幕間 ラビの人生
いつまでもくよくよ忘れずに思いわずらっていても、幸福への道は開けない。どうにもならないことは忘却して、先へ進むことだ。
幕間 ラビの人生
この町、いや世界での魔女の扱いはひどいものだ。
魔女と発覚した場合、すぐさま死刑にかけられるか、幼い子供であった場合地下室や離れた場所で人知れず育てられるか、奴隷としてその一生を過ごすか。
虐待、迫害、差別。
近くにいれば殺される。言葉を交わせば呪われる。世間の認識として魔女とは悪である。
世界は、魔女を人と認めていなかった。
そんな世界で、私は魔女として生まれた。
私が生まれた場所はエトワールという小さな国の城下町。その一角の多少裕福な家庭で、双子の姉妹として生まれた。
私の名前はラビ。もう一人をアリスと名づけられた。
いい家庭……だったと思う。多分。
特に飢える事も無く、両親が私達に笑顔を向けてくれた時期もあった。傷を負ったら心配してくれて、怖い思いをしたら傍に居て一緒に寝てくれたと思う。
そんな空間で私は活発に育ち、よく無茶をする私とは対照的にアリスは少し大人びた感じに育った。
つまり幸せという時期が私達にもあったということ。
その時間が短すぎて、それ以外の時間が長すぎて。今は過去を思い出すだけでも胸の辺りがむかついてくる。
私達の力が発覚したのは、5歳を過ぎた頃。
最初に私、次にアリス。
その日私は癇癪を起こした。原因はなんだったかよく覚えてない。多分、些細な事。
怒りに任せる行動と呼応するように発現した炎。使われた力は家具の一部を焼いて消えた。
私は何がなんだかわからなかった。
そして、恐怖に彩られる両親の顔。
「そんな……私の子が……魔女――」
魔女という言葉をそこで初めて聞いた。
驚愕、悲しみ、恐れ。様々な表情がごちゃ混ぜになった母に私は心配して手を伸ばす。
「お母さん――」
「いや!近寄らないで!」
拒絶の言葉。
母の恐怖に染まった顔が悲しくて、父の化物でも見るような顔が苦しくて、それでも私を否定して欲しくなくて、受け入れて欲しくて、私は手を伸ばした。
そして私は父親に頬を殴られた。
離れる私と母親の距離。
悲しみと痛みで私は泣いた。
間をおかず、アリスの力が発現した。アリスの力は氷だった。いきなり出現した氷は部屋の壁に穴を開け、すぐに崩れた。
その時からこの家から笑顔が消えた。
それから私達の日常は徐々に壊れていった。
父は事あるごとに私達暴力を振るうようになった。殴られた顔は膨れ上がり、蹴られたお腹は痣ができた。私が暴力を振るわれたらアリスが助けに入ってくれた。そしてアリスも同じように殴られる。アリスが殴られたら私が助けに入り、同じように殴られる。その繰り返し。
母は何も言わない。いや、存在しないものとして扱われた。
話しかけても返事は返ってこなかった。どんなに気を惹こうとしても無視された。私達の存在は彼女にとって無かった事にされていた。
町にも私達が魔女だという噂は広まっていた。
町に出れば大人達が私達の方を見てヒソヒソと話していた。その視線はまるで化物でも見るかのよう。話しかければ侮蔑の言葉と共に散っていった。
一緒に遊んだ事のある子達からは石を投げられた。つい最近まで親しかった子達のその行動に、私の心は重いトゲが刺さったように痛かった。
私達に対する最近までの反応の違いに耐え切れず、家に逃げ帰った。
町に出るなと怒鳴られ、私達の部屋に監禁された。
そんな生活が半年ほど続き、ついに私達は家から追い出された。
行き先は城下町から離れた場所にあるかなり年季の入った廃屋だった。
なんでもこの町で昔、魔女として生まれた子がここで暮らしたそうな。古ぼけた小屋に私達を押し込み、父は去っていった。
周りに誰も居なくなった事で、ようやく私達は平穏を手に入れた。
後に思えば何故殺されなかったのかと思う。もしくは奴隷商人に売られなかったのかとも。家がそれなりに裕福だったからか、最後の良心か。二人で話し合っても結局わからなかった。
それから二人だけの生活が長く続いた。
人が住まなくなってからかなりの時間がたった家は、所々傷み今にも崩れそうだった。隙間風がさらされながら、私達は寄り添って過ごした。雨の日は大変だ。屋根からの雨漏りがいたるところで落ちてきた。濡れない所が殆どないので、雨が降る日は濡れながら眠りについた。
数日に一度は奴隷と思わしき人から食料が届いた。その食料も材料のクズや腐ってしまったものが多かったけれど、仕方なくそれを食べて飢えをしのいだ。森の中に入って食べ物を探そう、という私に意見に、よく知りもしない森の中へ入るのは危険だという意見が返ってきた。その言葉に私も頷き、その日もお腹を空かせて眠りについた。
幸い川が近くに流れていたので、飢えは川の水を飲んでごまかしたりもした。
そんな感じで、なんとか私達は生きながらえていた。
そんな日々が長い間続いた。
数年の時が経ち、私達は一人の男の子と出会った。
「こんにちは」
その日はいつも通りする事が無く、二人で川の流れを眺めていた時だった。
町の人がここに来るはずが無い。せいぜい来るのは食料という名の残飯を持ってくる奴隷の人。
