第三十二話 鷹の目
第三十二話 鷹の目
液体が皮膚をなぞり、地面に紅い華を咲かす。
赤い椿がその身を散らす如く、滴り続ける雫は留まる事を知らない。血華は次々と咲き乱れ、土の画布を汚していく。源泉を押し留めることも叶わず、粘ついた液体が肌を這いずる感触が不快であった。
額にはふつふつと脂汗が噴出してくる。拭う事もせず、珠になった液体は呼吸と共に小刻みに揺れていた。
「ったく、予測以上だ」
クーヤが荒い息を吐く。
これ程の深手を負ったのはいつ以来だろうか。記憶に新しい傷はミリィセとの模擬戦。しかしあれは、皮を裂くだけの軽いもの。本能が警鐘を鳴らすような傷ではなかった。
傷の痛みに顔を歪めながら頭を動かすが、熱にうなされ鈍くなった脳は明確な回答を返してはくれなかった。もしかしたらラビとアリスを説得した時以来かもしれない。
「本当に、見誤ったもんだな」
予想外もいい所だ。
これほどの力を秘めていたのかと、認識の甘さに反省せざるを得ない。
クーヤの戦闘方法は観察から始まり、その流れを予測し、そして最適な解を得る。つまりは知る事を原点とする。
理解出来ない内は観察に徹底していた。不用意に飛び出して来た獣のような単純な相手以外はいつもそうだ。逃げる時も、守っている時も、攻めている時も。何時までも観察は怠らない。真の意味で反撃する時……いや、勝負を決める時は観察し終えたという意味である。
本来の彼にとって勝敗の行方など気にかけるものではない。
問題はその勝負に勝った後、負けた後に自らの利益になるかどうかだ。負けたとしても利となるならばクーヤは潔く負けを選ぶだろう。
ハーグの森を訪れてからは特に顕著だ。生きると言う事は、戦うという意味合いと同列となった現状。そんな日々の中でさえ、無益な争いは極力避けている。戦闘も最小限を心がけ、長引くようならば逃走、もしくはすぐに降参した。
そんな臆病とも言える繊細な思考を持つ彼がこうして傷を負っている。そして引こうという選択肢も考えていなかった。
息を深く吸い、歯を食いしばる。だが、顔の筋肉は歓喜の表情を形作っていた。
「ぜってぇ、お前達を手に入れてやる」
クーヤにしては珍しく、意気込みに満ちた声。玩具を目の前にした童子のように、意欲に溢れた感情を吐き出した。
それ程までに欲しい物が存在する。無理を押し通しても手に入れたい物がある。だからこそ彼は傷の痛みに呻きながら、歪んだ笑顔を向けるのであった。
「お前達の里へ訪れる事を決定した」
それは昨夜ルーシィからの報告を受けた次の日であった。
日光はまだ暖かさを感じる事が出来るが、吹き通る風には冷気が含まれている。オワゾの敷地にも落ち葉は日を追って増えてきた。ナナ達子供には砂鉄取りの他に落ち葉集めの仕事も与えている。
集めた枯れ葉は腐葉土として利用するつもりだ。燃料節約の為に焚き火を行うのもいいかもしれない。その熱源を用いて芋を焼いたりするのもいいと考えていた。
「という訳で、道案内を頼むぞ」
枯れ葉が舞う午後の日差しの中、仕事を終えたイチローを捕まえクーヤは端的に言葉を伝える。周囲には彼等二人以外誰も居ない。言葉を受け取ったイチローは目を丸く見開き、今にも去ろうとするクーヤの背へ声を大にして引き止めた。
「お待ちくだされ! なにとぞ、なにとぞもう一戦願いまする!」
「悪いが、お前達と戦う理由がもう無くなった」
今回はルーシィに間者をしてもらう予定は無い。いや必要が無くなったと言うのが正しいか。
模擬戦という暗黙のルールが出来上がってからというものの、クーヤに挑んだ回数はイチロー達が群を抜いている。日に何度も挑まれた事もある。その度、完膚なきまでに叩きのめしてきた。それでも諦めない彼等にほとほと嫌気が差したが、それほどまでに帰りたい場所がある事が少し羨ましかった。
