地球のために払われる、小さな代償
※お化けは出ません
怪談話を期待された場合、この作品はハズレですのでご注意下さい
あなたはその行動を、愚かだと笑うだろうか。
就職活動中、一度でも落ち込まない、と言うひとはまれじゃないかと思う。
ましてわたしのように愚鈍な怠け者は、一向に手に出来ない内定に、常に暗雲立ち込めた気持ちだ。
さして努力もせずに入れるそこそこの高校を卒業し、そこそこの大学に入学して、ろくに勉強もせず、かと言ってバイトやサークルに熱を上げる訳でもなく、ただ漫然と学生生活を過ごし。これと言って特出した才能もなく、才能を補える努力もせず、英語力テストは受けていないことにした方がよほどマシな点数。
人見知りの上がり症で、控えめに言ってもコミュ障。顔面崩壊とまでは言っていないと思いたいが、かと言って美人ではない、と言うか、まあ、精一杯オブラートに包んでふくよか。福々しいと言えば、辛うじて長所に思えるか。
思い浮かぶことと言えば短所ばかりで、捻り出しても長所はない。才能もなければ努力もしないから特技もなくて、趣味と言えるほど精通したこともない。
はっきり言って、屑同然の人間だと思う。
自分で言うのもなんだが、落とした方が会社のためになる人間だし、わたしを取ろうと言う企業の気が知れない。
貴重な新入社員枠にわたしを入れてしまう時点でその会社の先行きが不安になるのだが、選べるほど受からないし就職はしたいし…。
まあ、うん。下手な鉄砲のごとく撒き散らしたエントリーシートのほんのいくつかが当たって、足を運んだ先のほとんどが徒労に終わるなか、ひとつでも拾ってくれる会社があった。
わたしのような矮小で劣った人間は、それで満足し幸運に感謝すべき、なのだろう。
この苦しみをもう一年繰り返す気力はないし、そもそももう一年やってもっとマシな企業に拾われるとも思えない。努力する気が、ないんだから。
自分でも、ほとほと屑だと思う。
結局、今まで歩いた道と大した変化もなく、そこそこの企業に入社して、そこそこの人生を歩むのだろう。
自分の屑っぷりにうんざりすると同時に、かたかたと組み立てられ先が見えて来る未来に、嫌気が差した。
とは言え、自分を変えるほどの気力もなければ、汚物は排除とばかりに自分を殺すような根性もない。…こんなことを言うと顰蹙を買うかもしれないが、自殺出来るほどのバイタリティがあるひとはすごいと思う。普通、自分を殺すための努力なんてする気も起きないだろう。ひとひとり殺すのって、けっこう大変だろうし。
とにかく自分の人生に希望も価値も見出だせなくなっていたとき、そのビラを見つけた。
『急募! 救世主!』
時代に取り残されたみたいな古ぼけた掲示板に貼り付けられた、そんな宗教勧誘みたいなビラ。いつもなら見向きもしないであろうそれに、なぜかそのときは引き寄せられた。
それだけ疲弊しきっていたのかもしれないし、なにか別の要因があったのかもしれない。
とにかくわたしはそのポスタービラに近付いて、内容を確かめた。
『あなたの手で地球を救いませんか?
経験・学歴不問
×××××さえあれば、誰でも大歓迎です。
報酬・待遇:……
詳細は、裏野ハイツ201号室(××町三丁目××-××)にて。
責任者:裏野ハイツ202号室 ×××××』
ビラは少し古く、ところどころ掠れて読みにくい。
汚れて見えなくなった部分を指で擦ってみる。
「……!」
ぱちりと、目をまたたいて、ビラに顔を近づけた。大した文章量でもないそのビラを、慎重に読み込む。
「………うん」
小さく頷くと、わたしは裏野ハイツの住所をメモし、スマホでビラの写真を撮ってその場をあとにした。
今時珍しい、木造二階建ての古びたアパート。駅まで徒歩圏内に残るには少しばかり条件が悪そうなアパートは、ぽつんと周囲から浮いて佇んでいた。
そんなどこか浮き世場馴れした建物が、ともすれば悪戯とも思えるビラの、真実味を強めたような気がした。
その決して高くはない建物を見上げる。
真昼だと言うのに空には薄く雲が立ち込めていて日差しの暖かさがない。
深く息を吸って、吐き出した。
「…………よし」
軋む階段を上って、その部屋の前に立つ。
201号室は、階段を上がってすぐの部屋だった。劣化して粉を吹いたプラスチックのインターフォンを、軽く押す。
キン…コォ…ン
くぐもってひび割れたチャイムが、かすかに鳴った。
「はい、なんでしょう」
しわがれた女性の声と共に、薄そうな扉が小さな軋みを響かせて開かれる。現れたのは、七十代くらいのひとの良さそうな老婆だった。
あのビラから想像したものとの解離に、悪戯だったか、と思う。
「どうかしましたか?」
「あ、あの…」
本当ならそれで良いし、もし悪戯だとしても、このお婆さんには知らせるべきだろう。そう結論付けて、スマホで撮ったビラの写真をお婆さんに見せた。
