タイトル未定2026/01/10 08:42
第一章 記録係
戦争は、正しい理由から始まる。
少なくとも、始まる側にとっては。
私は記録係だった。
銃は持たない。
敵を撃たない。
前線に立つことも、ほとんどない。
私の仕事は、起きたことを正確に書くことだ。
誰が前に出て、誰が戻らなかったか。
何時何分に命令が出て、何時何分に撤回されたか。
弾薬の消費量、負傷者の数、撤退の理由。
そこに感情を挟んではいけないと、教えられてきた。
「記録は事実だけを書け」
「判断は後方がやる」
それが、この戦争の正しさを支える役割だと。
戦線に配属された初日、
上官は私にそう言った。
この戦争は、防衛戦争だ。
隣国との国境付近で小競り合いが続き、
民を守るために軍が出た。
そう説明された。
分かりやすい理由だった。
疑う余地はない。
私たちは守る側で、
向こうが攻めてきた。
それだけの話だ。
私は、その言葉を信じた。
信じることで、
書くことが楽になるからだ。
初めての記録は、砲撃の時間だった。
午前六時三十二分。
味方の砲が三発。
着弾位置、目標地点より南に百メートル。
淡々と書き、
淡々とページをめくる。
周囲では兵士たちが緊張していたが、
私の手は不思議と震えなかった。
撃っていない。
殺していない。
だから私は、
まだ戦争の外にいると思っていた。
数日後、前線が少しずつ動き始めた。
敵の補給路を断つ。
敵の拠点を制圧する。
敵の可能性を排除する。
言葉は、いつも整っていた。
私は、それを書いた。
「可能性を排除」という言葉に、
具体的な意味が含まれていないことにも、
気づかないふりをした。
ある夜、
一人の兵が記録室に来た。
若い男だった。
顔に泥がついている。
彼は、
私の机の前に立ち、
しばらく黙っていた。
「……記録係さん」
そう呼ばれたのは、
初めてだった。
「何かありましたか」
私がそう聞くと、
彼は視線を落とした。
「今日の作戦、
どう書くんですか」
私は、
配布された指示書を確認した。
「敵拠点の制圧」
「抵抗を排除」
「作戦成功」
いつもの文言だ。
「そのまま書きます」
彼は、
小さく息を吐いた。
「……そうですか」
それだけ言って、
部屋を出ていった。
その背中が、
なぜか気になった。
翌日、
彼の名前は負傷者名簿に載っていた。
軽傷。
戦闘継続可能。
私は、
その事実を書いた。
正確に。
問題なく。
それでも、
前日の会話が、
頭から離れなかった。
私は、
何かを書き落としている気がした。
だが、
何を書けばいいのかは、
分からなかった。
戦争は、
今日も正しい理由で進んでいる。
そして私は、
それを正確に書き続けている。
——まだ、この時点では。
第二章 更新される正しさ
作戦名が変わったのは、
前線が動き始めてから三日目だった。
それまでは、
すべて「防衛作戦」と呼ばれていた。
国境を守る。
侵入を防ぐ。
民を危険から遠ざける。
その言葉に、
違和感はなかった。
だが、
新しく配られた指示書には、
こう書かれていた。
――反撃作戦。
私は、
その文字を何度か読み返した。
反撃。
守るためではなく、
返すための行動。
上官は、
いつもと同じ声で説明した。
「相手が攻めてきた以上、
こちらも対応する」
「被害を最小限にするためだ」
最小限。
便利な言葉だった。
私は、
そのまま書いた。
午前九時十分。
反撃作戦開始。
その日から、
記録の内容が変わり始めた。
「防衛線維持」
「拠点制圧」
「敵戦力削減」
削減。
人ではなく、
数字のような表現。
私は、
意識して感情を切り離した。
そうしなければ、
書けなくなる気がしたからだ。
ある作戦で、
前線部隊が予定より深く進軍した。
予定外だったが、
上官は評価した。
「抑止になる」
その一言で、
作戦は成功扱いになった。
私は、
抑止という言葉を記録した。
抑止のために、
