消えた白亜の至宝 -破-
調査は困難を極めた。
まず、外部犯の可能性は低い。
屋敷の警備は厳重だし、わざわざメロン一個を盗むためにリスクを冒す泥棒なんていないだろう。
「となると、内部犯……」
私たちは使用人たちの休憩室に集まり、作戦会議を開いていた。
「怪しいのは料理長のガストンだね」
サーシャがクッキーを齧りながら言う。
「あいつ、昨日『新しいデザートのインスピレーションが欲しい』とかブツブツ言ってたしさ」
「動機としてはあり得ますが、ガストンは魔力を持っていません。彼では金庫の魔導錠が解除できないはずです」
レノアが手帳を見ながら否定する。
「じゃあ、執事のセバスチャンさんは?」
私が提案する。
「鍵の管理は旦那様ですが、スペアキーの場所を知っている可能性はありますね」
「じゃあ!」
「――ですが、セバスチャンさんは昨日、非番で街に出ていました。アリバイが成立します」
レノアの情報網は相変わらず完璧だ。
「うーん……詰んだか?」
サーシャが天井を仰ぐ。
私は腕を組み、考えを巡らせた。
不可能な犯罪……消えたメロン……。
そもそも、本当に盗まれたのだろうか?
誰か食べちゃったり……?
「ねえ、もう一度現場を見てみない?」
私の提案に、二人は頷いた。
再び書斎へ戻る。
伯爵はまだ立ち直っていないのか、ソファに沈んでいた。
「旦那様、少し金庫の中を調べさせてください」
「う、うむ……頼んだぞ……」
私は金庫の中を覗き込む。
空っぽの木箱。その下にはビロードの布。
「ん?」
私は目を凝らした。
木箱の隅に、ほんのわずかだが、水滴のような染みがある。
そして、微かに漂う甘い香り。
「……匂うな」
サーシャが鼻をヒクつかせる。
「これ、メロンの匂いだよな? しかも、切ったばかりのような……」
「切った?」
レノアが反応する。
「箱から盗んで、わざわざここで切って食べたというのですか? そんなリスクを冒す犯人がいまして?」
確かに不自然だ。
盗むなら箱ごと持っていけばいい。中身だけを取り出すなんて、手間がかかりすぎる。
その時、私の脳裏に閃くものがあった。
これは「盗難事件」ではないのかもしれない。
「旦那様」
私は振り返り、伯爵に尋ねた。
「昨夜、奥様……エリザベート様は、どちらにいらっしゃいましたか?」
「妻か? 妻は早めに寝室へ下がったはずだが……」
「そうですか。……では、もう一つ質問を。旦那様、昨夜は『晩酌』をなさいましたか?」
伯爵は一瞬、ビクッと体を震わせた。
「な、何を言う! 私は医者から酒を止められているのだぞっ! の、飲むわけがなかろう!」
「……本当に?」
私はジト目で伯爵を見る。
この反応、怪しい。
「レノア、ゴミ箱の中身をチェックして」
「ええ」
レノアが手際よく書斎のゴミ箱を漁る。
「こんなものが……高級ブランデー『竜の涙』の空き瓶ですわね」
「なぁっ!?」
伯爵が顔面蒼白になる。
「やっぱり……」
私はため息をついた。
「旦那様。昨夜、隠れてお酒を飲んでいましたね? そして、酔っぱらった勢いで……」
「ち、違う! 私は飲んでいない! いや、少し舐めただけだ! メロンには指一本触れていないっ!」
伯爵の必死の弁明。
だが、状況証拠は揃いつつある。
酔った勢いで自分でメロンを食べてしまい、記憶がない。
これなら「密室」も「鍵」も関係ない。犯人は被害者自身だった、というオチだ。
「はい、解決~! 犯人は旦那様でした~!」
サーシャが呆れたように手を広げる。
「待て! 待ってくれぇ! 断じて違う! 信じてくれーっ!」
伯爵が私たちにすがりつく。
たまにこの御方が雇い主だということを忘れそうになる。
「私は確かに飲んだ! だが、メロンは食べていない! なぜなら……私はメロンアレルギーなのだから!」
「「「えっ?」」」
私たちは同時に声を上げた。
「アレルギー……ですか?」
「そうだ! 食べたくても食べられないのだ! だからこそ『至宝』として眺めて楽しもうと買ったのだ! 妻に食べてもらって、その感想を聞くのが私の楽しみだったのだ!」
……なんだそれ。
切なすぎるだろ。
となると、振り出しに戻る。
伯爵ではない。外部犯でもない。使用人たちにもアリバイがあるし、そもそも動機がない……。
じゃあ、一体誰が?
