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幕間4 クーヤの手紙~火薬造り編~

「出来ない」というのは一種の自己暗示に他ならない。いや、むしろ呪であると言ってよい。



幕間4 クーヤの手紙~火薬造り編~



 ため息が漏れる。俺は港から海を眺めていた。頭の中に浮かぶのは自動拳銃オートマチックの設計図ばかりだ。


「どれだけ化学が遅れているんだ……」


 銃造りに勤しんだものの、いきなり壁にぶち当たった。銃と聞けばかなり複雑な構造の物だと思うかもしれないが、原理は簡単だ。

 金属の丸い弾と、弾を打ち出すための筒と、弾を押し出すための火薬。それがあれば事足りる。だが、この世界では火薬が未だに作られていないらしい。

 そりゃそうだ、この世界には魔術が繁栄している。ダイナマイトを作るよりも魔術の方が使用者の意思で制御できるし、魔術師を雇った方が安上がりだろう。魔術があるからこそ化学が発展していないのだ。


 このままでは自動拳銃どころか、火縄銃すらも夢のまた夢。


「いやいや、火縄銃なんて携帯に向かないし。第一目立つ」


 やはり携帯に優れた拳銃を、そして薬莢に包まれた弾丸を作りたい。だが、その中に入れる火薬が無い。

 弾丸内の火薬は二種類。薬莢内に込められた発射薬パウダーである無煙火薬。ニトロセルロースを基材としたシングルベース火薬。そしてもう一つは雷管内に込められた起爆剤プライマーであるジアゾジニトロフェノールという爆薬だ。通称DDNP。


「どうやって作るんだよ……しらねぇよ!」


 思わず叫んだ。まぁ待て、一旦落ち着こう。

 弾丸に用いられる火薬は覚えている。だが、その火薬を作れるような知識は無い。俺には化学の知識が乏しく、そして世界も遅れている。ならば目標を少し落とせばいいんだ……そう、さっき作るのを否定した火縄銃。


 無煙火薬の前には黒色火薬が使われていた。黒色火薬なら材料も作り方も簡単なので覚えている。可燃物としての木炭と硫黄、酸化剤としての硝石。うん、木炭は有るし、硫黄と硝石くらいだったら直ぐに集められるだろう。


 問題はDDNPに変わる起爆剤だ。昔は……確か――そう、雷汞らいこうと呼ばれる爆薬が使われていた。なんか響きが良かったから覚えている。

 雷汞らいこう。雷酸水銀[Ⅱ]という別名の爆薬。

 朧気な知識をかき集めてみるが……思いだせん。雷酸水銀という名から考えてみると、酸と言う事は硫酸か? 水銀はそのまま水銀だろう。で、それをどう処理すればいいんだ? 思い出せない。てか雷って何だよ。電気でも使うのか? いや、そもそも。


「硫酸と水銀なんて何処で仕入れればいいんだよ」


 刀を造る事ばかり追いかけて、化学薬品など目もくれて来なかった。当然扱っている場所など知らない。というか、扱っているのだろうか。

 ああ、これが鍛冶技術や鍛練にばかり身を費やしてきた弊害か。遅れた化学に憎しみすら沸いてくる。これは諦めて火縄銃にしようか……いやせめてフリントロック式の物を作りあげよう。

 このままではあいつらに送る手紙の内容が愚痴になりそうだ。海にでも叫んでおこう。


「化学のばっかやろう!!」

「うっるせぇ!! 人の上で叫ぶんじゃねぇよ!」


 魂の叫び声がいつの間にか漏れていると、下から怒声が返ってきた。どうやら下に人が居たらしい。目つきの悪い、屈強な体格の青年が睨み返してくる。


「ってあれ、お前……クーヤか?」


 初めて見る人物であったが、俺の名を呼ぶからには知り合いだろう。自慢じゃないが俺を知っている同年代は少ない。名前の検索も楽だった。

 ああ、途方にくれていて気づかなかったが、ここはアルトの港町だったか。


「お前……アルトか」

「なんだよ、久しぶりだなぁ。元気だったか?」

「お前本当にアルトか? 変わったな……色々と」

「へへっ、まぁな」


 アルトが堤防を登り、俺の目の前に立った。目の前にしても過去との人物像が一致しない。喋り方とか雰囲気とか、昔とは違い過ぎて違和感しか残らない。あの気弱だったアルトがやんちゃに育ったものだ。

