<第四七章 動乱 前編>
長くなったので前後編に分けます。
師走が近づき街が慌ただしくなってきた。
といっても例の北海道の事件以来俺が街中へ出かけるのは夜のお楽しみだけになっている。
新聞の記事やみんなの話からそう感じるだけだ。
変わったことというとラジオを買った。
この家に来たときにラジオも用意されていたが、そのとき俺はラジオの声を理解することができなかった。
ラジオ経由だと魔法が効かなかったのだ。
魔法は相手の頭へ働きかけるので、対象が目の前に居ないと使えない。
それで無用だと取り上げられたのだ。
最近、日本語も魔法無しでほとんど理解できるようになってきたので、練習がてらラジオを聞くことにした。
落語とか特殊なものはまだ理解できないが、ニュースは難しい言葉をのぞいてだいたい分かる。
ラジオは新聞と違って、他のことをやりながらでも聞けるので耳を慣らすのに良さそうだ。
ほかに最近は静子の勉強会が特に厳しくなってきた。
静子との日本語の勉強が始まって二年以上が過ぎている。
当初の予定では三年で終わらせる予定だった。
あと三か月でその三年になる。
それで計画を守ろうと静子は焦っているのだ。
もうほとんどの漢字は読めるからそれで十分だと思うのに、静子としてはまだまだらしい。
「ことわざとかまで覚えてたら、キリがないよ」というと、
「いえ、小学校程度のことは知っていないと、いつ正体が漏れるかもしれません」
と静子は怒り出すのだ。
仕方が無いので俺は静子の好きにさせて勉強に付き合っている。
勉強は高原先生との科学の授業もある。
こっちは特に期限が決められていないので、順調に楽しみながら勉強している。
どの内容もツユアツに帰れば使えそうな内容ばかりだ。
それに魔法との理論融合にも役立つ。
そんな落ち着いた日常を送っていたら、教授が電話がかかってきた。
「義雄君、折り入って頼みがあるのだが」
教授が珍しく低姿勢だ。
これは絶対に面倒なヤツだ。
しかも、とびきり危ない予感がする。
「お断りします」
「まあ、そう言わずに話くらい聞いてほしい」
「いえ、聞くと断りにくくなります」
「そう言うが、この国の未来に関する重大な話だ。
詳しいことは電話で話せない。
今日の夕方に行くから科学の授業時間に二人で話そう。
高原君には私のほうから連絡しておくよ。
それでは、後で会おう」
教授は一方的に電話を切ってしまった。
俺は憤慨したが、教授には少し借りがある。
俺が治癒魔法を使えることを黙ってもらっている。
治癒魔法を他の人に知られるときっと面倒なことになる。
仕方ないから話だけでも聞くことにした。
最近というかこの国に来てから仕方ないことが多くて嫌になる。
たまに、ふと家出したくなるが、その後のことを考えて諦める。
そんなことが何度かあった。
今度こそは流されないぞと思いながらも、やっぱり言われるがままに流されそうな気もする。
半分は諦めてしまっている。
約束通り教授は四時少し前にやって来た。
北海道事件以来初めての訪問になる。
いつもより元気が無いというか殊勝な態度をしている。
そして、おかしなことに変装している。
いつも背広しか着ないのに今日は和服姿に山高帽という姿で、小説家か隠居した商売人という雰囲気だ。
俺との関係を隠そうと一応意識しているのだろう。
「やあ、すまないね。高原君の時間に。
授業は順調かな」
「とても興味深いですよ。
元の世界へ戻ったら色々役に立ちそうです」
「それは何よりだ。
何か問題は無いかね」
「忙しすぎることくらいですかね。
それで自分の魔法の研究がはかどりません。
いつになったら国へ帰れるのやら」
「それは申し訳ない。
時間のこと以外なら相談に乗れるのだがな。
この国はまだまだ貧しいから義雄君に頑張ってもらうしかないのだ。
それに、新しい魔法は難しいのだろ。
君の師匠も一生を掛けて異世界との連絡魔法を作ったんだし、焦らないでじっくり研究すれば良い」
教授がなかなか本題に入らない。
そんなに話しにくい内容なのか。
「それで、お話しというのは」
「ああ、そうだな、その話をしないとな――」
教授の話はまたかというか、やはりというものだった。
「来年度の予算の話が進むにつれて軍部の中で不満が高まっている。
特に海軍だな。
青年士官と言われる尉官達の中で不穏な動きがある。
すでに具体的な準備に入っているという話もある。
そこで義雄君にはその辺りのことを探って欲しいのだ」
「今度は海軍ですか」
以前満州へ行った時は陸軍士官が対象だった。
そりゃあ陸軍で不満があれば、海軍でもあるというものだ。
それにしてもこの国の軍人は反乱を当然とでも考えているのだろうか。
俺の国と違って選挙があるのだから、選挙権を使えば良いのにと思ってしまう。
「それで内務省から何とかならないかと話が来た」
「なぜ、内務省? 海軍ではなくて?」
「警察は内務省の管轄なのだ。