だが、模擬戦の回数が二桁へと差し掛かると、クーヤも只で請け負うのは面倒になってきた。そして模擬戦のルールを改正する。
クーヤがイチロー達の勝負を受ける毎に、彼等の里の情報を喋らせた。もはや内情を探る必要が無くなる程に。逆に言うと、スパイを送る必要が無くなるほどイチロー達が負けたという事だ。
「男は鳥面人身の形態で物理的な攻撃を得意とする。逆に女は人面鳥身で魔術をそこそこ得意としている、と」
男性は人の身体を持ち、頭部は羽毛で覆われ口には嘴がある。鳥獣人という名称を体で表していた。
女性の方は聞く限り人間の頭と身体を持ち、四肢は鳥類そのものであると聞いている。鳥獣人の女性に会った事は無いが、まるでハーピーのようだろうとクーヤは考えていた。ハーピーは詠唱が上手いという知識は彼には無かったが。
「そして代々里を治めている人物は、人の体で背中に翼が生えてるんだったな」
そしてその容姿を持つ者は魔力量が高く、その歌声は聞き入る者を魅了し、その音色はこの世の楽器では奏でる事の出来ない音だと聞いている。
いの一番に思い浮かんだのが天使の容姿。次点ではセイレーンだ。
もしかしたら一番進化している者かもしれない。人間ですら猿が進化したモノと言われているのだから。
「住処は高台にあって、坂を登ってくる敵を追い払っているんだったな。そして冬には虫を食べて過ごしている」
春から秋にかけては活性化した昆虫を主に食していると聞いた。冬に備え、夏から秋にかけて採集した虫を囲っていると言う。昆虫は気温が下がると体温も下がり、そのほとんど動かないまま冬を過ごす。それは生体しかり、秋口に生んだ卵しかり、卵から孵った幼虫しかり。冬眠したそれらの昆虫を冬の間に食していたという。
とても優れた保存法だと感じた。冷蔵庫のような設備も必要とせず、保存するための維持費もかからない。自然と生物の行動を上手く利用した方法だ。
「といった感じだ。こちらはもう手に入れたい情報は特に無い」
鳥獣人の大まかな生態は今記した通りである。他にも細かい内容は数多く得ており、鳥獣人については知らない事は無いと言っても過言ではなかった。
それでも一つだけ、最後の最後までイチロー達の口から漏れなかった内容がある。だが、今からそれを体現してくれる。そんな期待を持っていた。
「でしたら…………もしこれで負けたらオワゾに永住する事を誓います!!」
その提示する条件に無表情ながらもクーヤは驚きを隠せなかった。
これまでに散々故郷に戻るため、と自分に食って掛かってきた彼が自ら故郷へ戻る事を諦める条件を出すとは思っていなかった。それを自ら放棄する。つまり負ける事を許されない覚悟。それを自分に科したという事だろう。
「ほぉ。いいのか? 故郷に戻りたいと考えているなら、そのまま帰ればいいんだぞ」
いつの間にかクーヤに模擬戦で勝てば帰れるという迷惑なルールが出来上がっていたが、元よりハーグに故郷が有る者にはそのつもりだ。そして返した上で、里の長と交渉を行う予定だった。可能ならば移住を進め、動かなければ交流を持つという手段へと。
「鳥人族に二言はありませぬ!」
「いいだろう」
彼の目の色が、今までとは違う物を宿している。負けたままでは鳥獣人の威厳が損なわれるとでも言いたそうだ。クーヤは彼の要望に即答えた。
悪くない提案だ。カマル村ほど長い歴史を持つ場所では無いと聞いているが、イチロー達がこれ程までに帰りたい故郷。簡単には動かせないかもしれない。それならば、オワゾに置いたまま長と交渉を続けていくのもいいと考える。
魔獣も撃退出来たようだし、そこそこ戦力にはなるだろう。そんな甘い考えがクーヤに過ぎる。
「……では」
