第四十話 金属の音
楽しいとは普遍的に続くなんでもない状況の中にこそ、生じるものなのかもしれない。
第四十話 金属の音
~家族~
焼き所から金槌で叩く音が聞こえる。
甲高い音を響かせ、加熱された鉄が火花を散らせながら鍛え上げられている。熱波が彼の頬を焼き、彼の額からは小粒の汗が噴き出した。玉のような汗は頬を伝い、顎の先端で留まり大粒の雫へと変わっていく。そしてまた一筋の軌跡を残し、頬を滑り落ちる。
カンッ――
金属同士が強くぶつかる音が空気を振るわせた。
後から流れた汗は顎に留まっていた雫と合わさり、やがて地面に放射状の模様を描く。地面に落ちた水滴は何重にも重なり、その数は計り知れない。油絵のように何度も重ねられたその模様は、彼の作業時間の長さを明確に物語っていた。
「――ふぅ」
焼き所にずっと響いていた音が止んだ。
額に溢れ出た汗を袖口で拭い、出来上がった作品を睨みつける。
柄から切っ先となる部分へ。しっかりとした厚みがあり、真っ直ぐでブレのない芯の通った刃物であった。いまだ灼熱に光る金属を裁断機のような道具で刃を成形していく。刀身の部分は細部まで確認は怠らず、綺麗な直線を描くように丁寧に形を整えた。
「ん……上出来だ」
出来上がった刃物を近くの柱に立てかけ、同じ姿勢を持続して凝った身体を伸ばす。最後の仕上げはまた後ほどだ。今は暑くなった身体を冷ましたかった。
とりあえず休憩を入れようと焼き所の長椅子へと向かう。長椅子に座ると冷えた風が髪をなで、熱された身体を癒してくれる。仕事を労ってくれるようなその心地よさに彼は目を瞑り、その音に耳を傾けた。
「クーヤ様、お疲れ様です」
目を開けると隣にはナナが腰掛けていた。
朗らかに笑いながら水の入ったカップを両手で差し出している。礼を述べて受け取り、喉を潤すと少し温かった。どうやら仕事が一段落するまで待っていたようだ。
「お仕事順調ですか?」
「まぁまぁだな。ナナの方はどうだ? 此処の生活に不満は無いか?」
「全然無いですよ。外で遊べて、ご飯も食べられます。怖い事もありません。屋根の下で眠れて、お布団も温かいです。それだけで十分幸せです」
「そうか」
ささやかな事に幸福を感じている少女の頭を撫でると、照れたような可愛らしい笑みが返ってきた。この笑顔を絶やさないためにも少し頑張らないといけない。
「此処はすごいです。クーヤ様のような人間も、狼獣人さんも、鳥獣人さんも、私達も、皆仲良く暮らしています」
実際の所、慣れない奴隷達はクーヤ達の言葉に従っているだけなのが現状である。幼い彼女にその事実は理解できていない。ナナには仲良く過ごしているように映るようだ。その思いを否定したくなく、彼は少しばかりの嘘をついた。
「そうだな……皆家族のようだ」
「家族……」
言葉を零すとナナが顔を俯かせた。長椅子から投げ出された足をぶらぶらと揺らし、耳はせわしなくピコピコと動いている。何が引っかかったか解らず、クーヤはナナへと視線を向けた。
「どうしたナナ……何か言いたい事があるのか?」
「あ、あの――! クーヤ様は私達を家族と思ってますか!?」
「あ、ああ。まぁな」
不意に顔を上げたと思えば、真剣な眼差しでクーヤを見つめ緊張を含んだ声をあげる。突然の質問に少したじろぐが、その質問の意図を探る前にナナは言葉を続けた。
「お、お父さんと、呼んでも……いいです――か?」
なんだか昔に聞いた言葉だと彼の中で過去を反芻する。自分はそんなにも老けているのだろうかと頬を撫でるばかりだ。
「あ、あの。今日だけでいいです、から」
クーヤの逡巡をどう取ったのかナナは期限を設けてきた。定着すると色々誤解を招くが、それくらいならば良いだろうとナナの提案を譲った。
「そうだな、好きなように呼んでいいぞ」
