第二十四話 奴隷商人との交渉
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第二十四話 奴隷商人との交渉
ガブールが目覚めた時、自らの状況を理解しがたかった。
「よう、やっと起きたか」
「えっ……あ?」
飛び込んで来た視界には、不自然なほど瞳を大きく見開いた青年が自分を見つめていた。
その風貌は筋肉質というわけでもなく、痩せているという印象もない。中肉中背、特に特徴は無かった。ただ、額に巻いている布と、布に引っ張られるように開かれた目蓋が印象的である。
睨まれているわけではないが、心を覗かれそうなその眼光にガブールは居心地が悪くなった。
ガブールは視線から逃げるように辺りを見回す。
視界を巡らせると映るのは木々ばかり。茶色く太い幹が自分の逃げ場を遮る。地中から生えた無数の草がその先の風景を隠す。地面から立ち上る土の香り、周囲に漂う深く、濃い緑の匂い。
湿気を含んだ空気が彼の肺を満たす。
ガブールはいつの間にか森の中に自分が連れてこられた事に困惑した。
状況が上手く理解出来ない。
先程まで兎亜人達を捕まえようと躍起になっていたのだが、気づけば森の中に連れ去られた。
「此処は……ハーグの森……か?」
「ハーグ……ああ、そういえば此処はそんな名称だったな」
「おーい、生き残ったのはこいつらだけだぞ」
「そうか」
声がした方を向けば、手足を紐で縛られた傭兵達が3人の男達に囲まれているのが映った。
見知らぬ男達に自分が雇った傭兵達が猿轡を噛まされ、くぐもった声を発している。
「これは……なんなのだ? なんなのだ一体!!」
傭兵達が縛られている姿を見て、ガブールは身体が動かない事に気づいた。両手と両足は縛られ、身動きが取れない状態とされている。
捕まった。何故? どうして?
疑問だけがガブールの脳内を占める。何故捕まったのか、何故捕まらなければならなかったのか。自分はちゃんとここの領主に許可を取っている。法に反する事は何もしていない。悪い事など何もしていない。
状況が分からない。相手の理不尽さに恐怖と苛立ちが募ってくるばかりだ。
「何故こんな事になっている……き、貴様ら何者だ! 何故わしは此処にいる! 何故わしを捕らえた! わしをどうするつもりだ! 貴様ら一体何をしているのかわかっているのか!?」
「まぁ、落ち着け」
「おちつけ? お前は気でも狂っているのか? 此処がどんな所かわかっているのか!? 魔獣の森だぞ、凶悪な魔獣どもがそこらに居るんだぞ? 落ち着いてられるか! わしを放せ!」
「あんたに頼みたい事があるんだ」
「お前は馬鹿か? 本当に気が狂っているのか? これが頼み事をする態度と呼べるものか! さっさとわしを放せ!」
ガブールの危機感が警鐘を響かせる。
早く逃げなければ。ここは人が居ていい場所じゃない。自分が居ていい場所じゃない。
森の中へ入るのは傭兵達だけの予定であった。此処はこの国の騎士達でさえ進行を諦めた場所、ただの商人であるガブールが生きていられる場所じゃない。今この時でさえ、木々の奥から異形な姿の魔獣が出てこないかと、めまぐるしく視界を揺らしていた。
「心配するな、此処はそれほど深い所じゃない。辺りに魔獣も居ない」
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい! そんなもの信じられるか! くそっ、森に来るまでは順調だったはずだ、兎亜人も見つけた、もう少しで捕まえる事が出来た、順調だったはずだ、上手くいっていたはずだ、それが何故森の中に……くそっ、くそっ、くそっ!」
不安を消すためにガブールは叫び続けた。
唾を吐き捨て、目の前の青年を睨みつける。青年は見開いた目でこちらをじっと眺めている。ガブールはその瞳の奥に見え隠れする苛立ちに気づかなかった。
「早くわしを解放しろ!」
「ちょっと黙れ」
一つため息をつくと、傭兵達のもとへと歩みを進めていく。
傭兵の前に立つと、青年の腰からとても細い刃物が引き出された。高々と掲げられたその刃物は、武器に詳しい知識が無いガブールが見ても、それはとても美しく、言い表せない恐ろしさが存在していた。
その綺麗な刃物が振り下ろされる。
それはとても自然な動作で、とても当たり前のような仕草で。ガブールは目の前で行われた行為について認識できずにいた。
