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第四十二話 響く宣言

第四十二話 響く宣言




~毒物~


「兄さん、その……ど、どうぞ」

「ルーシィ……」


 人気のない場所に二人はいた。

 昼間の仕事が一段落した合間を見計らってルーシィはクーヤに声をかけた。辺りに人の居ない場所まで連れて来ると、もじもじと身体を揺らしながら覚悟を決める。


 恥ずかしげに顔を赤らめて差し出した。受け入れてくれるのか、拒否されてしまうのか。緊張に胸が高鳴る。胸が締め付けられるような苦しさを感じながら、目の前の男性に判断を任せた。


「も、貰って下さい」

「……お前だってわかってるだろ?」


 諭すように優しく語り掛ける。

 あまり聞いた事の無い柔らかい声。彼女はさらに頬を赤らめながら視線を地面へと向けた。あまり直視しすぎると今にも心臓が破裂しそうだ。


「か、覚悟は決めてきましたから……」

「俺は、大事にしたいんだ」


 クーヤは彼女を大事にしたいと思っている。兄と慕ってくれるルーシィの事を大切にしたいと。それは揺るぐ事の無い信念とも言えるものだった。


 だが今はそれ以上に大切にした物がある。


「さぁ、料理が冷める前に」

「断じて断る」


 そう、自分の身体を――


 器に盛られた物体は静かに黒い存在感を放っていた。






 ルーシィは料理が下手だ。


 料理下手がよく提供するような単なる殺人兵器ではない。そんな陽気な物ではなく、普通に不味い。

 ただ食材を焼くだけであっても、生焼けであったり、焦げすぎであったり、素材特有の臭さがぬけなかったり。これで香辛料や調味料がふんだんに使えるとなったら、一体どんな物が出来上がるのだろうか。彼は戦々恐々としている。


 記憶力はかなり良いはずのルーシィがなぜこんな物を生成出来るのだろうかと、クーヤは不思議でたまらない。これも魔女の力による弊害とでも言うのだろうか。


「兄さんは私が真心込めて作った物を食べられないと言うのですか」

「気持ちだけありがたく受け取っておく」

「本当に上達したんですよ?」

「俺はまだ死にたくない」

「折角作った料理が無駄になってしまいます」

「そう思うなら自分で食べるんだ」


 平行線の会話が続く。

 口を尖らせながら彼女はクーヤを睨むが、やがて諦めのため息を吐き出す。自分も頑固であるのは理解しているが、彼はそれ以上だという事を知っている。


「……仕方ありませんね。この料理は私が責任を持って処理します」


 諦めた表情のルーシィが身を翻す。

 気にも留めていないような態度であるが、クーヤは彼女が背を向ける間に目尻に溜まる雫を見逃さなかった。


 涙は女の武器である事は彼も理解している。単なる嘘泣きならばいち早くクーヤは見抜き、そんな演技をする者に対してはぞんざいに扱うだろう。


 彼女に浮かぶその涙に、嘘は無い。


「まぁ待て。どれくらい上達したのか少しくらい味見をしてみよう」

「本当ですか!?」


 ぱぁっと開花したような笑顔。目尻に溜まった液体を慌てて拭い、次の瞬間には浮かれてしまった自分を恥じた。頬を赤らめながら俯き、器はクーヤへと差し出す。


「ど、どうぞ」


 器に盛られた野菜炒め。

 本当に野菜を炒めただけだ。肉は入っていない。形も一定ではなく、大きさもそれぞれ違っている。所々焦げすぎていたりするが、生焼けよりはマシだろうと少しすくって口へと運ぶ。


「ん――――これはっ」


 ひとさじ口にして彼は驚いた。

 今までに味わった事の無い野菜炒めを味覚が感知する。口に含んだ瞬間の香り、歯と歯の間で野菜をすり潰す感触、舌の上へと集ってくる咀嚼された食物達。


「ど……どうですか?」


 硬い歯ごたえとごりごりという音が奥歯から聞こえ続けている。実に生焼けだ。だが素晴らしい。ルーシィの料理を口にして吐き出さなかったのは初めてだ。確かにかみ締めるくらいには上達している。


 お椀の中にある野菜が焦げているのは何故だろうか、とクーヤは深い思考の海へと落ちる。そのまま落ちていき上がってこなければ良いとさえ考えた。噛むたびに生の芋を齧るような抵抗や、焦げ臭い苦味。口から鼻へと抜ける強い煙の臭い。

 オブラートにも包まず、端的に言って、喰えた物ではない。


 それでも、口に含ませる程度には――いやそれは少々異なるかもしれない、とクーヤの冷静な部分は否定の言葉を返してきた。

 思い返せばハーグに来てからというもの、単に食物を摂取する意味合い以外の食事は何時だっただろうか。味を楽しみ、味覚を満足させるそんな食事を愉しむという行為は……。

 そう、彼は理解してしまった。自分の味覚が例え味気なくも、不味い物であろうとも口にする事が出来るという事に。


 目尻から垂れてきた水分を拭い去る。

 残念な方向へ自分が成長している事に、少し死にたくなった。


「……お前、炭でちゃんと焼いたのか?」

「炭? あんな火力が小さくては火が通るのに時間がかかりすぎます」


 つまり薪を燃やしてこの野菜炒めを作ったのだろう。このオワゾで煙を逃がすための煙突を作っている調理場は無い。一体何処で作ったと言うのだろうか。 そして何故ここまで煙の臭いが絡みつくのだろうか。素材の香りが煙に負けるほどに……クーヤは不思議でしょうがない。