 そして違和感の主な理由はその体格。俺の背は越されていた。そして体つきも俺より逞しかった。妬ましい、その筋肉を少し俺にくれ。


「クーヤも外見は変わったが、喋り方は昔のままだな。ま、子供にしては大人びた喋りだったがよ。今だから言うけど、似合ってなかったぜ」

「うるせぇよ」


 ひひっ、とアルトがはにかむ。

 本当に変わったものだ。時の流れに残酷さすら覚える。いや、これが当たり前なのかもしれない。変わらない物なんて無い。俺の内側はこれから先も、ずっとこのままだけれども。


「とにかく、久しぶり」

「ああ、久しぶり」


 子供の時に交わした挨拶を今でも覚えていたのだろう。互いの手が打ち合う音が波の揺れる船着場に響いた。


 こんな所で昔話をするのもなんだから、というアルトの提案で彼の行きつけの酒場へと向かった。店に着くと料理を注文し、そして躊躇無く酒も追加する。俺も同じように酒を頼んだ。真昼間だが飲酒年齢は越しているし良いだろう。


「さっすがクーヤ、わかってんな」

「再会の場にミルクはねぇよ」


 アルトがニヤリと笑う。


「なら……こいつはどうだ?」


 そう言うと、皮袋を取り出して中から葉巻を取り出した。この野郎、中々ワイルドに育ったじゃないか。

 そういえば先生はタバコを吸ってたな。火種を光源として術式を書く事もでき、体内に煙を入れて魔素と結合して火薬のように振りまく用途としていた。俺もそれに習ってみるか。アルトから葉巻を受け取り、先端に火をつけて煙を吸うと――


「うっ――ごほっ、げほっ」


 空っぽの胃から逆流してくるような不快感を覚えた。なんだこれ、何でこんなに不味いもの吸えるんだ。気持ち悪りぃ……頭が痛ぇ、眩暈がしてきた。


「はははっ、まぁ最初はそんなもんさ」


 なんだか負けた気分だ。意地を張ってそのまま吸い続けよう。タバコを吸う感覚で葉巻を吸うから駄目なんだ。ゆっくり、空気も混ぜて吸おう。


 久しぶりに会って何を話せばいいか戸惑ったが、酒も入り話は思ったよりも弾んだ。互いに積もり積もったモノがあったんだろう。

 会話が一度途切れると、先程まで悩んでいた事を思い出す。アルトに聞いてみようか。港町に住んでいるんだ、何か知っているかもしれない。


 化学薬品について聞いてみたが理解していないようだ。質問を変え、怪しい薬を扱っている場所を知らないかと訊ねてみる。


「はぁ? なんでんなもんを探してんだ?」

「少々興味があって、な」

「相変わらず変わってんなクーヤは」


 酒を飲みながらゆっくりと葉巻を吸う。うん、大分慣れてきた。


「薬を扱ってるかわからねぇが……隣町にえらく変わった爺さんが居たな」

「へぇ。てか、隣町にまで何しに行ったんだ?」

「まぁ……それはどうでもいいだろ。それよりその爺さん、自分を錬金術師と豪語してる変人だったな。怪しいってなら、そいつ程怪しいヤツは居ないぜ」


 錬金術師、良い響きだ。

 自分で錬金術師と言いふらす部分に引っかかりを覚えるが、魔術を用いた本物の錬金術であれば様々な物を作りあげる事が出来る。そうでなくとも、色々な薬品を扱っているだろう。行ってみる価値はありそうだ。


