第二十話 冒険者達
第二十話 冒険者達
その光景を前にクーヤは歓喜した。
彼が着くテーブルに次々と料理が運ばれてくる。
目の前には塩をたっぷりと効かせた焼き鳥、口の中で蕩けそうな脂の乗った刺身、程よく焦げ目のついた分厚い肉、茶碗の中には米の一粒一粒が輝くように存在感を誇示している。
テーブルの片隅には酒場で飲んだエールを初めとする、ワイン、ウィスキー、日本酒などの様々なアルコールがグラスに満たされていく。クーヤは開始の合図を今か今かと子供のように待ち構えていた。
所狭しと並べられた料理に、自然と涎が湧き出てくる。料理から立ち上る湯気で視界が覆われ、濃厚な香りを鼻で吸い込むと胃袋から急かすように音が鳴った。
そしてその音でクーヤは目を覚ます。
まだ暗い視界の中、最近見慣れてきた天井を暫くの間見つめ続けた。瞬きを数回行い、隣に眠るラビとアリスの安心しきった寝顔を眺める。家の外では虫達が競い合うように声を張り上げていた。
布団から身を起こし、先程まで見ていた光景を思い浮かべる。心ゆくまで存分に堪能した後、頭を掻いて深いため息を吐き出した。
夜明けはまだ、遠く感じる。
「……あんまり欲深い方じゃ無いと思ってたんだがなぁ」
途方も無い喪失感が彼を襲う。追い討ちをかけるようにもう一度腹から音が鳴った。
その日の目覚めは最悪だった。
「それは心の叫び声ね。私にはわかるわ」
しきりに頷きながらクーヤの肩に手を置いてくる。同類を見つけたかのような視線に、イラッときた彼はラビの額に手刀を打ちつけた。涙目で抗議をする彼女に誠意の篭っていない謝罪を繰り返すが、あまり効果は無い。
ラビが繰り出した手刀をクーヤは白刃取りで応戦していた。
そのじゃれ合いを見ながらアリスはミカンのような果実の皮を剥いている。実を口に放り込むと、甘い様なすっぱい様な果汁が口いっぱいに広がった。クーヤは好みじゃないと言っていたが、彼女はこの味が好きだった。
「だが確かに、果実や木の実ばかりでは飽きてしまうな」
互いに固まったままの姿勢から、ラビは諦めのため息を吐いて力を抜いた。引っ込めた手の行く先は床に並ぶ果実に伸ばされる。
「ナナ達はよくこればかり食べて飽きないわねぇ」
「他に食う物なけりゃ、食える物を食うしかないだろ」
不満を述べながらもラビは手に取った果実に齧り付いた。皮ごと頬張るラビを横目に、足元に置かれる果実を暗鬱な気分で眺めた。
クーヤの手は進んでいない。情報を確かめる為にこの前は果実を口にしたが、前に負った傷はまだ癒えていなかった。エリーナから附子の実について話を聞いてからは、苦手意識がさらに増していた。
空腹の原因はそこにある。
「私達が持ってきた食料も無くなっちゃったしね」
「そうだな……」
仕方なくちびちびと齧っていた手を止め、兎獣人達を連れてきた時の事を思い出す。
兎獣人をこの場所に迎え入れてから一週間ほど日が経った。
最初に此処を訪れた時の兎獣人達はただ驚くばかりだった。魔獣の住まう森の中に広い空間が作り上げられ、そこに建物が出来始めている。ログハウスを中心に横に長い骨組みが5軒、乱立していた。
作業中の家はまだ骨組みしか造られておらず、その家を造っている所にアリスと自分達の仲間が一緒になって作業している光景に目を見開いていた。
この場所についてはエリーナに説明させた。
この空間を囲う結界について。拠点を中心とした周囲の様子について。今建てられている家について。この場所に自分達が住んでいい事について。
話を聞いていた者達は信じがたい表情をしていたが、クーヤの手前声には出さなかった。
エリーナに説明を任せて連れて来た兎獣人達の顔を見るが、その表情には戸惑い、疑心、恐怖が色濃く残っている。治療を行い、ラビとも数日過ごしたがまだ硬い。
先に連れて来たエリーナ達によって、どのくらい変わるか密かな楽しみにしている。
迎え入れた当初は長屋もまだ一軒しか完成していなかったので、けが人達を優先して運び入れた。まとまって住むように広く作ったが、流石に数十人入る事は出来ないので初日は外で寝る者も多かった。
残りの家も日が過ぎていくごとに段々と完成して行き、外で寝る者も徐々に減っていった。つい先日兎獣人全てが住む家が建てられ、今は自分達が作った家で皆生活している。