「味が何もしないが香辛料は入れたのか?」

「ちゃんと入れました。味見もしましたけれど、むしろ味が濃いくらいでした」


 勇気を振り絞りもう一さじ口に含む。

 落雷が背筋を這いずったかのような衝撃が突き抜けた。辛い、熱い、いや痛い。野菜の焦げた部分に隠れて香辛料が集まっているのを見逃した。香辛料の塊に舌が触れてしまったようだ。


「お前本当に野菜を炒めたのか!?」

「ちゃんとかき混ぜました!」


 解らない。彼女が一体どんな調理方法を行ったのか。

 ただ野菜を切り、香辛料を振りかけ、炒めるだけ。そんな単純な料理。どう間違えればこうなるのか。形が不揃いな切り方というのも原因の一旦だろう。野菜を炒める順番を間違えた可能性も考えられる。だが、それだけでは説明がつかない。

 偶々火の当たる場所が一箇所に片寄り、生焼けと焦げすぎた場所が出来たと言うのだろうか。偶然にも香辛料が混ざらず、振りかけた場所に留まった結果とでも言うのだろうか。そんな奇跡有り得ない。


 クーヤの中で魔女の力による弊害説が濃厚になっていく。


「とりあえず……水……」

「はい、どうぞ」


 焼けた舌を飲み物で潤す。差し出されたカップをひったくり、ごくごくと喉を鳴らしながら胃へと流し込んだ。

 舌が麻痺しているが、どうやら唯の水では無さそうだ。飲み込んだ後からじわりと食道を焼く感覚がやってくる。それとは逆流するように、果実のような甘い香りが立ち上った。そして、発酵臭も。


「――って酒じゃねぇか」

「母さんが見つけた物です。その実そのままでは美味しくありませんが、発酵させるとごらんの通りお酒になります。パルミラ酒というそうです」

「たくっ、昼間から酒飲ませるなよ」

「エリーナさんに試飲を頼まれていたので……」


 アムは足が悪いため、よく探索隊に普段取って来ないような植物も持ち帰ってきて欲しいとお願いしていた。

 アムが発案し、エリーナ達によって作られたパルミラ酒の味見役に選ばれたようだ。酒の苦手なルーシィは飲めないが、断るに断れなかったらしい。


「舌がいかれてて味はわからんが、悪くないんじゃないか?」


 飲みやすく、香りも良い。これなら女性にも好評だろう。だが、水を欲している時に酒を飲ますのはいかがなものかと思う。

 アルコール度数はそれほど高く無さそうだ。この程度一気飲みした所で彼が酔う事などありはしない。

 だが、この後も仕事はまだ続く。酔っ払っては頭も働かず、手元も狂ってしまう。試飲はまた別の誰かに任せる事として、カップをルーシィへと返した。


「……あ、れ?」


手に持っていたカップがするりと落ち、中身を地面へと撒き散らした。


「兄さん?」


 一体どうしたのだろうかとルーシィが心配そうな顔をしている。

 濡れる地面と転がるカップを見つめていると、視界が波打つようにぐにゃりと歪む。その波に呑まれるように、クーヤの身体が右へ、左へと傾いた。

 ぐるぐると視界が回る。バランスが保てない。踏みとどまろうとするが、足に力が入らなかった。


「兄さん!」


 そしてそのまま地面へと倒れた。

 ルーシィの悲鳴を聞きながら、クーヤは気を失った。






 ルーシィ達の家はクーヤ達のログハウスの近くに建てられている。

 現在、それぞれの分野で認められた者に対しては個人の住居が認められているが、ルーシィ達の住居は彼女達が此処へ訪れた当初より建てられた。他の者が長屋に住んでいるのに対して優遇されているようにも思えるが、これは互いに亀裂を生じないための対策でもあった。

 だが今や彼女に不満を持つ者は居ない。魔女達が集るこのオワゾにとって、ルーシィの変形は彼女が当たり前に使う力としての認識が広まっている。そして、アムはオワゾの薬剤師として貢献していた。


 アムの診療所にはハーグで採れた様々な薬草や茸、それらを調合した薬品が並べられている。ウィムやニールによって育てられた魔術師達の中で、治癒魔術に才能が有ると認められた者もこの診療所で薬学を教わっていた。


