<第四三章 ホワイトハウス 後編>
大統領の予定は朝、日本大使館からの連絡で分かる。
毎朝日課の文書配達の時に、大統領の予定表が置いてある。
分からない部分もあるが、確実に居ない場合も分かる。
それだけでも役に立つ。
侵入方法は考えてある。
まずは見物客の振りをして道路から建物を見る。
夜は人が少なくなるがそれでも居ないこともない。
しばらくならそこに居ても不審に思われないだろう。
そして、探査魔法で人の配置を確認。
道路から人通りが無くなったのを見計らって警備員の死角へ転移。
警備員を隠密魔法で無力化する。
そして次の警備員の死角へ転移。
これを繰り返して、大統領執務室の窓まで接近する。
室内を確認後、中へ潜入する。
言葉にすれば簡単だが、問題もある。
犬を連れて巡回している人だ。
これは風向き次第だ。
運が悪ければ中止せざるを得ない。
作戦決行の朝、家まで毅が見送りに来た。
「もう何も言わん。義雄君、期待している」
俺は持ち物の最終確認をする。
写真機と鉛筆と紙に画板。
画板は立ったまま記録を取れるようにだ。
念のため音が出ないように裏には布が張り付けてある。
問題無い。
「行ってきます」
俺はワシントンの日本大使館へ飛んだ。
大使館でで大使と合流し車でホワイトハウスへ向かう。
車の数は少ない。
首都だけあって治安が良いのか夜でも多少の人通りがある。
月はほぼ満月、俺にとっては明るすぎる。
もっと暗いほうが良いが仕方が無い。
風はほぼ無風。
風向きを考えなくて良い。
車を少し離れた所で止めて大使と二人で歩く。
ここからは時間が重要になる。
長時間立ち止まったり、何度も往復すると不審に思われる。
歩きながら探査で警備の配置を最終確認する。
今夜も当然のように巡回している人が居る。
歩きながら機会をうかがう。
巡回の人が段々離れていっている。
周りの人通りも途切れている。
よし、今だ。行こう。
「行きます」
「成功を祈る」
大使と短い言葉を交わして俺は官邸敷地内へ転移した。
時間が無い。
まずは一人目の警備員に隠密魔法を掛ける。
成功。
ここから先は通りからは見えない場所で未知の世界だ。
見取り図では確認しているが、図と実際は違うだろう。
音を立てないようにこっそりと、かつ素早く次の警備員が見える位置へ移動する。
地面に罠が無いことを祈るばかりだ。
そして、また転移した。
二人目の警備員にも隠密魔法を掛ける。
そして、また移動。
合計三人の警備員に魔法を掛けて、ようやく執務室近くへたどり着いた。
そこで俺は大いに落胆した。
執務室に明かりがついていない。
すなわち誰も居ないのだ。
念のため室内を探査で探るが、やはり人は居ない。
念のため窓から執務室内を目視で確認する。
室内は真っ暗で誰も居ない。
寝るには早いし、食事には遅い時間だ。
どこか別の場所で会議をしているか、家族団らんでもしているのか。
考えても仕方が無い。
俺は視覚強化をしてから室内へ転移した。
視覚強化のおかげで薄ぼんやりと室内の様子が分かる。
窓際に大きな机と椅子、その先には低い長机と椅子がある。
簡単な打ち合わせはそこでするのだろう。
机の上に書類は無かった。
まあそうだろう。
掃除の人も来るし、大切なものは片付けておくだろう。
大統領はきちんとしているようだ。
次に引き出しを探す。
一番上の引き出しには文房具しかない。
中に短刀みたいなものがあり、一瞬驚いた。
だが、すぐにペーパーナイフだと気付いた。
そういえば、欧州のホテルでも置いてあることがあった。
二段目以降の引き出しには鍵がかかっていて開けられない。
がっかりだ。
やることがなくなってしまった。
これだけ苦労と緊張して収穫が何もないとは。
このままでは帰れない。
人が入ってきてもすぐに見つからないように家具の陰に隠れて俺はひたすら待った。
窓の外で待つと犬に匂いで感づかれる恐れがあるので、ここで待つしかない。
小一時間待っていたが人が来る気配はない。
仕方が無い、今日のところは諦めよう。
俺は転移で家へ帰った。
家では毅が待っていた。
「義雄君、どうだった」
毅が焦るように聞いてくる。
「室内には入れました」
「おお、それで」
「一時間ほど待ちましたが誰も来ません。
それに書類も置いてありません。
役に立ちそうなものは何もありませんでした」
「そうか……」
毅は見るからに落胆している。
俺のせいではないからどうしようもない。
「明日もまた行ってくれるか」
「分かりました」
俺もこのまま終わるのはくやしい。
その日から毎日俺はホワイトハウスへ潜入した。
だが、結果は芳しくない。
二日目は大統領執務室に明かりがついていた。
これは誰かいると、俺は緊張と興奮しながら窓へ近づいた。
窓に背を向け椅子に座る大統領らしき人、それに向かい立って大統領へ報告する人。
この人は毅に見せられた写真に居なかった気がする。
二人ならいけると俺は隠密魔法を掛け室内へ転移した。
部屋の隅で二人の会話を聞くが期待外れの内容だった。