「サンキュ、早速行ってみるわ」

「精々喰われないように気をつけるこったな」


 ひひっ、とからかう。アルトの頭へ平手打ちを食らわそうとしたら掌で防がれた。乾いた音が響き、俺達は別れの挨拶を交わす。隣町か。父はこの港に暫く滞在するようだし、適当な理由をでっち上げて少し別行動を取ろう。







 適当ないい訳で父を説得させ、俺は一人隣町へとやってきた。

 早速その人物について聞いて回ると、あれやこれやという間にその爺さんの噂は集った。

 曰く、声高らかに笑いながら歩いている狂人。曰く、使えるかどうかも分からない品を収集している変人。曰く、借金返せこの貧乏人。そのほとんどが、悪い噂ばかりだ。


 嫌な予感しかしない。胡散臭さだけが漂ってくる。とてもマッドな香りだ。


「で……何故俺は此処にいる」


 情報収集を始めてから三人目辺りで引き返そうと思っていた俺は、今その人物の住処へとやってきた。

 悪い噂が絶え間ない中にただ一つだけ、怪しげな液体を飲んで病気を治してもらった恩人、という話がある。これは無視出来ない内容だ。ただそれだけの噂で俺は家の前までやってきた。

 ドアを叩くが反応が無い。意を決して扉を開ける。


「ひゃ~~っひゃっひゃっひゃ。実験は成功じゃ!!」


 隙間から覗くと、そこには両手を上げて高らかと笑う年老いた人物が居た。ああ、駄目だこれは。関わっちゃいけない人種だ。


「むぅ! 誰じゃ!?」

「すいません、家を間違えました」

「何を言っておる。この付近に民家なぞ無いぞ。さては、ワシの知識を盗みに来た盗人じゃな!?」


 確かに此処は町から離れた森の中。この家を除いて周囲に人が住んでいる様子などない。人里離れた場所に家を建てるとは、よほどの変わり者か世捨て人だろう。うん、噂通りだ。

 直ぐにでもこの場から逃げたいが、部屋の至る所に並べられた実験器具の数々に目を惹かれて止まない。一応、科学者っぽい事はやってそうだ。


「すいません、やっぱり合ってます。中に入ってもいいですか?」

「帰れ帰れ! 帰らぬならワシの実験台になってもらうぞ!」

「ええ、いいですよ」

「だろう、解ったのならさっさと――なぬ!?」

「ではお邪魔します」


 許可も得たのでお邪魔させていただこう。人体実験をしようとする所とか本当にマッドサイエンティストっぽい。まぁ、本当にそうなる前に逃げるが。


 遠慮無しに家の中へ入る俺に狼狽している爺さん。その身体から一定量の魔力は感じない。魔術を用いた錬金術師ではないらしい。少し落胆するが、本物の錬金術師と簡単に出会えるなど、単純には考えていない。