「――誰?」
警戒しながら私は目の前の男の子に聞いた。アリスも同じように警戒している。
「初めまして。僕の名前はクーヤって言います。君達が魔女と呼ばれているのかな?」
目の前のクーヤと名乗った男の子は、挨拶をしながら近づいて来る。
私は恐怖を感じた。
またひどい事される!そう感じた。嫌だ、あんな思いはもうしたくない。
「近寄るな!」
叫びと共に炎が私と彼の間を遮る。
私は力を使って男の子を牽制した。
アリスも同じように力を使い、男の子を近寄らせまいとする。
「……わかった。これ以上近寄らないよ」
私達の圧力に屈して、男の子が諦める。
よかった、これでまた平穏な日を送られる。相手を睨みながら私は胸を撫で下ろした。
だから、その後で発せられた言葉に私は目を丸くした。
「……でもその前に君達の名前、教えてくれない?」
「――え?」
誰も進んで傷つこうとは思わない、誰も進んで死のうとは思わない。
いままで魔女の力を目の前にした人はみんな逃げていった。だから目の前の男の子もすぐに逃げ出すだろうと思っていた。
「わ、私達が教える事などなにも……ない」
アリスも吃驚しているのに返事を返したのはすごいと思う。
気が動転した私はアリスの言葉に同意し、首を縦に振るだけだった。それでも目の前の相手は私達の力に怯えること無く話し続けた。その内容がさらに私達を動揺させる。
「お前達は人語を理解しない獣か?礼儀を知らない魔女か?それとも――礼儀を重んじる人間か?」
‘人間’という単語に私達はビクッと体を揺らす。その言い方は卑怯だと思う。このまま彼を無視すれば私達は言葉の通じない獣。それ以外の言葉で返したら魔女ということを自分達で認める事になる。
私は人間でいたいと思っていた。魔女なんて呼ばれたくなかった。でも自分から名乗るなんて勇気は持ってなかった。
そんな私達の気持ちを察したのか、男の子は再び名乗る。
「初めまして、僕の名前はクーヤ。君達は?」
「わ、私はアリスという」
「私はラビ……です」
あまりに混乱した頭はついつい敬語で返事を返していた。
私達の名前を聞けて満足したのか、男の子は背を向けて歩き出した。
私の拒絶の言葉は、軽くあしらわれて彼は去っていった。
その日からその男の子は毎日訪ねてきた。
私達がどんなに辛辣な言葉を投げかけようとも、呪われた力を使って追い払おうとも彼は笑って受け流す。
それが気に入らない。
今までの人は魔女と聞いては避けていき、力を使えば恐れられた。何故この男の子は逃げていかないのだろう。
気に入らない、気に入らない。
さっさとこの場を去って、二度と来ないで欲しい。そうすれば再び二人だけの恐怖も無い、怒りもない……何も無い平穏な日々がやってくるのに。
ある日男の子が食べ物を持ってきた。たかが食べ物で私達が気を許すとでも思っているのだろうか。
でもあれは卑怯。うん、卑怯。
最初は私も毒が入ってるんじゃないかと疑った。
でもその日はとてもお腹が空いていて。ここ数日まともな……といっても食べ物が届けられても所詮野菜のクズとかの残飯だけれど、食事をしていなかったのだ。
生物の本能を刺激する香りに私達は近づいていった。
後でその食べ物はサンドイッチと言われるものと知った。そのサンドイッチを目の前に私達は戸惑う。手をつけていいのか、手をつけたら死が待っているのか。
その日は本当にお腹が空いていた。
だから私は頭で拒否をしつつも、体は目の前の食べ物に手を伸ばす。
口に引き寄せられた食べ物を、その寸前で何度か躊躇い、覚悟を決めて口に含む。
「――おいしい」
あまりの美味しさに私は吃驚した。
口の中に目一杯に広がる甘い味。あまりの美味しさに次々と手が伸びる。
アリスもそんな私の様子につられて手をつけ始めた。
本当に久々のまともな食事に私達は喜び、そしてすぐに無くなってしまったバスケットの中身を残念に思った。
あまりの美味しさに警戒が薄れてたと思う。男の子が近づいてきた時にその事を思い出し、近づいて来る距離以上に私達は男の子との距離をとる。
そんな私達の行動にも男の子は笑って許した。
それから数日、昼から夕方の間に男の子は食べ物を届けにやってきた。
気を許してはならない、と思いつつも食べ物の誘惑には勝てなかった。食事をするときはお互いの距離をとる。彼は離れた場所で私達と食事をするだけ。危害を加えてくるわけでもなく、ただ私達に食べ物を届けに来るだけ。一体何を企んでいるのか。
ある日私達は男の子からあるものを受け取った。
綺麗な色に染まった赤と青の服だ。
私達が身に纏っている薄汚れた雑巾のようなものとは比べようもない。私はその赤い服に目を奪われた。
何故男の子は私達なんかに構うのだろう。
頭の中にそんな疑問が浮かぶ。
去ろうとする背中に声をかけたけれど、上手く言葉が見つからず何も聞く事ができなかった。
私の代わりにアリスが尋ねた言葉に、思いもよらない返事が返ってきた。
「君達が僕と同じと思ったから友達になりたいんだ」
私達と同じ……それは同じような力があるということ?それともそれ以外のなにか?
