<第二六章 満州>
朝晩に秋の気配を感じる日、珍しく教授と本郷中佐が二人でやってきた。
教授がいつもよりニヤついている気がする。
「今日は五条通殿にお願いがあって来ました」
本郷中佐があらたまって言ってきた。
これは多分あれだ。
菱刈現地調査の時に言っていた何かだ。
そして俺の勘が正しければ面倒な奴だ。
「なんでしょうか」
「満州へ行って頂きたいのです」
「満州?」
名前は知っているしだいたいの場所は分かるが、なぜ満州へ。
「実は軍では満州の資源調査をしているのですが、なかなか成果があがっていません。
それに加えて張学良が反日政策を行ったため、満鉄が赤字になるとともに現地の治安が悪化しております。
このままでは陸軍内の強硬派が暴発しないとも限りません」
満州について簡単なことは船の中で毅から習った。
日本は戦争で手に入れた鉄道(満州鉄道)を経営していたが、満州の支配者張作霖がだんだん言うことを聞かなくなってきた。
それで二年前に陸軍の一部が暴走して、その張作霖を暗殺してしまった。
満州は息子の張学良が跡を継いだ。
そんな話だったはずだ。
そりゃ父親を殺されたら誰でも怒るだろうと思う。
「そこで五条通殿に満州の資源探査を行っていただき、新しい鉱山を開発する。
それをもって満鉄の経営を改善するとともに土地を手放した農民の働き口を作る。
そうすれば治安もおのずと回復するという目論見です」
教授が一緒に居るということは、教授も納得している話なのだろう。
まあ、なんとなく良さそうな話ではある。
「あまり時間が無いのです。
資源が見つかったからといってすぐに効果が出るわけではありません。
効果が出るのは早くとも半年一年先。
実質二年先以降になるでしょう。
少しでも早くしないと満州が手遅れになります」
手遅れとか言われると、何か俺が追い込まれているような気になる。
俺のせいではないし、俺には直接関係無いのに。
「関係各部署の了解は取れています。
後は五条通殿が了承していただければすぐに実行できます。
満州は日本より寒い。
本格的な冬が来る前の今ならまだ飛行機を飛ばせます。
どうかお願いできないでしょうか」
本郷中佐に頼まれたら嫌と言いにくい。
良い人だし、正義の味方という感じで魔法を悪用しなさそうだ。
少々お世話にもなっている。
それにまた外国へ行けるというのも嬉しい。
俺は旅行が好きみたいだ。
元の世界でほとんど旅をしたことがなかったせいだろう。
毅や教授に相談したら、軍に恩を売れと言って反対しないだろう。
気分転換を兼ねてやってみよう。
行かなくてもどうせ国内で毎週飛行機に乗せられることに変わりは無い。
「分かりました。やります」
「そうですか。ありがとうございます。
詳細を詰める作業に入ります。
詳しいことが決まりしだいご連絡いたします。
出発は来週になると思いますのでご準備をお願いします。
では、急ぎますので今日のところはこれで」
本当に急いでいるのだろう。
中佐は挨拶するとすぐに帰ってしまった。
「今度は満州か。
義雄君、がんばってくれたまえ。
満州の、いや、日本の未来がかかっているからな」
「私は探すだけ。鉱山が無くても仕方が無い」
「なせばなるだ。
なにごともやってみないと分からん。
できるまでやれば良いだけのこと。
諦めなければいつかできる」
教授が良いことを言っただろうと得意気だ。
「ただ、数学の世界では間違ったことを長年研究して人生を無駄にしてしまう者もたまにいるがな」
教授の余計な一言だった。
次の週、俺達は満州へ旅立った。
満州へは飛行機で行けるそうだが、俺が強硬に反対したので福岡まで連結移転で移動し後は汽車と船で行く。
片道三日の日程で俺は旅行気分だ。
一緒に行くのは次郎、本郷中佐と松浦さん。
