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<第三〇章 再び満州>

試験的に(※)で注釈をつけてみました。あとがきをご参照ください。

 朝晩とめっきり寒くなった十一月のある日の夜、毅が予告も無くやってきた。

 今日はたまたま教授の好きな肉料理だったので教授も居る。

 いつもの顔の七人が揃ったことになる。

 それなりに、いきなり寂しいことを言いだした。


「松川教授もいらしたのですか。

 まあ良いでしょう。

 すまないが大川、宮鳴君、ハナさんは席を外してくれるか。

 今日は大事な話があるんだ。

 それと静子も今日の授業は無しだ。

 もう帰っても良い」

「分かりました。

 では私は隣の家におりますので、話が終わりましたらお呼びください」


 次郎が立ち上がり部屋を出ていくと、正一、ハナも次郎に続いた。

 静子は何か言いたそうだったが、毅の顔を見て何も言わずに出ていった。

 いつになく真面目な毅の雰囲気に俺は身構えた。


「私は良いのか」


 教授は毅の真剣な様子はどこ吹く風とのんきな調子で尋ねる。


「お時間があれば一緒に聞いてください。

 実は義雄君に内密の依頼があり、今日はそれを説明に来ました」


 これは面倒な奴だ。俺は直感した。

 今まで真剣な話で良い話だったためしがない。


「実は先日の満州での油田発見がこじれて問題になっている」

「言われたことをやっただけです」


 俺は悪くないぞ。

 頼まれてやっただけだ。

 それに石油が見つかって日本は良かったんじゃないのか。


「いやいや、義雄君には何の責任も無い。

 悪いのは軍なのだ。最初から説明しよう」

「まあ、聞くだけ聞いてみようじゃないか」


 教授は全く真剣みが無い。

 完全に他人事な感じだ。

 面白がっている気さえする。


「油田発見はすぐに内閣の主要閣僚に報告された。

 当然陸軍大臣、海軍大臣にも知らされた。

 これは仕方ないことだ。

 陸軍は警備のことも考えねばならんし、万が一これをきっかけに軍事衝突が発生する可能性もある。

 それに陸軍は満州を自分の縄張りだと考えているからな。

 そもそも陸軍の発案で行われたのだからとうてい隠しておけない。

 陸軍に話す以上は海軍にも話さざるを得ん。

 そうしないと後で必ず揉める。

 国で一番石油を使うのは海軍だし、満州から日本への海上輸送で面倒なことになる。

 まあ、ここまでは良い。想定内だ。

 問題はここからだ」

「はあ」


 俺は全く関係無い話なので空返事しかできない。

 教授は黙って毅の話を聞いている。


「陸軍内でひそかに話が広がり、それを聞いた強硬派がとんでもないことを言いだした。

 日ソ満州分割論だ。

 簡単に言うと日本とソ連で満州を分割して支配しようという考えだ。

 背景としては昨年からの張学良による日本と朝鮮の排斥行動がある。

 これも元々は張作霖の爆殺があったり、中国共産党による間島暴動などがあって一概に誰が悪いとは言えんのだが、要は陸軍としては張学良が気に食わなかったわけだ。

 国内にも張学良けしからんという声がある。

 陸軍はそれに乗ろうとしている。

 それで日本人と朝鮮人の保護、約束違反の満州鉄道平行線の建設と運航中止の補償占領を名目に満州に出兵し南半分を占領する。

 その後満州の石油を独占し経済の立て直しを図ろうというのだ」


 もう、話がちんぷんかんぷんになってきた。

 分からない言葉が多すぎる。


「だが、そんなことをやってみろ。

 世界中から非難されるしソ連との摩擦が大きくなる。

 支那とは戦争になりかねん。

 経済問題を最優先で対処せねばならん時に出兵などやっている場合ではない。

 出兵には莫大な金が掛かる。

 それに支配したとしても治安維持にまた多くの金がいる。

 政府としては絶対に認められん考えだ。

 恐ろしいことに強硬派の中でも先鋭的な者はソ連との戦争まで考えている。