イチローが長い棒を頭上に掲げて振り回す。支点を中心に綺麗な円を描いたそれを腰元に引き寄せ、ピタリと止めた。クーヤから見るとまだまだ隙の多い構えであったが、中々に堂が入っている。
「ほぅ。長物の扱いには慣れている様子だったが、棒術の動きじゃなかったな。やはり槍か」
棒の先端には尖り磨かれた石の刃。
殺傷能力が高いため今まで取り付けなかった石の穂先。切っ先がクーヤへと向けられると、鞘に収まったままの刀を腰から取り外す。刃は抜かず、鞘がついたままの刀をイチローへと向けた。
刀と短剣は常に備えている。作業を行う時でさえ、手の届く位置に持ち歩いていた。模擬戦で何時も用いていた木刀を持ってきてもよかったが、イチローの本気にはそれ相応の武器で応えるのが筋であろう。
「いざ!」
気合の掛け声と共に、石突き付近で握った右手に力を込める。左手を固定し、射出台にして柄を滑らせた。
イチローから放たれる鋭い刺突。槍頭が空気を貫き、狙いは腹部へと定められた。
「いい突きだ」
直線だったその軌道は、途中であらぬ方向へと変化した。鞘に阻まれ、ベクトルをずらされた穂先がクーヤの横を通り過ぎる。
受け流された事に何も驚きはしないイチローは、すぐさま槍を引き左手を軽く開いた。柄への密着が緩んだ掌に再び柄が走る。
「っは!」
一つ、二つ、三つ――。
突きは一度ではなく、何度も往復を繰り返す。点の攻撃から面の攻撃へ。緩めた分だけ範囲は広がり、往復を繰り返すたびに柄がわずかにしなる。開いた左手から繰り出されるその刺突は、まるで散弾を放ったかのように乱雑だ。
「悪くない」
そしてクーヤはその全てを受け流す。一歩も引かず、繰り出される数々の突きを鞘と柄を交わらせる事で受けきった。防御に回っている間、じっとイチローの動きを観察する。
鳥獣人は目が良いという情報は得ていた。しかしそれは動体視力が良いというわけでなく、遠目が効くという特徴だ。決して、近接戦に有利な固有能力ではない。
攻め続けてイチローの息が荒くなりだした。
刀と槍とでは間合いが違い過ぎるために今まで防戦一方であったが、そろそろ飽きてきた。次の一撃を受け、反撃を試みようとつま先に力を込める。
イチローが短く息を吸い、腹に力を込めた一撃を放つ。
穂先の点から逆側の石突への点、そしてクーヤの目という点が一直線に合わさった。
視線へ真っ直ぐの刺突は距離感を狂わせる。放物線を描くボールは取れるが、顔面へと迫る打球は止め難い。それと同様だ。
「だが、まだ甘い」
顔を傾け、一直線だった三つの点から目を外す。
斜めからの視線が柄を捉え、鞘をぶつけて反らした。
「それをやるなら布石が前提だ」
それまでの突きを加減した速度で相手に慣れさせ、最高速度の一撃でなければ避けるのは容易い。だが、イチローは最初から全て全力である。どうやらまだ接近戦での駆け引きを把握していないようだ。
「仕舞いだ」
鞘が柄を滑り、滑るような足捌きで間合いを積める。
イチローも急いで穂先を戻すが、クーヤが接近する速度の方がわずかに速い。体重の乗った打突がイチローの喉元へと伸びる。
何かがおかしい。
イチローの動きは前に棍で戦った時よりも精練されている。甘い突きではない。しかし、それでもまだ技量が低いと感じた。
クーヤの観察眼は、鍛錬を積んではいるが実戦経験はあまり多くないという結論を導き出す。おかしな話だ。戦う事が日常の、このハーグで実戦経験が足り無いというのは。
一歩踏み込む。ラビから今度は三人で向かうから覚悟しろと言われた。
重心が前へと傾く。視界に映るのはイチローのみ、他の二人は何処にいる。
クーヤの間合いにイチローを捉えた。頭の中で情報が構築される。
いつもならここで模擬戦は終わりを告げる。そこから予想出来る事はつまり――そして本能が警鐘を鳴らした。