どれだけの弾が使われたのか。
抑止のために、
何が壊れたのか。
それらは、
詳細欄に押し込まれた。
数日後、
作戦名がまた変わる。
――安定化作戦。
国境の安定。
地域の安定。
治安の安定。
安定という言葉は、
不思議と安心感があった。
誰かが不安定であることを、
想像しなくて済む。
私は、
淡々と書いた。
安定化作戦、成功。
その夜、
前線から戻った兵たちの間で、
小さな口論が起きた。
「守る話じゃなかったのか」
「向こうが悪いんだ」
「でも、
あそこには……」
最後まで、
誰も言い切らなかった。
私は、
少し離れた場所で
それを聞いていた。
記録には、
書かなかった。
口論は、
作戦には含まれない。
翌朝、
新しい命令が出る。
――威圧行動。
私は、
一瞬だけ手を止めた。
威圧。
守るためでも、
返すためでもない。
相手に示すための行動。
その下に、
小さく注釈があった。
実戦を伴う場合あり。
私は、
そのまま書いた。
書くことで、
自分が安全でいられる気がした。
撃っていない。
命令を出していない。
私は、
ただ記録しているだけだ。
そう思わなければ、
正しさが崩れそうだった。
その日の夕方、
昨日の兵が、
また記録室を訪れた。
「……次は、
何て書くんですか」
彼の声は、
少しだけ疲れていた。
私は、
答えた。
「威圧行動」
彼は、
短く笑った。
「言葉は、
優しくなりましたね」
その意味が、
すぐには分からなかった。
彼は、
背を向けて言った。
「やってることは、
前より
ずっと重いのに」
私は、
何も言えなかった。
その夜、
私は指示書を見つめながら、
初めて思った。
正義は、
戦争の中で
更新されていく。
少しずつ。
誰にも気づかれないように。
そして私は、
それを
一番近くで
書き続けている。
——まだ、
止める言葉を
持たないまま。
第三章 書けない一行
村は、静かだった。
あまりにも、
静かすぎた。
事前の報告では、
「敵の拠点が存在する可能性あり」とされていた。
可能性。
その言葉は、
これまで何度も
記録に書いてきた。
だから今回も、
同じだと思っていた。
部隊が村に入ったのは、
午前十一時過ぎだった。
抵抗は、なかった。
銃声も、
怒号もない。
あるのは、
風の音と、
踏みしめる足音だけ。
私は、
後方から
状況を見ていた。
家々は残っている。
扉も、壊れていない。
逃げたのだろう。
そう判断するのが、
一番簡単だった。
だが、
一軒目の家に入ったとき、
それは崩れた。
机の上に、
食べかけのパンがあった。
乾いていない。
床には、
小さな靴が転がっていた。
子どものものだ。
兵の一人が、
それを拾い上げ、
しばらく見つめてから、
そっと元に戻した。
誰も、
何も言わなかった。
私は、
手帳を開いた。
記録を取るためだ。
午前十一時二十分。
村に進入。
抵抗なし。
そこまでは、
書けた。
だが、
次の行が続かなかった。
何を書けばいい。
住民不在。
それは、
本当に事実か。
確認不能。
だが、
確認しなかったのは
誰だ。
私は、
鉛筆を握ったまま、
立ち尽くした。
奥の家から、
声が上がった。
「……いた」
一瞬、
空気が張り詰める。
だが、
連れてこられたのは、
一人の老人だった。
動けなかったのか、
残ったのか。
理由は分からない。
上官は、
老人を一瞥し、
短く命じた。
「確認しろ」
それ以上、
何も言わなかった。
確認。
それも、
よく使われる言葉だ。
私は、
それを書こうとして、
やめた。
何を確認したのか、
分からなかったからだ。
しばらくして、
報告が上がる。
「敵性行動なし」
「制圧完了」
老人の姿は、
いつの間にか
見えなくなっていた。
私は、
何も聞かなかった。
聞く勇気が、
なかった。
戻ってきた指示書には、
こうあった。
――拠点制圧。
――任務成功。
私は、
それを書いた。
正確に。
