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「ねえ杏花」

「はい」

「髪、どこで切ってるの?」

「えっと、自分で?」

「え、ずっと自分でやってるの?」

「あ、時々床屋さんにも行きます。駅の」

 そんな会話があったのが、昨日の夜。同室生活も数日が過ぎ、カーテン越しに姿が見えないまま話すのにも慣れてきた頃のことである。駅に床屋なんてあったっけ、と咲良がスマホでぽちぽち調べると、一応出てきた。出てきたが。

「……千円カットじゃん」

「あ、はい。それです」

「いやいや?それですじゃなくて?」

「え?」

 カーテンの端を少しだけめくって、杏花が顔を覗かせてきた。相変わらず長い前髪に遮られて表情が分かりにくい。

「……明日、ヒマ?」

「えっと、はい」

「美容室行こう」

「え?」

「私が行ってるとこ。予約入れとくね」

「いや、大丈夫で」

「大丈夫じゃないから。決定」

「いや……」

「明日の十五時から枠空いてた。お昼食べたら出かけよう」

「いや……」

「…………」

「…………」

「…………」

「……はい」

「よし」

 困った感じでカーテンの向こうに消える顔を見送り、咲良が溜め息を吐く。あんなつるつる素直な黒髪を持っていて、杏花はなんであそこまで無頓着なんだ?私なんて全く言うことを聞かない癖強猫毛と毎日格闘しているというのに。何だよ毛先の遊ばせ感って。断りもなく勝手に遊び呆けてるんじゃねぇよ。

 ちょっと斜めの方向に怒りを向けながら予約をして、そして今。すっかり満開になった桜並木の下を、二人並んで美容室へと歩いているわけだ。平日の昼下がり、暗渠に沿って整備された遊歩道兼公園には人通りも少ない。穏やかな日差しの下、パーカーにぴったりめのジーンズ姿の杏花はどこか居心地が悪そうだ。

「杏花ってさ」

「はい」

「スタイルいいよね。前から思ってたけど」

「そんなこと、ないですよ?咲良の方がよっぱど」

「は?無いわ」

「私は、そう思い、ます、けど」

 アイドルみたいに細い杏花に言われて、ワンピースに薄手のジャケットを合わせた咲良の口から強めの否定が出た。勘違いお嬢様みたいな服装は、娘を着せ替え人形にして遊びたい母親の趣味だ。JKがこの格好はどうかと思いつつ、モノは良いし着やすいしで結局着ている。

「杏花はさ、もっと自覚した方がいいよ。色々もったいない」

「そんなこと」

「あるってば。正直羨ましいもん。色白いし、髪綺麗だし」

「……」

 俯いてしまった杏花を見て、咲良も少し言い過ぎたかと一瞬反省した。だが、羨ましいのは本当だ。手足が長くすらっとしていて、北国出身だからか透明感のある肌。するんと揺れる黒髪。前髪に隠れがちだが、少し色素の薄い瞳。翻って自分はというと、骨太でしっかりした手足に頑張ってケアしても重い肌。毎日捩じ伏せないと反発するばかりの癖っ毛。目尻が吊り上がっていてキツい目。何より、だぼっとしたパーカーを着ていても隠せない細さが違いすぎる。「ごはん、あんまり食べられなくて」と辛そうに言う杏花には悪いが、羨ましいもんは羨ましいのだ。

 公園に沿って住宅が並ぶ中に、目指す美容室はあった。三階建ての店舗兼住宅で、外から見ると何かのお店なのは分かるが目立つ看板も無い。遊歩道に面した窓にはレトロなすりガラスが嵌められていて、中の様子はぼんやりとしか分からない。初見で入るにはかなりハードルが高い佇まいだ。咲良が母の紹介で通っているここは、完全紹介制・予約制。昔は別の所で働いていた美容師さんが、少数のお得意さんとゆっくり仕事がしたいと始めたと聞いた。

 咲良がドアを開けるところんころんとドアベルの音が可愛らしく響く。おっかなびっくり付いてくる杏花の手を引っぱって中に連れ込むと、奥から優しい笑みの女性が出てきた。

「こんにちは。今日はこの子の髪を切ってほしくて」

「いらっしゃい。お友達なの?」

「はい。一緒に住んでるんです」

「一緒に?……ああ、群星だものね」

 一瞬考える素振りを見せた彼女、篠澤さんは、ここでお店を始めた美容師の娘さんだ。もう六十歳……七十歳?になって昔からの馴染みのお客さんだけ対応する母に代わり、実質的な経営者になっている。

 初めての場所で怖気付いた感じの杏花を自然に椅子に座らせ、さっとケープを掛けると、もう後は篠澤さんの舞台。特に押し付けがましい感じもないのにするする入ってくる話術で、あっという間にお客さんの心を開いていく。とにかく聞き上手で、小学生の時に初めてお世話になった咲良も、気付けば楽しく学校や習い事の話をしていた。今も、かなり引っ込み思案な感じの杏花が時折笑みを浮かべている。連れてきてよかったと自己満足に浸りながら、咲良はテラコッタの鉢が並ぶ待合のソファに腰掛けた。

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