7 「それって、キスもだめなの!?」
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萌恵はろくに眠れず、ひたすら溢れ出る涙を手で拭う。
早朝にシャワーを浴びたあと、ずっと自室に閉じこもっていた。
様子のおかしい萌恵に、心配になった母がそっとドアをノックする。
「萌恵ちゃん…?大丈夫?ご飯食べないの?」
「……うん、いらない…」
「体調が悪いの?」
「大丈夫…今は少し放っておいて…」
ぼそぼそと小さく返事をする萌恵の声色が、泣いていることに気づいた香奈恵は、何かあったのだとひとまず、そっとしておくことした。
リビングのドアを閉めて、一緒に心配する幸一にゆっくり首を振る。
「てっきりご機嫌で帰ってくると思ったのに、…何があったのかしら」
「…萌恵はなんて?」
「少し一人にして欲しいって」
そうか、と肩落とす幸一。
どう考えても原因は孝之とのディナーだろうし、母親ですら拒絶しているようじゃ、父親になんて心を開いて相談できないだろうとため息をついた。
香奈恵も無理にでも部屋に入るべきかと頭を悩ませるが、いくら仲の良い母娘でも話したくないことはあるはず。
…特に恋愛の悩みなんて自身の過去に、いくつか覚えがあった。
娘の初めての恋愛トラブルに、戸惑う両親。
しかも萌恵は孝之という普通では無い相手との恋愛をしていて、マッチング相手も他には誰もいない。
…最初で最後の挫折になるかもしれなかった。
あの大人で落ち着いた孝之が、萌恵に酷い事をするなんて微塵も考えられず、一体二人の間で何があったのかと首を捻るばかりだった。
少しだけ様子を見守ろうと夫婦で決めたが、冬休みに入ったことをいいことに、萌恵は夜になっても、次の日朝になっても食事はろくに食べず、部屋から出てこようとしなかった。
親と顔を合わせたくないようで、誰もいない夜中や明け方にこっそりと水を取りに来たり、トイレやシャワーを済ませていたようだった。
まるで失恋して帰ってきたような落ち込み具合に、両親はどうしたものかと頭を抱えていた。
ー ピンポーン ー
そこに現れたのは真由だった。
香奈恵と幸一には救世主に見えた。
「こんにちは。急に来てすみません。
…萌恵ったら今日約束してたのに、全然チャットみてくれないんだから」
「真由ちゃん…!」
「…萌恵、どうかしたんですか?」
スマホを水没でもさせたのかと、怒りにきた真由だったが、縋るような目で見てくる香奈恵からいつもと違う空気を感じていた。
***
「萌恵ー!開けるよ!」
「…えっ、真由…?あ、そうだ…約束、してた」
真由は、無理やり萌恵の部屋に押し入って布団をめくると、泣き疲れてボロボロの萌恵の顔にギョッとしてする。
せっせとフェイスパックを貼り付けて、話を少しずつ聞き出した。
浮腫んで腫れぼったい瞼を、香奈恵にもらった氷で冷やしている萌恵が、ボソボソと先日のデートのことを話す。
…両親は廊下でこっそり聞き耳を立てていた。
「はぁ!?キス待ちしたら拒否られた!?」
「…えん。…真由、声大きい…」
「ご、ごめん、つい…!」
前回相談を受けていたときから、孝之がやたら奥手というか、萌恵から一歩離れたところから恋愛をしているのが気になっていた真由。
年の差が原因のすれ違いかと考えたが、与えるものやデートは一流なのに、肝心の心を見せない孝之の優柔不断さに真由は本気で苛立っていた。
部屋のハンガーにかけられた見るからに毛色の違う高そうなコートやブランドバッグ。
机に置かれたダイヤモンドのネックレスを睨みつける。
こんなに本気っぽいクリスマスプレゼントを、スマートに自らの手で身につけさせておきながら、お礼のキスをスルーとは、…一体何を萌恵に求めているのか分からなかった。
夢見がちでいい子で甘ったるい考えの萌恵だが、真由はそんな親友の20歳差という厳しい恋愛を応援していた。
いくら萌恵が一人で本気でぶつかっても、肝心の相手がそんなんじゃ、…報われない。
「服一式にプレゼントまでホイホイ与えておいて…!
いざ一歩進もうとした乙女の気持ちをなんだと思ってんの!?」
「…怒ってくれて、ありがとう真由」
「もう、こんなにボロボロになって…!」
何を言ってもメソメソと涙が溢れてきてしまう萌恵に、このままじゃ干からびてしまうとジュースを差し出す真由。
萌恵は重だるい体を起こして、ちびちびと甘いジュースを飲みながら、また夏の日のヴィラで飲んだフルーツドリンクの味を思い出す。
頭にフラッシュバックするのは、全て孝之の顔だった。
…胸が痛い。それでも、大好きだった。
「…うぅ〜、私ちゃんと、好きっていったのに…」
「うん、頑張った。えらい」
「あ、ありがとうって…。孝之さんの、ばかぁ…!」
わんわんと声を出して泣きわめく萌恵に寄り添って、垂れる鼻水やら涙をポンポンとティッシュで擦らないように拭いていく真由。
…廊下でこっそり聞き耳を立てていた両親は苦い顔で顔を見合せ、そっとリビングへ向かった。
萌恵は、涙の痕で荒れた肌がピリピリと傷んだ。
それでも思い切り泣き叫んで、親友に寄り添って貰っているうちに徐々に心が落ち着いてきていた。
まだ胸が傷むが、どこか軽くなっているのを感じる。
スンスンと鼻をすする萌恵の顔にせっせと保湿していく真由。泣きすぎて頭が重くてボンヤリとされるがままになってた萌恵の胃が、キュルキュルと音を立てて鳴き出す。
「その様子じゃ、ろくに食べれてなかったっぽいね」
「お腹空いた、かも…」
「真由ちゃん、萌恵ちゃん。
おうどん煮たんだけど、そろそろお昼にしない?」
香奈恵がコンコンとノックをして、お昼に誘う。
タイミングのいい声かけに、きっと丸聞こえだったんだろうと、萌恵は両親と顔を合わせるのが気恥ずかしくて嫌そうな顔をする。
しかし真由が元気に、いただきます!と返事をしてしまう。
「ほら、萌恵!