ぴりっと皮膚を刺激する殺気。最後の踏み込みは地面を蹴飛ばし、回避行動へと移した。流れる風景の中、遠くから風を裂く甲高い音が聞こえる。
穂先を引き戻したイチローが、再び遠くの間合いから突きを放ってきた。何度も繰り返したように、それを鞘で受け止める。
「――ちっ」
タイミングはこれ以上文句が言えないほど完璧だ。短剣に手を伸ばすが間に合わないだろう。クーヤは痛みに備え、歯を食いしばった。
わずかに開いたイチローの隙間に、高速で飛翔する矢が通過する。もう一つの矢はクーヤの大腿を貫いた。
「ぐっ」
痛みに耐え、槍を弾きながらその場を離れた。
イチローから視線を微かにずらし、矢の出所を探る。二人の姿を探すが見当たらない。
「……おいおいおいおい。冗談だろ?」
オワゾの面積はかなり広くなっている。イース達には再び奴隷商人を連れてきて貰う仕事を頼んでおり、そのための住居もそこかしこに建てられていた。だが、近くの建物の屋根に二人の姿は無い。
まるで空から降ってきたかのような角度で刺さる地面に生えた矢と、自分の足を貫通した矢。矢の軌道を計算してみると、信じられない答えが返ってきた。
「鷹の目。クーヤ殿には教えたはずですぞ」
鷹の目。鳥獣人特有の優れた視力。
目が良いという程度の話では無い。これはまるで、千里眼の領域ではなかろうか。
視界の奥の奥。
防壁の完成と共に建設した物見矢倉。高い矢倉もクーヤの位置からでは指で簡単に覆い隠せてしまうほど離れた距離。その天辺に、米粒ほどの小さい影。人の視力ではそれを捕らえるのは限界であった。
そして場面は冒頭へ戻る。
傷口の熱が全身に回るような錯覚さえ感じる中、クーヤは歓喜に満ちていた。
そして自らの失態を恥じる。何が鳥獣人について知らない事は無いと高をくくっていたのだろうか。彼等はこれ程までに有能だ。常識に囚われるなと言っておきながら、常識に囚われていたのは他でもない彼自身だ。
そんな自分の常識を壊してくれた彼等に感謝しきれない。
「クーヤ殿、決着はつきました。我らの勝ちです!」
イチロー達が最後まで口にしなかったのは鳥獣人の戦い方である。
高台から敵を追い払うと言っていたが、どんな方法で行うかはいつも曖昧にされていた。予想されたのは弓、魔術、丸太を落とすなど、高低差を利用した遠距離からの攻撃方法。その中で一番可能性が高いと踏んだのは、罠による撃退方法だ。
イチローの戦い方を見るに、接近戦は不慣れな印象を持っていた。逆を返すと接近されずに敵を倒してきたという事を意味する。森に住む強靭な敵に対し、そこそこの魔術では撃退する事などできはしない。それは弓も同様と考えていた。
「何言ってんだ? まだ付き合ってもらうぞ」
クーヤは銃も扱う。だからこそ、遠距離攻撃の欠点を熟知している。
撃ち漏らせば、接近戦を強いられる点だ。例え矢の雨を降らせようとも生命力の高い相手には接近を許してしまうだろう。人間の視力という常識に囚われた彼には、その短い距離では仕留めきれないと考えた。
それがどうだろう。彼等の超長距離からの狙撃。高精度の正確性。この腕前ならば、確かに接近は許さない。
「クーヤ殿……これ以上は命に関わります!」
「……お前達は、狼獣人が戦う姿を見た事があるか?」
食料を得るため、家族を脅威に晒さないため、自分の居場所を守るため、どんな敵に会おうとも一歩も引かないその強さ。狼獣人の精神力も尊敬に値する。しかしイチロー達ほどどうしても引き止めたいという気持ちは沸いてこない。
なぜならば、狼獣人の戦いは身体能力に任せる所が大きい。生まれ持った才能だ。運動能力に劣る人間が参考になるような戦い方ではない。
「目的の物を手に入れる為なら自分の命もいとわない」