定期的にエリーナを呼び出し他の兎獣人達の様子を聞いてみるが、むしろ本当に住んでいいのか? という意見しか聞かなかった。ここで生活する事に対する不満は特に無いようだ。いや、最初に一件だけあった。
「人間と一緒に生活なんてできるか!」
当然反対したのはシモンだった。
仲間を思いやる気遣いもなく、これから先どうしたらいいかという想像もない身勝手な意見。現状を把握しない、ただ嫌悪という感情のみで反対する子供らしい台詞にクーヤは薄く笑った。
「素直に受け入れられないだろうと思ったお前に、特別に造った家があるぞ」
そう言って、クーヤは一つの小屋を指差した。洞窟へ行く前に即興で造りあげた物だ。
「あれだ、存分に堪能するといい」
「……お前が僕を馬鹿にしてるのはわかった」
屈辱による怒りで小刻みに身体が震える。シモンはその物体を指し示し、声を荒げて抗議した。
「どう見ても犬小屋じゃないか!」
「キャンキャン吼えるお前にぴったりだと思うが?」
その子供一人がぴったりと納まりそうな小屋は、丁寧にも入り口の近くに『ポチの家』という看板が掲げられていた。
「ポチってなんだ!? 僕の名前はシモンだ……おい何してんだ」
「ポチというのはありふれた犬の名前だが、名前があるならそっちを付けるべきだったと反省してる」
ポチの家改め、『シモンの家』という看板がそこに立てられた。
「馬鹿にするものいい加減にしろ! こんな物こうしてやる!」
威勢の良い声とは裏腹に、子供が蹴る力では中々壊れてくれない。それでも何度か蹴り続けると少しずつ歪んでいき、やがてバキバキと犬小屋が壊されていった。
汗を拭いながら満足気に息を吐く。少し気分がスッとしたようだ。
「あ~あ、壊したな。それで、お前はどうしたい? ここから洞窟前まで半日はかかる。帰る間に魔獣に喰われなければいいな」
「ぐっ……」
物を破壊する事で落ち着いてきたシモンはその言葉に何も返せないでいた。
その後エリーナやナナによる説得により、今ではシモンもここで生活を続けている。不満は多々あるようだが。
シモンを弄った記憶を思い出し、少し気分が晴れたので食事を再開する。
「今日の予定はなんだ?」
「そうだな……傷を負った者は昨日の内に全て治ったから、今日は色々と動いてみようと思う」
この一週間かけて傷の残った者を治療し、全員が動けるようになった。そろそろ本格的に動いてもいいと感じている。
「アリスは今まで通り木の実の確保だ。兎獣人を連れて果実以外にも食べれる物があったら探して欲しい」
「うん、実が生っているこの季節に出来るだけ確保しておきたいしな。連れて行く者にも他に食べられる物がないか聞いてみる」
「ラビは森の出口付近で食料になる獣が居ないか調べて欲しい。居たら即狩るように」
「YHA! ついに来たわね! 待ってなさい私のお肉達」
拳を握り締めまだ見ぬ獲物に心を躍らせている。対するアリスは心配した様子でクーヤに尋ねた。
「私達が森の出口付近に行っても大丈夫だろうか?」
「そうだな、見つかるのはいただけない。兎獣人達を主に動かして、ラビは木の陰に隠れながら得物を狩るように。もしかしたら冒険者達が腕試しに来るかもしれないから魔力は抑えておけよ」
「そうね。食料を得るためとは言え、見つかっちゃったら意味無いし」
此処で生活するにあたって、特に魔力を抑える気遣いはしていなかった。それは別に魔力を抑える事が疲れるからという理由ではない。ただ、魔獣達に対してこの場所には自分達が居る事を誇示し、牽制するため。
魔力が感知出来ない魔獣や、理解していても近寄ってくる魔獣は絶えないが。
「ふむ、それがエリーナ達を囮として使うという意味か?」
シャクリと実に歯を立てる。
何度か咀嚼を繰り返し、粉々に砕けたモノを喉の奥へと押し込める。大きめの実が喉を削るような嫌な感覚に、一つ咳払いをした。
「ある意味はそうだが、本質的なものは別にあるさ」
そしてニヤリと笑った。
ログハウスの前に回復した兎獣人達が集まる。
この一週間で大分表情に柔らかさが出てきたが、まだまだだなとクーヤは感じていた。
「まず初めに言っておく、俺にとって奴隷は最初に連れて行った10名だけだ」
ざわざわと、どよめきが漏れた。
てっきり此処に住むために自分達が奴隷になるのだろうと考えていた彼等には、その言葉は意外なものでしかなかった。