「は、はい。ありがとうございます。で、では――」
背筋を張り膝同士きっちりと合わせ、肘を伸ばし握った拳を腿の上において微動だにしない。緊張で身体が強張っている姿がなんだか微笑ましかった。
「お、お父――さん」
「うん、どうしたナナ」
「お父さん」
「ここに座るか?」
「うんっ!」
クーヤが膝の上へ招くとナナは嬉しそうに飛び乗った。服の裾をそれぞれ握り、背中に体重をかけて上を向く。しっかりと自分の体を支えてくれる安心感にナナはまた一つ微笑んだ。
「あのね、あのね。今日はいっぱいお母さん達の手伝いしたんですよ」
「そうか、ナナは偉いな」
「えへへ」
頭を撫でるとふわっとした笑顔が返ってきた。
「それでね。この前サエッタ君とお友達になって、お父さんに教えてもらった鬼ごっこで皆と遊んで――」
他愛の無い会話が続く。
友達と遊んだ事に付いて話していたと思うと母親の手伝いをした事へ移り、日常に感じた事についての話へと移ってはまた元に戻ったりもした。ナナの話には脈絡が無く、それでも次から次へと言葉が出てくる。
一生懸命に話す彼女に対して、クーヤは特に話を振らず短い返事で応えていくだけだ。ただ話の合間に打つ相槌のタイミングが良く、自分の話をしっかりと聞いてくれる様子にナナは気をよくしてさらに話は続いた。
「――でね、シモンって足だけは速いから全然捕まらないんです。皆ずるいずるいって言って」
「そうか、皆仲良くやっているようだな」
「うんっ」
「ナナこんな所に居たのかよ、って何してんだ」
「あ、シモン、みんな」
焼き所へと子供達がやってきた。シモンを初めとした兎獣人、奴隷だった人間や様々な亜人達の子供が集っている。
ナナの話を聞いて驚いた事に、シモンは人間の子供には普通に接しているようだ。同じ年頃のためか、人間に酷い扱いをされた奴隷という身分だったためか理由はわからない。だが良い傾向だと彼は感じた。
そんなシモンはナナが憎むべき大人の人間の膝へ嬉しそうに座っているのを見て、気に入らない表情を向けた。
「お父さんとお話してたの」
「……は? 何言ってんだナナ」
「今日だけ呼んでいいって言ってくれたんだよ。みんな家族だから」
「なんだそりゃ。なんで赤の他人を家族にしなきゃならないんだよ」
「違うもん、お父さんがここの皆は家族だって言ってくれたもん!」
「アホか、ここに居るのは種族も違えば、血も繋がらない他人。まして、そいつは人間だぜ」
「うぅ……か、関係無いもん」
「そうだ、関係ない。アホはお前だ。血の繋がりが無いから家族になれないなんて事は無い」
「何ほざいてんだ、血が繋がってるから家族って言うんだろ」
「いいやそれだけじゃない。解り易く言えばそうだな……例えば、シモンとナナが夫婦になるとして――」
「なっ! 何言ってんだお前!」
湯気が出そうなくらい赤面したシモン。やはり気があるのか、という茶々は入れずそのまま話を進めていった。
「仮定の話だ。夫婦になるとして、お前はナナを血縁関係の無い他人と突き放すのか?」
「そ、そんな事しないけどよ……」
「お前の両親も、そのまた両親も元は他人同士がくっつく事がほとんどだ」
少数民族であれば間柄が近い者を共にする事もあるだろう。しかし、大抵は血筋から離れた者と生涯を共にする。
「血の繋がりは確かに重要だろう。だがそれ以上に必要なのは家族としての絆だ。それが無ければ例え肉親だろうと他人になる」
正確には他人と同等な存在となる。血の繋がりはかなり強い。だが、それだけで家族になり得る事も無い。本当に必要なのは、相手とどう接していくかという事。
「人間だろうが亜人だろうが関係ない。絆があれば家族として過ごせる。俺は、そんな家族を知っている」