「母さん! 兄さんが!!」

「あら。一体どうしましたの?」

「あの……その……私の料理を食べたらこんな事に……」

「……クーヤさん、ご愁傷様です。んー、でも腹痛ってわけじゃなさそうですね。この症状は……酔っているのかしら?」


 ふらふらと千鳥足のクーヤ。普段無表情であり、アルコールにもそれなりに強い彼が此処まで陶酔するのは初めて見る様子だった。


「とりあえず寝かせて起きましょう」


 半刻ほど眠りこけたクーヤが目を覚ます。

 気分の悪さもなく、先程感じた急激な視界の歪みも治っている。ただ少しだけ頭が重かった。


「あら、もう起きてしまったのですか?」

「……アムさん。俺は一体……」


 喉に乾きを覚えていると、アムがカップを差し出してきた。受け取ったカップをじっと見つめ、中身の臭いを嗅いでみる。唇を濡らす程度に含んでみるが、今度は本当に水のようだ。そのまま一気に飲み干す。


「――ふぅ。んで、思い当たる事が多すぎて解らないんだが……一体どうなったんだ?」

「食べ合わせです」

「食べ……はぁ?」

「はい。アサの実とパルミラ酒のです」


 香辛料にもなるが陶酔作用のあるアサの実と、呑み易いが実はアルコール度数は高いパルミラ酒の両方の作用による泥酔。

 話を聞いている最中、ずっとじと目でルーシィを睨むがうつむいたまま一向に視線を合わさなかった。


「もう、ルーシィったら。私の棚から持ってく時はちゃんと言わないと、アサの実もこんなに使って」

「だ、だって……母さんが分別した所に香辛料って……」

「あそこの棚は香辛料ですけれど、毒が有る物という意味なんですよ」

「それならそう書いて下さい!」

「あ、クーヤさんそんなに心配しないでください。確かに此処のアサの実は普通の物よりも薬効が強いですが、症状は陶酔するだけですので」

「というか分別って……ハーグの植物は変わっている物が多いが、薬効を調べていたのか?」

「ええ、確かに此処の植物は変わっている物が多いですね。果実や茸は顕著に、薬草なども少し効能が変わっています。ですから調べないと使う事が出来ません」

「一体どうやって……」

「うふふ、知りたいですか?」


 その笑顔に怖気づいたクーヤは拒否の言葉を伝えようとするが、アムはお構い無しに近くの扉を開けた。


 人の手が見える、うめき声が漏れる、白目を剥いているものも居る。


 そこにはぴくぴくと痙攣を繰り返すイース達の姿があった。天井を仰ぎ、目を瞑って眉間を揉む。何か見てはいけないものを見てしまった気分だ。

 目を瞑ったまま開け放たれた入り口へと近づき、足で扉を蹴飛ばして閉める。近づいた時、「た、たすけ……て」とか細い声を耳で塞いだ結果だ。


「人体実験には賛成出来ないが?」

「アリスさんに風呂場を覗いた罰として薬草学の発展に貢献してもらっただけですよ。あ、心配しなくても、致死量は与えていません。少しずつ増やしていきましたので」


 その結果がこの扉の向こう側に居る者の末路である。いっそ一思いに殺してくれた方がありがたかったかもしれない。


「分量を間違えれば薬も毒になります。その逆に毒も扱い方を間違えなければ薬となります。そうそう、メモしておかなきゃ。此処のアサの実と同時にアルコールを摂取すると陶酔作用が増幅する――と」

「俺を実験台にするなよ……」

「薬草学は日進月歩。今この時でさえ、進んでいるのです。折角結果が目の前にあるのですから、報告書は書かないと」


 報告を書き終えると、アムは棚から数種類の薬草をすり鉢の中へ入れてかき混ぜた。手早くすりこぎを回すと、ごりごりと薬草を潰す音が響く。狂いの生じないその一定のリズムはアムが如何に手馴れているかを理解させた。


 音が止み、作り上げた薬をクーヤに差し出す。


「はい、後はこれを飲めば回復しますよ」

「いや、もう大分良くなったが?」

「駄目です。甘く見てはいけません。これを飲んでたっぷりと休んで下さい」


 叱るような仕草だが、迫力は感じない。アムは何時もこのように怒る。

 聞き分けの無い子供を諭すように、だが決して声は荒げない。相手の事を思いやり、表情は真剣なのだがどこか柔らかい。


 変わらないその叱り方に懐かしさを覚えた。

 少し睡眠を取ったため酔いはある程度回復していたが、折角の好意を無下には出来ない。


「わかりましたよ」


 ため息を一つ吐いて、多種の薬草を煎じた物を一気に飲み干す。

 苦味は一瞬で喉を通り過ぎ、思っていたよりも飲みやすい。薬を飲んだせいか身体が軽くなるったような気さえする。プラシーボ効果だろうがなんだろうか、今はそれに縋りたい。


 この後は仕事が沢山詰まっている。報告書に目を通す作業や刃物の仕上げ、兵士達の錬度についても耳に入れておきたい。各種族における役割や、戦略についても考えなければならないだろう。やる事は限りが無い。


