<第二〇章 秘密兵器>
平日の午後四時から五時の一時間が教授の研究に当てられることになった。
その時間のことだ。
「義雄君、空に浮くことができるのは聞いたが、もっと高く上がったり、自由に飛ぶことはできないのか」
いつものように教授が質問してきた。
元の世界に空を飛ぶ魔法はなかった。
正確に言うと昔はあったが俺の時代にはなかった。
地力が豊富な時代は空にも地力が及んでいて飛ぶことができた。
だが、魔法大戦後上空にはほとんど地力が無くなり、空を飛ぶのは鳥だけとなっている。
そのことを話すとさっそく実験だとなった。
「ということで義雄君、飛行機を借りる手配をしてきた。来週実験をしよう」
飛行機!
とんでもない話だ。
「飛行機は嫌だ。飛行機は嫌い」
「はああああぁ、何を言っておるのだ、君は。
君には魔法使いの誇りは無いのか。
魔法の可能性を追求しようとは思わんのか。
空中で魔法が使えれば新しい何かが見つかるかもしれんではないか。
それを嫌いだから嫌などと――」
誇りとまで言われたら返す言葉が無い。
俺は二度と乗らないと硬く決心した飛行機にまたしても乗ることになってしまった。
そこで俺は気付いた。
わざわざ飛行機に乗らなくても、地上から浮かんでいけば良いのではないか
「なぜ、飛行機。地上から浮けばよい」
「地上で試して万が一何かあったら君は落ちて死ぬことになるぞ。
それに人に見られてみろ、大騒ぎになるぞ」」
たしかに空に浮かんだところで魔法が切れたら落ちてしまう。
だれも試してないのだから空で何が起こるか分からない。
「実験はどうやる?」
「まずは飛行機で上空三千メートルへ上がる。
そこで最初に簡単な魔法を試そう。
一番簡単な魔法は何かな」
「着火」
「飛行機の中で火はまずいな。
着火以外では何がある」
「遠視」
「それなら問題無い。
遠視を試して魔法が使えるかを確認する。
それで次は浮遊魔法を試そう。
軽い物から順番に試していき、最後に義雄君自身が浮くかを試す。
ここまで成功すれば、義雄君が空を飛べることは間違いないだろう」
正直、できるかどうかわからない。
今の時代で誰もやったことがないのだ。
成功すればツユアツ初となる快挙だ。
不安な反面、もしかしたらできるかもしれないとも思う。
この星の地力の濃さはツユアツの何十倍もある。
これだけ濃いと上空にも地力が広まっている可能性は有る。
地力さえあれば浮遊魔法は効くはずだ。
そして当日。
俺は陸軍の飛行場に連れてこられた。
「今日乗るのはこれだ。
陸軍に無理を言って民間から借りてこさせた。
陸軍で一番大きい飛行機を貸せと頼んだら断られた代わりだ。
多少狭いが我慢してこいつで実験をやろう」
俺が嫌そうな顔をしていると、
「さあ、乗った、乗った。楽しい実験の始まりだ」
と教授に手を引かれ飛行機に連れ込まれた。
飛行機は乗客六名の旅客機で、そこに俺と教授と次郎の三人が乗っている。
次郎は護衛なので可能な限り俺に付いてくる。
その次郎も飛行機はロンドンに行った時以来の二回目で元気の無い顔をしている。
「では機長、出してくれ。
それで高度三千メートルに達したら教えてくれ」
俺は飛行機の気持ち悪さと実験の緊張で気持ちが悪い。
次郎も飛行機は嫌いなのか、顔がこわばっている。
それなのに教授は一人元気だ。
外国に住んでいたので飛行機に慣れているのだろうか。
「教授は飛行機何回目ですか」と聞くと
「初めてだ。少し興奮している」
「怖くないですか」
「何事も新しい経験、新しい知識は興奮するだろう。
君は違うのか」
やっぱり教授は少し変わっている。
高度三千メートルで実験は始まった。
飛行機は定速でまっすぐ飛び続けてもらう。
まずは遠視魔法からだ。
俺は窓から見える景色に目をやる。
意識を集中し地力を流れ探ると、確かに感じる。
上空にも地力はきている。
これならいける。
俺は遠視の魔法を掛けた。