疑問が頭の中で渦巻いている私達を尻目に、彼は帰っていった。その後私達は話し合う。
「彼の言った事……どう思う?」
「確か……クーヤといったな。私達と同じというのは、同じような力があるという事か」
「でも目の前で力使った事無いわよ、町でも普通に生活してるっぽいし」
「隠してるのかも……な。本当の所はどうか知らないが」
結局よくわからなかった。
「……ところでこれ、どうする?」
「どうするって……どうしよう……」
私達の手にはそれぞれ赤と青の服が握られている。一体どうしよう。
目の前には色鮮やかな赤。
私が今着ている汚い布とはまるで違う。他に着る物が無いからしかたなく身に纏ってるだけ。色褪せ、汚れ、元の色がどんなだったのか思い出せない。所々破けて、変な臭いもする。そんなボロキレ。
こんなのとっとと脱いで赤い服を着てみたい。新しい服を着る自分の姿を想像して私の心が躍った。
「き、着るしかないんじゃない?」
「しかし、どんな意図があるか……」
「服を着るのに意図なんてあるの?」
そう言うとアリスも押し黙る。アリスも着たくないわけじゃない。ただ無償で与えられた物を受け入れられないだけ。
それは私もそう。魔女と知られてから私達に手を差し伸べてくれた人はいない。一体何を考えているのか……彼に対する疑いはより一層高くなる。でもそれはそれ、これはこれ。
「ええい、ぐちゃぐちゃ考えてないでこれは着るの!絶対着る、これは決定事項!いいわね」
結局強引に私が押し切った。
思えば男の子から初めてのプレゼント。そう思うとすごくくすぐったい感じがする。
次の日、私は赤い服を、アリスは青い服を着てみた。やっぱり新しい服は嬉しい。着た心地が全然違う。汚れてもいないし、変な臭いもしない。服でこんなに嬉しくなるとは思ってもなかった。
同じような時間に男の子……クーヤはやってきた。
男の子からの初めての贈り物。意識しだすと途端、恥ずかしくなる。全身がくすぐったくなり、もじもじと体を揺らす。そうでもしないとこの場から逃げ出しそうだった。全速力で。
「うん……うん。よく似合ってるね。可愛いよ」
これは酷い追い討ちだ。
それはもう、酷いとしか言いようがない。
男の子に可愛いなんて言われたことはない。魔女と知られてからは誰からも聞かれなくなった。
よくわからない感情に自分でも顔が赤くなってるのがわかる。全身の血が巡る。
「っ!うるさい!もう喋るなぁ!」
あまりの気恥ずかしさに私は炎を出して視界からクーヤを消す。
ただ、この時あまりに気が動転していて力を入れすぎた。目の前に広がる炎と同時に、私の周囲にも炎が現れ、体を燃やす。
アリスによって炎は鎮火したが、服が少し焦げてしまった。せっかく新しい服を貰えたのにすぐに傷つけてしまって悲しくなる。
目の前で贈り物を焦がしてしまったのに、クーヤは服よりも私の心配をしてくれた。その事が少し、嬉しかった。
その後だった、クーヤの様子が変わったのは。
アリスとのやり取りの中で出た先生という言葉。その後いきなりクーヤの口調が変わる。一体何が起きたのかわからない。
さっきまでの男の子の喋り方じゃない。大人の、とても落ち着いた感じの話し方。わけがわからない。
その人からの質問に受け答えて、あとはただ黙って話しを聞いた。
その人の話はどれも突拍子もなくて、難しい所もあって、受け入れる事が出来ないものだった。
話しは一旦区切られ、食事を取ろうという事になった。いつも美味しい食事が今日はいまいち味がしない。頭の中でぐちゃぐちゃと疑問が混ざってるからだ。さっきの話しも、食事の前に言われたクーヤの言葉も。
「――僕と同じ転生体という存在」
転生体って何?転生って何?私達の力が魔術?そんなことあるもんか。
食後にクーヤから説明された転生についての話しは、とても信じる事の出来ない内容だった。
クーヤも私達も転生体?私達には魔力を持ったモノが転生した?そんな事言われても信じる方がどうかしてる。でもさらにありえない出来事に、そんな疑問もどこかに消し飛んだ。
あんまりに信じられない事実がわかった。
私達の呪われた力が魔術かもしれないという事実。
渡された魔吸石という鉱石を持ったら私達の力が発動しなかった。それを見て彼は私達に声をかける。
「お前達は魔女なんかじゃない。れっきとした人間だ」
違う、そんな事はない。
私達は人間でいたいと思ってる。でも今までの扱い、町から離れたここに居る事実。それは私達が魔女だという事。
そうだ、この石に何か細工があったに違いない。でも力が使えなかったのも本当。もしかしたらクーヤはこの力の事を知ってる?でもそれを魔力だと言う。
