と思った。…もう、本当にいないのだけれど。
「そのネックレス、もうはずしなよ」
いつかの誕生日、雄飛が私のために買ってくれたネックレス。ピンクゴールドのネックレスが欲しくて、もらったときは飛び跳ねるほど喜んだ。
「死んだ人のことなんて、もう忘れていいのに」
悲しそうに笑う雄飛の顔を見るのがつらかった。私がこんな顔をさせている。
胸元の、ピンクゴールドが光る。私の、罪の記憶。でも、雄飛はそんなために私にプレゼントしたのではない。そんなことわかっている。でも、雄飛を忘れていくのが怖かった。忘れろとか言われても、私は忘れたくないのに。
「一生忘れない」
目に涙をためて、精一杯気持ちを込めて言った。苦しくて、悲しくて、でもそんなこと言う資格、私にはない。恋人として好きにはなれなかったけれど、人として、こんなにいい人がいないのはわかっている。
「秋帆ちゃん、元気でね」
雄飛は、私の頭を撫で、頬に触れた。そして、微笑んで、夜の闇に消えていってしまった。
「さようなら…」
誰もいない橋の上に、私の声が溢れる。もう、会うことはできないと、このときはじめて感じた。
雄飛の体温を感じる。まだ少し、頬に感触が残っているような気がした。
**********
2年前、高校2年生の夏。部活帰り。制服のまま浴衣も着ないでふたりでお祭りに飛び込んだ。提灯は夏祭りを実感させてくれたし、たくさんの人が騒いでいた。お囃子の音は夏を感じさせるし、ピンク色に焼ける空は夏の夕焼けそのものだった。けれど、私はそれに少し疲れてしまって、雄飛とお祭りの喧騒を抜け出した。
「秋帆ちゃん」
そもそも、なんでふたりで行ったかって言うと、先生に呼び出されてみんなにおいて行かれたからだ。でも、今ならわかる。きっとみんな、告白したい雄飛に気を遣って、わざと私たちを置いていったんだ。赤い橋上、ベンチに座って空を見上げる。ピンク色はどんどん薄くなって、夜の闇へと溶けていく。隣で、深呼吸する雄飛の息遣いが聞こえたきがした。
「俺、秋帆ちゃんのこと、すき」
突然の告白。私はたぶん、固まった。半分くらいしか覚えていないけれど、たぶんしばらく黙っていた。
「付き合ってください」
真っ直ぐなあの眼差しを、私はあのときも直視できなかった。
「私…終わるのが怖いから、始まりが嫌いなの」
そんな私の言葉に、雄飛は戸惑ったんだと思う。それで、ようやく絞り出した言葉は、
「幸せにしてみせるから」
そのひとことだった。なんだかそれは、ものすごく説得力があって、私は好きではなかったのに、告白に答えてしまった。
「でも、本当に私たち続くかな。私、あんま自信ないよ。仲悪くなりたくないし」
たぶん、そんなようなことを言ったのだと思う。改めて、未熟だったな、と自責の念に駆られる。
「そうなら…別れてたとしても、続いてたとしても、」
雄飛が意味のわからないことを言い出した。
「2年後、またここで会おうな」
はじめまして、またはお久しぶりです。
夕海と申します。
大学生になり、レポートに追われる毎日を過ごしています。
この話はどうしても書き残しておきたくて、2時間半の片道の通学時間を有効に使い、書き上げました。
5000字とかお話書く上では余裕なのに、なんでレポートになると2000字でもアップアップなのでしょうか笑
最後までお読みいただきありがとうございました!