 ソ連が実施中の第一次五カ年計画が成功してしまえば、ソ連に勝つことが難しくなる。

 その前に叩こうというのだ」


 戦争はまずい。

 戦争になったら魔法使いの俺は真っ先に駆り出されてしまう。

 そうなったら逃げるしかない。

 せっかく忙しいながらも生活が安定しているのだ。

 なんとか今の生活を守りたい。

 何か言って欲しくて教授を見たが、黙って話を聞いているだけだ。


「そこで政府は対案を出した。

 外務省を中心に内閣が考えた国民党との共存案だ。

 現在の問題は張学良が反日政策を取っていること。

 なら、その張学良さえ排除すれば良い。

 国民党と手を組み、張学良を追放する。

 国民党としても面従腹背の張学良は目の上のたんこぶだ。

 成立の余地は十分にある。

 それに満州内の反張学良派、モンゴル族、朝鮮族とも連携する。

 油田は外国技術を導入し、日本人労働者を働かせる。

 また満鉄本線から輸送のための支線を引く。

 ここでも日本人を働かせる。

 大規模な工事になるので、日本人労働者のための宿泊施設、商店、飲食店、娯楽施設も必要になる。

 十万人規模の雇用が生まれる見込みだ」

「どうして私にまで教えるのだ」


 初めて教授が口を開いた。

 実は俺もなぜ教授までこの話を聞かされているか分からない。


「仲間は一人でも多い方が良いですからな。

 幸い松川教授にはある程度の秘密は話して良いことになっている。

 松川教授はこちら側の人間でしょう。

 そうなると話さないのはもったいない」

「温籠さんの味方をするとは限りませんよ」

「その時はその時です。

 ただ日本人なら相手の話を聞けば聞くほど反対しにくくなるものです」

「どうですかな、私は英国暮らしが長いですから」


 政治の専門家と数学のためには何でもする合理家の舌戦だ。

 見ていてドキドキする。これは見ものだ。


「ただ、日本の国力で英米に逆らうようなことをするのは時期尚早だろうな」

「さすが欧州に住まわれていただけのことはある」

「だが国民党は素直に"はい"とは言わんだろう」

「それはもちろんそうです。

 そのため、国民党に対しては満州での主権を認め顔を立てる。

 これは満州の頂点には国民党の人間を据えることも含みます。

 なんなら鉄道附属地の施政権を一部返還しても良い。

 それに油田の利益の一部を配当として支払います」

「治安維持はどうする」

「関東軍は鉄道警備と油田施設内にとどめる。

 それも鉄道警備は極力反張学良勢力を使用する。

 満州には張学良に不満を持つ勢力が居ます。

 満族以外にもモンゴル族、朝鮮族、漢族も居る。

 これらとも手を結びます。

 街の警備は少数の国民党治安部隊と大部分は住民の自警団に任せる。

 自警団には形式上日本人以外も少数は入れます。

 あくまでも国民党の主権の元での自治の延長という形を取る」


 教授が考え込むが毅の話は続く。


「国民党がこの話を渋るなら、中原(ちゅうげん)(※)での日本利権を放棄しても良い。

 北平(※)、天津から日本軍が撤収し、上海以外の租界は返還する。

 その為には満州以外の利権が必要になりますので海南島(※)の長期租借や採掘権を考えています。

 支那の人間にとって満州は万里の長城の外で未開の地。

 同じく海南島も未開の地。場所さえ知らない者がほとんどでしょう。

 日本でいうと京都や横浜から出ていってやるから千島列島を好きにさせろというようなもの。

 交渉の余地はある」

「それは言い過ぎの気もするが」

「例えの話です。

 しかも石油で儲けた金の何割かはタダでやるというのです」

「はたして国民党が納得するかな。

 自前で開発すれば全て自分の物になるんだぞ」

「支那はまだ中原が安定していない。共産党も居る。

 金はいくらでも欲しいし、満州開発の余力は無い。

 しかも日本を中原から追い出したとなれば民衆の支持も上がる」

「国民党が日本以外の外国と手を結んだらどうする」

「一番可能性が高いのは米国ですな。