すると、地上に生える木がググゥーッと大きくなって眼前に迫ってきた。
成功だ。
「成功です」
「よろしい。上空でも魔法は使えるということだな。
では浮遊魔法を試してみよう。
まずはこの万年筆からだ」
魔法を掛けると簡単に万年筆は浮かび上がり空中でゆらゆらと揺れる。
「ふむ、浮遊も問題無いようだな。では、徐々に重い物を試してみよう」
「はい」
次に教授のカバンを試したが、これも問題無い。
それから一キロ、五キロ、十キロの重り(次郎が積み込んだ)と試していく。
教授は時計を片手に時間を計り紙に書き込んでいく。
重い物ほど時間がかかったが、どれも問題無く浮かんだ。
「いいぞ義雄君、結果は後日地上での数値と比べてみよう。
それで最後に自分に魔法を掛けてみてくれるか。
浮くことができれば君は空を飛べるというだ」
空を飛ぶ。
子供の空想程度で考えたことはあるが現実問題として考えたことはない。
できないと最初からあきらめていた。
ツユアツなら無理でもここならできるかもしれない。
「始めます」
よし、やるぞ。
俺は気合を入れた。
元の世界では誰もできなかったことだ。
古の大魔法使い達と同じことをするのだ。
地力を集め魔法を練る。
やはり地上より地力が薄い気がする。
それでもツユアツの地上よりはずっと濃い。
となるとできるはずだ。
自分の体に手を当て魔法を掛け続ける。
どれくらいたったのだろう。
五分か十分か。
かなりの時間が流れた後に自分の体がフッと軽くなるのを感じた。
反射的に魔法が途切れそうになるのをこらえて魔法を続ける。
俺の体は少しずつ浮き上がっていき、そして天井に頭が付いた。
「おお、やったな義雄君。浮いてるぞ、成功だ。空を飛んでるぞ」
教授は自分のことのように喜んでいる。
次郎は驚きで声が出ないようだ。
俺は空に浮かびながら成功を噛みしめていた。
日本に来て半年とちょっと。
まさか空を飛ぶ日が来るとは思ってもいなかった。
この星の地力の濃さがあってのことだが凄いことだ。
ツユアツへ帰って話しても誰も信じないだろう。
俺はしばらく浮遊を楽しんだ後、魔法が切れてゆっくりと床へ着地した。
そこへ教授が声をかけてきた。
「物は試しだ。義雄君、この機体に浮遊魔法を掛けてみてくれんか」
また、教授が突拍子もないことを言いだした。
「ここに人間より重い物といえば、この飛行機しかない。
ここは一つ、魔法の限界を試してみようじゃないか」
こうなったら駄目で元々だ。
やってやろう。
「分かりました。やります」
教授が操縦席へ向かう。
「機長、後どのくらい飛べる」
「ざっと三時間でしょうか」
「分かった。
では今から一時間、このまま飛び続けてくれ。
途中機体が不安定になるかもしれん。
その時は操縦をよろしく頼む」
教授が俺に向き直る。
「では、始めるとしよう。
この飛行機は乗員を含めてざっと三トンから四トン。
義雄君の体重の六十倍くらいだな。
時間は一時間、全力で魔法を掛けてみてくれ。
頼んだぞ」
「はい、分かりました。やります」
俺は床に両手を当て全力で魔法を掛ける。
空中から地力をかき集め魔力に変換し機体へ注ぎ込む。
全神経を集中し魔法を続ける。
時間がたつとふと集中が途切れ自分が何をやっているか頭から飛びそうになる。
その度に集中、集中と自分に言い聞かせる。
額に汗が湧き、あごを伝って床に落ちる。
それをぬぐう余裕は無い。
時間の感覚が無くなっていく。
それでも魔法を続ける。
もうこなったら意地だけだ。
ここまでやって駄目だったら、魔法を掛けた時間が無駄になる。
絶対にこの機体を浮かせてやる。
昔の大魔法使いでもやったことがないはずだ。
昔話でも空飛ぶ乗り物なんて聞いたことがない。
俺が世界初になるんだ。
浮かべ、浮かべ、浮かべ、浮かべ。俺は必死に魔法を掛け続けた。
意識が朦朧としてきた。
体がフラフラする。
まだか、まだ浮かばないのか。
この野郎。