それに比べ、彼等はどうだろう。彼等は輪郭もおぼろげな距離からの射撃を可能とした。それも広い胴体ではなく、範囲の狭い足を射抜く腕。まるで長距離銃を持った狙撃主だ。彼等の技量に舌を巻くしかなかった。
「どうしてそこまで……」
「決まっている。お前達が技量に優れた者だからさ」
そう、技量だ。
視力の良さにも確かに驚いたが、彼をこれ程までに興奮させたのは他ならない彼等の腕だ。人間でも双眼鏡のような道具を用いれば遥か遠くを見渡せる。だが標的が見えるだけで、その後射るという技術はついてこない。
「自分達の業を卑下するつもりはありませんが……弓など魔術に比べて――」
「魔術に比べ……範囲が狭いと言いたいか? 軌道が放物線しか描けないと言いたいか? 応用が利かないと言いたいか?」
どれ程技術を、知識を手にしていようと、魔術戦ではラビとアリスには敵わない事を理解している。魔力量の乏しい自分では、ルーシィのように物を作り出すことさえ叶わないのを理解している。
魔術とは、魔力を用いて自分の願いを叶える術。魔力を持たなければ、優れた運用方法があろうとも、叶う事の無い只の妄想。
魔術は生まれ持った魔力量に左右される事が大きい。その事をクーヤは誰よりも解っていた。
「そんなもの、お前達の業の前では些細な事だ」
そんな彼だからこそ、クーヤは彼等の業に魅入られた。
業というのは魔力が無い者でも扱える術だ。そしてそれは魔力が乏しい者にこそ得るべき技術。高度な業であればあるほど、オワゾには変えがたい重要なモノとなる。
「インシルリク、ジャンルィジ、サドフニコフ」
初めて彼等の名を呼ぶ。クーヤの声色にインシルリクはギクリと身体を強張らせた。
「俺は、お前達を、手に入れる」
大腿から血を流しながら、不敵に笑う。
足からは多量の出血。本来の機動力は奪われ、長距離への対策も未だに無い。それでも彼は顔を歪めた。すでにもう模擬戦から逸脱している。状況は圧倒的に不利であるにも関わらず、引こうとはしなかった。
鞘を左手で握り直し、腰を捻る仕草を見せる。背を向けた体制から放たれる視線に、一歩後ずさった。
執念、狂気。諦めるという選択肢は見当たらない。
何時も飄々としていた。何処までも冷静だと思っていた。誰よりも気が抜けていると感じていた。冷たい部分が多くあり、でもどこか暖かい。関心が無い所が多く、とある分野では熱心だった。
良く解らない、曖昧な人物だと思っていた。勝てるようで勝てない存在だと考えていた。
だが今は違う。
本能が悟る。インシルリクの心は理解した。
身体が微塵も動かない。足場が崩落する錯覚を受けた。脳が考えることを拒否する。手が震えだし、心が萎縮した。石となった己自身の中から、はっきりとした感情が浮かぶ。
その感情は矢倉から見守るジャンルィジとサドフニコフも感じていた。二の矢を番えている手が震える。弦を引くが、腕の痙攣が治まらない。弓と矢が擦れる音が止む事は無かった。
クーヤを初めて怖いと思った。
彼には勝つ事が出来ない。
「――いくぞ」
「そこまでよ」「そこまでだ」
オワゾに火柱が立ち上る。
クーヤの足元から這い出てきた炎の渦は彼の周囲を囲い、高く天まで昇っていった。
頭上を見上げれば空にはぽつんと蒼い穴。雲一つない快晴の空は丸く切り取られ、彼の頬に水滴が降り注ぐ。
青い空が迫ってくる。逃げ場の無い彼はすぐに諦めた。クーヤは心の中で悪態をつく。久々に熱くなれたというのに残念だ。
そして蒼に押しつぶされた。
「今日のオワゾの天気は快晴、所により土砂降り。深い霧に包まれるでしょう」
「局所的に火の竜巻が発生する恐れもある。気をつけるように」
「そりゃぁ、随分と正確な予報だな」
「イチロー達の名前を完全に忘れてて、過去の話からコピー&ペーストしたみたいね」
「初めてちゃんと名前を呼ぶ場面で締まらないな」
「メタい発言は控えるように」