俺を入れて合計四人。
本物の軍人さんがいるので護衛の次郎は来なくてもよいと思ったが、私の仕事ですのでと付いていきた。
福岡からは下関まで汽車と船で移動。
下関から朝鮮の釜山までまた船。
釜山から満州の瀋陽までは汽車で行く。
瀋陽は満州の中心といえる場所で、日本の拠点でもある。
満州では瀋陽を中心に活動することになる。
釜山から北上するにつれどんどん寒くなってきた。
東京より寒い。
今の満州は真冬の東京並みに寒いと聞いていたので厚着をしていたが、やはり寒い。
それでも真冬のツユアツよりはましだと思う。
俺でも耐えられる程度だ。
瀋陽に着いた翌日にはさっそく飛行機で探査することになった。
「満州を観光したい」
着いてすぐに仕事は勘弁して欲しい。
せめて一日くらいはゆっくりしたり観光させてほしい。
「申し訳ありません。
本当に時間がありません。
これから冬に向かい天候の悪い日が増えてきます。
ですから飛べる日には飛びたいのです。
それに飛行機も毎日借りられるとは限りません。
借りられても天候のせいで飛べないかもしれません。
明日飛んでいただけたら、明後日は休めるように予定しています。
なんとかお願いできないでしょうか」
本郷中佐が申し訳なさでいっぱいという感じでお願いしてくる。
もう、そんな顔をされたら言い返せない。
この人は天性の人たらしなのではないか。
「分かりました、行きます」
「ありがとうございます。
では、今日の予定を説明します。
瀋陽を飛び立った後は満鉄に沿ってその西側を飛びます。
そして渤海まで出てそこで折り返し、満鉄の東側に沿って瀋陽まで戻ってきます。
その後は探査範囲を東西外側に広げ瀋陽と海の往復を行います
この繰り返しです」
「何時間やるのですか」
「午前中三時間、午後三時間の予定です。
昼には一時間の休憩を取りますし、五条通殿は甘い物がお好きと伺いましたのでこの満州の甘味もご用意してあります」
「はい……」
俺に否を言わせないために周到に準備している感じがする。
「今後は?」
「今後は満州での探査を優先していただくことにして、飛行機の手配ができた日には毎回となります。
東京から転移でここへ飛んでいただいて探査をお願いします」
「毎日はちょっと」
「毎日といっても飛行機が借りられるのは週に一回か二回となりそうです。
天候で飛べない日もあるので、週一回ほどになるのではと考えています」
週一回ならなんとか我慢できる。
でも後から飛行機が予想以外に借りられたとかいって、回数が増えそうな気もする。
その辺は中佐を信用することにしよう。
「よろしければ出発しましょう」
中佐の掛け声で全員が立ち上がった。
「それにしても今日は晴れて良かった。
幸先がよいです」
飛行機へ向かいながら、中佐が気を使って話し掛けてくる。
次郎は普段から口数が少ないし、松浦さんは次郎以上にしゃべらない。
そのせいか中佐がいつもよりよくしゃべる気がする。
俺なんかに気を遣わせて申し訳なく感じてしまう。
だが、俺としては天候悪化で中止のほうが良かった。
飛行機は離陸して十分足らずで安定飛行に入った。
松浦さんが時計と磁石と地図を何度も見ている。
今回のために航法について特別教育を受けてきたそうだ。
満州の地は日本の山以上に目印が無いので地図だけでは場所の特定が難しいかららしい、
たしかに汽車の窓から外を見たら、ほとんどが荒野と収穫後の畑ばかりだった。
「もうすぐ満鉄が見えてきます。
そうしたら探査をお願いします」
中佐が声を掛けてきた。
さて、やるか。
菱刈の例があるから本番開始前に前に一回探査魔法を掛けることにした。
まずは分かりやすい金、銀、銅、鉄、鉛、亜鉛からだ。
これで見つかれば菱刈の再現だ。