認めたくない、認めたくない。魔女という事も、人間という事も。認めてしまったら私はこの怒りをどこにぶつければいいんだろう。
「この世界を許して欲しい……とまでは言わない。ただ、呪われた存在と自分を蔑む事はしないで欲しい」
うるさいうるさい。
これ以上私達を惑わさないで。わかった、認める。私達は魔女。呪われた力があるからみんなに怖がる。恐ろしい力があるから嫌われる。私達が魔女だから。呪われた力があるから。
「その力は怖くないよ。ただちょっと上手く使えてないだけだ」
……どうしてそんな言葉をかけるの?
閉じた目から涙がぽろぽろと落ちる。
私達は泣いた。
魔女と罵られ続けた日々。誰も彼も、親でさえも人として扱ってはくれない日常。
そんな私達達に目の前の男の子は笑いかける。
こんな風に普通に話しかけてくる存在を私達は知らない。
それは私達が遥か昔に失くしてしまった暖かさ。笑いかけてくれた、心配してくれた、受け入れてくれた、話しかけてくれた、人として接してくれた。
だから私達は泣き続けた。
その暖かさが本当に嬉しかったから。
それからはずっと一緒だった。
遊ぶ時も、昼寝をするときも。川で水遊びをしたり、魚を追いかけたり。森の中で木登りをしたり、生っていた木の実を一緒に食べたり。野山を駆け回っていたら獣に見つかり追いかけられたりもした。
クーヤに転生してきた存在を同じように先生と呼び色々教わった。
先生は何でも知ってる。
雨漏りや隙間風の多い家の補修を教わり、不細工な出来上がりだったけれども、安心して寝むれる場所となった。
森の中で食べられるもの、薬になるものとかも教えてもらった。他にも狩りの仕方、畑の作り方を教えてもらい生活での心配事が減った。
戦い方、特に魔術の事については特に詳しく学んだ。力をどう使っていけばいいかについて、魔術とはどのようなものかについて。体の動かし方から魔力の使い方まで多くの事を教わった。
その中で一つ、先生と約束したことがある。
「世界を憎んでもいい、人を許さなくてもいい……ただ魔術を使ってそいつら傷つける事は止めておくんだ」
「……どうして?私達はこの力を使って報復してもいいじゃない」
「力を使って暴れても、お前達の立場をさらに悪くするだけだ」
「…………」
「――約束、できるかな?」
「――うん」
本当はあいつらに復讐したい気持ちはある。でも私達が殺されないでいたのは人を傷つけてなかったからかもしれない。もし復讐を行ったら、今度こそ私達は処刑されてしまう、と先生は言っていた。しぶしぶながら私達は頷く。
思えば先生が教えてくれる事は全て、私達が大人に頼らなくても生きていける術を教えてくれていた。体の使い方、力の使い方、狩りの仕方、薬草として使える草の知識、家の補修や畑の作り方。そして人との接し方。私達にとって重要な生き方を教えてくれたんだ。
クーヤと一緒にいることで暖かさを思い出し、先生から生きる為の知恵を学ぶ。私達にとって彼は感謝してもしきれない大切な人。
一緒にいて楽しかった、色々学べて楽しかった。本当に久しぶりに心の底から笑った。
こんな時間がずっと、ずっと続けばいい。そう思った。
だから別れを知った時の絶望感は身が裂けるような思いだった。
だだをこねてクーヤを困らせてしまった。アリスと一緒に大泣きした。再開を約束して別れを告げた。抱きついたクーヤの体がとても温かかった。
「最後の見送りに行こう!」
別れたその日の晩、私はアリスに提案する。
「……止めておいた方が良いと思うぞ」
本当は行きたいくせに。そりゃ私だってあの町に戻るのは怖い。でも町から離れてるここじゃクーヤに会えないし、道端じゃ馬車の速さに追いつけない。アリスと色々話し合った結果、見つからないように町の入り口まで近づく事になった。
結局、最悪な事になった。
見つからないように細心の注意を払って近づいて、気づかれないよう木陰で身を潜めていたのに見つかってしまった。
私達の姿を見つけたわけじゃない。だって見つけたのは門番じゃなく魔術師と思われる人。
フードを被ったその人は門の内側から慌てて飛び出してきて、私達を見つけた。多分、私達の大きすぎる魔力が近くに来たので何事かと思ったんだろう。
「魔女め!何しに来た!」
「呪われた存在が、とっとと去れ」
違う、私達は危害を加えに来たんじゃない。ただお別れを言いに来ただけ。だから――。
「嫌だわ魔女よ、早く逃げましょう」
「くそ、嫌なものを見た。胸糞が悪い」
だから――。そんな目で私を見るな!!
