Cream5
一人立ち上がった男に、少女は一瞬だけ不安そうに視線をあげたが、ぽんと頭を撫でられて俯いた。
「では、阿木さん。八神さん。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて出ていった男に眉を顰めると、八神がこつりと机を叩く。
「君はまだ知らないでしょうが、記憶障害の場合、こちら預かりで依頼に当たることがあります。その方が安全に潜ることができますし、時間の調整が必要ありませんから」
八神の言葉に、会社の約束を思い出す。
夢に潜る限度は1回につき90分。
なおかつ、一日3回まで。
依頼者とこちら、双方の身体への負担を考えるとそこが最高ラインらしい。
勿論、通常の依頼程度であれば、一度で十分事足りた。
だから場合によっては日程調整も電話で済ませ、一度も顔を合わせることがないまま潜ることも珍しくない。
90分間、誰にも邪魔されない空間でこちらから送ったヘッドフォンをして眠ってもらう。
相手にすれば、たったそれだけ。
目覚めた時には望む記憶が蘇っているわけだ。
料金はヘッドホンの郵送費と頭金が10分の1。
残りは事後払いで、今のところ滞ったことはないと聞く。
もしかしたら、八神が何らかの圧力をかけているのかもしれないな、と考えていると、当の八神の声が届いた。
「聞いてます?」
「あ、え?」
慌てて顔をあげると、八神が呆れたように溜息を零す。
「これが、彼女に過ごしてもらう、マンションの部屋の鍵です」
差し出されたのは、二枚の薄べったい金属板。
「君と、彼女にひとつずつお渡しします。予備としてこちらでひとつ持っていますので、緊急の際はこれを使用します。それから」
新たに差し出されたのは、水色のプラスチック製のカード。
「貴女の部屋の鍵になります」
掌に受け取った少女に、八神は色の違った紅のカードを掲げて見せる。
「こちらはマスターになります。緊急の際は使用させていただきますので」
「はい、解りました」
少女の咽から零れた声は、冬色の風のような色をしていた。
冷たいわけではない。
ただ、耳にする先からほろほろと零れていって、後味の何も残らない、雪のようで、思わず耳をすませていた。
「こちらからご説明することは以上ですが、貴女から、何かありますか?」
「お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
綺麗な動作で下げられた頭に、慌てて真似るように頭を下げる。
「ええと、こちらこそ。至らない点があるかもしれないけど、必ず記憶を見つけるから」
心配しないで―八神との約束もあるが、何より相手が年の近い少女ということもあって、いつもより気負った声で答えると、彼女は一瞬、僅かに目を細めて、もう一度、お願いします。と呟いた。