「休んで下さい。そう、たっぷりと――」


 器をアムに渡そうとした腕が止まり、手の中から零れ落ちた。カシャンと音を立てて砕けるその破片を見ながら「やってしまったなぁ」とどこか遠い自分が感想を述べている。


 クーヤの視界がぐらりと揺れた。


「くそっ、アムさん……何を入れ、た」

「心配しなくても大丈夫ですよ。ただの睡眠薬ですので。少しだけ、強力な」


 床に倒れたクーヤがアムを睨みつける。焦点が定まらないその視界の奥にあるアムの顔は陰っており、表情は伺えなかった。ただ、艶のあるその唇が薄く延びているように思う。


「ラビさんやアリスさんに言われているのです。クーヤさんはもう少し休むべきだと」


 私もそれに賛成します、という言葉がクーヤに届く事は無かった。


「この、毒物製造親子……め」

「お休みなさいクーヤさん」


 視界がブラックアウトした。


 どれくらいの時間が過ぎたのか。ここ最近感じたことの無い、全てがクリアに見えるような目覚め。何故自分は此処にいるのだろうかと疑問に思うが、急速に覚醒した脳は寝る前の事をすぐに思い出した。


 クーヤが寝床から起きると二人の姿が見えなかった。この家に風呂は作っていない。露店風呂にでも行っているのだろうか。


 立ち上がり、窓を開けて外を見る。

 頭の奥底に付きまとい続けた霞が、いまや晴天の空のように澄み渡っている。




 ずっと肩に圧し掛かっていた重さが消えうせ、妙にすっきりとしている。




 これほど快調なのは一体いつ振りだろうか。窓の外を見て目を細める。




 アムの腕は衰えていないと知った、昼の日差しであった。








~体温~



 夕日が地に落ちたのはもう大分前の事だろう。

 気温は零へと下がり続け、鋭利な刃物のように皮膚へと突き刺さる。部屋の外は薄い闇、天に空いた穴のような月が一番の光源だった。月から降りる光はオワゾの外観を柔らかく照らし、しかしその光量では室内を照らすにはあまりにも頼りない。

 暗闇を恐れ、各々の住居には囲炉裏に炎が灯り、部屋を仄かに彩っている。その中では家族や仲間達との談笑が交わされている事だろう。点在する頼りなくも確かな光源に温もりを感じながら、月に照らされる家路を辿っていく。


 外での仕事を終えてログハウスに帰ってきたクーヤは暖かな炎にほっ、と息を吐き出した。かじかんだ手を囲炉裏にかざして和らげると、一人ではやや面積のある広間を見渡す。珍しく、二人の姿が無い。


 こんな夜更けにも関わらず、ラビとアリスは何処かへ出かけているようだ。いや、囲炉裏に火が灯っていなかった事から察するに、まだログハウスへと帰ってきていないのだろう。訓練の時間はとっくに終わっている。一体何処で油を売っているのだろうか。


 そう疑問に思いながらも、彼女達の心配は特にしていない。

 彼女達の事だ、なんらかの優先する用事があるのだろう。そしてそれは村全体の、誰かの為になる。

 ならば自分は、と外から帰ってくる彼女達へ労いの準備を始めた。浴槽の湯を沸かし、囲炉裏へ炭をさらに追加し部屋を暖める。その上には鍋を天井から吊るして簡単なスープを作り始めた。


 出迎えの支度が終わると、焼き所から持ち帰った道具を広げ始める。

 隣で炭を焚いているが少々光度が足りない。床に魔方陣を描いて魔力を込めると陣内が明るく灯され、布に包まれた細長い棒状の物を手に取った。


 取り払われた布の中から、むき出しの日本刀が姿を現す。

 幾度も研磨が繰り返され磨き鍛え上げられた金属の刃は、足元で光る魔方陣よりも遥かに濃厚な輝きを放っていた。

 緩やかに反った刀身には見る者を魅了する波模様。蠱惑こわく的な刃文が浮かぶ刀身へ、クーヤはあろう事か文字を刻み始めた。一文字、一文字、丁寧に彫られていく魔術文字。両側面に描かれていく字は刀身の根元まで連なり、やがてその先のなかごまで辿り着く。


 なかごには固定用の目釘穴が二つ、そして柄頭には大きめの穴が開いていた。文字が穴に触れないよう字同士の間隔を考えながらさらに掘り進め、やがて文字は刀の切先から柄頭に空いた穴の前まで辿り着く。刀の反りに合わせて緩やかに曲がる文字の羅列は世界の鍵たる術式として成り立った。


 一つ、息を吐く。そして再び手にした細い金属の先端をクーヤはさらに茎へと押し当てる。術式の邪魔にならぬよう、つつましげに掘られたのはクーヤ自らの名前。表銘には共通言語で彫られた製作者名、その反対側の茎には裏銘として『飛霜ひそう』という刀銘が漢字で刻まれる。

 柄を被せ、目釘を金槌で叩いて固定。その柄の根元には蒼色の魔吸石がはめ込まれた。


 新しく製作された短剣にも同じ作業が行われる。

 彼が手にした短剣は直刀にして諸刃。刀身は肉厚で幅が広く、その切っ先から柄に至るまで全てが左右対称となっていた。その形状はグラディウスに近いが、機能としてはマインゴーシュ。いや、その二つの中間点というのが一番しっくり来るかもしれない。