「お、硫黄がある。それにこっちは硝石か」


 実験器具を見て周り、使っている材料へと目を移すとそこには硫黄と硝石があった。素晴らしい。わざわざ探す手間が省けた。爺さんから何処で手に入れたか聞いてみよう。


「小僧、なに勝手にやっておる! 何が目的じゃ!」

「知識の共有に来ました。代金は支払うので少し話を伺いたいかと思います」

「ふんっ、小僧ごときがワシの高潔な知恵を理解出来るとは思えん!」

「誰も知らない知識を自分の中だけに留めておく……苦痛では無いですか?」

「ぐむっ」

「理解されなくとも、誰かに話す事で楽になる事もあります」


 固まっていた爺さんが再起動する。警戒心むき出しの目だ。これはいけない。和解しないと話が進みそうに無い。お近づきの印として土産(賄賂)を持ってきて正解だ。


「おじいちゃん、ママが――」


 ガチャリと奥の扉が開き、子供が一人姿を現した。


「……誰?」


 知性的な顔、金髪の髪、その髪から横へ突き出た長い耳。初めてこの目で見るが間違いない。この子はエルフだ。


「パ……パ?」

「ミーナ! 奥に戻るんじゃ!」


 カチャリと入り口の施錠がなされる音が聞こえる。いつの間に移動したんだろう。中々素早い爺さんだ。


「小僧……悪いが、生きて帰す事は出来なくなった」


 一体なんなんだと混乱する。とりあえずは、現在の状況を確認。

 森の中に隠れるように建てられた一軒家。エルフの子が姿を現してから状況が一変、その子は爺さんを祖父と言っている、そしてその容姿を見た途端俺を帰す事が出来なくなったと言う。

 なるほど、マッドサイエンティストを気取っているが、思ったよりも人情味がある人物のようだ。評価を改めよう。


「お義父様、家中に声が響いていますよ。どうなさいました?」


 扉の奥からさらに人影が姿を現す。傍に居る子と同じように金色の長い髪、そして尖った耳。この女性もエルフだろう。


「あら? お客様がいらしたのね。こんな格好で申し訳ありません」


 部屋着のラフな格好を恥じながら会釈をした。身体はこちらの方を向いてはいるが、目線は見当違いの方向を向いている。目に光も無い。視力を失っているのだろうか。


「い、いや。こやつは」

「騒ぎ立てて申し訳ありません。少々博士と論議に熱中してしまって。ですよね、博士?」

「貴様、何を言っ――」


 攻撃の意思が無いという意味を込め、俺は刀と短剣を腰から外し机の上へ置いた。そして爺さんの前へと近づき、彼女達に届かない小さな声で話しかける。


「武装は解除しました。貴方にどんな手があるか知りませんが、俺を殺す場面を子供に見せたいのですか?」


 爺さんが身体を強張らせた後、きつい視線で俺を睨んでくる。そんな目で見られるのは心外だ。こちらは助け舟を出したつもりなのに。


「う、うむ。騒がしくしてすまんなケイト。あまり無理は良くない。寝所へ戻るんじゃ」

「そうですね。お客様の前でこの格好でははしたないですし。それでは失礼します。ごゆるりと」


 ケイトと呼ばれたエルフは深い一礼をした後、傍に居た子供の背中を押して部屋から出ていく。そのエルフの子は最後までじっと俺の方を見ていた。俺の顔に何か付いているのか?


 扉が閉まると爺さんから離れ、近くにあった椅子に腰掛けながら足を組む。この姿勢ならば、飛び掛かって襲う意思が無い事を理解してもらえるだろう。

 それにしてもエルフが居る事に驚いた。いや、エルフと人間が共同生活している事に驚いた。人間も亜人も互いを恐れているとばかり思っていたから。


「亜人を、いやエルフを匿う人間か」

「……悪いか?」

「さて……事情が解らないからなんとも言えませんね」

「小僧、一体此処へ何しに来た」

「知識の共有に来た、と言ったはずですが?」

「……貴様も秘薬を手に入れようとする輩か?」


 秘薬? ああ、病気を治したという薬の事か。多分、エルフが作ったモノだろう。まぁ多少の興味はあるが、最優先すべき事項ではない。


「それは俺の目的とする物じゃないですね。別の物を作りにやって来た。そのための実験器具をお借りしたい」

「その言葉を信じろと言うのか?」

「信じて貰うしか無いですね。なんでしたら契約書でも書きましょうか?」


 そうだな、それが良いだろう。幾千の言葉を紡いでも信じられないモノは信じられない。だから此処に契約書を書くとしよう。鞄から一枚の羊皮紙を取り出すが、インクらしきものが見当たらない。仕方なく机に置いていた短剣を鞘から抜いた。

 そして、その切っ先を自分の人差し指へと突きたてる。


「なっ――」


 いてぇ、だが我慢だ。血が溢れる指を羊皮紙になぞり文字を書いていく。内容は、此処で見たものを一切他言しないという条件。最後にしっかりと自分の名前を書いて手形を残す。出来上がった契約書を爺さんへと突き出した。