そして私達の力は今までにない暴走をした。
憎い憎い憎い憎い。
煩い。悲鳴を上げて逃げ出す奴等も、私に刃を向ける兵達も。死んで喋らなくなってしまえばいい。黙らないなら私が静かにしてやっても――。
暴れ狂う感情の中によぎるクーヤとの約束。
だめ、約束は破りたくない。でも憎い。こんな奴等どうでもいいけれどクーヤに嫌われたくない。それでも憎い。煩い黙れ!お前達も私の憎悪も。約束は絶対に破らない!
葛藤する私の心。
町の人を傷つける事もなく、かといって炎を鎮める事もなく。ただ現状維持が続いた。
結局、最後まで私達を救ってくれたのはクーヤだった。
炎の中にいた私の頭を撫でてくれた事が嬉しかった。でもクーヤの苦しそうな声に胸が痛んだ。
約束を守った事を褒めてくれて嬉しかった。それよりもクーヤの状態の方が心配だった。
炎の中に身を沈めて私を抱きしめてくれた事が嬉しかった。自殺行為のような行動に私は何がなんだかわからなかった。
混乱している私はクーヤの言葉に短い返事を返すだけ。
「もう、大丈夫だよ」
その言葉が嬉しかった。
荒々しかった憎悪も、暴れていた炎も一切消えてなくなり、私はクーヤの胸で今まで溜め込んだものを全て吐き出した。
私を助けてくれた後、クーヤはすぐにアリスの元へと向かった。そんなボロボロで、傷つけたのは私で。どうしてそんなにっても私達の為にしてくれるの?私は何もしてあげられない、手助けする事も出来ない。役に立たない私は悔しくて歯を軋ませる。
何も出来ない私は近くで交わされる会話をただ聞いていた。
クーヤは特別な事はしていない。アリスの傍にいて、会話を交わすだけ。それがどれほど嬉しい事か、傍観している周りの連中にはわからないだろう。
怖がりもしない、逃げもしない。相手を傷つける言葉を吐いたりせず、当たり前のように傍に居るだけ。それがどれほど暖かいことか。魔女だからという理由で拒絶するこいつらには到底わからないだろう。
私にはわかる。幸せとはかけ離れた生活をしてきたから。
私にはわかる。アリスの心が少しずつ溶けていく様子が。
程なくして氷の塊がパキンと音を立てて崩れた。
気を失ったアリスを私の元まで運んでくれた。本当にクーヤには感謝のしようがない。
せめて言葉だけでもと発した声が、クーヤのお父さんと思う人に遮られた。その人は私を睨み、魔女と罵った。それも仕方がない事だと思う。ボロボロになるまでクーヤを傷つけたのは他でもない私達の力。どんなに謝ろうとも許されないかもしれない。嫌われたかもしれない。
それでもクーヤは――。
「これ以上、僕の友達を傷つけないで」
意識が無くなる最後の最後まで、私達を心配してくれて、友達と呼んでくれた。
「これからすぐに治療に向かわせてもらう、いいか?」
「クーヤを……よろしくお願いします」
おじさんの言葉に素直に頷いた。
門の中へと担ぎ込まれていくクーヤ。私は立ち去る事も、動く事もできず、アリスが意識を取り戻すまでその場に座り込んでいた。
意識を取り戻したアリスと一緒に帰ってきた私達は何もする気が起きず、呆然と時間を無駄にする。
今にでも駆けつけてクーヤの様子を見たい。でもそれは出来ない。
数日が無為に過ぎていった。
その日も呆然と川の流れを見ているだけだった。川を眺める私達にその人物は姿を現す。
「いやはや、今にも川に沈んでしまうような表情をしていますね」
「……あなたは」
「こんにちは、魔女の者達。教会に身を置くクルツと申します」
「……教会――!!クーヤの容態は!?」
「クーヤ君は治療に優れた場所へと向かいました。今この国には居ません。ですから彼の容態がどのようなものかわかりません」
と、魔女と呼ばれる私達に対しても牧師らしく、礼儀正しい対応で話してくれた。
「生きて……いるんですね」
「はい」
「よかった――」
あまりの安堵にその場にへたり込んだ。よかった。本当によかった。
「あなたは、何しにここへ?」
アリスが尋ねる。
そうだ、ただクーヤの事を言うだけの為にここに町の人が、特に牧師が来るはずがない。そんな疑問を浮かべた私達に、クルツさんは二つのネックレスを取り出した。
「この国を離れる前にクーヤ君にお願いされましてね。これを二人へ、と」
私達はネックレスを受け取った。綺麗な装飾品。細かい細工が施された中央には、不思議な文字が刻まれた魔吸石があった。これは魔術文字だ。
「生死に関わる傷を負いながら、奇跡的に目覚めた第一声が魔女であるあなた方へのプレゼントだったのですよ」
視界が滲む。
最後の最後の、最後まで私達の事を気にかけてくれた。クーヤになんてお礼を言ったらいいか……。
