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第三十一話 間諜

第三十一話 間諜



 カマル村はオワゾから西側へ向けて走り、やや南下した山の麓に建てられている。


 エリーナ達兎獣人が居た洞窟の近くを通り過ぎ、ひたすら西南西へ馬頭を向ける。幹の太い森の木々を突き抜けると、先程まで平らだった地面がうって変わって起伏が存在する場所へと辿り着いた。小高い丘の風景が続く、穏やかな丘陵地帯へと足を踏み入れる。数万年前はこの辺りにも海が広がっていたかもしれない。


 カマル村はその丘陵地帯の中にぽつんと広がった平地に集落を築いていた。

 周囲の地形から守り易い場所に作ったとは言いがたい。村の周囲は切り開かれ視界が広く確保されているが、前回狼獣人に絡まれたように雑木林も近くに有る。魔獣が木に隠れて近づける場所はそこかしこに存在しているのだ。


 狼獣人は驚異的な身体能力、優れた嗅覚がある。だがそれとは逆に魔力の量は乏しく、魔術の知識は皆無だと聞いている。

 オワゾよりも海側に近く、魔術による結界も張れない。彼等が常日頃から魔獣の脅威に晒されている事は、村の惨状からよく知っている。だからこそ、クーヤには理解出来なかった。


 全周囲から襲われる危険性の有るあの村の場所は、守りに適している所とは彼には考えられなかった。それならばまだ、エリーナ達のように洞窟に住居を構えた方が脅威から身を守るのには都合がいいだろう。


 一体何を守るためにあの場所に居座っているのか、彼の興味は尽きない。


「ちょっと待って!」


 ラビが叫び声を上げ、馬がたたらを踏んだ。


「どうした?」

「……気づいてないの?」


 隣を見ればアリスも怪訝な顔で遠くを睨んでいる。

 思考に没頭していたクーヤは頭に疑問符を浮かべるが、すぐに理解した。一度だけ鼻をひくつかせると眉間に皺を寄せる。


「こりゃまずいか?」


 怒声が聞こえる。奇声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。叫び声が聞こえる。


 血の臭いが、ここまで伝わってくる。


「急ぐぞ」


 蹄が先ほどよりも荒々しく地面を踏む。

 三頭の馬は戦場へと駆けて行った。







 カマル村は凄惨な、しかしある意味有り触れた光景を迎えていた。


 魔獣の襲撃。

 それはこの村にとって日常の一場面であり、彼等にとって食料を調達する機会であった。女性や子供達は家の奥へと逃げ込み、部屋の片隅でじっと耐えている。男達は外へ出て家族を、仲間を守るべく獣化して応戦していた。


 隠れていた爪を伸ばし、魔獣の腹へと突き刺す者。手に剣を握り、力任せに叩きつける者。顎を開き尖らせた牙を相手の喉元へ突き立てる者。

 それぞれが必死に命を賭けて今日を生き抜こうとしている。


「ぐるるるるるる」


 老いた狼獣人は肩から血を流しながら喉を鳴らした。

 穴の開いた箇所から先は上手く動かず、だらりと腕を下ろしている。普段の彼等ならばこの程度の傷、獣化の副次的な作用により回復する事は容易だ。しかし穴は開いたまま、血が止め処なく流れ続けている。


 魔獣の襲撃は日常茶飯事だが、今日はこれで何度目だろうか。

 流石に疲労が溜まり、動きが鈍くなっている。身体が鉛のように重い。それでも目だけは光を絶やさなかった。


 秋が深まるにつれ、魔獣達の動きが活性化されるのは毎年の事である。

 獣型の魔獣も冬眠を行うのか、冬にその姿を見かける事は少なくなっていた。その分、秋にこういった襲撃は頻繁になる。


 勿論、魔獣には獣型だけではなく、植物型や虫型、悪霊の様なものも出るが俊敏で力の強い獣型が少なくなるだけでもありがたい。


 今の時期を乗り切れば少し穏やかな日々が過ごせるだろう。その希望を胸に、老獣人は目の前の敵を睨みつけた。額の中央に一つだけ目のある熊が、仁王立ちしてにらみ返してくる。