「……へっ?」
丸い物体が転がる。
ボールのようなその物体は硬く、重量感のある鈍い音を立てながら転がっていく。
ごろりごろりと地面を転がり、やがてそれは止まった。その物体とガブールの目線が交差する。
恐怖に彩られたその暗い瞳がガブールを恨めしげに見ているように感じた。
「ひっ」
その視線から逃げれば、傭兵の首を跳ねた細い刃物が目前に突きつけられていた。森林から発する爽やかな芳香の中に、粘つく血の臭気が混じる。ガブールはその刃物の先端に視線を寄せる事しか出来なかった。
凛、と音が響く。
青年は切っ先をガブールに向けたまま言葉を発しない。
突拍子もない光景に彼は驚くばかりだった。ガブールは先程まで暴れていた怒りも忘れ、突きつけられた刃物の先端をじっと見つめつづける。
どれくらいそうしていただろうか、一分か数十秒かそれとも数十分か。静寂に耳が痛くなってきた頃、青年がガブールへと向けた刃物を下げて口を開いた。
「状況を説明してやる。今度無駄口を叩いたらそのたびに命が散っていく。後2つあるが、それが尽きたらお前の番だ」
「あ……あ、あ」
「わかったか?」
首が千切れんばかりにガブールは首を縦に振った。
「まずは、最初に謝っておこう。俺の所有物にお前達が手をかけようとしたから、つい排除してしまった」
「所有……ぶつ?」
「兎獣人達の事だ。あいつ等は俺の奴隷だ」
ガブールは先程の光景を思い出す。
確かに自分達は森の付近で見かけた兎亜人を捕まえようとしていた。そしてその直後、雇っていた男達のほとんどが殺された。自分の持ち物を奪われる所だったから仕方なく排除した。そう聞こえる。
あまりに乱暴すぎる方法だ。だが、嘘を言っているようには感じられない。それが事実かもわからない。
しかし事実なら奇妙な所がある。自分はどの商人よりも一番に動いたはずだ。
「馬鹿な……他に森へ入る許可を取った者など――」
そこで口を噤んだ。
無駄口を叩くなと言われたばかりである。恐る恐る青年の顔色を伺えば、大きな目でじっとこちらを眺めるだけだった。
「それが森の中に連れてきた理由だ。少し内密な話をしたい」
人目につきそうな森の外ではなく、木々に遮られた森の中での交渉。ガブールの愚鈍な頭でも段々と理解してくる。
「俺は奴隷を集めている。俺の名は、そうだな……コレクターとでも呼べ」
目の前の青年が何者かはわからない。
だがこれだけは確実だった。真っ当な人物ではない。法を犯し、邪魔だという理由で何人もの命を刈り取る。
「お前に頼みたい事がある」
この森の領主に許可を取らない違法な進入。奴隷である兎亜人達。内密な話。
正規の取引ではない黒い商談。先程まで恐怖に抑えられていたものが、腹の奥底にあった欲望が再び湧き上がる。
「奴隷の交換をしないか?」
その提案はガブールにとって、とても惹かれる内容だった。
その後の打ち合わせは綿密に進められた。
話の内容は兎獣人とガブールがこれから持ってくる奴隷と交換する支払い方法から始まり、食料も調達してくるとようにとも、違法な取引となるため受け取りは森の外では行いたくないというのも伝えておいた。
許可を取らずに森の中へと入った事。
森の奥で兎獣人達を見つけた事。
捕らえて今は自分達の奴隷としている事。
他にも亜人が居ないか探している最中という事。
食料が乏しくなってきたので持ってくるようにという事。
など、人目につきたくない経緯を細かく話していった。
「本当に奴隷で支払うのか? 金のために危険を冒したんじゃないのか?」
「言っただろ、俺は奴隷を集めていると。人間、亜人どれでもいい。それと交換だ」
兎獣人は高く売れる。
それと他の奴隷と物々交換となるとかなりの数になりそうだった。
「しかし……そんなに奴隷を集めてどうするつもりなのだ?」
「お前は客にいつもそんな事を聞いているのか?」
「これは失礼した。ではコレクター殿、これにて商談成立と言う事で」
「ああ。護衛はこいつら達に就かせる。無駄な行動はするなよ」
「わかっておる」
ガブール達が馬に乗って森を抜けていく。蹄の音が聞こえなくなるまで見送り続け、十分に離れたのを確認し踵を返した。
「……さて、後はこいつ等の処遇だな」
捕らえたままであった傭兵達の下へと歩んでいく。一歩近づくたびに、男達の顔色が悪くなっていくのがわかった。