 刀に描いたものより小さめの魔術文字をつらつらと描いていき、茎の部分には製作者の銘、反対側には漢字で『漂煙ひょうえん』と刻まれた。柄の中央部分には紅色の魔吸石がはめ込まれている。


 出来上がったばかりの作品を光に照らす。刀身の切っ先から柄の頭まで全体を眺め、細部を注視し、それぞれの重心を把握する。

 右手には細く長く、緩やかな曲線を描いた片刃の刀。左手には太く短く、左右対称な諸刃の短剣。形状、性能共に異なる二つの刃物は彼の特殊な戦闘スタイルを表現しているようだった。

 少し魔力を込めると術式の中に魔力が流れていくのが知覚できる。術式という回路には問題無いようだ。


「試してみるか」


 刀を床に突き刺し、頭の中で秒数を数える。そのカウントが零になるのと同時に、彼の目前には仕掛け槍のように突如飛び出した太い氷柱がそそり立つ。発動までの時間や発動場所、氷柱の高さとその形状。全てに狂いは無い。

 座ったままの姿勢から床に刺さった刀を抜き、一閃。重心の位置、刀の切れ味、柄を握る馴染み具合。全てにおいて良。


 斬られた事を今知ったかのように、ズズッと胴体切断された氷が滑っていく。氷片が床に落ちる前に彼は左手の短剣を前へと掲げた。

 突然、目の前の空間がはじけ飛ぶ。爆発の衝撃は前へと射出され、粉々になった氷の欠片がキラキラと舞い散り、やがて部屋の温度によって溶けてなくなった。威力、方向性、共に問題なし。

 空中で順手から逆手に持ち替え、残った氷の半身へと突き立てた。

 じわじわと水蒸気を撒き散らしながら氷は溶けていき、やがて何も無かったかのように床に突き刺さった短剣だけが残った。刃の鋭利さ、頑丈さ、不満な箇所は特に無い。


「まぁまぁ満足だ」


 完成した刀身を眺め、それぞれの鞘へと収めていく。

 緻密かつ控えめな細工が施された木製の、革製の鞘に刀と短剣が収まる澄んだ音が鳴り止むと、ログハウスの扉が開く音が後ろから聞こえてきた。


「う~、寒い寒い」


 ラビがログハウスに転がり込んでくる。白い息を吐きつつ、身を震わせていた彼女は部屋の暖かな温度に安堵の表情を浮かべた。


「お帰り、風呂は沸かしてあるぞ」

「さっすがクーヤ気が利くわね……でも、その前に」


 悪戯っ子の笑みを浮かべ、ラビは背を向けるクーヤへと飛び掛った。彼の首に彼女の両腕が絡みつき、肩には顎を乗せ、頬をくっつき合わせる。合わさった各部から、折角温まった体温を全て彼女に盗られる感覚がした。


「うりゃ、どうだ、冷たいでしょ? 私の苦労を味わいなさい」


 他者には絶対に見せない子供っぽい一面。他の者が今の彼女を見たら仰天するか、目を疑うだろう。腰を抜かす者も居るかもしれない。


 ラビは持ち前の姉御肌で住民に慕われていた。誰とでも快活に接し、困っている者が居れば手を差し伸べる。容姿に惹かれながらも、その性格から女性を感じさせない場合もあるだろう。

 だがラビもまだ若い。オワゾを守る者として、重要人物として、威風堂々とした振る舞いを見せているが甘えたい時もある。それがこのログハウスの中で遠慮なく晒す彼女の一面だ。

 後ろから抱きつく姿は家族に甘える幼子のようだ。といっても無邪気という訳でも無い。クーヤの背中に自身の豊満な胸を押し付け、彼を挑発している。


「ああ、寒い。凍えそうだ」

「でも男の子にとってはご褒美でしょ?」

「天国と地獄と言ったところかね」


 その対処にも彼はもう慣れたものだ。

 相変わらず背中にはぐにぐにと柔らかい果実が吸い付き、温もりを逃がすまいと強く後ろから抱きしめられている腕は彼の胸板をさすってきた。そんな状況にも彼は動揺せず、鞘に収めた刀を床に置き、空いた掌でラビの頭を撫で始めた。


「む~、最近クーヤの反応が薄くてつまんない」

「…………お、おい……お前、その背中に……だな、む、むむ胸が――」

「キモイわ」

「だろう?」


 しばらくゴロゴロとクーヤの体温を感受した後、ラビはよしっと言う掛け声と共にその場から立ち上がった。離れる際、軽く甘噛みされた彼の耳たぶが少し赤くなっている。それ以上に彼女の頬は上気していたが。


「それじゃ、お風呂貰うわよ。あ~、疲っかれた~」

「お疲れさん、ゆっくり休んでくれ」

「覗かないでよ」

「それは振りか?」

「ばーか」


 軽口を叩きつつ、支度を整えたラビは風呂場へと姿を消していった。

 通り過ぎる前に見た彼女の様子。膨大なはずの彼女の魔力がかなり減っていた。戦闘訓練で消費した分もあるだろうが、それだけでは無いだろう。汚れた指先、冷え切った身体、帰宅までの時間を考えると物見矢倉全ての箇所に暖を与えに行ったのかもしれない。