「――――――――――!!」


 空気が震えた。

 目の前に対峙する者を恐怖に染める振動。聞く者の気力を凍りつかせるその轟音。魔獣の咆哮。


 押しつぶされそうな重圧をかけられながらも、老獣人は地面をしかと踏みしめ歯を軋ませた。足にも疲労は溜まり、狼獣人本来の俊敏さは失われている。巨体を揺らしながら近づいて来る一つ目の熊。


 魔獣が太い腕を振り下ろすと、老獣人はその腕に掴みかかりあらん限りの力で握った。魔獣が開いたもう片方の腕を振り上げるが、彼の右腕は少ししか持ち上がらない。舌打ちをすると、振り下ろされた腕に向けて肩を押し出す。

 ずぶりと魔獣の爪が自分の肩肉を突き刺す感触、そして丸太で殴られたような激痛。後から来た衝撃は内臓を振るわせた。


「がああああ」


 ガクガクと震える足に力を入れ、老獣人は鋭い牙を魔獣の首元へと突きたてた。短い悲鳴の後、魔獣がお返しとばかりに老獣人の肩へと牙を食い込ませる。ベキリと鎖骨が砕ける音がした。体に走る激痛。命が身体から抜け落ちていくような感覚。痛みを怒りに変え、老獣人はさらに顎へ力を込める。


 負けるわけにはいかない。ここで膝をつける訳にはいかない。魔獣は自分達の食料でしかないのだ。この世界は弱肉強食。魔獣は狩られる対象で、自分だけ死んではならない。そう――


 決して家族の脅威となってはいけない。例え自分が死ぬ事となろうとも。


「邪魔するぞ」


 不意に肩の痛みが和らいだ。掴んでいる魔獣の腕が震えている。一体何が起こったのか。老獣人は噛み付いたまま目を丸くした。


 何時から居たのか、いつの間に現れたのか。どこからやってきたのか。さも当たり前のように、魔獣の背中にその人物は居た。


(――人間が魔獣に刃物を刺している?)


 何が起きたのか老獣人はよくわからなかった。ただ人間が自分の戦いの邪魔をしている。その事実に先程よりも強い怒りが込み上げてきた。


「さすがは戦士。だが、此処で死ぬ必要は無い」


 何故人間が此処にいるのか。助けたとでも思っているのだろうか。自分は仲間のために命を賭けて戦っている。それを何故人間が邪魔するのか。

 眼力を込め、魔獣の背中に佇む人物を老獣人が睨みつける。魔獣の首元に噛み付きながら喉を唸らせた。


『人間の助けなどいらない』

「そうかい」


 諦めた声色で呟くと、肉厚の短剣を魔獣の身体から引き抜いた。

 刃を振るい、血糊で弧を描くとその人間は不敵に笑って目を細める。


「なら勝手にやらせてもらう」


 引き抜いた短剣を横に寝かせ、今度は心臓付近へと狙いを定め押し込んだ。一度刺した感触で肋骨の位置は概ね理解しているのだろう。背中からの刃筋は間違いなく魔獣の心臓をえぐった。