この男達を返してしまうと情報漏洩の危険性が増すため残ってもらった。ガブールも傭兵達に金を支払わずに済んだので、快く承諾した。
「男手は欲しい所だが……」
頭に被っていた布を取り、今まで大きく見開いていた目蓋をいつも通り眠そうな瞳へと戻す。引き締めていた頬を緩め、興味のなさそうな顔へで男達を眺めた。
人の印象は顔に注目されがちだ。
もちろん身体的な印象もあるが、彼は中肉中背、これといった特徴は無い。
変装とは言いがたいが、念のため表情を変えておいた。所詮、この世界に出回る手配書など人相書きとその人物の特徴しか載らない。
頭に布を被せ、大きい目という特徴を作るだけで印象は変わるものだ。
「それでもリスクは犯せない。悪いな」
生き残った傭兵の前に立ち、無造作にその首を跳ねていった。
死体はこのまま此処に放置しておいても、魔獣達が喰らいに来るだろう。墓に埋める事はせず、彼等が持っていた武器や防具だけ回収した。
拳を握ったり開いたりしながら帰路を辿る。
掌についてもいない液体を拭うように服に擦り合わせるが、その嫌悪感が晴れる事はなかった。
先程男達を切った感触がじわり、と粘つく。
何時になっても人を殺す行為に慣れる事はない。いや、慣れてしまったらそれはどこか大事な物が壊れてしまった時だろう。
彼等の最期の表情は直ぐに思い浮かぶ。
今も目の前で恐怖に彩られた視線を彼へと向ける。今も隣で恨み言を延々とつぶやき続ける。ずっと、ずっと、殺した者の近くで殺された者が傍に付きまとう。
昼間でも、夜中でも、寝ている最中でも。この先ずっと。
人を殺すというのはそういう事だ。
彼は一生それらと向き合っていかなければならない。
そして、彼女達も。
「ただいま」
「おっかえりー」
「疲れただろ、少し休むか?」
クーヤがログハウスへの扉を開けると、ラビとアリスが明るい笑顔で出迎えてくれた。その表情に彼は面を喰らった。
「ああ……」
クーヤを労おうと茶の支度をし、軽い食事の準備を始める。せかせかと動くその様子は少しぎこちない。そんな彼女達に目を瞑り、茶で唇を濡らした。
一息ついた後、先程の交渉内容をつらつら話していく。
食料と衣類と奴隷を持ってくるようにした事について。
奴隷商人であるガブールが普段仕入れる商品を購入し、持ってこさせる。普段と異なる行動はしないように厳重な注意をしておいた。
本音を言うと、鉱石や他にも欲しいものは多々あった。そこをぐっと堪え、なるべく普段仕入れる物のみ持ってこさせるようにした。
通常と異なる行動というのは嫌でも目に付く。
どこで足がつくか分からない。今はまだどこの誰にもオワゾがあるという事、クーヤ達がそこに住んでいる事は知られたくない。神経質すぎるぐらいが今はまだ丁度いい。目下の目的は冬を越すのが最重要なのだ。
一つの荷台には交換用の奴隷、一つの荷台には出来る限りの食料と衣服となる反物を乗せてくるようにさせた。一箇所で大量に買わず、少量づつ購入するように注意した。
名目上としては、前回は失敗したがまだ諦めていない。ハーグの森の中で助けてくれたイース達を護衛に再び行く予定、という事にした。
イース達を護衛と伝えたが、本当の所は監視役だ。
ガブールが下手な行動を取らないように監視する役目を頼んだが、それでも不安は拭えない。
これは一種の賭けだ。
どの道、商人による物流がない限りは今年の冬を越す事は難しい。だが、ガブールが裏切る可能性もまったく無いとは言えない。
(領主に報告する可能性――は無い。この国に忠誠を誓うような奴じゃなかった。あいつにとって利点のある交渉内容だ。
他の奴隷商人へと情報を漏らす可能性――も無い。あいつの性格からすると、一人で独占したいだろう。
この交渉の裏を勘ぐられる可能性――は絶対に無い。あいつはそんなに頭の回る奴ではなかった。
イースさん達を人質にさらに交渉を持ちかける可能性――は……有るな。気をつけるように言ったが、どこか抜けている人だしなぁ。
ガブールの行動に周囲が違和感が生じる可能性――は有る。というかこれが一番有り得る。イースさん達に注意事項を叩き込んだが、どこかで生じるかもしれない)
結局こちらが不利になる点はイース達が下手を打たないか、という点に尽きる。こちらの掛け金はオワゾでの生活という大金。リスクの高い賭けにクーヤの精神は磨耗していった。