命令通りに。
だが、
手帳の隅に、
小さく余白が残った。
そこに、
一行書くべき言葉が
ある気がしてならなかった。
それは、
誰も命じていない。
誰も求めていない。
だが、
確かに存在した。
私は、
結局
その一行を書かなかった。
その夜、
例の兵が、
また私の前に立った。
「……書きましたか」
彼は、
目を合わせずに
聞いた。
「何を?」
そう返すと、
彼は黙った。
沈黙が、
答えだった。
私は、
手帳を閉じた。
戦争は、
正しい理由から始まる。
だが、
正しさだけでは
書けない行が、
確かに存在した。
そして私は、
それを
見てしまった。
第四章 同じ言葉
捕虜が連れてこられたのは、
翌日の朝だった。
若い男だった。
武器は持っていない。
軍服でもなかった。
民間人か、
それとも
そう見せているだけか。
上官は、
彼を一瞥して言った。
「事情聴取を行う」
私は、
その言葉を記録した。
事情。
便利な言葉だ。
何を聞くのか、
どこまで聞くのか。
そこには、
書かれない。
男は、
粗末な椅子に座らされた。
両手は縛られているが、
乱暴に扱われてはいない。
私は、
少し離れた場所で
その様子を見ていた。
上官が、
淡々と質問する。
「この村に、
武装勢力はいるか」
男は、
首を振った。
「いない」
「武器の保管場所は」
「知らない」
声は、
落ち着いていた。
恐怖はある。
だが、
嘘をついているようには
見えなかった。
「では、
なぜここに残った」
男は、
一瞬だけ
視線を伏せた。
「守るものが
あったからだ」
その言葉に、
私は反応してしまった。
守る。
聞き慣れた言葉。
上官も、
一瞬だけ
動きを止めた。
「何をだ」
「家族と、
この村を」
男は、
迷いなく答えた。
「逃げられる者は
逃げた」
「でも、
全員が
そうできるわけじゃない」
私は、
手帳を握った。
その言葉は、
昨日、
上官が口にしたものと
よく似ていた。
民を守るため。
避難できない者のため。
同じ言葉だ。
立場が違うだけで。
上官は、
しばらく黙ってから言った。
「こちらも、
守るために来ている」
男は、
小さく頷いた。
「分かっている」
「だから、
ここに残った」
その意味が、
すぐには分からなかった。
「……撃たれる覚悟は、
していた」
男は、
そう言った。
私は、
息を呑んだ。
覚悟。
それも、
よく聞く言葉だ。
兵士たちが、
前線に出るときに
使うもの。
上官は、
それ以上
何も聞かなかった。
「連れて行け」
短い命令だった。
男は、
抵抗しなかった。
連れて行かれる直前、
彼は
こちらを見た。
正確には、
私の手帳を。
その視線が、
なぜか
胸に残った。
私は、
その日の記録をまとめた。
捕虜一名。
武装なし。
事情聴取実施。
それだけだ。
守るため。
覚悟していた。
その言葉は、
どこにも書かなかった。
書けなかった。
敵と呼ばれる者が、
私たちと
同じ言葉を使っていたことを。
その夜、
例の兵が
静かに言った。
「……同じでしたね」
私は、
頷いた。
それ以上、
何も言えなかった。
正義は、
一つだと思っていた。
だが、
同じ言葉を
別の口から聞いたとき、
それは
二つになった。
私は、
初めて
戦争というものが、
言葉の戦いでもあることを
理解した。
そして、
その記録を取る役目を
担っていることが、
急に重く感じられた。
第五章 戦争の終わり
終わりは、
唐突にやってきた。
撤退命令が出たのは、
雨の朝だった。
理由は、
簡潔だった。
――目的達成。
――戦線整理。
それ以上の説明は、
なかった。
私は、
そのまま書いた。
戦争は、
こうして終わるものなのだと
思った。
勝利宣言は、
後方でまとめて出された。
数字が並ぶ。
占領地域。
制圧拠点。
敵戦力の低下率。
犠牲者数は、
最後の方に
小さく添えられていた。
私は、
それを写した。
誰が戻らなかったか。
