<第四〇章 視察旅行 後編>
七日目。
今日はもう一度現地を視察した後、汽車で根室まで移動し、そこから魔法で帰宅する。
予定が詰まっているので朝早くに宿を出る。
朝六時に車が迎えに来るそうだ。
五時に文字通り叩き起こされ、腹が減ってもないのに朝飯をくわされた。
ただでさえ寝不足なのに二日酔いも加わって最悪に近い体調だ。
辺りには薄くもやがかかっていて、空気が湿気を含んでいる。
ひんやりした空気が痛む頭に心地良い。
車はまだ到着しておらず、また、人通りはほとんどない。
全員で車を待っていると、突然叫び声がした。
「松川ぁーーー、天誅ぅーーーー」
一人の男が走ってくる。
意味不明の言葉を大声で叫んでいる。
俺はそれを呆然と見ていた。
そして男が何かを構える。
その時、次郎が俺に体当たりしてきた。
俺は地面へ押し倒され、上に次郎が覆いかぶさってくる。
「痛っ」
俺は肩から地面に当たり、痛さで声を出す。
そのすぐ後、乾いた破裂音がした。
続けて二回、三回、四回、五回。
後ろで小さな悲鳴が上がる。
一瞬何が起こったか分からない。
全ての動きがゆっくりに感じる。
何が起こった。
周りを見るとハナが倒れている。
次郎が懐に手をやり何かを取り出した。
今度はすぐ近くで破裂音がした。
耳が痛い。
続いてもう一回。
拳銃?
男が倒れる。
手に持っていた物が投げ出される。
あれも拳銃?
「ハナさん」
教授がハナに駆け寄り、様子を見る。
ハナが撃たれたのか。
「大川君、来てくれ。私よりも怪我に詳しいだろう」
気が付くと次郎はいつの間にか男を組み伏せていた。
男は松川と叫んでいた。教授を狙ったのか。
その弾がそれ、ハナに当たったのだ。
次郎は手拭いで男を後ろ手に縛り、ハンケチで猿ぐつわをした。
男は何かうめいている。
「正一、この男を押さえていてくれ」
次郎は正一と代わるとハナの様子を見た。
「急所は外れていると思いますが、すぐに医者に見せたほうが良いです。
かなり出血している」
「この辺りにまともな医者はいないだろう。
東京へ運ぼう。
さすがにここで魔法はまずい。
一旦部屋へ戻って、それから東京だ。
義雄君、部屋へ戻るぞ」
俺は地面にへたり込んだままだった。
現実と思えない。
「義雄君、ハナさんを助けるんだ。
東京へ運ぶぞ。
しっかりしろぉ、義雄君!」
教授が大きな声を出した。
それで、俺は我に返った。
ハナを助けるんだ。
「宮鳴君、ハナさんを運ぼう。
大川君はその男を頼む。
行くぞ、義雄君」
次郎が俺とすれ違いざまに言った
「すまない。俺が先に撃つべきだった」
正一がハナを持ち上げる。
ハナは顔をしかめているが、まだ意識はある。
「部屋へ戻るぞ」
教授に続き正一がハナを抱きかかえて元の部屋へ急ぐ。
俺はその横を駆けながらハナの傷口へ手を当てた。
教授と正一が何をするんだと俺を見る。
俺はそんなのお構いなしで全力で治癒魔法を掛けた。
最初からこれ以上はないほどの全力での魔法だ。
いきなり全力での魔法に少し頭がふらつくが関係ない。
魔法を掛け続ける。
ハナ、死ぬな。死ぬな、ハナ。
「義雄君、どこか病院を知らないか」
「陸軍の病院」
「おお、あそこか、検査を受けたんだったな。
よし、あそこへ運ぼう」
陸軍の病院は検査で訪れた。
血を取られたりあまり良い思い出は無い。
だが今はそんなことを言っている場合ではない。
廊下では宿の人間が何事かと驚いていた。
さっき出たばかりの客が血相を変えて戻ってきたのだ。
しかも女を一人抱きかかえている。
驚いて当然だ。
教授が、連れが気分を悪くした、部屋を借りるぞと大声で告げる。
そして、俺達は元の部屋へ着いた。
「義雄君、頼む」
俺は陸軍病院の個室と連結した。
教授が中をのぞき込む。
「良し、誰も居ない。行くぞ」
教授、正一が続いて輪をくぐる。
その後俺もすぐに転移で飛んだ。
そして、病院に着いた。
その途端、俺の意識は途絶えた。
気が付くと俺はベッドで寝かされていた。
横には教授が居た。
「ここは」
「病院だ。義雄君は丸一日眠っていた。
もう、目覚めないかと心配したぞ」
なぜ、ベッド。
記憶を探る。
思い出してきた。
ハナが撃たれて、病院へ運んで、俺も飛んで。
それからどうなった。
「ハナはっ、どうなった」
「大丈夫だ。手術は無事に成功して、今は違う部屋に居る。
後で会いに行こう」
「何がどうなったんですか」
「君はこの病院に来て、すぐ意識を失った。
後で思い出したんだが、帯広は標高が高いのだった。
あそこから四人も移動したのだ。
義雄君の体力が尽きてしまったんだな」
そう言えばそうだった。
帯広と東京は標高差があるので海沿いにある根室まで移動してから東京へ転移して帰る予定だったのだ。
それなのに三人を連結で移動させ、自分も転移した。
その前には治癒魔法でも体力を使っている。
寝不足の二日酔いで体調も悪かった。
完全に我を忘れていた。