大切にそのネックレスを胸に抱き、私達は涙を落とした。
「不思議な知識を持つ少年でしたね……その文字がどんな意味があるかわかりますか?」
「いえ……わかりません」
「最初は私もただの落書きかと思っていたのですが、クーヤ君のあまりに真剣な様子でしてね。言われた通り魔力を注ぎながら書いてみると、魔吸石の耐久力が飛躍的に向上したのですよ」
「やっぱり……」
「ほぉ、興味深い事を言いますな。その文字について何か知っている事でも?」
「クーヤほどではないですが、ある程度は……」
「クーヤ君に聞いても教えてもらえませんでしたので……宜しければ教えていただけますか?」
「はい……だが――」
クーヤが話していない事を話していいかアリスは迷ってる。
先生が教えてくれた事を思い出す。教えてくれた事は数あれど、先生が本当に教えたかった事。他人に頼らなくても、二人でも生きていける術。
私達は強く生きなきゃならない。
ぐいっ、と涙で濡れた目を拭い、クルツさんへと力強く目を向けた。
「お教えいたします。その代わり、私達に魔術について教えて下さい」
アリスが驚いた顔を向ける。私の決意を感じ取ったのか、微かに笑みを浮かべると頷いた。
「ああ、私達に魔術を教えてくれるのなら、この文字の事もそれ以外の事もお教えする」
「……交換条件、という事ですかな」
「はい」
「……強かな子達だ」
呆れた顔で私達に目を向ける。私達が引かないことをわかってくれたらしく、ため息を深く吐いた。
「いいでしょう。その条件で契約成立です」
こうして私達は魔術の師を得た。そして月日は流れていく。
時間の流れというものは残酷だ。
強くなると決めた私達はまず忘れることから始めた。
全てを、ではなく。過去に受けた虐待を、扱いを。
許すのではなく、忘れる。人に対する恨みを。
時が経つにつれ色々と忘れていく。しかし色褪せない思い出もある。
クーヤと過ごした数ヶ月。絶対に忘れてはならない思い出。私達はそれを支えに生きていく。
再開の日に思いを馳せ、日々を過ごしていく。
今でも私達はここに居る。
「……信じられない事ですが。確かにあなた方の力は魔術です」
術式や魔方陣などを説明するにあたって、一番わかりやすい例えとして私達はクルツさんの前で力を使ってみせた。詠唱を行わない私達の魔術に、クルツさんはひどく驚いている。
「いやはや……魔術文字ですか……。これが世に出回ったらとんでもない事になりますよ」
「良い風にも、悪い風にも……な」
「しかし……あなた方の力が魔術とわかっても、すぐに魔女の汚名を拭う事はできません」
申し訳なさそうにクルツさんは話す。大丈夫、そんなことはわかってる。
「ここに気狂いじみた理論がある。ただこの理論が正しいとされえるには、どれほど気狂いじみていればいいかが問題なのだ」
「……それは?」
「クーヤが教えてくれました。この言葉の狂気というのは、新しい見解がそれまでにあった考え方と本質的に異なっているという意味です。効果があるものをそういうものだ、と簡単には認められないのが世間というものです」
町に住む魔術師達も私達の魔力が強大という事には気づいているだろうけど。私達が使う力を魔術と認められていない。
人は未知というものに恐怖を抱く。
その力が魔力を使用していることが理解しているかもしれないが、なぜ詠唱という過程を辿らず術を使えるかがわからなかった。
魔力という動力と、詠唱という世界を繋ぐ回線がなければ、世界に魔術を行使するという歪んだ現象を起こすことはできない。
魔術師達が無知だったとは言えない。なにせ、詠唱以外の知識は世界に出回っていない。知りようがない。
魔力と世界を繋ぐ回線は詠唱しかないと思い込んでいる。そういった世間の認識を改める事は難しい。と先生に教わった。
「驚愕するばかりです。本当にクーヤ君は何者なんですか?」
「世界を少しだけ詳しく知る者、だな。それよりもクルツさん、そろそろ魔術の講義を頼む」
「ああ、そうですね。それではまず、その巨大すぎる魔力を抑えることから始めましょうか――」
クルツさんとの関係も良好。私達の力が魔術だとわかってからは、前以上に友好的に接してくれた。最初はただの利害関係による絆だったけれど、今では少し親しくなれたと思う。
「ああ、いたいた。うわ、沢山居るわね」
「昔はあれに追い回されたな」
拓けた平地の先には猪の群れ。私達の存在に気づいた猪達が鼻息を荒くしてこちらに向かってくる。昔は半ベソを掻きながら逃げるだけだった。だけれど、今は違う。
「何匹獲る?」