「だが、お前達には治療を施し、食料も分け与えた。それに対する礼の言葉などこちらは何の得にもならない。礼を伝えたいなら行動して欲しい。俺には命令をする権限は無いが、恩を返したいと思う気持ちがあるなら労力として返してくれ」
とりあえず他の兎獣人達は奴隷の家族として此処に迎え入れた。
奴隷では無いので命令をする事は出来ない。強制は出来ないが、彼等が生きていくために行動してくれればいいとクーヤは考えている。
言葉を一旦止め周囲を見回してみるが、特に不満はなさそうなので話を続けた。ある一名は視界から消し去っている。
「それじゃまず、普通の獣を探すために10人程動いて欲しい。その場合はラビが護衛として着く」
ラビが掌をヒラヒラと振って兎獣人達に笑顔を向けた。
「アリスは果実を初めとした他の食料を取ってきてもらう。果実に飽きた者はアリスに着いていって欲しい」
アリスが片手を挙げて兎獣人達に自分の存在を示した。
「残った者は畑の世話や、この場所に水路を引く作業を手伝ってもらいたい。その前にラビ――」
うん、と頷いてラビは空けた場所に魔術を使い、地面を爆発させた。砂埃が落ち着いたその場所には底が浅く広い穴が出来ている。
「この穴を露天風呂として使うつもりだ。水路が出来るまでアリスに水を集めて貰おうと思ったが……どうだ?」
流石に一つの家で何十人も風呂を使い回す事は出来なかったため、今までは身体を拭くだけにしてもらっていた。だが本当は此処に住む皆に風呂という娯楽を楽しんでもらいたい。
「むぅ、結構な水の量になりそうだな。出来ない事はないが、かなりの魔力を使う事になる」
巨大の魔力を保持するアリスではあるが、その穴の体積に水を満たすためには多量の魔力を消費する事が目に見えていた。他の作業に支障が出るのは賛成出来ない。
「というわけだ。いつまでもアリスの力に頼ってばかりというわけにはいかないからな。水路はこの風呂につなげる予定だ。そしてこの穴に流れるまでの水を生活用水として使う」
そして露店風呂として使った汚水は再び川の方へと流す予定である事も伝える。最初に穴へと向かう水路を作り、繋がった後で川へ流す水路を作る予定である事を話した。
「この肉体労働は大人である者にやってもらうつもりだ。俺も着いて行くが、エリーナに皆をまとめる役をしてもらいたい」
「はい、わかりました」
「クーヤ様、わたしは何かする事ありますか?」
集まる兎獣人達の中からナナが手を上げて質問をした。ナナの周囲には兎獣人の子供達が集まっている。
「ナナ達子供にはこいつである物を集めてもらう」
そうして袋から拳よりも一回り大きい鉱石を取り出した。
その鉱石は正八面体の形をしており、色は黒、金属光沢のある不透明な石であった。その石をナナ達の前に見せつける。
父親が集めた珍しい鉱石の一つだ。
「それはなんですか?」
「ロードストーンという。マグネシア鉱石とも呼ばれているが、俺は磁石と呼んでいるな」
「その、ロード……マグネ……えっと」
「磁石だ。お前達にもそう覚えて欲しい。この磁石は鉄を引き寄せる力があるんだ。その性質を利用して砂鉄を集めてもらう」
砂鉄は火成岩が風化に伴って分離して出来たものである。
この近くで昔火山が噴火したという話は知る事は出来ないが、他の場所から風で運ばれてくる事はあるだろう。どれくらい取れるか、子供達を使って試してみようと考えていた。
砂鉄集めというこの拠点の近くで行える労働をナナ達に伝えた。
磁石を布で被せ、地面に擦り付けて砂鉄を集める作業の説明を行う。ある程度砂鉄が集まったら布を開き、桶に集めておくようにと。
砂鉄は製鉄の主原料となる。
少しでも鉄を手に入れるための目的ではあるが、大量に集まれば日本刀の原料になる玉鋼を製作する事が出来るのだ。単純な作業ではあるが、クーヤにとっては重要な仕事と言えた。
「はい、わかりました!」
「反論がなければ今から作業に取り掛かるように」
「おい、あるに決まっ――むぐぐ」
「無いようだな。狩りをしてみたい者はラビの所へ、採集を行いたい者はアリスの所へ、どうしようか迷っている者は俺とエリーナの所へ。それじゃ作業を始めてくれ」
ナナに押さえつけられたシモンの抗議を無視し、その日の作業が始まった。クーヤとエリーナの元へ集まった者が多かったため、適度にラビとアリスの方へ振り分けていく。
