言いたいことも言えないこんな世の中じゃ 1
高い望みがないわけではない。でも、どうせ自分には手が届かない。
だから、最初から求めないようにしている。
別にそんな人間は珍しくないと思う。みんなそう、手には入らず挫折し傷つきたくないからだ。
いつの間にか習得する処世術みたいなものなのだろう。
高望み、夢に焦がれないことが。
そんな処世術で、日々をごまかしている人々はきっと珍しくない。
だから、私、堂嶋 青葉はありふれた大学生。
夢に夢見ぬ、ありふれた大学生である。
所属大学の偏差値上でのヒエラルキーは中の上か上の下の境目あたり。
天才が進学する大学ではないが、バカは基本的に受からない難易度の大学。
まあ、大学生など偏差値が高かろうが低かろうが、飲み会至上主義のバカが絶対に一定数いるものなのだが。
そして、そんなバカが友人にいてたまに彼ら彼女らと飲んでいるので私も同類のバカとか思われていそうだが、そのレッテルはそのレッテルで有益な面があったりする。
益とはいかに?
はい、ぼっちと周囲に思われなくなります!
…そんな感じで、あまり社交的ではないのだが、ぼっちと思われるのを周囲から避けることに成功している女子大生、堂嶋青葉、それが私である。
ただ今の場所は大学のキャンパスの二階の一角に設置された学食の一角。
昼休み時は混んでいるのだが、今は昼休みも過ぎ夕暮れ時。学食内に人はまばらである。
解放感を与える効果を期待したのか、全面ガラス張りの窓際は差し込む西日で白い学食のテーブルが茜色に染まっている。
そんな窓辺で、テーブルと同じように、自身も茜色の光は浴びながら、私は本屋のブックカバーをかけた文庫本を読んでいた。
ぺらり、と文庫のページをめくり書かれている文字に目を滑らせる。
人がまばらな夕暮れ時の学食は、まばらの人の声が丁度よい雑踏のBGMのようで静かではないが、逆に静かすぎずに心を落ち着かせてくれる。
私、堂嶋青葉はこういった高望みしなくても手に入る、日常のちょっとしたぬくもりを感じるシーンが好きだ。なぜならば、高望みしなくても、手に入り温かい気持ちになることができるものだから。
持論だが、人生の幸福度とはこういった高望みしなくても手に入るあたたかな気持ちになるものの多さで決まるのではないかと、私、堂嶋青葉は思っている。
ドラマティックな出会い、危機に駆けつけてくれる白馬の王子様。実際に訪れたりいたら、そりゃ素敵である。
でも、そんな高望みをし続けて期待をして待っていても、白馬の王子様は現れない。
だから、期待しても無駄。
危機的状況で、現われもしない白馬の王子様を待っているのは愚行だと、私は思う。
現れないんだから、自分でどうにかするか、はたまた、自分で助けてくれる誰かを探しに行く。
飲み会の席でそう持論を述べたら、青葉っち、夢がねぇー、とか言って爆笑されたが、まあ、私はそんな感じで大学生として高望みせずにやっている。
「あおばー、何読んでんの?」
そうこうしていると、私に背後から知り合いの声がかけられた。