 耳障りな断末魔がすぐ隣から聞こえる。悲鳴が尻つぼみに弱まってくると、老獣人に爪を立てていた魔獣の腕がダラリと弛緩した。


「ラビは左側、アリスは右側。一匹残らず殲滅しろ。結界を張るのも忘れるな」

「「了解!」」


 赤い髪の女性と青い髪の女性がそれぞれ散っていく。

 残った男は一つ欠伸をかみ締めると、老獣人へと近づき穴の開いた肩へ手を伸ばし始めた。


「待て……何を、する」

「横入りさせてもらう。そしてあんたには治療が必要だ」

「……助けた、つもりか?」

「いいや、邪魔しただけだろうな」

「お前ら人間の助けなど――」

「要らない。その意思は伝わった。だからあいつ等も邪魔しに行っただけだ」


 いったい目の前の人間は何を考えているのか、老獣人には理解出来なかった。

 ただ、指先一つ動かせないほど疲弊したこの身体に、治癒魔術のほのかな光は暖かかった。







 クーヤ達の介入により、カマル村を襲った魔獣の襲撃は思いのほか早く収束していった。現在、クーヤ達はチャフの家へと招かれている。


 チャフの左右には老いた狼獣人達が並んでいる。その中には先程クーヤが治療を行った者も居た。

 チャフの前に座るのはクーヤ、ラビ、アリスの三名だ。

 今オワゾを守っているのはニールを初めとした結界班、イチロー達を交えた殲滅班で構成されているメンバーだ。イース達は現在、所要で出かけてもらっている。


「そなた達には仲間を助けてくれた事に礼を言わねばならんかの」

「その必要は無い。俺達は狼獣人の戦いを邪魔した」


 湯気の立つ白湯で唇を湿らせた後、二度目の交流は開始された。その一言目に交わされた言葉がそれである。


「喰うか喰われるか。生きるという神聖な場に水を差した。責められるのならわかるが、感謝されるような事はしていない」

「ちょ、ちょっとクーヤ」


 行き成りの物言いに、ラビが焦る。口を出そうとするラビに手を向けて制した。


 戦士の戦いに介入し、手助けをしたなど言えるはずも無い。武人が命を賭けた戦いに水を差すなど、相手にとっては殺されるよりも侮辱的な行為だ。


「それが解っていて何故手を出した?」

「俺達にとって邪魔だったから、かな。訪れたが、周りが阿鼻叫喚では落ち着いて話し合いも出来ないので」

「ふむ」


 そう結局はクーヤの都合でしかない。結界を張ったのも自分達の話し合いを邪魔されたくないからだ。

 チャフが伸びた髭をゆっくりと撫でた。


「……助けた等と申したら、その首を噛み千切ろうと思ったのだが」

「怖いな。それは命拾いした」

「さて……どうかの」


 クーヤとチャフの目が合わさる。

 二人が真剣な眼差しを向け続け、無言の時が流れた。殺気は孕んでいない。だが妙な空気が流れる。痛々しくないが、居心地が悪い。慣れないその場の空気にアリスもそわそわと体を揺らし始めた。


 長い時間が過ぎると、不意にチャフが表情を緩めた。それに同調し、クーヤも表情をいつもの抜けた物へと戻す。彼の背後でラビとアリスがほっと息を吐き出した。


「怪我人を治療してくれた事、感謝する」

「気にしなくていい……と言いたい所ですが、今は貸し一つとさせて頂く」

「人間に貸しを作るのは、恐ろしいですな」

「俺からしたら狼獣人の力の方が恐ろしいですがね」

「ふふっ、左様か」


 それからは他愛の無い会話が続いた。

 クーヤが今のような襲撃は頻発するのかと問えば、秋口には獣型の魔獣が活性化する、とチャフが答える。クーヤが自己治癒出来ぬほどに皆が疲弊していると感想を述べれば、チャフは気遣いに感謝すると返事した。オワゾの畑で作物が実ったと伝えれば、羨ましい限りだと返した。


「さて、そろそろ本題に入ってみてはいかがか? まさか世間話しに来たわけではあるまい」

「いや、それも一つの理由ではある」

「ほお……と、言うと?」

「申し上げた通り、こちらの目的は交流だ。会話もまた、その一つの手段なので」

「ふむ。では他には?」

「こちらに移住した者達の様子を見に伺った。元気に過ごしていますか?」

「それがの……」


 チャフが苦い顔をして言い淀んだ。

 言いにくい事かとクーヤはチャフの言葉を待つ。いや、チャフが言いたい言葉は実の所解っている。しかし自らが切り出すのは違う。相手が口にするからこそ、意味のある言葉だ。


「実は、そちらから預かった者がオワゾへ帰りたいと申しておる」

「ふむ……そうですか」


 今日だけで何度も襲撃が行われているのは、治療を回った様子で把握している。村人皆が顔に濃い疲労を浮かべていた。たった数日でこれほどまでに消耗するとは、一体どれだけ戦いを強いられたのだろうか。

 奴隷生活の長かった狼獣人には少々過酷な日々だっただろう。


「こちらに迎えるのは構わない。しかし、仲間を手放す事に反対する者は――」

「確かに居たが、わしが許可した。元々、この故郷出身でない者に強要はできまい」


 左右に並ぶ老狼獣人の顔が険しくなるのをクーヤは感じ取った。オワゾへ戻る者に「裏切り者」「仲間を捨てるというのか」という心の声が聞こえてきそうだ。聞こえる気がするだけなので、あまり深く指摘しないようクーヤは心がけた。


「わかった。移住した者達をこちらで再び引き取ろう」

「すまぬな」

「いや、また寄らせていただく」


 話は終わり、クーヤ達はチャフの家を後にした。とりあえずの目的はこれで果たしたと言えるだろう。

 

