壱−5 思い違い
氷魚は手の中のモノを押し潰すように力強く握った。しん、と静まり返り、二人のどちらかの汗がぽたりと落ちる音が小さく聞こえる。
「潰した⋯⋯のか?」
「いや、手応えがない気がする」
先ほど化け物を吹っ飛ばしたときは触れずとも感触があった。だが今はそれが全くない。それはまるで手で握ったはずのものが忽然と消えてしまったような⋯⋯。
「⋯⋯まさか!?」
朝嘉が階段のところまで駆けていく。小さくも広い集落を見下ろして、一番大きな建物が庄屋のはず。そう思って見つけた東側にある建物。彼の高い視力がそこから土煙が上がるのを捉えた。
「石動が、危ない」
□□□
化け物を認識した石動はひゅっとのどが鳴るのがわかった。大きな目玉のくり抜かれた黒い穴がすぐ目前にある。見つめ合っていたのは数秒にも数分にも、ほんの一瞬にも感じられた。次の瞬間、化け物は大きく口を開けて石動に迫った。
「ッうぅ!」
すんでのところで文机の横に立てかけられていた木刀を掴んで、化け物と自分の間に挟み込む。大きな牙が木刀に刺さる。元が人だとは思えない異様な様子だ。獣といったほうが正しいのではないだろうか。
(なんでネオ・タエがここに!? まさか二人とも殺られた!?⋯⋯いや落ち着け)
白い化け物のどこにも赤い血は見当たらない。それなら二人は化け物に怪我を負わされていないと考えていいだろう。打撲はあるかもしれないが、少なくとも切傷はない。
しかし、化け物が絞め技を使ったとしたら血が付着することなく殺すことができるのではないか。安心する想像をしてそこで止めておけばよいものを、どんどんネガティブな思考に引っ張られそうになる。
(⋯⋯だめだ。今はこいつに集中しないと)
早鐘を打つ心臓を丁寧な呼吸で整える。木刀に噛みつかせているが、これがいつまで持つかわからない。何か対策を打たなければ数分後には殺されてしまうかもしれない。
何か。何かないか。
視線を彷徨わせていると埃をかぶった箱が積まれた押し入れが目に入った。先ほど開けたまま放置していたのだ。箱は5つほど積まれ、真ん中の箱には縄でできた引き紐がついている。
(どう見ても天然繊維だよね⋯⋯触った瞬間崩れちゃうじゃん)
建物も古く崩れているのだから天然繊維が長いこと保つわけがない。だがこれを使わない手はない。現状これしか脱出する好機を作る方法がないのだから。
意を決した石動は引き紐を掴むと全力で引っ張った。化け物に殺されるくらいなら全力で最期まで足掻いてみせる。しかし案の定縄をちぎれ、箱が倒れてくることはなかった。そして木刀から嫌な音がして、ちょうど化け物が石動の唯一の盾を破壊した。
「クッ!」
引き紐を引っ張ったことで積み重なっていた箱がズレ、真ん中の箱の端に三つ、穴が空けられているのが見えた。石動はすかさずその穴にひとさし指から薬指までの三本を突っ込み思いきり引っ張った。すると、積み上げられていた箱がバランスを崩して化け物の上に倒れ込んだ。危機一髪。これが表面に穴なんてない段ボール箱ならこんなに上手くはいかなかっただろう。古い時代であることに初めて感謝した。
埃が舞ってクシャミをしながら石動は脱兎のごとく部屋を抜け出した。箱をすべて倒せたらよかったが生憎彼にそんな筋力はない。三つが限界だった。
白い化け物は勢いよく起き上がると狂ったように暴れた。ブン回された箱は加速して障子を突き破り外へ投げ出される。そして壁を乱暴に破壊して石動の後を追った。
石動は運動神経は悪いが頭の出来は悪くない。一度見たものはたいてい覚えることができる。この建物の見取り図も通ったところと外から観察して推測したところはおおよそ頭に入っている。あとはどう化け物を足止めしながら逃げるかが問題だ。
化け物がここにいるということは二人はまだ待ち合わせの場所に来ていないかもしれない。さっき悪い想像が働いた通りに怪我をしているかもしれない。石動は頭をフル回転させた。
(大きな布と、それから⋯⋯なんか土台っ 重いものっ どこっ!?)