本格的に村を築くための行動が始まった。
それぞれの作業は進められて行っていたが、全てが順調ではなかった。
クーヤが造る水路はそこそこ順調。
川から拠点までの詳細な地図を手にクーヤが指示を出していくが、掘る速度はあまり速くない。人手は多いが、鉄製の鍬は少なく殆どの者が木製の鍬で作業をしているので、深く掘る作業は難航していた。
道具の数が足りない事は最初から分かっていたので、作業が遅い事に対する苛立ちは無い。
アリスが行う採取は思いのほか成果があった。
茸は汚染された魔素により形を変えていた為、兎獣人達の知識でも食べられるかどうかわからなかった。だが、地中に埋まっていた芋類は汚染の影響が少ないようなのでその芋を蒸かし食料としている。
勿論、拠点の場所で作れるよう畑に植えたりもした。
ラビの方は中々に深刻だった。
魔獣に襲われる事が日常であるためか、獣達の警戒心が異常に高い。何度かその姿を見つけもしたが、逃げられてばかりだった。
得物を逃がしたラビは悔しそうに地団駄を踏み、クーヤにその不満を漏らしていた。
ナナ達の砂鉄集めは普通。
大量に取れる事はなかったが、丸っきり無いわけでもなかった。
少量づつではあるが、根気よく集めていけば鉄を作るには十分な量が集まるだろう。ナナ達の働きにクーヤは期待を込めている。
そうして数日の時が過ぎていった。
「今日はついに水路の確保だな」
「はい……ところでクーヤ様は何をなさっているのですか?」
「そろそろ炭作りをラビだけに任せるのを止めたいからな。砂鉄も集まってきた事だし。窯を作るための材料集めだ」
掘り続けた水路が完成に近づいた。川の近くから拠点の穴までの路が出来上がり、後は川と水路の間を繋げれば完成する。
後はエリーナ達に任せる事にして、クーヤは川の近くにある粘土を集めていた。川沿いに拠点を築かなかった理由が、この粘土質の土によるためだ。
畑としては使えそうにない土質であるが、この粘土の性質を調べれば窯を作る事も、陶器を作る事も可能であろう。
「そうですか――っ!!」
「どうした?」
長い耳をしきりに動かし、何かに警戒しているような雰囲気を出している。クーヤにはまだその音は聞こえないが、聴覚に優れた兎獣人達には何かの音を捉えたようだ。
「…………蹄の音が、聞こえます」
「そうか、お前達木々に隠れろ。そいつらの正体は俺が確かめる」
クーヤの号令に、水路の完成を見ようと着いてきた兎獣人達が一斉に隠れていく。クーヤも木の上に身を隠し、息を潜めてこちらにやってくる者を待ち構えた。
やがてクーヤにも聞き取れるほど近くに馬の蹄の音が聞こえてくる。その者達は何か話しているようだが、蹄の音にまぎれてよく聞き取れなかった。
「お――、本――に、この辺で――か?」
「ええ、ち――に巨大――力を感――いま――」
木の葉で隠れたクーヤの視界ではその者達の姿ははっきり確認できない。視界を覆う木の葉をどければ見えるかもしれないが、相手に察知される恐れがある。耳を澄ませてみるが、やはりよく聞こえない。
その者達がクーヤの潜む木の下を通り過ぎようとしている。仕方なく彼はその場から飛び降りた。降りた先は先頭を走る馬に跨った者の後側。
「うぉ! なんだ!」
クーヤの空からの奇襲。
いきなり後に誰かが乗っかってきた衝撃に、先頭を走っていた馬が鳴き声を上げてたたらを踏んだ。
先頭の者の首筋に短剣を当て、凄みを利かせて言葉を吐く。
「お前達、何者だ。どうして此処に来た」
後続の馬もその場に停止し、先頭を走っていた馬に降りた人物の姿を確認すると、慌てたように言葉を紡いだ。
「ちょっ! クーヤ何してるんすか?!」
「……は?」
後を振り向くと、よく見知った顔ぶれがそこにいた。恐る恐る顔を前に向けると短剣を当てた人物はクーヤの手を押しのけ、ゆっくりと後を振り返った。
「なかなか手荒い歓迎の仕方だな」
ニカッを笑うその顔。
そこには相変わらずの男臭い笑みを浮かべたイースがそこにいた。
「この場所は俺達が乗っ取った!」
「乗っ取ったっす!」
「クーヤ君の所へ訪れてしまいましたねぇ」
「見たことの無い景色を見せてやると言われちゃ、冒険者として黙ってられないぜ」
「今からワクワク、ドキドキが止まらないっす」
「クーヤ君の目的は一体なんでしょうね」