「まったく、面倒見が良いな」


 程なくしてアリスも帰宅した。

 彼女はラビと違い、白い息を吐く事も身を震わせていることも無かった。流石は「煌く雪(ブルースノー)」というありがたい称号を貰っただけはあるな、という感想を彼は抱いた。


「今帰ったぞ」

「お帰り、飯にするか? 風呂にするか? それとも――」


 クーヤが台詞を言い終わる前にアリスはずかずかと彼へと近寄り、その顔を両手で覆った。氷のような掌が頬の熱を下げていく。この姉妹は何故にこうも体温を奪おうとするのか、クーヤは苦情を言いたい気分だ。

 渾身のギャグをかまそうとした出鼻を挫かれ、クーヤは眼前に来たアリスの瞳をじっと見つめ続ける。暫くすると真剣な彼女の表情が崩れ、ほっと息を吐きだした。頬の拘束を解き、アリスは胸を撫で下ろす。


「……顔色は良さそうだな。安心した」


 この頃の無茶な仕事ぶりを心配していたのだろう。毎日顔を合わせる彼女達ならばその心配は誰よりも大きい。

 だが先日、強制的に休みを取らされた。彼自身としてはとても不本意ながらも、これ以上無いほど身体の調子が改善したのは確かだ。要らぬ心配をかけてしまった事が心苦しい。だが、一対一で面と向かって謝罪するほど彼は素直では無かった。


「このままキスでもするんじゃないかと待ち構えてたぞ」


 キョトンとした表情のアリスに対してクーヤは薄い笑みを返す。

 他の者に返せば人の心配を足蹴にしたような反応であろうが、アリスは彼の奥底にある胸中を汲み取った。心配かけた、そしてありがとう。二つの意味での謝意。それを覆い隠す彼の照れ。


 天邪鬼な反応をする男性に、彼女は同じような微笑をクーヤへと返した。


「そうかそうか、そんなに期待されては敵わんな」

「いや、そんな仕草だからそう思っただけだ」

「唇も口の中もかなり冷えている、存分に暖めて欲しい」

「なかなか激しいのがお好みのようで」


 胡坐をかいたクーヤの上にペタンと座り、ゆっくりと腕を首の後ろへ回していく。腰を前に突き出し、彼の腹部へと押し当てながら腕にさらに力を加えた。互いの胸部は隙間無く合わさり、弾力のある肉がぐにゃりと押しつぶされる。

 艶っぽく熱い息が彼の顔に降りかかり、先程よりも近い互いの唇がさらに距離縮まった。


「だが残念ながら、私は好物を一番最後に食べる主義だ」


 アリスの声が彼の耳朶をくすぐる。

 素通りされた唇がかすかに乾き、クーヤは一度だけ頭をかいた。


「焦らしプレイとはいい性格してるな」

「それを私に教えたヤツが何を言う」

「はいはい」


 空いた手を彼女の背に回し、むくれる彼女の背中をぽんぽんと叩いてなだめた。心地よい振動に彼女は腕の力を少し緩め、体重を前へとかけていく。しっかりと受け止めてくれたクーヤという存在。男性の厚い胸板から伝わる心臓の音が心地よく、彼女はいつしか目を閉じた。


「食事にするか?」

「ああ、頂こう」


 十分満足したアリスが離れると、クーヤは作っておいたスープを椀へと盛り始める。薄い塩味を香草で誤魔化した簡素な汁物。湯気の立つ椀を受け取り、一口飲みこんだ。じんわりと身体の内部が暖まる感覚に彼女は頬を緩ませた。


「美味しい、温まるな」

「そりゃよかった」


 二人によって体温を奪われたクーヤも、鍋からすくい自分の椀に盛った。

 先程まで後ろからも前からも熱を奪われ、込み上げるくしゃみを留めるのに必死だった。彼女達の身体はそれほどまでに冷えており、特にアリスは氷を抱いていると錯覚するほどに体温が低かった。

 多分冷蔵庫で食料の備蓄の確認や、魔方陣の起動が上手く出来ているかの確認などしていたのだろう。主たる部分は他の魔術師に任せたといっても、完全に任せっきりにするわけにもいかない。冷凍の場所なら凍らせればいいだけだが、冷蔵の場所の温度管理は中々に難しい。なにも日が落ちた後にやらなくとも、と考えたが日中は訓練で忙しくやるのは先程の時間しかないのだろう。


「お疲れさん」

「クーヤもな」


 椀に盛ったスープに一つ口をつける。味は薄いが身体の芯が温まっていくのがわかる。ただもう少し塩味が欲しいと心の中で愚痴りながら、また一つスープに口をつけ始めた。







 夜は静かなものだった。

 全員が風呂に入った後は各々自由に時間を潰している。クーヤは銃の整備を、ラビとアリスは今まで集った報告書に目を通していた最中だ。


 カチャカチャと、クーヤが銃をいじくる音だけがその空間に響いている。

 回転拳銃であるコルトSAAを分解し、その一つ一つを構成する部品に触れ、汚れを拭い適度に油を差す。あまり使用頻度が高くは無いが、メンテナンスは定期的にやっていた。現在行っている作業も手馴れたものだ。