内務省はこれを機会に軍の力を削ぎたいのだろう。
内務省と軍は権勢を争っているからな」
「でも内務省に手を貸すと軍との関係が悪くなるんじゃないですか」
「それは仕方ない。一応海軍の山口大佐にはそれとなく連絡したが、また何かで埋め合わせするよ。
それでどうだろう。協力してもらえないだろうか」
「んんぅー……」
どうするか。
一度似たようなことをやっているから、できないこともなさそうだ。
だが、面倒だし、多少の危険はある。
でも、教授への借りは返しておきたい。
「内乱が成功すると軍部が政権を担うことになる。
そうなると日本は戦争への道を進むことになるぞ。
それは義雄君も望まないだろう」
教授が畳みかけてくる。いつもの手だ。
「とりあえず、警察の関係者に会って詳しい話だけでも聞いてもらえないか。
それで無理だと思ったら断ってくれて良い。
さすがに話も聞かずに断ったのでは内務省側が気を悪くする」
「なぜ、内務省の頼みなんか聞くんですか。
偉い人達の間で決まった正式な話ではないみたいですが」
これが正式な話なら教授はもっと強く出てきているはずだ。
ということは非公式なのだろう。
「関係者の内諾は得ているが、たしかに正式な話ではない。
存在するかどうかも分からん反乱計画に虎の子の義雄君を使うのはいかがなものかという意見もある。
よってこれは正式な仕事ではない。
私からのお願いだ。
内容は話せないが内務省とは別件で詰めている話がある。
それもあって内務省に貸しを一つ作りたい。
できるならば義雄君に手伝ってもらいたい」
教授が俺の顔をうかがう。
そんなことをするのも教授らしくない。
教授はかなり困っているのかもしれない。
半分正式ではない依頼で、もし俺が怪我でもしたら責任問題になりかねない。
それでも俺へ頼みに来ている
少し考えてから俺は答えた。
「わかりました。警察の話を聞きましょう。
それから改めて考えさせてもらいます。
これで教授との貸し借りは無しですよ」
「義雄君に貸しは無いはずだが、そういうことにしよう。
よろしく頼むよ」
教授のホッとした表情に、俺は何か良い事でもしたかのような気分になった。。
数日後、深夜人目を避けて俺は秘密裏に警視庁へ入った。
警視庁までは次郎が同行した。
普段は忘れているが次郎は警視庁の所属なのだ。
当然場所を知っているし、裏口も知っている。
建物に入ると案内の人が居て、俺は一人で部屋に通された。
そこには既に二人の年配の男が居た。
二人とも初めて見る顔だ。
「御足労申し訳ない。名乗ることは遠慮させてもらうが、我々は警保局と警視庁の者だ」
教授から事前情報として警保局と警視庁の仲は悪いと聞いていたので意外だ。
「初めまして義雄です。詳しい話を聞かせてください」
「そうだな、早く終わらせよう。
では、これを見てくれ」
一人の男が数枚の紙を出した。
それには日本語の文字が書き連ねてある。
俺のことを考えてか漢字にはすべて仮名が振ってある。
「大まかなことは松川氏から聞いていると思うが、それから事態はさらに緊迫している。
軍内へ潜り込ませてある手の者――」
「手の者?」
「ああ、軍内に犬を潜り込ませてある」
犬という表現に俺が嫌そうな顔をすると、
「もちろん、警察の中でも軍の犬が嗅ぎまわっていると思うがな。
お互い様だ。
まあそれで軍の内部で不穏な動きがあることが分かった。
それも不満を言い合っているという程度ではなく、既に具体的な内乱計画の段階に入っている兆候がある。
彼らは毎週のように会合を重ねている。
しかも用心のためか毎回場所を変えている。
そのせいもあり我々は全貌を掴めないでいる」
そこでもう一人の男が発言した。
「我々は裏で艦隊派が糸を引いているのではないかと考えているが、本当の黒幕まではつかめておらん。
青年将校だけで内乱を成功させるのは難しい。
何しろ金が無い。
奴らは毎週のように料亭で会合を重ねている、
裏で誰かが資金を提供している。
そこまで分かるのが一番良いが、最低でも奴らの反乱の証拠は掴みたい。
そこで、君に助力を頼むことになった」
「内乱が起こってからでは遅いからな。
陛下のおわすこの帝都で騒乱などあってはならん。
内乱陰謀罪はれっきとした刑法犯だ。
刑法犯は警察が取り締まらねばならん。
何があろうとも必ず警察の手で阻止する。
それが治安を託された我々の使命なのだ」
きれいごとすぎる気もするが、内乱は起きないに越したことはない。
そこでいくつか気になっていることを聞いてみる。
「なぜ海軍で捕まえないのですか」
「海軍に憲兵隊はないからな。
彼らも独自に捜査はしておるみたいだがどうしても限界がある。
賊も馬鹿ではないから身内の目には注意しているはずだ。
そして、陸軍の憲兵に頼るくらいなら、まだ警察のほうがましなのだろう」
「それに、計画が本物で首謀者達を逮捕した場合に処分に困る」
もう一人が付け加えた。