その風景を実際に見た事がある者の言葉は重かった。クーヤの言葉に反論する事が出来ず、シモンは悔しそうに顔を俯かせていた。
頭の中ではなんとなく解ってはいるが、感情がついていかないようだ。これ以上は混乱させるだけだろうと思い、クーヤはふざけた調子で会話を変える。
「シモンも俺を親と呼んでみるかい?」
「ふざけんな! 誰が呼ぶか!」
「ならお前とは他人同士だ。そして、ナナの親みたいな存在として言える事は――お前なんぞに娘はやらん、帰れ帰れだ」
「ナナは俺達の仲間だぞ、なんでお前の許可がいるんだよ」
「どうしても欲しいというなら俺に勝つ事だ。鬼ごっこでな」
「なんでそうなるんだよ!」
「まずは俺とナナが鬼だ。さぁ、皆逃げろ」
手を打つと子供達が歓声を上げながら散り散りに逃げていく。いきなり始まった遊びに納得のいかないシモン一人を残して。
「お前は逃げないのか?」
「なんでお前と遊ばなきゃならないんだよ。お前がやる事は何か裏があるから信用ならねぇんだ」
さらにその裏まで気づく事が出来れば誰の為に、何の為にという理由が理解出来るだろうが、シモンの思考はそこまで辿り着ける事はなかった。
「……実はな鬼ごっことは、戦時中に捕まえた敵を説得して仲間に引き入れ、また別の敵を捕らえに向かわせた事が始まりらしい。そうして順々に仲間を増やし、強い相手に数で取り押さえる。という風景を元に生み出された遊びだ」
「嘘だ、絶対に嘘だ!」
「鬼ごっこの秘訣は、仲間との連携だ。強い奴は後回しにして、捕まえる事が出来る者から捕らえていく。増やした仲間と連携すれば足が速かろうと徐々に逃げ場を無くし、相手を追い込んで捕らえる事が出来る。狩りの基本だ」
「んな事を遊びとして平然と教えてんじゃねぇ!」
「そう、鬼ごっこは単なる遊びじゃない。真剣勝負だ。その勝負からお前は逃げるのか。ああ、自分が負けると解っての降伏か。中々殊勝な心構えだな」
「バカ言うな、誰が人間の下につくか。お前になんか負けてたまるか」
クーヤと子供達による鬼ごっこは始まった。時が経つにつれて段々と鬼側の人数が増えていき、そして最後にはシモン一人となる。
「ちくしょう、絶対に捕まらないからな!」
追いかけてくるクーヤに気を取られ、隣から腰に狙いを定めたナナのタックルによりシモンが地面に倒れる音で鬼ごっこは終りを告げた。そしてまた、クーヤによって歪められた起源を持つ別の遊びが始まる。
村の中に子供達の笑い声が響いていた。そうして日が暮れていった。
「クーヤ様、ナナを知りませんか……あら?」
「ああエリーナ、丁度いい所に来た。助けてくれ」
何時になっても帰ってこないナナを心配してエリーナが焼き所へと訪れた。長椅子に座るクーヤの姿を見つけ近づくと、夕日に照らされたその光景に思わず微笑みが零れた。
「あらまぁ、慕われておりますね」
「子供は元気だ。エネルギーが切れるまで遊びつくすんだからな」
寝息が聞こえる。電池が切れたように眠る子供達は身を寄せ合うように固まっていた。長椅子に納まりきらず、クーヤを中心としてその膝の上や背中に寄りかかる。身動きの取れない彼は頬杖を突きながらため息を吐き出していた。
「風邪を引くといけない。人を呼んできて家で寝かせてやってくれ」
「ええ、ですが……もう少しだけこのまま」
「……お父、さん」
クーヤの裾をナナはギュッと握る。その顔は安心感で満ち満ちていた。
「ナナったら……申し訳ありませんクーヤ様」
「気にするな。今日は好きなように呼んでいいと約束している」
「私もクーヤ様の事をあなたと呼んだ方が宜しいですか?」
「勘弁してくれ」
このところ毎日焼き所に鳴り続けていた金属の音が止んだ。その日、焼き所に響いた音は子供達の笑い声、そしてその後に聞こえるのは子供達が安らかに眠る寝息の音だけであった。