 見送りにはシルバが着いてきた。

 クーヤ達の近くにはレミィを初めとする数名の狼獣人が集まっている。辛辣な言葉をかけられたのだろうか、その者達は此処より安全な場所へと戻れるというのに浮かない顔をしている。


「さて、こちらは戻るが……シルバ、お前はどうする?」

「クーヤ殿……申し訳ない。やはり俺には故郷を捨てる事は……」

「何を言っているんだお前は。なんでオワゾに住む事が故郷を捨てる事になるんだ?」

「は? いや……それは」

「故郷から離れて生活してる奴なんて何処にでもいるだろう。そいつらは故郷を捨てたと言うのか?」

「いや……しかし――」


 今の時期、男手は必要だ。

 村が大変なこの時期だからこそ、シルバは此処を離れる訳にはいかない。

 戦力にならない者だけでもオワゾで預かってもらいたい。しかし、故郷を離れ、比較的安全な場所へと逃げる事は狼獣人のプライドが許さない。そんなジレンマを抱きながら、シルバは唇をかみ締めた。


「……落ち着いたら戻ってくればいい。その時は歓迎する」

「……クーヤ殿、恩に着る」







 夜更けにクーヤはオワゾの外壁を歩き回っていた。

 カマル村から帰ってきた後、オワゾでも魔獣の襲撃があったと報告を受けた。だがニール達結界班による防壁とイチロー達による反撃によって、特に被害も無く追い払えたようだ。


 カマル村に行く前にオワゾを囲う防壁は完成している。建てた防壁には一定の間隔で魔術文字が彫られており、四方に刻むよりも魔力のロスが少ない仕様となっている。これならばラビやアリスほどの魔力が無くとも、運用していけるだろう。


「問題は無さそうだな」

「こんばんは」


 報告は受けたが、ちゃんと機能しているか歩きながら調べている最中にその人物は姿を現した。


「よう、待ってたぞ」

「報告します――」


 闇夜から女性が姿を現す。

 カマル村へ移住していた狼獣人のレミィだ。


「カマル村の人々は長年あの場所を守ってきたため、あの場所への執着が強いですね。その自負があるため他の同族よりも自尊心が高いです」

「ああ、会話から俺もなんとなく理解している」


 カマル村の戦力を彼女は語っていく。

 日に何度も魔獣に襲われる所から、それを対処していく住人の底力を。

 実戦という戦闘経験の豊富さ、全てに対応する事の出来る持久力、素手でも魔獣に応戦出来る力強さ、戦闘で培われる強靭な精神力。どれをとっても戦士として申し分ない。


 報告を聞く限り、オワゾにとって手に入れて起きたい戦力だ。ただ、移住を勧めたいが少々骨が折れそうな性格をしているのが問題だろう。


「そして、あの場所にはやはり子供の数が少ないです。そればかりか、ここ数年生まれてくる子供の数が少なくなっているそうです」

「ふむ……なるほど」

「あの場所に住んでからの話ですので、あそこは呪われているのかもしれません」

「移住する為の理由にはなる……な」


 瘴気がオワゾよりも濃い場所だ。身体に不調が起きているためだろうか。いや、どれ程汚染された魔素を少なくしようとも魔獣の肉を食べている事が原因か。

 兎にも角にも、魔素汚染の究明に尽力を注がなければならない。


「あと、驚くべき事実ですが」

「なんだ?」

「あの場所の近くに岩塩が取れる場所があります」

「なんだと……」


 岩塩。

 海水など塩分濃度が高い水が蒸発により濃縮され、結晶化した塩化ナトリウム。

 地殻変動により大地が隆起し海水が閉じ込められて出来る岩塩の層。その深い地層に堆積していた物が、再び地殻変動により押し出され地表へ姿を現す事がある。それが採掘出来る岩塩だ。