「この、ポスターを見て、来たんですけど…」
お婆さんが目を見開いて、わたしを見上げる。
「そんな…あなたのような、若いお嬢さんが…」
どこかショックを受けたようなお婆さんの声で、ビラが悪戯でないことを確信した。
お婆さんを見下ろして、言う。
「良いんです。だから、」
「…わかりました、入ってちょうだい」
悲しそうに視線を下げたお婆さんは、諦めたようにわたしを室内に招いた。
玄関を入ってすぐが、ダイニングキッチンだった。出された古びてはいるが可愛らしいスリッパで、安っぽいフローリングの床を踏む。
木製のテーブルセットが置かれたそこは、わたしの父母が住む実家と比べれば古めかしいが、祖父母の家と比べれば新しい、どっち付かずで余所余所しい部屋だった。まるでテレビの向こうに入り込んだような、そんな現実味のない異質な感覚に襲われる。
「いま、お茶を淹れますから」
「あ、はい。ありがとうございます」
居心地の悪さを感じながら、勧められて椅子に着く。
ふと、テーブルの端に置かれた写真立てに目が留まる。
色褪せてボロボロになってはいるが、幼い兄弟が写されたカラー写真だ。
「お孫さんですか?」
「ええ。可愛いでしょう?」
「そうですね」
振り向いたお婆さんが、目を皺に埋めて頬笑む。その光景は、とても微笑ましいものだったが、不意に違和感に襲われた。
七十代、と言えば、わたしの祖父母と同じか少し若いくらいの年代だ。つまり彼女の孫ならば、わたしと同じくらいかそれより若い年齢のはず。
アルバムに閉じてしまい込んでいるのでなければ、劣化も早まるだろう。何度も写真立てから取り出して、眺めているのかもしれない。
けれど。
写真に写る兄弟は、恐らく十歳前後だ。
わたしと同じ年齢なら、十年ちょっと前の写真。
十年前の写真が、ここまでボロボロに色褪せるものだろうか。
写真立てに、飾られているのに?
自分の考えにぞくりとしたところで、こん、と目の前に緑茶が置かれた。
はっとして、写真から視線を剥がす。
彼女が何歳だろうが、その孫がなんであろうが、わたしには関係ない。
「ありがとうございます。いただきます」
いやに渇いてしまった喉を潤すために、温かい緑茶に手を伸ばす。一番茶を濃く淹れてくれたのか、濃い色の緑茶は少し苦かった。
「詳細、と言っても、ビラに書いてあることと大して変わらないのですけどね」
前置きしてから、お婆さんが説明をする。途中何度もわたしの意思を変えさせようとする言葉が混じった以外は、ビラに書かれていたことをなぞるだけの内容だった。
「ほかになにか、訊きたいことはあるかしら?」
「…報酬は、確実なんですよね?」
「ええ、それは…約束します」
お婆さんは頷いたが、やはり気乗りはしなさそうだった。
「本当に、やめる気はないの?」
説明のあいだも何度も言われた言葉を、また投げ掛けられる。
「やめる気はありません。それで、わたしはどうすれば良いんですか?」
頑なに意思を変えないわたしにお婆さんは項垂れ、それでも立ち上がって、奥からひとつ鍵を持って来た。
「この鍵を使って、202号室に入って。間取りはこの部屋と同じだから、入ったらあの扉の向こうに行ってちょうだい。そこに、居るわ」
なにが、とは、言わなかった。
鍵を受け取ろうと伸ばした手から、お婆さんが鍵を隠す。
「戻るなら、今よ。こんなこと、あなたのような若い子がすべきじゃないわ」
「良いんです。鍵を、下さい」
痩せてしわくちゃになった枯れ枝のような手が、銀色の鍵を握り締める。鍵にはどこか不気味な紋様の刻まれた、キーホルダーが付けられていた。
「家族も、いるんでしょう?悲しむわよ?」
「良いんです。報酬、ちゃんと入るんでしょう?」
綺麗事なんていくらでも言える。たとえ家族を悲しませても、報酬と地球を救うことの方が大きいだろう。
鍵を渡せと、わたしは老婆に掌を突き出した。
「さあ、渡して下さい」
「……」
ちゃり、と掌に落とされた鍵は、お婆さんの体温が移って暖かかった。
少なくとも、幽霊やゾンビではなさそうだななんて、馬鹿なことを考える。
「ありがとうございます」
渡された鍵を握って、扉に向かう。
お婆さんがなにか言う前に振り向いて、靴を履きながら言った。
「お茶、美味しかったです。さようなら」
「…さようなら」
軽い扉を開け、閉じる。202号室はすぐ隣。三つ並んだ部屋の、真ん中だ。
奥の部屋は空き部屋らしく、新聞受けが白い養生テープで塞がれていた。
部屋を出てまで留める気はないのか、決まりでもあるのか、201号室のお婆さんが追って来ることはない。
たぶん黙って開けて良いのだろうが、申し訳程度にインターフォンを鳴らした。
「……………」