「あの後、ハナさんを急いで医者に見せて、本郷中佐に連絡を取った。
そして、ハナさんと君に最高の治療をしてくれと頼んだ。
中佐はすぐに病院へ電話をし、彼自身も来てくれた」
「犯人は?」
「向こうで次郎君が取り押さえてからのことは分からん。
私はあれからずっとこの病院に居るのでな。
温籠氏にもすぐ連絡したから、彼が手を打ってくれたとは思うが」
犯人は絶対に許さない。
関係無いハナを巻き込むなんて。
必ず報いを受けさせる。
「義雄君、今回のことは本当にすまなかった」
「えっ、何のことですか」
教授が今まで見たことがないくらい真面目に頭を下げた。
なぜ、教授が俺に謝る。
「私が迂闊だった。
襲われる可能性もあると思い、君達とはなるべく会わないようにしていた。
それなのに、暴漢は北海道までは付いてこないだろうと油断していた。
私の考えが間違っていた」
それを言うなら俺も同罪だ。
「私もです。
本郷中佐から教授へ気を付けるよう伝えてくれと頼まれてました。
機会が無くて言えませんでした。
すみません」
「お互い反省すべき点があるということだな。
それより義雄君。
ハナさんは銃で撃たれたのに出血がほとんど止まっていたと医者が驚いていたぞ。
そのことを含めて本郷中佐には一切合財の口止めをお願いした。
お互い彼には借りができたな」
大きな借りだ。この恩はいつか返そう。
「もうしばらくゆっくり休みたまえ。
しばらく仕事はすべて休みにしよう」
俺が目覚めたことを皆に伝えてくると教授は部屋を出ていった。
教授は治癒魔法について何も聞かなかった。
どうやら俺の治癒魔法は黙っていてくれるみたいだ。
教授にも借りができてしまった。
俺は一人で横になった。
体力が戻っていないのが自分でも分かる。
とにかく体が重い。頭も痛い。
体調が戻ったらやらなければならないことがある。
今は体を元に戻すのが先だ。
俺があれこれ考えていると毅が病室へやって来た。
「義雄君、大変だったな。体調はどうだ」
「犯人は? 次郎は?」
俺は毅を問いを無視して、一番気になることを聞いた。
「犯人は取り押さえた後、陸軍の第七師団の軍医に治療してもらった。
大川君の撃った弾が当たっているからな。
今は軍の施設で監視されている」
「なぜ、治療を。死ねば良かったのに」
「いや、死んだら困る。
誰に命令されたか突き止めるために生かしておく」
それもそうだ。
あの男が一人で教授暗殺を計画したとは考えにくい。
はっきり覚えてないが、年は三十代くらいだろう。
大物には見えなかった。
そんな若いのが教授の予定を知るはずない。
だとしたら黒幕がいるはずだ。
俺が知る限り政府内には大きく分けて四つの派閥がある。
内務省、反内務省、陸軍、海軍。
それぞれの派閥の中もいくつもの派閥に分かれている。
複数に属する人も居て複雑になっている。
「今回の件は自分が知る限り政府関係者ではない。
内務省も反内務省も軍の勢力を抑えることで考えと利害が一致している。
松川教授を排除する理由が無い。
普通に考えたら海軍の艦隊派か陸軍の陸戦至上主義者だろう。
自分らの力が弱まるのを嫌って実力行使に出たのだ。
いや、本当に暗殺する気があったならもっと確実な方法を取ったはずだ。
大川君によると奴は大声を出しながら走って来たそうじゃないか。
弾も外れている。
どう考えても殺しに関しては素人だ。
となると手違いで死んでも良いと考えた上での松川教授への警告なのだろう」
ハナは警告で死にそうになったのか。
暗殺しようとすることはもちろん許せないが、関係の無いハナを傷つけたことは絶対に許さない。
冗談じゃない。
魔法使いを怒らせるとどうなるか思い知らせてやる。
仕返しするのに最大の問題はどこから情報が漏れたかだ。
今回の旅行を知っていたのは誰だ。
どんな手を使ってでも突き止めて報いを受けさせる。
人を殺そうとする奴は自分が殺されても文句を言えないはずだ。
「待て、自分で調べる気だな。
それは、いかん。
義雄君に色が付いてしまう」
毅が強い口調で言った。
色が付くって何だ。
俺は毅を睨みつける。
「義雄君は魔法を自分の為に使う、違法なことに使うという印象を人に与えることになる。
一度そういう目で見られると一生ついて回る。
それはまずい」
「そんなの関係ない」
「ここは私に任せてくれ。
私もハナさんのことはよく知っている。
人として官僚として許せん。
必ず全貌を明らかにする」
「いつまでも待てない」
「一年、いや、半年待ってくれ。
それで何もできなかったら、もう止めない。
だから、半年は我慢してくれ」
俺の怒りはすぐに収まらない。
しかし、毅の言うことを理解する理性はまだ残っていた。
半年。半年だけ我慢しよう。
半年たったら……。
そう思いながら俺は復讐の念を募らせていた。
次回更新は明日3/21(月)か22(火)の19時頃に行います。