民主党がどうの、共和党がどうの、どこどこ州がどうのと選挙に関する話ばかりだった。
しばらく聞いていたが、話題は変わりそうにない。
この人は選挙専門の関係者なのかもしれない。
その日も俺は諦めて家へ帰った。
その後も潜入を続けた。
毎回成功したわけではない。
風向きや人通りの関係で潜入を断念した日もある。
ある時は大統領不在で、ある時は大統領が一人で書類を読んでいた。
書類は英語なので俺はほとんど読めない。
簡単な英文法は習っているが知らない単語が多すぎて分からないのだ。
写真機は音で気付かれる恐れがあるので使えない。
大統領が報告を受けていることも何回かあった。
それは選挙だったり、翌日の予定だったり、誰かからの陳情だったりと、日本にとってどうでも良いことばかりだった。
米国内経済の話もあったが、要約すると景気は悪いままという新鮮味の無いものだ。
毅は毎回家で待っている。
「また、駄目でした」
「そうか、ご苦労だった」
二人の間で諦めの空気が広がる。
無理かもしれないと思いながらも潜入を続けた。
毅としてもこれで何も成果が無ければまずいのだろう。
止めようとは言わなかった。
何回目なのか数えるのも面倒になった頃、ついに好機がやって来た。
長机を挟んで三人の男が話し合いをしている。
俺は心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じながら室内へ潜入した。
男達は大統領、国務長官、大統領補佐官の三人。
いずれも毅に見せられた写真に居た。
重要人物上位三位といってよい三人だ。
「それで、イギリスの反応はどうだ」と大統領
「芳しくありませんが、反対するほどではありません。
イギリスには香港がありますから我が国ほどこの件に関して重要性、緊急性がありません」と国務長官
「それは最初から分かっている。
それでも我が国一国の要求と英国との共同要求では天と地も違う。
もっと条件を譲歩してでもイギリスを引きずり込むのだ。
時間が無い。一週間以内でイギリスから承諾を貰って欲しい」
「分かりました」
何のことだ。
もう少し早く潜入できていれば話を最初から聞くことができたのに。
惜しい。
「それで、補佐官、影響の検討は」
「だいたい終わりました。
結論から言うと大幅な輸出増が見込めます」
「ほう、詳しい話を聞こうか」
「はい。
我が国から日本への――」
出た。日本の話だ。
俺の心臓がドクンといった。
興奮しそうになるのを押さえて耳に意識を集中する。
「輸出品目は主に綿花、石油、鉄、自動車及び自動車部品、工作機械です。
このうち石油は満州で油田が発見されたことにより輸出減が見込まれていました。
しかし、現地からの情報ではどうやら石油の質が悪くガソリン製造には向かないようです。
重油、灯油に関しては量が減るかもしれませんがガソリンはあまり影響がないようです」
「それで日本はガソリンの輸入拡大を言ってきていたのか」
「おそらくそうでしょう。
重油も関税がかからなければ当面満州産の原油と価格と対抗できます。
当初は設備投資費の回収をしなければなりませんから。
ただし、十年先に油田の規模が拡大すれば我が国の重油のライバルになる可能性があります。
なんせ人件費が安いですから」
「満州の油田はそんなに大きいのか」
「情報が足りません。
可能性の一つとして考えておくべきかと」
「十年後のことは次の政権だ。
それは彼らが考えるだろう。
それに二十年後は中国が統一されて我が国の影響下にあれば問題は無い」
興味深いというか恐ろしい話がどんどん出てくる。
俺は音に気を付けながら、重要な言葉を書き留めていく。
「石油以外はどうなんだ」
「一番影響が大きいのは綿です。
日本は我が国やインドから綿花を輸入し、それを綿糸、綿製品に加工し輸出しています。
関税が無くなれば日本産の安価な綿製品が我が国とイギリスへ入ってきます。
原料は我々からの供給ですので影響は限定的です。
さらに言えば、綿花の輸出増で南部の票が見込めます。
綿工業の反発が予想されますが、自動車と工作機械の輸出が伸びればマイナスは抑えられます」
「それはいい。
わが共和党が南部の票を落とすわけにはいかないからな」
「他に日本が世界シェアの多くを握っている物を考慮すべきでしょう」
「何がある」
「工業用ダイヤモンド、タングステン、キニーネ――マラリヤの特効薬です、医療用大麻、除虫菊、絹などがあります。
このうち除虫菊と絹については化学的に生産される物質での代替が近い内に実現します。
キニーネ、医療用大麻は中米での生産が可能です。
年単位の時間が必要ですが。
タングステンは中国で鉱山の候補が見つかっています。
問題なのは工業用ダイヤモンドです。
自国内で生産できる一部の国をのぞいて日本依存率がほぼ100%になっています。
日本からの輸入が途絶えた場合、南アフリカの鉱山を復活させる手はありますが、どうしてもタイムラグがある」
「買収できないのか」
「鉱山が皇室財産であり、民間企業に採掘を委託する形となっていて手が出せません。
