5 「時間を気にせずに楽しめますね」
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萌恵はクリスマスまで2週間弱、予定に入れられるだけマナー講座に通い、歩き方や座る姿勢、フルコースの食事マナーなどをしっかり学んだ。
当日、母親に勧められて近所の美容院でヘアセットを頼み、綺麗な編み込みのハーフアップで、春よりも伸びた髪は緩く巻かれていた。
最後にリップで仕上げている萌恵に、父の幸一が声かける。
「萌恵。今日は時間は気にしなくていいから、ゆっくり楽しんでおいで」
「お父さん。…ふふ、今日は口うるさく言わないの?」
「…うん。孝之さんが萌恵に真剣に向き合ってくれるのは充分伝わってる。
萌恵がどれくらい信頼してるかも分かってるよ」
「心配しなくてもちゃんと家まで送ってもらえるよ!」
夏はあんなにブツブツ文句を言っていた父が神妙に話すのが萌恵はおかしかった。
クリスマスディナーのきっと高級なお店だろうから気合を入れて頑張っているだけなのに、変なの、とあまり気にせず答える萌恵。
幸一は上手く娘に意図が伝わらなくて、もどかしそうにする。
…まさか、孝之との交際に制限をかけさせているなんて、萌恵には伝えていないのだから。
直接孝之にもう充分です、なんて伝える場もないうえ、ルンルンと無邪気にディナーデートを楽しみにする萌恵に余計なことも言えない。
そんな夫の心配を香奈恵は、また余計な事を考えているな、と他人事のように思っていた。
男女の付き合いに、他人がましてや親が突っ込むべきではないと感じていたからだ。
…孝之さんは萌恵より20歳も年上で、しっかりしているんだから任せておけばいい。
そんな風に思っていた。
「ねぇ、お母さんどう?変なところない?」
「うん!ばっちりよ!…本当にサイズピッタリだったわね」
贈られた服を着て、くるくる回ってみせる萌恵の体に完全にフィットしているワンピースをみて、最早驚きを隠せない香奈恵。
ふと遠目からみるとデコルテの開いた部分が少しだけ寂しく思えた。
「萌恵ちゃん、お母さんのネックレス本当につけていかないの?」
「…あー、うん。今日はいいの。ありがとう。
アクセサリーなら前貰ったブレスレットつけてるから」
萌恵も言われてみれば首元が寂しいかなと思ったのだが、一番最初のデートで沢山母に借りざるを得なかった服や小物たち。
今回は孝之が贈ってくれたものだけを身につけたかった。
…下着も真由に選んでもらった勝負下着もつけたし!武装バッチリ!
女の子のテンションをあげるためのグッズもバッチリ着込んだ萌恵は、まさに準備万端だった。
「いってきまーす」
「いってらしゃい」
「楽しんでねー!」
貰った香水を最後にワンプッシュ吹きかけて、萌恵はエントランスへ向かった。
***
孝之が愛車ベントレーを走らせ、ホテルのエントランス前に乗り付けると、黒服に車のキーを預ける。
萌恵も黒服に助手席のドアを開けてもらって、足を降ろすと三つ揃えのスーツにコートを羽織った孝之がそっと手を取ってくれた。
ヘアセットもパーティ仕様の孝之の姿に見蕩れながら、マナー講座で習ったように、孝之の肘あたりにそっと手を置きエスコートされる萌恵。
しっかりと練習で叩き込まれたように、姿勢を正して胸を張り、顎を引いて歩き出す。
孝之は一瞬おや、と思う。
プレゼントに贈った萌恵のための衣装一式は、思っていた以上に似合っていた。
一流のブランド品で飾り立てられ、自分の選んだ香りの香水をまとい、上品な佇まいで自身のエスコートを受けながら笑みを浮かべる萌恵は、完璧な淑女だった。
ホテルのロビーへのドアをくぐると、視界に飛び込む数メートルはある大きなクリスマスツリー。
しっとりとしたクリスマスソングがBGMで聞こえてくる。
「孝之さん。クリスマスツリーすごく豪華ですね。
…綺麗」
「そうだね。…今日はとてもお淑やかなんだね」
今までの萌恵なら元気にウキウキと、わー!凄い綺麗!とはしゃいでいただろうなと想像していた孝之は、無粋にもつい声をかけてしまう。
『本気になったら、…すぐに“女”になるぞ』
孝之は兄の言葉がフラッシュバックしていた。
じっくり大人になって言ってくれればいいのに。むしろそのままの萌恵で十分魅力的なのに、と孝之は感じていた。
萌恵の無邪気で天真爛漫なところに、救われていた孝之。
そんな彼女の未来を守れるような男でいたいと、ずっと努力していたつもりだった。
予約したレストランは45階の高層階で、重力を感じさせない重厚なエレベーターで向かう。
ダウンライトで照らされたクリスマス仕様の飾りで囲まれた入口を通り、通されたのは3部屋しかない個室。
部屋の窓一面に広がる東京の夜景は、東京タワーもスカイツリーも眺望でき、煌めく眩い景色に萌恵は席に着きながらうっとりと見つめる。
「孝之さん、すごくロマンチックですね!」
「よかった。いつもの萌恵だ」
「す、少し緊張してただけですよ」
「俺たちしかいないから、気にしなくていいのに」
確かに個室に入ってしまえば、向き合って座る孝之と二人きりで、誰も見てはいない空間になる。それでも萌恵は、孝之の振る舞いに似合う女性になりたかった。
前菜と食前酒が運ばれてきて、ノンアルコールシャンパンで乾杯する。
「合格おめでとう、萌恵」
「ありがとうございます。…あとメリークリスマス」
「あぁ、そうだね。メリークリスマス」
ナイフとフォークで姿勢よく食べ進める萌恵に、やはり孝之は違和感を抱いていた。
今までもそこまで気にはなっていなかったが、所作が様になっていて不躾に見つめてしまう。
バチッと目が合った萌恵は、苦笑して口を開いた。
「実は、親に頼んで食事のマナー講座に通ってるんです」
「…そう、だったんだ。…いつから?」
「始めたのは夏休み前からで、最近特にしごかれてるんです。…少しは様になってますか?」
孝之さんみたいにかっこよく食べたくて、と微笑んで、背筋を伸ばして凛とする萌恵に、孝之は驚きを隠せなかった。
自分の横に立つためにひたむきに努力してくれている萌恵に、強く胸を打たれていた。
つい食事の手が止まる孝之に、萌恵が首を傾げる。
「そういえば、孝之さんお仕事は落ち着いたんですか?」
「あ、あぁ。クリスマスが終わればホリデーだし、もう大丈夫だよ」
「わぁ、よかった!
今日は父がゆっくりして来ていいって言ってくれて。
…時間を気にせずに楽しめますね」
「…うん」
無邪気に笑う萌恵に、孝之は理性が試されているのを感じていた。
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孝之、無自覚な萌恵の誘いに…?
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