ほんの少し期待してもしかしたらと思ったが、二匹目のドジョウはいなかった。
まあ、そんなものだろう。
前回の運が良かっただけだ。
ほんの少し残念に思いながら、次になじみの薄い錫、水銀、白金、アルミニウム、石油の探査を始めた。
その瞬間かすかな反応の気配を感じた気がした。
「えっ」
気のせいか。もう一度やってみよう。
やっぱりかすかな反応があった。
間違いじゃない。
魔法を掛け続けると反応が連続で帰ってる。
これは、何の反応だ。
反応が反応が小さすぎてはっきりしない。
だが、飛行機が飛ぶにつれて反応が大きくなっていく。
石見や菱刈で受けた反応とは明らかに違う。
異質なものだ。
五種類の内で異質といえば水銀か石油。
そうか、石油だ。
「本郷中佐、石油。石油の反応がある」
「もうですか。しかも石油。ほんとうですか。方角は」
「右斜め前、二時の方向」
「分かった、機長へ伝えてくる」
中佐が立ち上がる。
飛行機が反応の方向へ向かうにつれて、俺は混乱してきた。
反応が大きくなるにつれて、いくつもの反応が同時に返ってくる。
まるで大人数から一度に話し掛けられるような感じだ。
今まで体験したことの無い感覚に包まれる。
なにか異常なことになっているのではないかと心配になってきた。
もう、こうなったらまともに観測できない。
「中佐、おかしい。引き返して」
「分かった。引き返せばいいんだな。すぐに引き返そう。待ってろ」
飛行機が向きを変え元来た方へ戻っていくと、反応は小さくなり俺の混乱も治まっていった。
「大丈夫ですか。体は何ともないですか」
「大丈夫です」
なにか乗り物酔いしたような少し気持ち悪い感じは残るが、それほどのことはない。
あの感じは何だったのだろう。
初めての経験だった。
魔法が何か変になったのだろうか。
魔法が失敗することならある。でも、その場合は魔法が発動しないだけだ。
ではなんだ。
まさか魔法が暴走した。
俺がこの世界へ来たのも師匠の魔法の暴走か失敗か何かだ。
ありうるかもしれない。
もう一度試してみよう。
「本郷中佐、もう一度さっきの方へ行ってください」
「大丈夫ですか。なんなら今日はもう中止しますか」
「大丈夫です。おかしい時はすぐに言います」
「分かりました。でも、無理はしないでください」
「分かりました」
機体が傾き向きを変える。
松浦さんは俺の方をチラチラ見ながら地図と現在地の確認をしている。
次郎は心配そうな顔で俺を見ている。
またさっきの場所へ近づくにつれ、不思議な感覚が始まった。
だが、二回目なので少し落ち着いて反応をとらえることができる。
それで分かった。
大きな反応の他に大きさの違う反応がいくつも違う方向から返ってきている。
「本郷さん、左に直角に向きを変えて」
「はい、左に直角。九十度ですね」
それで俺の感覚は安定した。
小さい反応が大きくなり、やがて峠を越え小さくなっていく。
それが複数同時にずれて発生しているようだ。
俺はその状態を維持するため、飛行機の向きを微調整しながら飛び続けてもらった。
慣れてきた俺は皆に状況を説明する。
「今もそれが続いているのですか」
「はい、続いている」
「それはひょっとして……、石油が連続して延々埋まっていると……」
「はい、そうかもしれない」
もう飛行機は十分以上飛び続けている。
時速百八十キロで飛んでいると三十キロも反応が連続していることになる。
その後、飛行機は三十分以上飛んでとうとう海に達した。
反応が百キロ近く続いたことになる。
その事実に全員が黙り込んでいた。
俺自身、信じられない気持ちだ。
「明日、地上から調べてみましょう」
中佐が低い声で言った。
俺は静かにうなずいた。
次回更新は明日2/29(月)19時頃投稿の予定です。