「一匹で十分だろう」
「えー、燻製すれば保存が効くんだからいいじゃない」
「で?誰が運ぶんだ?」
「むぅ、仕方ない。それじゃ壁頼んだわよ」
「まかせておけ」
アリスは猪達の突進を止めるべく、辺り一面に魔術を使う。一瞬で消えていた昔とは違い、そのまま魔力を注ぎ続け氷の壁を持続させる。密度を固めた氷壁は猪達の突進にもびくともせず、壁にぶつかるいくつもの音はするけれど、一匹足りとその壁を抜けた猪はいない。
私は壁の向こう側にいる猪をじっくりと観察する。どうせなら大きい方がいいしね。品定めする私の目に一回り大きい猪が映った。あれにしよう。
標的決定。標的との目算距離……約10m。型は爆。狙いは頭。
私は力に条件を加えていく。ただ垂れ流す炎じゃない。目的を定め、その力に新たな意味を付け足す。
「爆ぜろ!」
瞬間、狙いを定めた猪の頭が爆ぜる。
ちょっと可哀相な気もするけれど。まぁ、生きながらじわじわ焼かれるよりもマシだと思う。
さらに私は力を使った。
事切れた猪の周囲が燃えていく。火力は高くない。これはただ他のを追っ払う為の行為。周りに居た猪達はいきなり現れた炎に驚き、こちらに向かってきた速度以上の速さで逃げていった。
「こんなものか」
「やったー、にく~」
「さっさと腸抜きして持ち帰るぞ」
「おっけ~」
町の人との関係も少しずつ、本当に少しずつだけれど改善していってる。
種を蒔いてくれたのはクーヤ。門の前で傷つきながらも父親に向けた言葉。子供の必死な訴えは、それを聞いていた町民の心に種を植え付けた。とクルツさんが言っていた。
その種に芽をだそうと、クルツさんも働きかけてくれた。クルツさんだけじゃなく、新しく知り合った人達も助けてくれたという。
「うん、いい茸だ」
「こっちも薬草採れたわよ」
今日は森の中で山菜採りをしていた。最近猪の肉や魚ばかりで他の食料に飢えていた。家の畑で育てている野菜はまだ収穫時期じゃない。数時間歩き回り、満足のいく収穫となった。
「さて、そろそろ――」
悲鳴が聞こえる。
アリスが帰ろうと提案したその時だった。森の奥から人の声が聞こえる。私はその方向に目を向けた。
「……なに?」
視線を森の奥へと向けていると、木々を掻き分け数人の人が姿を表した。珍しい事だった。ここは魔物も居て危険だから誰も近寄らない。森の中で初めて他人と出くわした。
「なんだお前ら!」
「それはこっちの台詞。ここは危険よ。早く立ち去った方がいいわ」
「お、おい……来たぞ!」
「くそ!追いつかれた」
その人達のさらに奥から獣が姿を現す。
その姿は狼。だけれども狼とは徹底的に違う。狼に頭は二つもない。魔物か。
その魔物は片方の口から火をちらつかせ、もう片方でうなり声をあげて威嚇してくる。その後ろから2匹、3匹と姿を現す。いい度胸じゃない、私に喧嘩を売るなんて。
一匹の魔物が彼等に向けて火を吐いた。
私は彼等と魔物の間に滑り込む。そして右手を前に突き出す。右腕がボッと燃え上がった。
「あ――おい!大丈夫か!」
「……なにこの火力。全然ダメね。こんなもので私は燃やせないわよ」
腕を振り払って火を消す。火に対して耐性を持つ私にはなんて事のない火だった。
さて、これからお返しと行こうと思った矢先、ひゅっという風切り音がいくつか聞こえる。私の横を通り過ぎた氷の槍は魔物の額を打ち抜いた。
「ちょっと、私の獲物盗らないでよ」
「ああ、すまない。つい……な」
「あ、あ……あ」
恐怖に染まった表情がそこにある。でももう、そんな風に見られるのは慣れっこ。特別恨んだりはしない。
それよりもガサガサと葉の擦れる音が周りから聞こえる。
まぁ、気配でなんとなくわかってたけれど……結構多いわね。
「ああもう、うざったい!」
「おいお前ら、下手に動くと危険だぞ」
アリスが自分と彼等を囲むように半円状の氷の壁を作り出す。私はその様子を確認した後、力を解き放った。
放射状に広がる炎。
炎は周囲に群がる魔物達を焦がしていく。周囲に魔物の気配が無くなるまで魔力を注ぎ続ける。森の中から獣達の短い悲鳴が聞こえる。しばらくすると魔物達の気配が無くなる。
私は出していた炎を消した。木々に燃え移った火にも干渉し、消し散らす。火事にでもなったらこの辺りで山菜取れなくなっちゃうしね。
「……お前達……魔女か」
「そうよ」
それがどうしたの、とばかりに私は返す。
「……何故俺達を助けた」
「別に、ただ助けが必要だと思ったからだ」
「魔女に助けられる覚えなどない!」
「魔女だ、人だと……器が小さいわね、あんた」
クーヤの億分の一も器量が無いんじゃない?