~白紙~
木枯らしが吹く。気温は低く、風の勢いは強い。季節は初冬を迎えた。
オワゾの畑には作物が順調に育っている。人糞を肥料とする事に激しい抵抗感を持つ者も居たが、他に肥料として使えるモノが限られている現状をクーヤが説明して納得させた。
中には効果があるのか疑問に持つ者も居たが、作物が青づく頃には彼の知識を疑う者は居なくなった。
低温に強い葉菜が日々葉の数を増やし、茎を肉厚にしていく様子を住人達が喜んでいる。
根菜は土壌中でじっくりとその実を肥大させているだろう。地中から伸びる茎や鮮やかに咲いた花を観察しながら、期待を膨らませていた。
自分達が耕した畑に青々とした野菜がずらりと並ぶ光景を皆が皆、笑顔で眺めながら今日も仕事に励んでいる。
豊かに育つ畑の植物とは対象に、森の植物は寂しげな印象を受けた。熟れ過ぎた果実は地に落ち、森林の中に甘く腐った臭いが仄かに漂う。地面には枯れ葉が敷き詰められ、裸になった枝が訪れる人を拒絶するように腕を伸ばしている。
そんなオワゾから少し離れた場所にクーヤの姿はあった。
ざわつく森の中で天を見上げると、一部の場所では枝の隙間から深い空が覗く事が出来る。雲が流れ、葉が落ちて寂しげな枝と重なった。白い花弁が色づくがそれも一瞬の事、直ぐ風に流されてまた無骨な枝へと変わっていく。
虫に食われた葉が一枚、細い枝から切り離された。
ヒラリ、ヒラリと不規則に揺れながら、舞い落ちる枯れ葉は地を目指す。ヒラリ、ヒラリと流れるその葉に一本の線が描かれた。
二つに分かれた木の葉がくるりと身を翻す。分断した線の延長上には、冬眠を向かえる前の魔獣。剣筋は急所を捉え、相手の絶叫にクーヤが顔をしかめた。
「……ふむ、少し重いか?」
クーヤの手にはいつもの刀ではなく、両刃の長剣が握られている。また、左の腰には肉厚の短剣から細身の短刀に変わっていた。背中には稲妻のような形の杖を携えている。
「いや、イースさんが使うには悪くなさそうだ」
納得のいく作品が出来上がり、満足気に一度頷く。
他の武器も一通り試し、重心の把握、武器の特性、取り回し方を実戦していく。それぞれの説明が頭の中で固まる頃、周囲には森林の香りと果実の甘い腐臭、そして濃い血の臭いが充満していた。
「完成だな……次は、俺の武器だ」
もう一度木枯らしが吹く。気温は低く、風の勢いは強い。季節は初冬を迎えた。開戦は、もう間近である。
オワゾの広場には体格の良い男達が集合していた。人間を中心に様々な種族の亜人達がイース達の前に整列している。集った者達は額に汗を垂らし、肩で息をしながら師の言葉を待った。
「だらしねぇぞ! こんなので疲れて本番で戦えると思うな!」
結界の外での長距離走。訓練開始前にはウォームアップでオワゾの外周を何度も走らされている。毎度疲れきった身体に鞭を打ち訓練を行っていた。周囲の木は切り払われて見通しがよくなっていようと、物見矢倉にて警備されていようと魔獣が襲撃して来ないとは限らない。
体力作り、そして度胸をつけるためにこの予備運動はされていた。魔獣の襲撃があれば、実戦に移るだけだ。つまり、矢倉から監視する者にとっても気の抜けない訓練となる。
「いいか、此処で過ごすための法則をお前達に教えてやる」
最早それが訓練を始める挨拶であるかのように毎日繰り返される言葉。イースが喋る前に、列を成した男達の頭には次の言葉が浮かんできた。
「力を付けろ、業を磨け。それが苦手な者は知恵を付けろ、仕事を覚えろ」
だが、技術を身に付けようとも一朝一夕には中々いかない。彼等が教えるのは基礎の基礎。例え疲れきっても剣が振れる体力を身に付けるため、緊張の中でも足を前に進められる精神力を付けるため。
「特に俺達人間はそうしなきゃならん。人間には亜人のような特殊な力は無い」
