陸
眠い
ひどく眠い。覚醒しようとしても意識が浮上しない。体が鉛になってしまったような気さえした。
「おい、起きろ。着いたぞ」
駕城の声が聞こえる。ゆっくりと、緩慢に俺は眼をこじ開けた。
ああ、そうだ。術を使ったんだ。だkらこんなに眠くて体が動かないんだ。しかも使った術は人神解放、クロ達四神の力をほとんど全部解放する術だろ?こうなるわけだ。
俺は体に喝を入れてなんとか起き上がった。
「どんくらい寝てた?」
「三十分くらいだな。ほら、肩貸してやるから降りろ」
駕城に引きずられながら車から降りてコンクリの駐車場に立つ。肩を借りてようやく立っているような俺とは裏腹にクロはピンピンしている。いつもは抑えている力を解放したんだからそうだろう。
「いつもより消耗激しくないか?お前」
呆れたような口調で言われても困る。まあ普段よりも酷いな。最近この術使っていなかったっていうのもあるんだろうけれどそれでも酷い。少なくともあんなに深い眠りにつく事はなかった。
「まだまだ軟弱ですねぇ」
「うっせぇよ……仮想現実世界から抜け出せたんだからいいだろ…」
はぁとため息をつきながら駕城の歩に足並みを揃える。このK大の医学部の解剖室に魔術で腐った死体が運び込まれた。はっきり言って腐った死体を解剖できるのかよと思うが警察としてはそうするしかなかったんだろう。裏捜査一課には解剖室なんてないからな。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「まじか…」
「まさか、こうなるとは…」
「ぬかったの」
「やられましたねぇ」
「あららー、失敗したねー」
これが解剖室に入った時の各々の感想。全員が全員同じような内容なのにはもちろん理由がある。
死体が乗っているはずぼ台に死体が乗っていなかったからだ。
「…きちんと警備していたのか」
駕城が怒気を孕んだ声音で解剖医に尋ねる。解剖医はそんな駕城にすっかり怯え小さくなりながら頷いた。術師が殺した、またはいじったと思われる死体は必ず厳重な警備の元保管される筈だ。確かにここに入った時警備の人が見当たらなかったからおかしいなーとは思ったけどよ。まさかこうなるとは誰も予想しないだろう。
「トーリ、ここにもあの精霊達の気配あるぞ」
「…まじですか…」
「まじだ」
クロがまた隣でそう言う。俺の知り合い曰く、精霊術師は自然に存在している精霊を使役し主従関係になる。一旦主従関係になると精霊が死ぬか、術師どちらかが死ぬまで互いの関係は続くそうだ。精霊は人より遥かに長い時を生きるからそうそう使役する精霊は変わらないとの事。
で、さっきの取替をやってくれた精霊の気配がここにあるという事はここに取替を発動させた精霊術師がここに来たっていう事で…。
「こうなるんだったらヴェロニカを連れて来た方が良かったな」
「あー、ヴェロニカさんなら今休暇中でバリ島にいますよ」
「なに?明日が二十三区会議だと知っての事か」
「多分ですよー。俺は『会議ってフケたくなるわよね〜』ってキャリーケース持ったヴェロニカさんが言ってたのを聞いただけー」
ヴェロニカっていうのはカインや樂条と同じ死神区担当の術師で、物体の視た記録を視る事ができる魔術師だ。いやー、あの人ほど自由な人を俺は見た事がないね。
カインと駕城が話している横で俺は机の上に置かれた紙束を見つけた。何故目に付いたのかというと一番上の紙に真っ赤な字で『S→V(=1/22)←PP』と書かれていたからだ。手にとって匂いを嗅いでみるとただのインクのようだった。油性だなこりゃ。血じゃなくて良かったー。
「てかこの事件、黄龍とヴェロニカさんがいなきゃ進まねーじゃん」
カインが今気付いたように呟く。確かにそうだな。黄龍は”壊れたモノを直す”事が出来る。それは死体だろうがなんだろうが可能だ。それに対しヴェロニカは”モノの記憶を見る”術を持っている。それは死体や死んでいるモノには作用しない。だから黄龍の術で死体を生人に戻して話を聞くか、と言っても喋らないかもしれないからここは素直にヴェロニカの術で記憶を視てしまった方がはやいだろう、まぁつまりはそういう事だ。
「おやぁ?トーリさん、面白いモノを持っていますねぇ」
俺がぼぅっと紙を見ていると横から樂条が入ってきた。
「なんだと思う?これ」
「さぁ…ただ、解剖医は書いてないでしょうねぇ。ああ、さっき言っていた同じ精霊の気配がするとうのは本当ですか?」
「え?ああ、それなら本当みたいだぜ?クロが言ってるし」
「では、元からあの精霊術師の目的はこれだったのでしょう」
楓さんもカインも聞いてくれます?と机に寄りかかりながら樂条は話始めた。その様子はとても楽しげだ。そういやこいつはなんでへばってない?俺はこんなに体力消耗してるっつーのによ。
「先程の取替は恐らくここにあった腐敗死体を処理する、もしくは回収するために行われたと」
びびった。まさかそうくるとは思ってもみなかったからだ。
「と、いう事は私達がここに来る事がわかっていたとういう事だな」
「そうなりますねぇ。まったく、漏れたのかそれともバレていたのか、そのどちらでもなく知っていたのか、はわかりませんけどねぇ」
駕城の問いにすらすらと答える樂条。この二人の頭の回転に俺は若干ついていけない。どうしてそうもパッパッと考えが浮かんで来るんだ。
「きっと腐敗死体にバレてはいけない何かがあったんでしょう。わざわざ皇帝区全体を取替するくらいですし。相当不味いんでしょうよ」
「あー、じゃあこれって、その精霊術師の事か?そこの机にこんなのあったけどよ」
俺はぺらと駕城達に見せる。やっぱり駕城も「血か?」と聞いてきた。この業界(?)にずっといるとどうしても「アカ」って血に見えるよな。ましてや駕城なんて俺よりも年季いってるわけだし。ま、そんだけ警察やってたら大体インクと血なんてすぐに見分けつくけど、場所が場所で場合が場合だからなぁ。
「『S→V(=1/22)←PP』?なにこれ」
カインが真っ先に悲鳴をあげる。カインはこの六人の中でいちばん頭が悪い。クロよりもだ。クロはこれでもきちんと高校まで通っていた。今は俺の家でずっと留守番してるけど。ちなみに俺は駕城の次に頭がいい。駕城は期待を裏切らないほどの秀才で日本で一番頭がいい事で知られているT大卒だ。俺はM大だけどね…さらにちなみに、樂条は京都のK大を卒業している。揃いも揃ってこいつら頭いいんだよな。
「私もわからん。樂条は?」
「いやぁわかりません。トーリさんは?」
「わかるわけねぇじゃん。はぁ、ほんと、ヴェロニカがいりゃいろいろ手っ取り早かったのに」
「あの人は今バリ島ですからねぇ。やるしかないでしょうよ」
だよねぇ、俺は本日何度目かのため息をついたのだった。
結局死体を拝める事ができないまま、解剖医達に話を聞いて本部に帰ったのだった。局長に怒られる事覚悟で。