俺は最後の力を振り絞って魔法を掛ける。
浮け、浮け、浮け、浮けよこの野郎、ふざけるな、ぶち壊すぞ、このクソ飛行機、浮きやがれ――。
俺が悪態をついた瞬間、飛行機がかすかに震えた。
俺は本当に本当の最後の力で魔法を叩き込む。
教授も変化を感じ取ったのか機長に声をかける。
「機長、どうだ。何か変化は」
「信じられません……。
何もしていないのに少しずつ上昇していってます。
上昇気流とは感じが違います。
何が起きてるんですか」
「ほう、そうか。それは軍の機密だ。
君が知る必要はない。
もちろん分かっているだろうが、今日のことは一切他言無用。
もし喋れば憲兵により軍機漏洩の罪で逮捕されることになる。
墓場まで持っていくように」
「はい、承知しました」
教授が俺の顔をのぞいてきた。
「もういいぞ、義雄君。
かなり疲れたみたいだな、顔色が悪いぞ。
休みたまえ」
「そうさせてもらいます」
俺は次郎の手助けで座席にへたり込んだ。
こんなに疲れたのは久しぶりだ。
体がとても重い。
重りでも付けているみたいだ。
「凄いぞ、凄いぞ。予想以上だ。
これで速度を上げれば最強の飛行機ができる。
どうすれば速度が上がる? 空気を無くす。
いや、それだと、浮力が得られない。
いや、浮力は魔法でなんとかなる。
いや、空気が無いとエンジンの冷却ができないか。
いや、そもそもエンジンが動かん……」
教授は既に自分の世界に入り込んで自問自答しながら考え込んでいる。
俺は達成感で一杯になっていた。
元の世界で恐らく誰もできなかったことをやったのだ。
なんか顔が熱くて胸がドキドキする。
こんな気分は久しぶりだ。子供の頃新しい魔法を成功した時以来かもしれない。
体に広がる疲労感さえ心地よく感じる。
飛行機は実験後向きを変え、一時間以上飛び元の飛行場へ着陸した。
飛行機を降りるとき、教授が俺の肩を叩き笑顔で言った。
「なあ、義雄君、実験して良かっただろう」
悔しいが俺はそれにうなずくしかなかった。
でも、飛行機はこれで最後にして欲しいと切実に思う。
飛行実験から教授は一週間姿を見せなかった。
「今日も松川教授は来られませんねえ。
早いですけど食事にしましょうか」
とハナが夕食を並べ始めると、唐突に教授がやってきた。
「いやあ、すまん、すまん、義雄君。
君との大切な時間をすっとばしてしまって。
こちらに来られないほど忙しくてな。
でも、それでようやく軍の依頼を一つ片づけることができた。
見てくれ」
そう言って教授は食事の支度中なのはお構いなしで紙を広げ、絵を見せてきた。
そこには今まで見たことがない形の飛行機が描いてあった。
俺が今までに乗った飛行機とかなり違う。
先の丸まった細長い円柱に細長い翼を付けた形をしている。
「新兵器の超長距離大型爆撃機だ。
まだ概略段階だが一週間で詰められるだけ詰めてみた。
大変だったぞ、陸軍の色々な部署へ行って話を聞いて。
浮力の問題が解決すれば、機体はいくらでも上昇できる。
こいつは敵の飛行機が活動できない高度一万メートル以上を飛ぶ。
その高さになると空気が薄いので機体は密閉式にして乗員は全員酸素マスクを付ける。
それと超長距離を飛ぶために大量の燃料が要る。
機体が長いのはそのせいだ。
本体はかなり大きいが、翼は小さくて良い。
爆弾は空気抵抗を減らすために本体格納式で一トンから十トンを考えている。
搭載燃料との兼ね合いだな」
教授が一気にしゃべる。
それでもまだ止まらない
「速度を重視してこのような細長い形になっている。
エンジンも空気抵抗が少ない液冷式にして四発か六発。
北海道から飛び立ちモスクワを爆撃しヨーロッパの友好国へ着陸する。
それか米本土西海岸を爆撃後サイパンに着陸。
将来的には主要国の首都全てを爆撃できるようにする。
問題は超高空からどうやって爆弾を命中させるかだ。
義雄君、何か良い案は無いかな。
いや、まあ、その件はまた改めて検討しよう。