 虎視眈々と中国を狙っている。

 中国は世界に残された唯一の市場。

 そこで、米国とも交渉する」

「ほう」

「日本は中原から手を引くから、後は米国の好きにしてくださいと。

 米国が中国に進出したら、もちろん形式的に反対する。

 だが、対抗措置や制裁などの積極的反対行動は取らない」

「それでも、米国が乗ってこなければどうする。

 米国は世界の石油を自分達で管理しようとする国だぞ。

 新油田を黙って見逃すかな」

「ベネズエラ(※)や蘭印(※)で米国資本以外の油田開発を認めていることから、いけると踏んでいます。

 ただ、埋蔵量の隠蔽、生産量の偽装などの手は必要でしょう。

 それでも米国が邪魔をする場合、その時は――」

「その時は」

「軍事行動しかないでしょう。

 満州は条約で認められた日本の利権。

 これを手放すことはできない。

 それでも全面戦争は避け局地的紛争に留め、政治決着を図るのが絶対条件です。

 今の日本ではどうやっても米国に勝てない。

 英国と組めば可能性は有るが、それは難しいでしょう。

 この経済状態で英国が日本のために戦争をするとは思えない」

「言いたいことはおおよそ分かった。

 それでどうするのだ」

「陸軍の中にも穏健派は居る。

 その者達の協力を取り付け、一気に強硬派を叩く。

 そこで義雄君に協力してもらいたいのだ」

「はっ?」


 急に名前が出てきて驚いた。


「私は何をするのですか」


 結局、ここまで聞いても結論が分からない。

 というか、話の大部分が分かっていない。


「ああ、そうだな。肝心な話をしていないな。

 それで陸軍の満州分割論は陸軍内でも意見の統一がされていない。

 戦争になりかねん行動だから二の足を踏む者も多い。

 それで強硬派の一部が関東軍を焚き付けだした。

 既成事実を作ってしまえと。

 それに現地将校の一部が乗せられて動き出しているようなのだ」

「関東軍?」


 関東の軍隊が関係あるのか。


「関東軍というのは満州に居る日本軍のことだ。

 ここ日本の関東地方とは関係ない。

 支那と満州の境に山海関という関というか砦がある。

 万里の長城の東の端だ。

 そこより東という意味で満州を関東という。

 それで関東に居る軍という意味で関東軍だ」

「なるほど」


 万里の長城は聞いたことがある。


「その関東軍に潜入して動きを探って欲しい。

 そして、謀議の証拠を見つけて欲しい。

 その後は、我々が引き受ける」

「でも、どうやって」

「義雄君は隠密という魔法があると聞いたぞ。

 それを使えばどこでも潜り込めるのではないか」


 教授の報告書がもう毅のところまでいっているのか。

 当たり前か。

 それにしても隠密魔法で敵――、いや敵ではないか。

 戦争したがるような危ない人のところへ潜り込めというのか。

 俺は隠密を動物相手に使っていた。

 師匠やシギルに使ったことはあるが、すぐに見破られた。

 隠密はそれほど絶対的な能力ではないのだ。


「隠密は性能が低い魔法です。難しいことはできない」


 こんなことなら隠密の詳しい説明をしておけばよかった。

 潜入なんて難しいことを言われるとは思っていなかった。


「そうなのか。

 それでも普通の人間がやるより成功率が高いのではないかな。

 支那と交渉するためには満州で問題を起こすわけにはいかない。

 火種は絶対に潰さないといけない。

 気候的に考えて冬の行動開始は考えにくい。

 奴らが行動を起こすにしても冬が明けてから早くて四月。

 雪解けのぬかるみを避けるなら五月になる。

 だが、冬になると動けないのはこちらも同じ。

 だから本格的な冬が来る前になんとか証拠を見つけて欲しいのだ」


 ああ、どうする。

 どんどん断りにくい雰囲気になっていく気がする。


「これまでの話は石油が出ることが前提になっている。

 これで石油が無かったら取らぬ狸のなんとやらで政府も軍も大恥をかくことになる」