価格が安い今の内にある程度国家備蓄を検討すべきだと思います」
「それくらいなら何とかなるな」
「以上のことを踏まえて検討すると自動車の価格低下により普及に拍車がかかり、自動車とガソリンの需要増が見込まれます。
また、日本の自動車産業に大打撃を与えることができます。
これらにより我が国の対日輸出額は一割から二割増加する計算です。
逆に日本からの輸入の増加はその半分程度で、貿易黒字が増加する見込みです。
ただ、懸念材料もあります」
「何だ、まだあるのか」
「日本がガソリンや自動車に特別税を掛けることと国内産の物に補助金を出すことです。
この場合、輸出は伸びません」
「それは非関税障壁だと抗議すれば良い。
綿製品に対抗措置を取ると脅すこともできるし、日本が自ら悪役になってくれたら何よりだ」
俺には難しすぎる話だ。
それに毅の想定を大きく超えている気がする。
とりあえず、できるだけ会話を記録しよう。
これを聞いた時の毅の顔が楽しみだ。
「いずれにしろ日本は対支対ソの足場として言うことを聞くようにしなければならない。
日本が独自の動きをしたり、共産化したりは絶対にあってはならない。
現在日本は米国よりも経済の復調が早い。
このままではますます日本の力が強くなる。
日本に許されるのは軽工業までだ。
最大限に譲歩しても国内用の造船、航空機、自動車まで。
それも我が国より技術的に劣る物でなければならない。
他のアジア諸国より少しだけ裕福な状況で、我が国のコントロール下で手先になってもらう。
それなのに、海南島はおろか東沙、西沙、南沙群島にまで手を出そうとするとは言語道断だ。
明らかに我らが支配下のフィリピンと中国を分断しようとしている。
こんなことはあってはならない。
我が国が世界最大の大国であり続けるためには最後のフロンティア中国を必ず手にしなければならない。
その為の障害はすべて排除する必要がある」
「もう少し日本が肥え太るのを待つのも手だと思いますが」
「それでは選挙に間に合わんではないか。
今のままでも技術レベルは低いが、下働きくらいはできる」
たしか東沙群島とかは教授の希望で日本が領有しようとしている島だったはずだ。
それがアメリカを刺激していたとは。
教授はそこまで考えていたのだろうか。
「澎湖諸島の自由貿易港化は成功させたい。
何としても今月中にイギリスとの共同提案を公表したい。
国民に新しいフロンティアさえ与えれば、勝手に希望を持ち挑戦してくれる。
二人にはそのために頑張ってもらいたい。
国務長官は対英と省庁間の調整意思統一。
補佐官には新聞各社対策で国民を存分にあおって欲しい」
「はい」
「分かりました」
澎湖諸島の自由貿易港化という聞き捨てならない言葉が出てきた。
もっと詳しいことを知りたいが、そろそろ話は終わりみたいだ。
別の人が入ってきたらまずいので、すぐにでも転移できるように準備する。
「支那やソ連と戦争になった場合、米国本土は遠い。
フィリピンでもまだ遠い。
日本や台湾が地理的には一番良い。
それに修理や兵士の休息を行うのにそれなりに近代化されている必要がある。
二人には日本の中級国家化計画の主旨をよく考えての行動を望む。
以上だ」
日本がかなり舐められている気がする。
俺の母国というわけではないが二年以上も居ると、少しは愛着が湧いてくる。
それを手先にしようなどという話を聞くといい気がしない。
それに将来的に俺の待遇悪化や、立場の変化につながるかもしれない。
なんにせよ、対策を考えるのは日本政府の仕事だ。
俺は毅に報告するだけだ
俺は転移で家に帰った。
「どうだった」
毅はあまり期待してない様子で聞いてきた。
「日本に関する話を聞けました」
「なんだと! どういった話だ」
「日本を米国の手先にする必要があるとか」
「それは重大な話だな、最初から話してくれ」
俺は立ち聞きした話を記録を見ながら毅に説明した。
どうしようかなと思ったが、東沙群島とかの話だけは伏せておいた。
これを話せば教授の立場が悪くなる気がしたからだ。
教授には治癒魔法を黙ってもらっている借りがある。
「澎湖諸島の自由貿易港化について、もっと詳しく話してくれ」
「それは言葉が出てきただけで、それ以上の話はありませんでした」
「言葉から何となく想像できるが……、ハンブルクみたいな街にしようというのか……。
いや、待てよ。
重油の関税が無ければとかいう話が出たんだな」
「はい」
「ということは、関税が掛からない特別地域にしようという魂胆か。
これは大問題だぞ。
至急対抗策を考えねばならん。
ありがとう、義雄君。お手柄だ。
何日も潜入を続けてもらった甲斐があった。
詳しい話はまた明日にでも聞きに来るから用意しておいてくれ。
御礼は後日改めてさせてもらう。
今日のところはこれで帰る。
また、連絡する」
そう言って毅は慌ただしく帰っていった。
今回の内容は俺が考えている以上に重大なことなのかもしれない。
次回更新は4/2(土)または3(日)の予定です。