「これが俺の覚悟だ。秘薬にも興味無い、エルフにも興味ない。俺はただ、自分の知識を完成させるために此処へ来た」

「小僧、おぬし頭がおかしいのか?」

「突拍子も無いと思われますが、今回に限ってはこれが一番手っ取り早いと判断したまでです」


 自分の血液を犠牲にして書き上げた契約書。これならば俺の意思は伝わるだろう。


「……ふん。キチガイかと思えば、妙に冷静に話おる。しかし、エルフが目的では無さそうじゃな。そこは信じておこう」

「ありがとうございます」

「おぬしの名は、クーヤと言うのか。ワシの名はファールト、錬金術師じゃ!」


 自称をつけなくていいんですか? という皮肉が口に出そうで焦る。ああ駄目だ、慣れない敬語を喋っているからストレスが溜まる。


「ワシからの要望は二つ。それを守れば此処の基材は好きに使って構わんぞ。一つ、エルフの存在を公にするな。ワシ等を裏切る事は許さん」


 これは契約書に書いた通りだ。単なる確認だろう。自分が書いた契約書の内容を反古にするような事はしない。むしろこんな人間が居た事が喜ばしい。


「もう一つは?」

「そのわざとらしい敬語を止めるんじゃな。聞いてて不快じゃ」


 そうかい。そんなに似合ってなかったかい。年寄りを敬う姿勢をとってみたが、相手が不快に思うならばする必要は無いだろう。


「わかった。ファールト博士、これから宜しく頼む」

「うむ!」


 それから自称錬金術師の家へ通う日々が続いた。

 互いにただ黙々と作業を進めているが、手が空いた時などには相手の様子を伺っている。実験風景を後ろで見ながら質問を交し合った。


「クーヤは何を作っているんじゃ?」

「火薬というモノだ。火をつければ激しく燃える粉だな」

「ほほう、面白そうじゃの」


 木炭をすり潰し、硫黄を加えて混合する。そこへさらに硝石を加え、水を足しながらよくすり潰す。混ぜあげたものを布で包んで圧縮…………よし、後はさらに粉砕して、ゆっくりと乾燥させるだけだ。


「博士はどんな物を作っているんだ?」

「ワシか? ワシはこれじゃ!」


 無色の液体が入ったガラス瓶を左右に振る。やや粘性のあるそれは瓶の中で緩やかに流動していた。


「それは?」

「ワシ等の間ではこれは礬油ばんゆと呼ばれるモノじゃ」


 礬油ばんゆ? 初めて聞く名称だ。

 話を聞くとこの液体は強い酸化力があり、水と混ぜると反応して多量の熱を放出する特性を持つ。特に有機物を溶かす事に長けているらしい。

 俺を撃退するためにこの礬油をぶちまけようとしたみたいだ。なんともまぁ、強引なやり方――って、おい。


「それは硫酸じゃないのか!?」

「何を言っておる、これは礬油。我ら錬金術師友の会において最も使われる薬品じゃよ。緑礬りょくばんから生成するもので、有機物を溶かす液体じゃ」


 間違いない、博士が持っているのは硫酸だ。名称が違うのか。これは探しても見つからなかっただろう。此処で出会えた事を感謝するしかない。


「素晴らしい」

「ふっふっふ、この素晴らしさが解るとはクーヤも中々じゃな。そうじゃ、もう一つあったの。辰砂しんしゃから生成されるヘルメスがあったの」

「ヘルメス? なっ!! それは水銀!?」


 博士が銀色の液体を持ってくる。液体状の金属。まさしくそれは水銀だ。凄すぎる。感動だ。まさか此処で目にする事が出来るとは。「ヘルメスという名と言っておろう」と博士は怒鳴っていたが、俺にはそれ所ではない。