亜人には特殊能力が有るゆえ、その長所を伸ばすための戦い方にどうしてもなる。しかし、人間にはそれが無い。だからこそ力を付けなければならない。
「だが悲観することも無い。逆の見方をすれば、何色にも染まっていない真っ白な布だ」
人間はどの種族よりも弱い生き物だ。特化している所が無い。
何かに秀でているというのはいい事だ。しかし、そればかりが集るだけでは戦略を狭めてしまう。集団の戦闘で必要なのは、特定の分野に関する深い知識や専門的な技術を持ち、その分野に特化して仕事をする人々だ。
「自分の優れた所を一日でも早く探せ。そしてそれを伸ばせる為の技術を俺達は教えていく」
弱い人間、特徴の無い人間。だが、その白紙こそが強みだ。
可能性という話であれば人間には数多くの道が示されている。剣を振るうのが得意な者もいるだろう、弓や魔術を扱うのが上手い者もいるだろう、足が速い者も居るだろう。
そのどれかを伸ばしていっても、それに特化した亜人には敵わない者が多いかもしれない。だからこそ、長所を伸ばすだけでなく別の知識、他の技術も手に入れたい。
「おっしゃぁ!! それじゃ始めるぞ!」
「「「了解!!」」」
イースの怒号を合図に兵士達の応える声が後を追う。今日も一日の訓練が始まった。それぞれ腰に挿していた剣を鞘から抜き放ち、掛け声と共に素振りを始める。中にはクーヤが鍛え上げた物もあるが、その大部分は奴隷商人の護衛から奪った物だ。
素振りの後には木剣を用いた模擬戦、次いで連携への訓練へと移って行く。連携訓練には魔術師と弓兵を交えて行われていた。
威勢の良い掛け声がオワゾに響く。全員が生き残る為に必死だ。怠ける隙など微塵もありはしない。
「イースさんちょっといいか?」
「おうクーヤ、どうした。様子を見に来たのか?」
珍しくクーヤが訓練所に姿を現した。最近は焼き所につきっきりで兵士達の武具を精練している。訓練はイース達に一任していた。
「そうだな……前衛の訓練は順調か?」
「基礎的な土台は……って所か。スタミナの強化に重点を置いているから、それぞれの技量が何処まで上がるかはまだ見当が付かない」
「限られた時間で奴隷を傭兵に育てるのは無理っす。精々戦い続けられる体力と、オークを前にして縮みこまない気合くらいっすよ」
「間に合いそうか?」
「剣じゃなく、盾としてならな。まぁ、簡単には死なせねぇくらいには鍛えるさ」
目の前に居る兵士達の訓練風景を見つめた後で少し視線をずらすと、少し離れた場所ではウィムやニールによる魔術訓練がされている。また別の場所ではイチロー達による弓の訓練がされていた。さらに奥からは轟音がここまで響いてくる。
「ああ、それでいい。剣なら十分だ。とてつもなく強烈なやつがあるだろ?」
遠目ながらその様子を感慨深げに見つめ、クーヤはイースへと視線を戻す。
「さて、それじゃ本題だ」
「と、言うと?」
「イースさん達の武器が出来上がった。今までの報酬として受け取って欲しい」
「おお、ついにっすか!」
仕上がった武器をイースとショルに手渡した。
イースには長剣、ショルには短い刀。二人共新たな相棒の柄を握り、鞘から引き抜いて空に掲げる。真新しい金属の輝き、手に伝わる武器の重量感。それはまるで、自らの一部だったかのように手の中に納まった。
二人の口から感嘆の息が自然と漏れる。
「……長年剣を扱ってきたから良く分かる。こいつは俺が手にした中でとてつもなく良い物だ。それに、初めて持ったのにしっくり来る。まるで手に吸い付くようだ」
「大量生産じゃないオーダーメイドだ。使い手に合わせるのは当たり前だろう」
「おお、俺っちのは刀っすか! でもちょっと短いっすね」
「小太刀という。ショルさんの戦い方に合っている物を選んだつもりだ。切れ味が鋭いから扱いに気をつけてくれ」