イース達の働きに期待する他ない。
「ふむ、なるほどな。それで、あの商人がオワゾに訪れたら……」
「金品奪って、森に放り出すつもりだ」
奴隷交換を行うつもりなど毛頭ない。
それがオワゾにとって一番効率のいい方法だ。リスクも少ない。再び物品を村に入れたければ、もう一度噂を流す所から始めればいい。
「ほんっと、容赦無いわねぇ」
「俺は、悪だからな」
ふん、と鼻を鳴らして二人の表情を伺う。
「だったら私達も悪ね」
「いや、それは元からだろう」
「でも悪って、なんかかっこよくない?」
「歪んだ正義を掲げるよりはましだな。いっそ清々しい」
「でしょでしょ?」
二人とも陽気な顔をしていた。だが、どこか違和感のあるその表情。その違和感の正体をクーヤは理解している。理解していなければならない。その歪んだ笑顔を浮かべる原因を作ったのは、他ならない自分なのだから。
痛々しい笑顔を浮かべる彼女達にクーヤの心が痛んだ。
「……無理するな」
「ん? 何々、どうしたの?」
「クーヤ、大丈夫か? 疲れたならまた膝枕してやるぞ」
「そうそう。あ、でもちゃんと順番決めましょ」
陽気な、陽気すぎる彼女達の仕草にクーヤはさらに胸が苦しくなる。
これから口にする事は、ただの自己満足なのかもしれない。彼女達が覚悟を決めた事に水を差す行為なのかもしれない。
「悪にも色々ある。無差別に暴力を振るう者、理由がある者――」
これはクーヤの弱さだ。
自分で強要しておきながら、彼女達の歪んだ笑顔に耐え切れなくなった。
「悪行をしておきながら、罪を感じない者、罪を感じる者――特に」
オワゾで生活し続けるにあたって、必ず訪れるであろうその場面を彼女達に経験させた。それが間違っていたとは思っていない、後悔しているという事でもない。彼女達も決意して挑んだのだ。
「人を殺すという罪は酷く、重く、圧し掛かる。だから、無理をするな」
それでも、彼女達を苛む罪の意識を少しでも軽くしてやりたかった。
「あ……あはは。大丈夫よ、今まで散々獲物とか狩って来たんだし」
人を殺すのはそんな単純なものではない。
クーヤは知っている。
奴隷商人を捕まえるその間際、森の中に潜んでいた時に彼女達が震えていた事を。
「そうだぞ、心配しすぎだ。騎士達に魔術を放った事だってあるんだぞ」
騎士達に追われた時でさえ、彼女達はその力を主に足止めとして使っていた。落馬して死んだ者もいただろうが、逃げていた彼等にそれを確認する余裕などない。
明確に殺意をもって人を殺したのはこれが初めてとなる。
食べるためでもない、生き残るためでもない。それはかなり遠回りに巡ってそう結論付ける事が出来るかもしれないが、直接的ではない。
ただ、情報を外へ漏らさないために行った事。それはオワゾに住む者達のためと言えるかもしれない。そんな理由を掲げてみても、それでも――その手を汚したのだ。
「そうそう、心配しすぎだって」
「そう……か」
彼女達が無理に微笑んでいる事とは重々承知している。
だけれどもそれ以上クーヤは何も言えなかった。彼女達は必死に我慢しようとしている。自分達の罪を受け入れて行こうとしている。そんな彼女達の覚悟を踏みにじった自分の愚かさに、頭を掻きながら出された食事を胃の中へと押し込めた。
静寂が耳に痛い。
空になった食器を片付けようと立ち上った時、服の裾を両側から摘まれる。
「ご、ごめん。やっぱり、ちょっと」
「すまない……クーヤだって辛いのに」
服を掴む手が震えている。
食器を床に置き、座りなおして彼女達の肩を抱きしめる。それでも、震えは一向に収まる気配を見せなかった。
「俺は、お前達のそんな顔を見るほうが辛いだけだ」
自分の弱さが心底嫌になる。
強くありたい。彼女達にも強くあって欲しい。だが、この弱さは本当に切り捨てていいものかクーヤには判断しかねた。
今はただ、互いの弱さを慰めながら震えが止まるその時まで抱き合い続けるのであった。
「前と比べて大分変わったわね」
「感想でも此処はおかしいのでは? と貰ったし、著者が納得いっていない所もかなりあったしな」
「この話は大幅に改編されたが、大丈夫なのか?」
「心配するな、点と点はそのままだ。そこに繋がる線が変わっただけだ」
「物語の分岐はそのまま。そこに至る過程が変わったという事ね」
「そう言う事だ」