なにかの気配は感じるような気がするのだが、返事もこちらに来る足音もない。
大きく息を吐いて、鍵を挿す前にノブを回してみる。ガチッと言う手応え。施錠されているようだ。
渡された鍵を、鍵穴に挿し込んで捻る。わずかな抵抗を返して難なく鍵は回り、かちり、と扉が解錠される。
部屋から、物音はしない。
鍵を抜き、もういちどノブを握った掌は、じっとりと汗ばんでいた。
ゆっくりとノブを回し、そうっと扉を開ける。きい、とかすかにきしんだ扉の音に、びくりと肩が震えた。
薄く軽い扉のはずなのに、分厚い鉄扉のように重たく感じた。
薄く開いた扉から漏れ出る、閉じ込められ黴臭くなった空気。
開いた扉の向こうには、なにも居なかった。ただ、奥の扉の向こうの気配を、強く感じる。
見回した部屋はついさっきまで居た部屋と同じ間取りのはずなのに、ものがなさ過ぎて全く違う印象を与えた。
がらんどうの部屋は、とても広く見える。
どのくらい、掃除をしていないのだろうか。
フローリングは艶をなくし、一面に埃が積もっていた。目をやったシンクも乾ききり、蛇口が埃を被っている。
一面に、均等に埃が積もっているなら、ただの汚い空き家と思っただろう。
しかし埃の上には、いくつもの靴跡が残っていた。
奥の扉へ一直線に向かう、いくつもの靴跡。そのせいで、その一筋だけ道のように埃が薄い。
奥に向かう靴跡は何種類もあるのに、こちらに戻る靴跡は一種類だけだった。
ちょうど、背の低い女性くらいの、小さな靴跡。ほかは一度きりの一方通行なのに、その靴跡だけは何度も往復している。いちばん新しいのも、その靴跡のようだ。
『あなたのような若い子が、やるべきことじゃない』
何度もお婆さんに言われた言葉が、甦る。
たぶんこれが、戻れるラストチャンスだろう。踏み出してしまえば、もう、戻れない。
「………………、」
いちど目をきつくつむり、開いた。
靴を脱ぐ必要は、なさそうだ。
数多くの救世主と、同じ轍を踏む。
ちゃり、と、手のなかで鍵が鳴った。
一歩進むごとに、重圧を増す気配。
あの扉の向こうにいるのは、どう考えても人間じゃない。
言いようのない恐怖に膝が笑いそうなのに、わたしの足は吸い寄せられるように奥の扉へと進んだ。
駄目だ。やっぱり、戻らないと。
そう思うのに、足はもう止まらない。
駄目だ。嫌だ。
広いと感じたはずの部屋なのに、数歩歩けばあっけなく奥の扉へ辿り着いてしまう。
開けては、いけない。
頭に浮かぶ思いとは裏腹に、わたしの右手はノブに伸びていた。震える手がノブに掛かり、扉を、開く。
「…………………」
そこに、いた。
ちゃりん、と握っていた鍵が床に落ちる。
「…ぁ……………………」
声も、出なかった。
同じ空間に身を置いた瞬間、考えるまでもなく、理解する。
敵わない、と。
それだけで身体が昇華してしまいそうな威圧感と恐怖。何者かに五臓六腑を弄ばれるような、言いようのない不快な感情のざわめき。
めまいを起こしてくずおれるわたしを、ソレは優しく受け留めた。
ああ、これでまた数日、地球の寿命が延びるのか。
夕焼けに赤く染められた扉が、きい、と軋む音を響かせて開く。
がらんとしたひとけのない部屋に、ぱた、と小さな足音が響いた。
靴は脱がないまま、小さな足がフローリングの床を踏む。
開いたままの扉のすぐ奥に、夕焼け色に染まった鍵が転がっていた。
しわの刻まれた細い手が、その鍵を掴む。
部屋の主には目もくれず、老婆は鍵を回収して扉を閉める。
無言で来た道のりを戻り、部屋を出る。玄関扉に背を向けたまま、低く呟いた。
「あんな若い子を引き込むなんて、趣味が悪い…」
くくっと、まるでなにかが嗤笑したような音は、はたしてどこから聞こえたのか。
老婆が玄関扉に向き直り、その薄い扉に鍵を掛ける。
鍵なんて、アレの前には意味なんてない。この鍵は部屋の中のものを出さないためではなく、部屋の外のものが間違って入ってしまわないようにするためのものだ。
間違っても、覚悟なきものがアレと出会わぬように。
しっかり鍵が掛けられていることを確認して、老婆は202号室をあとにした。
あなたの手で、地球を救いませんか?
死ぬ覚悟さえあれば、誰でも大歓迎です。
拙い作品をお読み頂きありがとうございました
こんな救い様のないクトゥルフシナリオを作りたいなぁ…って
どこでダイスを振っているかを想像しながら読み返すと
また別の楽しみ方が出来るかもしれません
きっと聞き耳と目星は持っています
アイディアもそれなりに高いはず
しかし
探索者はシナリオ開始前にシュウ=カツと言う恐ろしい怪物に出会っているため
開始時点で正気度ポイントがかなり削られています
シュウ=カツ…なんて恐ろしい化けものなんだ…。・゜゜(ノД`)
宇宙的恐怖を感じて頂けていると嬉しいです