「ん? 刀身に何か書かれているな。これは魔術文字か?」
「ああ、その通りだ」
「おいおい、俺は魔術を使えねぇよ」
「心配しなくて良い。魔力はそこから吸い上げる。イースさん達は強度が上がる事を想像するだけでいい」
柄にはめ込まれた魔吸石。そこから刀身へ沿うように文字が描かれていた。魔吸石という動力源から回路のように伸びる魔術文字。描かれた術式は、剣への『耐久強化』。無属性魔術の初歩である。
魔吸石には『耐久強化』の他に新たな陣が追加されている。魔力を吸引する性質をオフにし、魔吸石が取り込んだ魔力を開放させるための魔方陣である。汚染された魔素の研究を始めた当初にクーヤが見つけた陣だ。名称は単純に『魔力開放』と名付けた。
「まぁ、魔術の理解と魔力の読み取りを覚えてもらうがな」
「うえぇ~、頭使うの苦手っすよ」
その量によって一般人と魔術師の境になるが、どんな人でも魔力は持っている。魔力が少ないために魔術を使えない、しかし魔力の流れを感知出来ないわけではない。無論、訓練は必要となり、魔力が豊富な者より読み取り難い障害はあるが。
「だが覚えればこの剣はさらに強くなるという事だな」
「その通りだ。無理だったら普通に武器として使ってくれ」
「どうせならこう、ババーンッと魔術を使ってみたいっすよ」
「術式の書き換えは後でも出来る。前段階としての耐久強化だ。使いたいなら勉学に励むしかないな」
「……ですよねー」
これはクーヤにとっても実験の一環だ。
魔力保有量が少ないからこそ魔術を使えない一般人。だが外部に動力源があり、世界と繋がる為の回路があればもしかしたら、という空想を実証するための前段階。一般人でも知識があれば魔術道具を使えるかという実験だ。
もし可能ならば、魔吸石とそれに魔力を吹き込む魔術師が居ればこの村の生活は飛躍的に向上する事が出来るだろう。複雑な機械や動力源である電気の役割を担ってくれるかもしれない。
「扱い方は追々覚えるとしてだ、この後はどうする? 折角来たんなら参加してくか?」
「いや……少し様子を見たらまた焼き所に戻るわ」
「そうか。こいつはありがたく使わせてもらうぜ。お前ら、素振り止め!! 今から本組み手やるぞ!」
「「「応!!」」」
新しい自分の武器を使いたい衝動にウズウズと身体を揺らすイース。子供のような目をしながら、その矛先を兵士達へと向けていた。
野獣のような獰猛なイースの笑みに負けじと、兵達が気迫の籠もった返事を返す。
「おらぁ! 気合のあるヤツから前に出ろ!」
目の前で木剣ではなく抜き身の剣による本組み手が始まった。
剣と剣がぶつかり合う甲高い音がオワゾに響き始め、その音はいくつも重なり合い、金属同士が交わりあい、互いの技量を高めあう。
兵士達は悲鳴をあげる肉体に鞭を打ち、力を蓄える。自分達が生きるため、オワゾの住人を守るため、自分達の居場所を守るため。泥にまみれながら汗をかき、反吐を吐きながらも立ち上がり、時には血を流す。
まぁもっとも、そんな甲斐甲斐しい努力を吹き飛ばす選ばれた者が居る事は確かなのであるが。
「おい、こらっクー。ちょっと聞きたいんだけど」
兵士達の訓練をボーっと眺めていたクーヤにフィズが近づいて来る。
威圧感を撒き散らしながら、しかし一歩ずつ迫るその足取りはとても重い。クーヤに不満を言いに来た様子がありありと分かるが、少し疲れているようにも感じた。
「あのさ――」
「ようフィズ。此処の生活には慣れたか?」
「へ? ん……まぁそこそこ。食べ物にも困ってないし、屋根の下で寝れるし、何よりもあたし達を受け入れてくれ――って違う」
「風呂の入り方は大丈夫だろうな。汚れを落とさないまま湯船に浸かるなよ?」