「おいおいおい、そいつはまた……思った以上の収穫だな」

「盗み聞きしただけですので実際の場所までは把握してません。新参の私に教えて貰えませんでしたし」

「いや、十分だ。そうなると、移住を勧めるよりも交流を保った方がやはり有益か」


 塩が取れるという情報にクーヤの心臓は音を高くする。そして同時に納得する。これがカマル村の先人があの場所に住みかを作った理由か、と。


 岩塩は精製された塩とは異なり、水に溶け難いという性質のため料理に直接使いづらい。

 だが、岩塩を一度じっくりと水で溶かし、得た濃い塩水を釜で炊いて塩を得る方法がある。それならば見かけも性質も精製塩に近い。


 とにかく塩が手に入る。その可能性は彼の心を歓喜させた。

 塩というのは単なる味付けや、食品を腐りにくくするというだけではない。本当に様々な用途で用いる事が出来る。


「危険な仕事を任せて悪かったな」


 間諜という難しい仕事をしっかりとこなしてくれた彼女に感謝する。


 あの狼獣人達の性格からすると、普通の話し合いではその事実を知るまでにどれくらい時間を浪費しただろうか。最悪の場合、カマル村が魔獣の襲撃により壊滅し、その情報が得られなかった場合も考えられる。


 知っていると言う事は、力があるという単純なモノよりも遥かに強力だ。

 これからカマル村への接し方も、その重要性も今までとは変わってくる。カマル村は武力として手に入れておきたいという程度の存在ではない。どうしても手に入れなければならない最重要の存在となった。


 その認識を改める情報を手に入れてくれた女性。目の前に居る彼女へ、親しみを込めた微笑を向けた。


「ありがとう、ルーシィ」

「まったく、酷い人ですよね。兄さんは」


 女性の雰囲気が一変する。

 温和な表情から少しきつめな目元へ。ふさふさとした太い尻尾からほっそりとした尻尾へ。狼っぽい外見の女性が普段の猫っぽい亜人へと姿を戻す。

 ずっと変化し続け、内部を探っていた緊張から解けてルーシィは疲労の息を吐き出した。


「仲間に引き入れようとする人達に探りを入れるなんて」

「仕方ないだろう。俺はこの前のオーク達で嫌という程味わったんだ。調べる事に越した事はない」

「そもそもスパイなんて私が居なければ成立しないじゃないですか。その時はどうするつもりだったのですか?」

「それはそん時考えるさ」


 狐獣人であるニールの勧誘に失敗した事はアリスから聞いている。

 元々無理な話ではあった。諜報というのはその行動に慣れた者でなければ上手くこなせるとは思えない。それはルーシィが一番自覚していた。

 さらには少し前まで人間に恐怖を抱いていた亜人の奴隷達だ。

 例え命を救い、束縛を緩め、人として尊重し接している彼等であってもまだわずかな付き合いでしかない。自分達を助けてくれた人間と、亜人達それぞれの同族とどちらを優先するかという事だ。


 恐怖を用いて従わせる事は可能であろう。だがそれでは人の尊厳を踏みにじる行為だ。そんな事はオワゾの意思として反する。


「お前が居てくれて助かった。これからもよろしく頼む」

「あ……はい」


 少し赤くなった頬。体温が上がり始めた事に羞恥を覚え、ルーシィは首を激しく振ってその感情を振り払った。


「そ、それで。これからどう動きます?」

「そうだな」


 クーヤが葉巻に口をつけ、先端に火をつける。

 ゆっくりと煙を肺へと送り、息と共に煙を吐き出す。唇を舌で湿らすと、かすかに甘い味がした。


 狼獣人は人間への憎しみ、いや一族全体のプライドが高い。互いの関係を解きほぐすには時間がかかるだろう。彼等への対応は交流を保ちつつ、改善していくのがベストかとクーヤは考える。もしくは、仲間意識が芽生えるような大きなイベントを共同でこなすか。


 とりあえず、カマル村への交流は少しの間見送りだ。


「今度はイチロー達の里へと顔を出してみようか」

「そうですか…………ですが、あそこは――」

「ああ、わかってる」


 今宵の月は高い。

 薄い雲が丸い光を半分ほど隠している。陰るその月もまるで血が混じっているかのように赤く濁っている。今後の自分達を示しているかのような色合いに、クーヤは煙を吐き出した。


 月に向けて煙を吐き続ける。


 もう一度唇を舐めると、今度は苦い味がした。




「鳥獣人達へも私が探るんですか?」

「あらあら、帰ってきたばかりなのに大変ね」

「いや、あいつ等には勝負を受ける毎に住処の情報を聞いていたからなぁ」

「ああ、必要が無くなるくらい勝ったんですね」

「今度筋力増強剤でも作ってみようかしら」

「……やめて下さい」



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