誰が負傷したか。
名前は、
ただの文字列になっていく。
例の兵の名前も、
そこにあった。
戦闘不能。
帰還予定未定。
私は、
その行を
二度見た。
だが、
何も書き足さなかった。
撤退の準備が進む中、
記録の提出を命じられた。
原本と、
清書用のデータ。
「確認が入る」
上官は、
そう言った。
「表に出る記録だ。
余計なものは要らない」
余計なもの。
私は、
何を指しているのか
すぐに分かった。
あの村。
あの老人。
あの捕虜。
それらは、
作戦の成功に
必要ない。
私は、
手帳を見つめた。
余白が、
まだ残っている。
書かなかった一行。
だが、
それを書けば、
何が起きるかも
想像できた。
記録は、
正義の証拠になる。
裁くための材料になる。
誰かを守るためではなく、
誰かを切るために
使われる。
私は、
結局
その一行を書かなかった。
提出された記録は、
問題なく受理された。
「よくやった」
上官は、
そう言った。
褒め言葉は、
不思議と
胸に残らなかった。
部隊は解散し、
それぞれが
次の配置に向かう。
戦争は終わった。
少なくとも、
書類の上では。
帰路につく車両の中で、
私は窓の外を見ていた。
焼け落ちた建物。
戻らない人。
それらは、
もう記録の外だ。
例の兵は、
戻ってこなかった。
誰も、
その理由を
詳しくは語らない。
私は、
自分の役割を
理解し始めていた。
記録は、
戦争を終わらせる。
同時に、
戦争を
正当化する。
どちらにも、
私の手が
使われている。
それが、
記録係の仕事だ。
私は、
戦争から
無事に帰った。
撃たなかった。
止めなかった。
それでも、
終わったはずの戦争が、
まだ私の中で
続いている気がしていた。
最終章 記録が撃つ
戦後処理は、
想像していたより
静かだった。
祝勝会も、
凱旋もない。
あるのは、
会議と書類と、
確認作業だけだ。
私は、
後方施設に呼び戻され、
記録の最終確認に立ち会った。
分厚い資料の束が、
机の上に並ぶ。
そこに、
私が書いた文字が
無数にあった。
「この記録は、
非常に有用だ」
上官ではない男が、
そう言った。
彼は、
戦争が始まってから
一度も前線に立っていない。
「作戦の正当性を
裏付ける証拠になる」
証拠。
私は、
その言葉を
ゆっくり噛みしめた。
記録は、
裁判に使われるという。
敵側の行為を
断罪するため。
国際社会に
説明するため。
誰が正しく、
誰が間違っていたのかを
示すため。
私は、
黙って聞いていた。
記録は、
真実を書くものだと
信じていた。
だが、
ここで使われるのは
真実ではない。
選ばれた事実だ。
「異論は?」
男が聞いた。
私は、
一瞬だけ
迷った。
あの村。
書かなかった一行。
あれを書けば、
この記録は
別の意味を持つ。
だが、
それは
誰かを救うためではない。
新しい誰かを
裁くために使われる。
私は、
首を振った。
「ありません」
それが、
私の答えだった。
数日後、
報道が流れる。
戦争は、
正しい行動だったと。
犠牲はあったが、
必要なものだったと。
私の記録が、
その根拠になっていた。
私は、
画面を消した。
夜、
一人で
手帳を開く。
あの余白は、
まだそこにある。
私は、
鉛筆を取った。
そして、
初めて
誰にも提出しない
一行を書いた。
ここには、
人がいた。
それだけだ。
名前も、
数も、
評価もない。
だが、
それは
確かに存在した。
私は、
手帳を閉じた。
戦争は、
正しい理由から始まる。
だが、
正しさだけでは
残らないものがある。
それを書かないことも、
書くことも、
どちらも
選択だ。
私は、
戦場に立たなかった。
それでも、
この戦争に
参加していた。
そして今、
ようやく
自分のための
記録を書き始める。
誰にも
撃たれない場所で。
誰も
裁かないために。
——これは、
私の戦記だ。