「感謝しなくてもいいわよ。偶々私達がここにいて、あんた達は助かった。それでいいじゃない」
話をしても無駄だろうと思った私は、早々会話を切り上げて去ろうとする。アリスは男達の一人に何か気づき、声をかけた。
「む、そこのお前。毒に犯されてるんじゃないか?ついてこい、薬をわけてやる」
顔色の悪い男を指差し、状態を確認した後、森を抜ける道へと歩き出した。男達は唖然としたまま動かないでいる。
「どうした?もたもたしていると、そいつが死ぬぞ」
結局、解毒薬を渡して町への道を教えてあげた。
その後、森の中で助けた人達はあらためて私達の家に訪れ、お礼を言いに来た。感謝の品として渡されたお酒が美味しかった。クーヤの千分の一くらいは器量があったかな。
その人達とも今では仲良くやっている。この前は採りすぎた獲物を一緒に運んでもらった。家の畑で取れた野菜と、獲った獲物で鍋を囲み、持ってきたお酒で一晩騒いだ。
そうして長い歳月が流れ、クーヤと別れてから10年あまりの時が過ぎた。
「最近……クーヤからの手紙……来てないな」
「うん……」
何ヶ月かに一度、クーヤからの手紙をクルツさんが届けにきてくれた。私達はその手紙を何度も何度も暗記するほど読み返し、その内容に一喜一憂していた。
文字についてはクルツさんから教わった。授業料として畑の野菜や獲った肉を納めた。最初は困った顔で受け取らなかったけれど、私達は押し切った。
文字を読めるようにも、書けるようにもなったけれど、私達から手紙は出してない。
手紙を書いて送れるほどお金が無い。紙は高価だし、送るのもかなりかかる。でもそれより、世界を転々とするクーヤの居場所がわからなかった。
手紙には今こんな所に居る、なんて内容も書かれているけれど、この手紙もどれくらい前に書かれたものかわからない。手紙を送れたとしても、それが届く頃にはすでに居ないかもしれない。クーヤから届いた最初の手紙にも、移動し続けてるから返事は書かなくていい、と書いていた。
一方通行な連絡。返事を書きたくても書けない歯がゆい状態。そしてその一方通行な連絡が今途絶えてる。
「クーヤどうしてるかな……」
コンコンと家のドアを叩く音。誰だろう、こんな時間に。
「遅くに悪いが、ラビとアリスはいるか?」
ドア越しに男の人の声。
聞いた事のない声、でも懐かしい響き。
私の鼓動が鳴り響く。ドクンドクンと鳴り響く。震える手でそっとドアを押した。
「久しぶり、元気だったか?」
軋むドアを開けた先には一人の男性。夢にまでみた、でも夢で見たのとはちょっと違う姿。ずっと会いたいと思っていた人。
「クー、ヤ」
「ただいま」
「「――おかえり!」」
私達は飛びついた。
もう会えないかもと考えた事もある、諦めようとする気持ちが芽生えたこともある、でもこうして再び会うことが出来た。
抱きついて泣きじゃくる私達。
クーヤの腕の中はやっぱり暖かかった。
「ど、どうしよう。お気に入りにいれてくれた人がいるわよ」
「取り乱すな、まだ慌てるような時間じゃない」
「こういった場合とある作法をするべきだ。まず相手との距離をとる」
「うん」
「そしてその場で膝をつき、姿勢を正す」
「おっけい」
「そして目の前の地面に手を付き」
「こうか?」
「額を地面に擦りつけてこう言うんだ――」
「「「ありがとうございます」」」