「んな事しないって。ちゃんと洗って入ってんよ。そうそう最近は果物の皮で擦ったり、湯船に余った香草浮かべたり――ってちゃうわ」
水で濡らしたただの布で擦るよりも、厚く表面がゴツゴツした果物の皮で汚れを落とす事が最近の主流になっていた。石鹸が作れない今、お湯に浸した布で擦るよりも臭いが誤魔化せる。誰が思いついたか知れないが、ただ捨てるだけの物を有効活用する案にクーヤは感心していた。
「……もしかしてわざと話をそらしてる?」
「そんな事ないぞ。ああ、そういえば丁度良かった。フィズお前はどんな武器が欲しい?」
「へ? 武器? いや、でも……」
「どうした? 師匠から武術を習ったんだ。武器の扱いもお手のものだろ?」
「つっても、師匠の使う武器って結構特殊なの多かったからねぇ。片手で扱える剣や棍ならそこそこ。ああでも、体術を主に習ったし両手が開いてる方が動き易いかな」
「ふむ、それなら手を自由に扱えるよう手甲でも造るか。お前の技量でなら攻撃を反らす事はお手の物だろ?」
「ふふん。分かってんじゃん。それでよろしく」
「ティナにも護身用の棍を造っておくか。そう伝えておいてくれ」
「ん、わかった。言っとく」
「んじゃ、訓練頑張れよ。俺も仕事に取り掛かる」
「よっしゃ、もう一頑張りしてきますか」
快活に笑いながらフィズが自分の持ち場へと戻って行く後姿をじっと追いかけ、すぐに視線を兵士達の本組み手へと戻す。男達が懸命に剣を振りながら汗を流している。クーヤから見たら荒削りな所がかなり目立つが、彼等の目には強くなろうという意思が伺えた。
再びボーっと眺めていると地響きのような音が近づいて来る。まるで猪の突進だ。年頃の娘の走り方としてどうなんだろうと、彼は疑問を持たずにいられない。
「ちくしょー、バカにしやがってぇ! 一発殴らせろ!」
「そういや、お前に任せた兵士達はどんな状況だ?」
「そう、それだよ! んな重要な役割を来たばかりのあたしに任せるなんて、何考えてるんよ」
やっぱりそれか、とクーヤはため息を吐きざるを得ない。無意味な時間を使うべきではないと考え、話をそらしたかったが諦めてくれないようだ。
「ティナに武術を教えてたのは聞いてるぞ。人に教えるのは慣れているだろ」
「そりゃティナは妹だし、身体の動かし方解ってれば逃げやすかったし」
主にフィズが前に出て二人を守ったが、一人で守るのは限界がある。
サエッタはまだ子供だ。そうなるとティナにもある程度護身出来る力が欲しかった。彼女には念動力という力が有るが、以前は今よりも制御が困難だった。なによりティナは自分の力を嫌っていたため、フィズは武術という力を彼女に教えた話を聞いている。
「で、何が問題だ」
「……なんつーか、最初に大暴れしちゃったのがあるから」
「大暴れして誰も止められなかったからこそ、お前の強さは皆よく知っている。強いヤツが兵士として上に立つのは当たり前だろう?」
「そうかもしれないけど……それにあたしよりも年上の人が多いし。どう接していいのとか考えちゃって」
「中々繊細な年頃という事か」
「子供扱いすんなっての!」
「子供扱いが嫌なら大人な対応をすればいい。無理難題を吹っかけられようと、与えられた仕事を一定の水準へと押し上げる。それが仕事ってものだ」
「うぐっ……で、でも新参のあたしがあれこれ命令するのがなんか違和感あるし、短い期間で全て教えろってのも無理だし……」
やれやれとクーヤはため息をついた。頭に血が上りやすいのはラビも同じだが、彼女には与えられた問題に対処する冷静さを持ち合わせている。フィズには上に立つにはまだ精神的に幼いのかもしれない。
だが、フィズの力を彼女自身にしか使えない物として扱おうとも思っていない。技術とは、誰かに伝えるべきものだ。