 銃身からネジの一個に至るまで、彼自身が持つ定位置にそれぞれの部品を綺麗に並べていく。バネを一つ取り、その消耗具合を確認する。また元の位置に戻し、今度は銃把グリップの一部を手に取った。

 自分の手に馴染むその部品には、中心に魔方陣が描かれそこから回転弾倉に向けて術式が伸びている。回転弾倉にはぐるりと魔方陣が一周し、銃身には一直線に走る術式が刻まれていた。


 弾丸の補給が乏しい現在、銃に刻まれたこの魔術文字が最後の生命線だ。最終的には魔吸石から動力を引っ張りたい所だが、現状では致し方ない。


 回転拳銃の整備を終え、手ぬぐいで銃の表面を拭うとトリガーを一度引く。撃鉄が弾倉の底を叩く金属音が聞こえる。動作に支障は無いようだ。最終確認は明日へと回し、次に単発拳銃であるコンテンダーを手に取った。

 その銃身にも同様に術式、グリップには魔方陣が描かれている。こちらは構造が単純な分、整備も多少楽だろう。手早く分解し、部品を並べ始めた。


「ところでそれはどうしたんだ?」


 背中からアリスの声が聞こえる。彼女が指摘したのは、クーヤがくわえているパイプの事だ。

 各自好きなように過ごしてはいたが、三人共一箇所に集っていた。アリスは今、クーヤの背中を背もたれにしながら報告書を読んでいる。風呂上りの火照った体温が暖かい。


「これか、自分で作ったんだ。いいだろう」


 クーヤがちらりと後ろを振り向くが、アリスの視線は書類に向いたままだ。パイプに特別興味があるわけでもなく、会話のきっかけとして話かけたわけでもない。ただ、そこに彼が居るという実感が欲しかっただけなのだろう。


 しかし折角作った自分の作品に興味をもたれなかった事をクーヤとしては残念に思う。作業を一時中断し、くわえていたパイプを手にとって視線を下へ向けた。


「特にこのカーブの曲線美とか」

「そんな事聞いてないし、別に興味ないし」

「ああ、そうかい」


 痛烈な言葉が膝の上から返ってきた。ラビは今、胡坐をかいたクーヤの足を枕にし書類に目を通している。寝転がりながら足を組むその姿勢はなんともはしたない。だが、彼女等にとってこれは極自然な姿だった。


 住人の前では必要以上にベタベタ接する姿を彼女達は晒していない。それは恥ずかしいという羞恥の面もあるだろうが、村の中核を担う彼等が毅然とした態度で回りに示しをつけるという面もある。

 そういった線引きは必要であるが、彼等が住民の前で交わす会話の淡白さに不仲なのでは、と住民に心配をかけているようでは元も子も無いだろう。


 ただ、外での素っ気無さとは裏腹にログハウスの中では遠慮が無い。

 ここ数日はクーヤの疲労具合から自粛を心がけていたが、過剰なスキンシップや積極的なセックスアピールもオワゾに来てからは日常であった。このように静かに過ごす場合でも隣に居るのが自然だ。


 アリスも後頭部をクーヤの背中に乗せ、気の抜けた体勢で次の書類を手に取った。


「ただでさえ仕事量が多いんだ、無駄な労力を使うんじゃない」

「そう責めるな、これは俺の秘密兵器になるんだぞ」

「そうなの?」

「ああ、葉巻だとどうしても手に持つ部分まで吸えないだろ。もったい無い」

「は?」

「それを解消するのがこのパイプさ。これがあれば最後まで無駄なく吸いきれる。これ以上無い最終兵器だ」


 クーヤの言葉に二人は唖然とした表情で固まった。


 葉巻は商品となるまでの作業量が多いためとても高価だ。乾燥させた葉だけ購入した方が安上がりである。そして無駄も無い。いまは葉巻の残った部分を集め、バラバラに分解して葉巻に詰めている。根元まで完全に吸いきる為の苦肉の策だ。


「けち臭いわぁ~」

「底知れぬ執念を感じるな。吸うのを止めるのが一番だと思うぞ」

「おいおい、喫煙は俺の戦闘手段でもあるんだぞ。俺から選択肢を減らしたらさらに弱くなっちまう」

「でも、好きで吸ってるんでしょ?」

「勿論だ。それにこれなら吸いたい分だけ葉を詰めればいい。なんとも無駄が無いこのパイプ(秘密兵器)はとても有意義な物だ」

「あー、はいはい」


 ラビはパタパタと手を振ってクーヤの言葉をあしらった。アリスもやれやれと首を振り、書類に目を戻す。

 二人が興味を失ったパイプを再び口に咥え、彼も再び作業を開始した。クーヤは黙々と整備を進めていき、単発拳銃が組みあがった頃には彼女達も報告書を読み終えていた。


「よし、整備終りっと」

「お疲れ、今日はそろそろ休むか?」

「そうだな……」


 布団はすでに敷かれており、寝る準備は万端だ。しかしまだ少しだけ起きていたい気もする。そこでクーヤに提案が浮かんだ。今日の昼間にエリーナから受け取った物を思い出し、袋から取り出した。