「水銀と硫酸……いや、ヘルメスと礬油を博士は一体どこで手に入れたんだ?」

「知りたいか? 知りたいであろう? いいじゃろ、教えてやろう。実はな、辰砂しんしゃ緑礬りょくばんも採掘所から出てくるぞい」

「は?」


 俺は父と一緒に様々な鉱石を見てきたが、こんなもの見たことが無い。いや、違う。一瞥した事があるかもしれないが、鍛冶に向かないと判断してそのまま忘れたのだろう。もったい無い事をした。


「ふぁっふぁっふぁ! しかしな! ワシはさらに芸術的な組み合わせを見出した。緑礬を乾留せずとも、硫黄と硝石を併せて熱すれば礬油が作れる事を!!」


 それを実践して見せてくれた。確かに生成されている。まさか硫黄と硝石で硫酸が出来上がるとは……今まで心の中で自称・錬金術師と笑っていた事を謝りたい程の衝撃だ。


「そして、そしてじゃ! これが金属を溶かす事では礬油よりも強い力を持つアクアフォルティスじゃ!!」


 博士のボルテージが上がっていく。声色に興奮度が伺えた。まぁ、俺も人の事言える立場では無いが。


 茶色の瓶からガラスへと移すと、そこにはほんの少しだけ黄色の混じった液体が満たされた。ガラスからは鼻を突く刺激臭が漂う。

 作り方を聞くと礬油と硝石との混合物を蒸留するらしい……硫酸より金属を溶かす事に長けた液体、強い水。


「硝……酸――!!」


 そうだ、思い出した。雷汞の作り方を今はっきりと思い出した。

 あれは水銀を濃硝酸に溶かし、アルコールを加えて得る結晶体だ。やばい、凄すぎる。この博士は一体何処まで俺を驚かせるのだろうか。


「ファールト博士……貴方は天才です」

「そうじゃろう、そうじゃろう!」


 作り方を思い出した今、後は実験の繰り返しだ。博士のおかげで俺の目的にかなり近づく事が出来た。博士には感謝しきれない。

 よし、早速取り掛かるとしよう。







 発射薬パウダーである黒色火薬と起爆剤プライマーとなる雷汞を作る日々が続く。ファールト博士の家へ通うのも慣れて来た。

 エルフの親子とは顔を合わせたら挨拶する程度のものだが、どうしても一つだけ気にかかる事がある。


「おじいちゃん、お茶置いとくね」

「おお、すまんの」

「飲み物ここに置いとくね、パパ」


 エルフの子はミーナと言う。その子が俺の事をたまに父と呼んでくるのだ。年相応に見えないとはよく言われるが、そんなに老けて見えるだろうか。


「悪いが、俺はミーナの父じゃないぞ」

「ご、ごめんなさい」


 間違えた事に気づくといつものようにパタパタと走り去っていった。

 それにしても人を怖がろうとしないな。なるべく不可侵を貫こうと思っていたが気になる。そんな思いが顔に出ていたのだろうか、博士は俺の顔をじっと見てため息を吐き出した。


「気になるか?」

「……まぁな。何故俺を父親と間違える?」

「あの子は父親の姿を見た事ないからの……父の姿を投影しておるんじゃろ」


 そう言って博士が物思いにふける。声をかけていいのか迷い、俺はミーナが置いてくれたカップに口をつけた。中の茶は俺には少々熱すぎる温度だった。


「クーヤ、おぬしの研究に身を置く姿勢は信頼に置ける。少し昔話をしようかの」


 無理に話さなくても良い、と言おうとしたがその前に博士が口を開く。


「ミーナの父はワシの息子じゃ」

「――そうか」


 その一言で大まかな様子は想像出来たが、黙って博士の話を聞く。

 始まりは博士の息子がケイトと言う名のエルフを妻として連れて来た事だった。当時は博士も町中で生活しており、亜人を嫁にするなどと激しく反対したらしい。

 意見は結局平行線のまま、親子の縁を切る事態に至った。夫婦は町から離れたこの森の中に家を建て暮らし始め、博士は頑なに様子を見に行こうとはしなかった。


「あれは、数年経った頃じゃったか……」


 細かい雨が降る日、ケイトがドアを叩いてやってきた。博士は煩いと怒鳴って追い返そうと思ったようだが、ドアを開けた途端赤ん坊を抱えたケイトが必死の形相で頼み込んでくる。その隣には血まみれの博士の息子。