「どういうことですか」
「世論がどう動くか分からない。
もし世間が厳罰を希望した場合、海軍上層部は刑の軽減を求める内部と国民との間で板挟みになってしまう。
それが警察に逮捕されたのなら粛々と従えば良い。
批判は裁判所や政府が受けることになる」
「なるほど。
それから、そもそも海軍が反乱を起こして成功するものなんですか。
海軍は船が専門でしょう。
陸の上で戦えるのですか」
「海軍には陸戦隊というものがあるし、海軍基地防衛のための部隊も居る。
それらを使うつもりだろうが、まあ、成功は難しいだろう。
普通に考えたら陸軍が鎮圧して終わりだ。
戦艦を東京湾へ派遣して艦砲で脅すという手もあるが、宮城方向へ砲を向ける不敬に多くの者は反感を覚えるだろう」
似たような話をこの国の歴史で聞いたことがある。
何とかの門の変だ。
「ではなぜ、彼らは反乱を計画しているのでしょう」
「本人達は成功すると考えているか、それか政権奪取が目的ではない可能性もある」
「では何を目的に」
「自分達の主張を陛下へ奏上するとか、ラジオや新聞で発表させることかもしれん。
自分達は成功しなくても、後に続く者が出ると考えているのかもしれん。
国民を目覚めさせるための捨て石になろうというのだろう」
俺からするとひどく自己犠牲的な考えだが、この国の人間の言動からするとあり得ると思える。
貴族や政府・軍の高官の忠誠心が高いのは分かるが、この国では下級兵士や一般民衆までも天皇や国に対する忠誠心が高い。
「最後に失礼ですが、警保局と警視庁は仲が悪いと聞いていたのですが」
「君は際どいことを聞いてくる男だな。
隠しても仕方ないから話すが、我々は互いに競い合い張り合っている。
だが利害が一致すれば手を結ぶこともあるということだ」
だいたいの事情は分かった。
そこで一人目の男が一枚の写真を出した。
「これが首謀者の中心と思われる男だ」
警察官僚は一枚の写真と紙を出した。
「最近頻繁に会合を繰り返しておるが、なかなか尻尾を出さない。
名前、所属などの詳細はこの紙に書いてある」
そこには海軍中尉児玉忠志と書いてある。
「彼は以前同期の藤田が行っていた勉強会に参加していた。
農村の窮状を憂い軍部主体による日本改革の思想を持つ者の集まりだ。
それが三年前に藤田が突然いなくなった。
何の前触れも無く、遺書や置き手紙も無い。
まるで神隠しにあったように一切の痕跡を残さず消えた。
警察も軍も捜索したが見つからない。
児玉は藤田が政府か軍に秘密裏に粛清されたと考えている。
だが、我々の知る限り政府が動いた形跡はない。
もちろん知らないところで誰かが動いたのかもしれんし、軍内部の犯行かもしれんがおそらく違うだろう。
それ以来児玉は親友の遺志を継ぐべしと強い意志で動いている」
三年前か、俺がこっちの世界へ来たころだな。
んんっ……。
神隠し?
まさか!
嫌な予想が頭をよぎる。
顔色が変わるのを見られたかもしれない。
ここで迂闊なことを言うのは、まずい気がする。
後日毅か教授に調べてもらおう。
この予想が正しいなら、今回の件の遠因は俺にあるということになる。
となると俺が解決するのが筋というものだ。
「奴らは料亭で何度か会合を重ねているが、児玉は毎回必ず参加している。
それも児玉を最重要人物と考える根拠の一つだ。
その集会に潜入して黒幕の情報や反乱の証拠物件の存在を確認して欲しい。
君の合図があり次第、近くの警察署で待機している特別警備隊が料亭を急襲し奴らを逮捕する。
奴らは軍刀を持っておるから流血の事態になるやもしれん。
突入の瞬間に無力化してくれたら助かる。
できれば血を流したくない。
それが上の意向でもある」
「分かりました。試しに何度かやってみましょう。
それで見込みが無いようなら諦めてください。
私には他にも仕事があります」
「了解した。それで良い。よろしく頼む」
二人の男が揃って頭を下げた。
それから俺は細かい段取りの打ち合わせをしてから家路についた。
それにしても何で軍人って料亭が好きなんだろう。
農村の窮状を憂いながら料亭へ行くという考えも分からない。
農村うんぬんというのは半分言い訳ではないのか。
単に自分達の思い通りにならない政治が気に入らないだけの気がする。
翌日俺は教授に電話した。
俺からの連絡を待っていたのか、教授はすぐにつかまった。
「義雄君、どうなった」
「とりあえずやってみます。それで調べてもらいたいことがあるのですが
「今回の件に関係することか」
「はい」
「分かった。何を調べれば良い」
「海軍士官の児玉中尉の同期で三年前に失踪したという藤田という男について、失踪当時の状況をできるだけ詳しく」
「そのくらいなら、すぐに分かるだろう。分かりしだい、資料を届けるよ」
「よろしくお願いします」
その日の夜から俺は潜入のために待機することになった。
間に合えば今晩後編を更新します。