「いや、ちょっと飲みたい気分だ。付き合ってくれるか?」


 袋から取り出した陶器の瓶。栓を開けると果実の甘い匂いに発酵臭が混じった香りがあふれ出す。アルコールの匂いにつられ、ラビは仰向けにしていた身体を飛び起こした。


「えっ! お酒ってまだ残ってたの!?」

「残っていたというよりも、エリーナ達が作ったパルミラ酒という酒さ。まだ試作段階らしいが、味は悪くなかったぞ。飲むかい?」

「飲む! ぜったいに飲む!」

「酒を造れるようになったとは驚きだ。私も頂こう」


 トクトクと耳に心地よい音が瓶の口からあふれ出す。はやる気持ちを抑えつつ、ラビはお猪口に注がれたパルミラ酒をくいっと飲み干した。


「あ~~、美味しいぃ」

「良い香りだ、それに飲みやすい。これはもう改良する必要は無いんじゃないか?」

「さぁな、そこは職人のこだわりがあるんだろうよ」

「クーヤ、クーヤ。もう一杯」

「私も一つ」

「お前らちゃんと味わって飲めよ」


 お猪口に酒が注がれる澄んだ音、部屋に果実と酒の混ざった香りが漂う。傾けたお猪口から液体が無くなり、あらわにした喉から酒を嚥下する音が聞こえてくる。いつしか彼女達は彼の肩へと寄りかかった。

 隣の者の体温を感じる。それだけで人は安らげる事が出来るのだ。


 ゆっくりとした時間が過ぎていく。無駄な会話は特にせず、誰かの器が空けば別の者が陶器の瓶を傾け酒が満たされる。

 誰もがそのゆったりと流れる空間と、酒の味や香りを愉しみながら夜が更けていくのであった。






 翌日、珍しくクーヤは二人が起きる前に目を覚ます。彼女達を起こさぬよう布団から抜け出し、朝日の昇る外へと出かけて行った。

 風は無いが、空気が凍てついている。暖を求めるかのように、刻んだ葉を詰めたパイプを取り出して火をつけた。外気の低下によって生まれる白い息とは別に、口から白い煙が吐き出される。


「今度イースさんに……いや、アッガー達が買い物に行く時にはパイプ用の葉を買ってきてもらうか」


 今度、という言葉に自身が反応を示す。そう、その今度が訪れるためには眼前に迫る脅威を取り除かなければならない。明日を生きるため、これからのため、未来のため。

 そう、昨日のような日常をずっと続けるように。隣の者の体温を感じられる日々を――


 そのためにやらなくてはならない事がある。クーヤは通信機を取り出した。


「あー、あー、こちらオワゾの代表を務めるクーヤと言う者だ」


 とある方角へと身体を向け、語りだす。魔力の籠もった声は遥か先の場所へと運ばれていき、声を飛ばした方向を見つめたままじっと佇む。早朝にも関わらず、魔力を纏った風は直ぐにオワゾへと帰ってきた。


 空を見上げて語りだす。

 冬の空は張りぼてのように動きが無く、静止した世界には音も無い。あれほど煩かった虫の声も無くなり、冷たく身を切る風の音も今は止んでいる、魔獣達が徘徊する音も最近は耳にしなくなり、動物達の鳴き声は元より聞いた事が無い。


 酷く静かだ。そして頃合いだ。

 クーヤが発する声は周囲に漏れる事は無く、秘匿の会話が続いていく。無音のやり取りは幾度も交わされ、やがて終りを迎えた。


 パイプの葉が燃え尽きた頃、彼は頬と肩で通信機を挟み込み腰へと手を伸ばす。ホルスターから抜いた単発拳銃コンテンダーの中を折り、むき出しとなった銃身の末端。薬室チェンバーに一つ……弾丸を込めた。

 装填し終えた銃をゆっくりと動かし、やがてピタリと止まる。銃口を向けるのは丘の先。引き金に人差し指をそっと置いた。


 耳をつんざく発砲音。

 空気が張り裂ける轟音に、目を覚ました住民達が何事かと家から飛び出してくる。慌てふためく彼等を視界の端に捉えつつ、最後の通信が風に乗り運ばれていく。


「始めよう…………開戦だ」


 日常が終り、戦がやってくる。



「オークの討伐を始めたい。そちらの意思はどうだ?」

「クククッ、ついに時は満ちたか。あの野蛮な豚共の悲鳴を聞く時が!!」

「人間に手を貸すというのは不本意ではありますが……わたくし達にとっても意義のある事ですので致し方ありません」

「はっきりと聞こう。この戦、一緒にやるかい?」

「ヴェイクの長、魔人・真理を追求する者(ステルスアリシア)。此度の戦に手を貸す事を表明しよう」

「トゥループの長、ピピン。今回の討伐に参加いたしましょう」

「そうかい。協力に感謝する」


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