「……待ってください」
レノアが眼鏡を光らせた。
「私たち、重大な見落としをしているかもしれません」
「見落とし?」
「ええ。私たちは『人間』が犯人だと決めつけていました。ですが、他の可能性も考えられます」
レノアは金庫の奥、木箱の裏側を指さした。
そこには、小さな、本当に小さな「穴」が開いていた。
金庫の金属部分ではない。金庫が設置されている、床板の方だ。
「床下……?」
「はい。この屋敷の床下には、通気口が張り巡らされています。もし、そこを通れるような『小さな犯人』がいるとしたら?」
私たちは顔を見合わせる。
小さな犯人。甘いものが好きで、神出鬼没な存在。
「……まさか、『屋敷妖精』?」
サーシャが呟く。
屋敷に住み着くいたずら好きな妖精が、甘い匂いに釣られて床下から侵入し、メロンを平らげた。
ちょっと強引だが、それなら全ての辻褄が合う。
「な、なんだ、妖精か……」
伯爵がガックリと肩を落とす。
「妖精のイタズラでは、文句も言えんな……。あぁ、私のメロン……」
事件は、妖精の仕業というファンタジーな結末で幕を閉じるかに思えた。
だが、何かが引っかかる。
妖精?
確かにあり得る話だ。
でも、妖精がメロンを「箱ごと」空にするだろうか?
彼らは通常、一口かじったり、持ち去ったりするはずだ。
現場に残っていたのは、わずかな果汁の染みだけ。皮も種も残っていない。
綺麗すぎるのだ。
「ねえ、レノア。屋敷妖精って、食べた後のゴミまで片付ける律儀な性格だったっけ?」
「……いえ、彼らに片付けの概念はないでしょう。基本的には散らかし放題のはずです」
私の疑問に、レノアも考え込む。
その時、廊下から足音が聞こえてきた。
規則正しい、優雅な足音。
「あら、皆さんお揃いで。何かありましたの?」
現れたのは、伯爵夫人であるエリザベート様だった。
扇子を片手に、優雅な微笑みを浮かべている。
「おお、麗しきエリザベート! 聞いておくれ、私のメロンが……!」
伯爵が泣きつく。
私は奥様の様子をじっと観察した。
完璧な化粧、乱れのないドレス。
そして、その奥様から漂う、わずかな……本当にわずかな甘い香り。
――まさか。
私の脳内で、パズルのピースが組み合わさっていく。
――昨日の夜、伯爵は酔っぱらって寝てしまった。
鍵は伯爵の首に――。
――金庫は開けられない。
でも、もし、「鍵を使わずに金庫を開ける方法」を知っている人物がいるとしたら?
あるいは、「伯爵が泥酔している間に鍵を使った」人物がいるとしたら?
そして、誰よりもこの屋敷で権力を持っている人物。
「……奥様」
私は一歩前に出た。
「昨日の夜、旦那様が酔いつぶれた後、介抱されたのは奥様ですね?」
「ええ、そうよ。この人が廊下で寝てしまったから、ベッドまで運ばせたの」
奥様は涼しい顔で答える。
「その時、旦那様の首から鍵を借りませんでしたか?」
「……ミナ、あなた、何を言っているの?」
奥様の目がすっと細くなる。怖い。めちゃくちゃ怖い。
でも、ここで引いたら侍女の名折れだ!
「金庫の中のメロンは、皮も種も残さず消えていました。妖精の仕業にしては綺麗すぎます。誰かが持ち出し、別の場所で処理したと考えるのが自然です」
「ふふっ、その誰かが私というわけ? 面白い推理ね。証拠はあるのかしら?」
証拠。
そう、決定的な証拠がない。
匂いだけでは言い逃れされてしまう。
その時、サーシャが突然、奥様の足元に飛びついた。
「失礼しますっ!」
「きゃっ!? 何をするの!」
サーシャは奥様のドレスの裾を捲り上げた……わけではない。
彼女の飼っている愛犬、ポメラニアンの「ゼウス」を抱き上げたのだ。
「わんっ!」
ゼウスが元気に吠える。
そして、ゼウスの口元には、緑色の何かが付着していた。
「これだ!」
サーシャが叫ぶ。
「メロンの皮だ! ゼウスの歯にメロンの皮が引っかかってる!」
「あ……」
奥様の表情が凍り付いた。
そうか。
奥様はメロンを食べた後、皮の処分に困り、ゼウスに与えて証拠隠滅を図ったのだ。
だが、ゼウスは小型犬……食べきれなかった。
「……はぁ」
奥様が観念したようにため息をついた。
「そうよ。私が食べたわ」
「エ、エリザベート!? なぜ……!」
伯爵が驚愕する。
「だって、あなた、いつまで経っても食べさせてくれないんですもの。『熟成が必要だー』とか『記念日にー』とか言って。もう我慢の限界でしたのよ。完熟の時を逃すなんて、メロンに対する冒涜ですわ」
「だ、だからって……」
「とっても美味しかったですわよ。あなたもアレルギーじゃなければ、一緒に楽しめたのに。残念ね」
悪びれもせず、にっこりと微笑む奥様。
さすが、この家の真の支配者だ。
あっけなく事件は解決した。
犯人は奥様。動機は「食べたかったから」。
伯爵はガックリと項垂れているが、まあ、お二人の問題だ。私たち使用人が口を出すことではない。
「さて、皆さん。騒がせてごめんなさいね」
奥様がパンと手を叩く。
「お詫びに、今日は特別ボーナスを出しますわ。これで美味しいものでも食べてらっしゃい」
「「「ありがとうございます!!」」」
私たちは即座に頭を下げた。
現金なものだが、これがプロの侍女というものだ。
こうして、ベルンシュタイン家の「メロン消失事件」は幕を閉じた。
めでたしめでたし。
――と、思うだろう?