「誰も全て教えろとは言っていない。フィズ、お前には技量があり、その技術は他人に教える事が出来る知識だ。誰も知らない技術、知識。それを皆に伝えて生き残る力を上げて欲しい」
「う、うう~」
「一つ、覚えておくといい――此処では生きる力が全てだ」
いまだ難色を示すフィズへもう一押しする。彼女の反応を見るからに、どうやら年上に教えるという行為に苦手意識があるようだ。その認識を改めるように説明していった。
「力の有る者、技量の有る者、知識が有る者――生き残る力を持つヤツが上に立つ。年功序列など関係無い。年下に教わるのが嫌ならば力を得て上に行くしかない」
「……戦う力が強い者が偉いって事なん?」
「そうは言ってない。力が強いだけじゃ畑を耕す方法も知らず、飢えて死ぬ。だが、戦う力がなければ魔獣に襲われて死ぬ」
森の果実はどれが食べられる物かという知識も同様。
生と死が行き交うこの森では生き残る為の力が必要である。力や技量が無ければ狩られ、知識が無ければ飢えて死ぬか中毒死だ。
「ようは技術や知識の有る者が無い者へと教えるだけだ。そこに年齢や性別、まして種族の差など関係ない」
フィズは接近戦闘において誰よりも強いとクーヤは思っている。そしてその強さは技術であり、技術は他人に伝える事が出来る。クーヤが彼女に望んでいるのは、限り有る兵士達の生存率を上げる役割だ。
「……なんとなく分かった」
「そうかい」
「でも、その考えでいけば長であるクーが生き残る力が一番ってことだね?」
「さてね。村を立ち上げたという事で長になっているからな。この考えは適用出来ないだろう」
「つまり一番強いって事だ。よし――組み手しよう」
「どうしてそうなる」
本当に理解しているのか、彼女の思考回路は一体どうなっているのか。彼は確認せずにいられなかった。
「いや~丁度ここは訓練所だし? 皆クーが強いって言うし? 強いヤツと手合わせしたくなるじゃん」
「俺に嘘は通じない、本音を言ってみろ」
「だらだらと偉そうに喋ってムカつくから、一発クーを殴りたい」
「単純で、本能的なその思考回路をたまに羨ましく思うぞ」
「うっさい! バカにすんな!」
イースが本組み手を終えて一休みしていると、少し離れた所でクーヤとフィズが組み手を行っていた。両者ともまるで演舞のような凄まじい攻防が繰り返されるが、最後はクーヤが砂を巻き上げ、怯んだフィズを地面に倒してその上に乗っていた。
一体あいつ等は何をしているんだと思いつつ、兵士達の訓練風景へと視線を外すのであった。
「ちくしょー! 目潰しなんて今時子供でもやらないよ、この卑怯者!」
「卑怯な戦法も生き残る為の手段だ。よかったな、一つ勉強になっただろう」
「うっさい!しゃべんな! 早くどけ!」
「うん、鍛冶ばかりで鈍っていたからな、たまに訓練するのも悪く無い。すっきりした。ありがとう」
「女を尻に敷いてご満悦か、この最低のサディスト野郎!! 腐れ外道! 最悪のクズ野郎! くそったれぃ!」
「……お前はもう少し女性の嗜みというものを持った方がいいと思うぞ」
「あ、こらっ、体重かけんな――いだだだだだだだっ」
剣の交わる音に紛れてフィズの悲鳴と怒声が周囲に響いた。戦いの時は日々近づく。だが、日常が壊されるべきでは無い。
オワゾは今日も、それなりに平和だ。
「オーク達の戦いが始まると思ったのに、なんだか和やかな雰囲気ね」
「ファンタジーにおいて戦いは基本だ。だが、そればかりでは息が詰まる」
「確かにその通りだ。しかし、私達がまったく出ていないようだが?」
「戦争と、その間におけるつかの間の日常とのバランスが重要だな」
「……そうね。でも私達の姿が微塵も出てないのはどういう事?」
「まぁ、そのバランスが上手く出来る保障なんて何処にも無いがな」
「「…………」」