「石油はあります」


 俺は確信を持って言った。

 あるのはあるが、どのくらいあるのか、どんな質の物かは分からない。


「私は義雄君を信じているが、皆がそうではない。

 来年になり雪が解けて専門家による調査が終わればはっきりする。

 調査の前までにかたを付けたいのだ」


 断ったら戦争がどうのと言われそうで、とても断りにくい。

 だが、危険な仕事になりそうだ。

 相手が軍なのだから万が一の時は殺されるかもしれない。

 俺はしばらく考え込む。

 すぐには返事ができない。


「義雄君には万全の体制で協力する。

 万が一、奴らにつかまることがあれば最優先で救出する。

 報酬も可能な限り要望にかなうようにする。

 この通りだ。頼む」


 毅が正座して頭を下げた。

 毅がこんなことをするのは初めてだ。

 すこし心が動かされる。


 俺は陸軍と聞いて気になることが一つあった。


「本郷中佐は?」

「彼か。彼は政治的には中立を貫く男と聞いている。

 今回の件には関与していないはずだ」


 それを聞いて少し安心した。

 俺のせいで中佐が罰を受けることになるのは絶対に嫌だ。


「危なくなったら、すぐに逃げますよ」

「あ、ああ、もちろん。当然だ。君の安全を最優先でやってくれ。

 義雄君は我が国にとってかけがえのない人間だ」

「それと、大川さんが使える金額を増やしてください」

「んっ、大川…………、ああ、あのことか。分かった。任せろ。そのことなら何とでもできる」


 毅は最初一瞬分からなかったみたいだが察してくれた。

 さすがに教授の居る前で大人の世界へ行くための予算を増やせとは言いにくい。

 この際、何でも言っておこう。


「ハナは家事で毎日大変そうだ。楽にしてやりたい」

「ハナさんか、彼女はよくやってくれている。

 だが、秘密保持の面から義雄君のことを知る人間を増やしたくない。

 だから人を増やすのは難しい。

 それに彼女の希望もあるだろう。

 確約はできんが、何か手を打つと約束する」


 危険なことはやりたくないという気持ちと魔法の力を試してみたい気持ちが俺の中でせめぎ合う。

 いつもの退屈な仕事と違って、冒険的な内容に男心がくすぐられる。

 どうしよう。

 駄目で元々。やれるだけやってみるか。

 危なくなったら転移で逃げるだけだ。

 でも、すぐは無理だ。

 行く前にやっておかないといけないことがある。


「準備に二日かかります」

「おぉ、やってくれるか。

 ありがとう。本当に助かる。

 二日なら問題無い。

 こちらも準備があるからな。

 では、三日後の朝に満州の領事館へ転移するということで良いか。

 必要な物は全てこちらで準備しておく。

 何か用意するものはあるか」

「無いです」

「分かった。

 相手の資料は明日にでも届けるのでよく目を通しておいてくれ。

 話は以上だ。

 何か聞きたいことができたら電話をくれ。

 すぐに説明に来るから。

 それでは話も終わったし大川達を呼びにいくとするか」


 毅は立ち上がり部屋を出ていった。

 部屋の中には俺と教授の二人きりになった。


「本当に良いのか」


 教授が少しだけ心配そうに聞いてくる。


「仕方ないでしょう。

 駄目で元々。なるようになるです」


 とはいうものの俺は内心ドキドキしていた。


※ 中原: 中国の中心部。華北平原。日本でいうと関東平野のイメージ?。

※ 北平: 現在の北京。当時は首都ではないが清朝時代の首都で大都市。北平他数か所には条約により日本他各国の軍が駐留していた。

※ 海南島: 中国最南部の島。鉄鉱石が取れる。

※ ベネズエラ: 南米大陸北端の国。当時は独立国で石油産出量世界三位。

※ 蘭印: オランダ領インドネシア



明日3/4(金)の更新はお休みをいただきまして、次回は3/5(土)19時頃投稿の予定です。

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