それでこいつを十年計画で開発する。
現在の我が国の航空技術ではとてもじゃないが作れんそうだ。
完成の暁には世界最大最高の飛行機になるぞ。
ワクワクするじゃないか」
そこまで話して、やっと教授は落ち着いた。
俺は内容がほとんど分からなくて、どう反応すれば良いか分からない。
「はぁ、そうですか」
「何を気の抜けた声を出している。
これは義雄君のための専用飛行機なんだぞ。
もっと喜びなさい」
そんなことを言われても、俺は飛行機が嫌いだから全然嬉しくない。
「こいつは浮遊魔法を最大限に活かした兵器だ。
だが義雄君の浮遊魔法には重大な欠点がある」
「欠点?」
「欠点というか、まあ、制約だな。
それは本人が魔法を掛け続けないと効果がないことだ。
ということは複数箇所同時に使おうとすれば常時魔法が必要な形態は望ましくない。
最初に一度だけ魔法を使って後は必要ないものが良い。
思いつくのは重量物の運搬設置。
それで第二案はこれだ」
教授が次の紙を広げた。
地図と大砲の絵だ。
「要塞砲だ。
これなら設置の時に義雄君の力を借りてしまえば、あとは義雄君抜きで運用できる。
しかも、効果は絶大。
候補地はサイパン島、パラオ島、トラック環礁、ポナペ島」
教授が地図を指差す。
「ここに通常では設置できないような大型砲を置く。
世界最大の要塞砲だ。
戦艦長門の主砲を転用するのが手っ取り早いな。
帝都の守備で房総半島、東京湾、横須賀あたりに設置するのも良いかもしれん
問題は条約で外地に要塞は作れないことだ。
それで、条約が切れ次第いつでも設置できるように、工事用道路の建設だけを事前に行っておく。
そうすれば敵の想定をはるかに超える短期間で要塞砲の完成だ」
教授が得意気に俺を見る。
俺は、そうですね、凄いですね、と冷めた眼で見てあげる。
「他に幾つも案を考えたのだが、残念なことにどれも却下されてしまった。
これなんか、自分では素晴らしいと思ったのだ。
爆弾転移。
まずは平時に敵基地の偵察をしておく。
開戦後爆撃機を国内で飛ばす。
義雄君に爆撃機の下と敵基地上空を連結してもらう。
そして爆撃だ。爆弾は穴を通って敵基地へ降り注ぐことになる。
国内に居ながらにして敵を爆撃できる。
だが、秘密保持の点から不採用だ。
たしかに、突然何も無い所から爆弾が降ってきたら不自然ではある」
こんな感じで次から次へと却下案を俺に説明してきては意見を求める。
ほとんどの案に俺は『そうですね』としか言えない。
「この採用された二案はまだ第一弾。序の口だ。
これからも、どんどん新兵器を考えよう。
新しい兵器を考えるというのは意外と楽しいものだな」
教授は楽しそうだが俺は全く楽しくない。
何が面白いのだろう。
俺が完全に飽きていると、失礼しますと声がして静子が部屋に入ってきた。
「松川教授、もうおしまいの時間です。
延長されると私の授業時間が減って困るのですが」
「分かっておる。今、終わる所だ。
それで、この匂いは……、今日は牛鍋かな」
静子と一緒に肉の煮える匂いが部屋の中に入ってきていた。
「そうですよ。教授も召し上がられますか」
「せっかくだし頂いて帰るかな」
「そう思って、多めに準備しておりました」
「いつも気を遣わせてすまないね」
「いえ、どういたしまして」
静子の授業時間は夕食の後なのだが、最近は早く来てハナを手伝ったり料理を習っているみたいだ。
台所をのぞいたら、静子がハナに何かを教わっている場面を何度か見た。
そして、教授も夕食を一緒に食べることがある。
特に教授が好きな肉料理の時が多い。
本人いわく、
「英国での生活ですっかり肉の味を覚えてしまってな。
ここに来ると肉を食べられるので助かっておる」
ということだ。
俺が食費を出している訳ではないので問題無い。
それに、食事は人が多い方が楽しいのだ。
次回更新は明日2/23(火)19時頃投稿の予定です。