「息子は……野盗に襲われた」


 夫婦はエルフの知識を用いて作った秘薬を、港町へと売りに行く事で生計を立てていたらしい。そしてその帰り道、この家の近くで賊に襲われたと言う。

 息子さんの悲鳴を聞いてケイトも弓や魔術で応戦しようと駆けつけたが、相手の中に不思議な魔術を使う者が居たらしい。苦戦を強いられ、傷を負った夫と赤ん坊だったミーナを連れて逃げるのが精一杯だったようだ。


 落ち着いて治療が出来る場所を求め博士の家にまでやってきたが、結局秘薬も治療も間に合わず息子さんは息を引き取った。そして夫を失った絶望からケイトは視力を失った、と博士は語った。


「あの、馬鹿息子め……」


 昔を思い出したのか、その時の博士は見た事ない悲痛な表情をしていた。重たい空気を感じる。


「しかしそんな過去がありながら、ケイトもミーナも人を怖がらないな」

「此処を訪れるのは気の知れた錬金術師友の会の者だけじゃ。ワシを狂人と蔑む町の者は誰も近づこうとはせん」


 おぬしのような例外を除いてな、と博士が笑う。

 錬金術師友の会とはファールト博士を中心とした研究に身を置く者達の集まりらしい。数は少数で、全員が高齢のようだ。この家を訪れるのは年老いた者ばかり、だからこそ若い俺をミーナは父と重ねているのかもしれない。


「それにしてもよく一緒に暮らそうと思ったな」

「息子を死に追いやった事を最初は恨んだ。じゃが、泣き崩れるケイトと泣き声をあげるミーナを放っておく訳に行かなくての。何時の間にやら一緒に暮らしておったわ」


 目の見えなくなった者と赤ん坊では生きていく事など不可能だ。息子との縁を切ろうと、その妻が亜人であろうと、彼女達を助けたのはファールト博士。随分と心優しいマッドサイエンティストだ。


 いや、狂人としての振る舞いは演技かもしれない。

 護衛として一番いいのは戦って守る事ではなく、脅威から遠ざける事にある。気が狂ったように振舞っているのは町の者を近づけさせないための演技だろうか。なんとも不器用で優しい守り方だ。


「あんなに毛嫌いしていたエルフを匿うとはの……クーヤはワシがおかしいと思うか?」

「さてな。そうかもしれないが、そうじゃないと思いたい。一つだけ言える事は――そんな狂人を、俺は嫌いじゃない」

「……ふんっ」


 本当に狂っているのは世界か、世間か、それとも、俺達か。

 俺自身が狂人と罵られようと気にはしない。ただ、人間と亜人が共存するこの家族は幸せであって欲しく感じる。そして、傍目から見て幸せそうな彼等を少し……羨ましく思った。


 博士達の過去を聞いてから暫くの間、俺は火薬作りを続けた。

 ケイトさんともミーナとも言葉をそれなりに交わす仲となったが、そろそろ火薬の量は十分だ。博士達に別れの言葉を告げて俺はファールト博士の家を後にする。後にする際、ずっと俺を見つめていたミーナ視線が尾を引いた。




「…………何かいい訳はあるか?」

「あれだ、最初はダイジェストっぽくして手紙を書いてるかのように、今日はこんな事があった程度にするつもりだった……らしい」

「んで、細かい描写とか色々考えている内に長くなった、ってわけね」

「手紙に書くような内容じゃ、俺の苦悩とか伝えられないからだと」

「まぁつまり、まとめる能力が無かったという事だな」

「その通りだ」


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