そろそろ陰気臭いの終わりにして、対策練ろう!」
「…対策〜?もうないって、そんなの…」
「まず少しでもお腹に入れよ!ね!」
やっと部屋から出てきた萌恵をそっと抱きしめる香奈恵。一方、幸一はリビングのソファの隅っこで難しい顔をして座り込んでいた。
萌恵は浮腫んで酷い顔を父に見られるのも嫌だったので声はかけなかったが、不思議そうに見つつ、ダイニングテーブルに出された、母特性のあつあつの鍋焼きうどんを啜った。
***
夕方まで話を聞いてくれた真由を、母親と見送りに玄関に行く。
「いーい?本腰入れて、ちゃんと今後について話し合いなよ!対話が足りないんだよ!あっちの!」
「うん、わかった。…ちょっと怖いけど話してみる。
真由、ありがとう」
「遊びの埋め合わせしてもらうんだからね!」
「真由ちゃん、気をつけて帰ってね」
バイバイと手を振って、玄関の鍵を施錠しリビングに戻る萌恵。
母が真由ちゃん来てくれてよかったね、と微笑んで萌恵の肩を優しく抱く。
孝之とちゃんと話さないとな、と思っていると父親が真剣な顔でダイニングテーブルに腰掛けていた。
「萌恵…パパが悪かった!!本当にごめん!!」
今にも切腹でもしそうな勢いで謝られて、困惑する萌恵。
あちゃーと額に手を当てる母の顔と見比べて、萌恵は全くなんのことかさっぱり分からなかった。
「…何?なんの話?」
「そうねぇ。
…春に孝之さんがうちに挨拶に来てくれたのは覚えてる?」
「うん」
「…パパがどうしても、萌恵が20歳も年上の男と交際するのが、素直に受け入れられなかったんだ」
母と父が交互に説明するのを、じっと耳を傾ける萌恵。
「よくないんじゃないかって反対するパパに、孝之さんが約束してくれたんだ。…『2年待つ』って」
「…それは結婚の話でしょ?」
「それは言葉の綾で…、その、つまり」
なかなか言葉に出来ない父親に痺れを切らした萌恵は、母親の顔を見て答えを急かす。
…渋々口を開く香奈恵。
「孝之さんには口止めされてて言わなかったけど、…こじれちゃってるみたいだし、いいわよね」
「…孝之さんが私を、子どもにしか見られないことと、関係があるの?」
「あのね、孝之さんは萌恵ちゃんと『2年間は肉体関係持ちません』って約束してくれたの」
はぇ、と萌恵の口から変な声がでた。
ぽかんと口を開けて、母から父に視線を移す。
「…うん。10代の子にすぐ手を出すような男じゃない、
健全なお付き合いをするって約束してくれたんだ」
「えー!?…それって、キスもだめなの!?」
「それくらいはパパだって、とっくにしてるって思ってたよ!…っと、あ、いや」
じろりと香奈恵に睨みつけられて、幸一はごほ、と咳払いをする。
そこまで具体的な話はしてない、と萌恵に伝えて続けた。
「…二人のことは、二人に任せようってパパも思えるようになったから、約束はなかったことにしていいんだ」
「…それでディナーの前に変なこと言ってたの…?
お父さんのエッチ!」
「ねー、余計なこと口出すから」
「ち、違うよ…!」
香奈恵が怒る萌恵に同調して、味方がいなくなる状態に冷や汗をかきながら、意味のない否定をする幸一。
「孝之さんが何を考えて、どう行動したかは本人にしか分からない。
…だけど、本気でなんとも思ってない女の子にプレゼントを贈ったり、デートに連れ出す男なんていないよ」
「…そう、なのかな」
「そうね。やっぱり真由ちゃんの言った通りかも。
ゆっくり話す機会が作れるといいわね」
萌恵の顔酷いわね、顔に塗る軟膏あったかしら、と席を立つ母。それよりゆっくりお風呂に入ろうと、父がお風呂を沸かしにいってくれる。
暖かい家族と親友に励まされた萌恵は、少しだけ前向きな気持ちになれる気がしていた。
***
その夜、浅見家の本家に一通の封書が届いた。
孝之の母、貴子はリビングのソファに座って封を開ける。
「…そんな…!」
それは白川萌恵の識別結果のコピーだった。
A.I.Sが新たに萌恵のマッチング相手を導き出していた。
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第4章完結!
次回から最終章始まります!
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