走り回ることで埃が舞い上がって鼻をくすぐる。ハウスダストアレルギーの石動には拷問に思えた。
古い日本家屋は壁が少ない。天井をいくつもの柱が支えているのだ。石動はそれを利用した。居間で見つけた穴の開いた布の四辺を二本の柱にくくりつける。本当は重い箱を積んでバリケードを築ければいいのだがそんな時間も体力もない。
合成繊維なんてあるはずがなく、天然繊維の脆さは目の当たりにしたばかりだ。石動は紐の代わりに布をくるくると巻いて、梁の上に乗せた重しにくくりつけた。布もまた天然繊維。穴を開けようと思えば簡単に開けられた。重しにくくりつけたほうとは逆の端を大きな布に開けた穴へ通して結ぶ。
これを二つ作るだけで精一杯だった。せめてもの抵抗に重しにさらに布をくくりつけてもう一つ重しをする。今回はちょうど近くにあった漬物石も使う。ゼェゼェと息を切らして外へ逃げようと身体の向きを変える。同時に化け物がイノシシのように突進して布にぶつかった。
重しの罠は化け物が布を突き破った瞬間、くくりつけていた布に引っ張られて化け物の頭に落ちるはず。
「ぅわっ」
ところが彼の目論見はそう上手くはいかなかった。化け物のスピードが思ったより速く重しはヤツの背後へ落ちることとなった。石動は土壇場で運が悪いのである。化け物は大きな布をかぶったまま石動に飛びかかった。
絶体絶命の大ピンチ。そんな言葉が脳裏をかすめ、ぎゅっと目をつぶった。
「そら! 逃げるなよクソ野郎!」
石動の背後、建物の入り口から大きな声が聞こえた。氷魚の声だ。直後、身体のすぐ真横を風圧のようなものが通り、化け物はなにかに持ち上げられたかのようにうめき声をあげて空中で動かなくなった。
呆気にとられる石動の元へ朝嘉が駆けつける。怪我の有無を確かめて、腰が抜けたらしい彼を背負った。
「⋯⋯な、何アレ?」
「俺にもわからん。あいつもあんなの今さっき初めて使ったらしいぜ」
「へ、へぇ⋯⋯氷魚って案外怖いかも⋯⋯」
「いや、ああいうのはキモいって言っていいと思うぞ」
「聞こえてるからな、硝!」
「なんだよ。事実だろー」
先ほどどうやってか逃げられたことを根に持っていた氷魚は化け物を捕まえた瞬間、持ちうる限りの握力でヤツを握り潰した。真っ白なドロドロの液状になって飛び散る。そして、またたく間に黒く変色して燃やされた灰のように浮き上がって消えた。
三人の勝利である。
埃の多い屋内では石動がかわいそうだからと、一旦外へ出ることになった。朝嘉はポケットティッシュを取り出して石動に渡す。石動はそれをありがたく頂戴して鼻をかみながら、倒したばかりの化け物について二人に意見を求めた。
「⋯⋯ねぇ、ネオ・タエさ、どう思った?」
「どう? どうって、うーん、白い?」
「そういうことじゃねぇだろ」
「場を和まそうとしただけでしょうが!」
「あ、誤魔化した」
さすがに疲れているのか取っ組み合いはしないが、二人の間にはバチバチと火花が散っている。石動は呆れて嘆息した。彼もまたツッコむ気力がないくらい疲れていた。
「⋯⋯獣、ぽいよね」
「獣? まぁ言われてみればたしかに?」
「それがどうしたんだよ?」
「うん。二人はまだ読んでないから、俺が庄屋で見つけた日記の要約を話すね」
石動は日記の詳細とそれを読んで感じたことを二人に伝えた。少し長くなったが、化け物のいなくなった今、考える時間はたっぷりある。
話を聞き終えた朝嘉はあごに手を当て、難しい顔で口火を切った。
「⋯⋯石動の言いたいことはわかった」
「俺わからないんだけど」
「塩来はちょっと黙ってろ⋯⋯石動の考えが正しいと仮定すれば、俺らはちょっと思い違いをしてたってことになるぜ?」
「うん。でも、筋は通るでしょ?」
『ワケワカメなんですけどー』と口をとがらせる氷魚の横で、二人は神妙そうに頷きあった。
運動神経
朝嘉≒氷魚≫≫≫石動
体術(格闘)
朝嘉≫氷魚≫≫≫石動≒ミジンコ
思考力
石動>朝嘉>氷魚
変な知識
氷魚>朝嘉≒石動
おかん力
朝嘉≫氷魚≫≫≫≫石動




