表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/12

5

 墨の入った容器を部屋に置き、二階の渡り廊下から生活棟に進む。普段は学食として使われている生活棟の食堂だが、春休みのこの時期、利用するのはわずかに残った寮生と教職員、それと申請した部活動の生徒くらいだ。メニューもA定食のみ。できるのはご飯の量の調整だけ。その日の内容によっては外に食べに行く生徒もいる。ちなみに群星学園の制服を着て生徒証を見せれば近隣の国会議事堂をはじめ官公庁の食堂はだいたい利用できるようになっているので、春休みの間でも選択肢は意外と多い。

 咲良と水守さんが食堂に着いた頃には、まだ数名がぽつぽつ散らばって座っているだけだった。本日のメニューはアジフライ定食。大ぶりのアジフライが千切りキャベツの上に二枚並び、小松菜と南瓜の味噌汁とご飯、白菜の漬物が付く。寮生だとこれで四百円。生徒証で認証して月毎に請求されるようになっている。咲良がトレイを両手で持って窓際のテーブルに陣取ると、水守さんもおずおずと正面に座った。

「てかさ、絡むの初だよね。選択授業で一緒なのに」

「あ、はい」

「まあいいや。いただきまーす」

 言うなり咲良が大口を開けてアジフライに齧り付く。お昼が始まったばかりでほぼ揚げたてだ。ザクザクふうふう食べる姿を、水守さんは不思議なものを見る目で見ていた。

「ん?何?」

「あ、いえ。ごめんなさい。その、びっくりして」

「え?」

「その、巌橋さん、て、こんなもの食べないと思ってて」

「なんでよ。全然食べるわ」

「そう、ですよね。ごめんなさい」

「いやいいけど。てか敬語やめない?同級生じゃん」

「あ、いえ。そんな」

 俯く水守さんはせっかくの揚げたてに手を付けようともしない。私ってそんなに怖いか?と、咲良は首を傾げた。

「だってさ、同じ部屋に住むんだしさ?ふつーに仲良くなりたいし。ね、名前、杏花だよね。杏花って呼んでいい?」

「あ、はい。好きに、呼んでください」

「だからそうじゃなくてさ。私のことも咲良で」

「いや、そんな。それは、ちょっと」

「杏花も食べなよ。冷めちゃうよ」

「あ、えっと。はい。ごめんなさい」

 ひたすら恐縮している水守さん改め杏花も、ようやく箸を動かし始めた。お互いにしばらく無言になる。千切りキャベツをもりもり食べながら、咲良は杏花の様子を窺った。どうにも萎縮しているというか、恐れられている気がする。何だろう。無自覚に何かしちゃってただろうか。

「あのさ、杏花」

「あ、はい」

「ぶっちゃけさ、私って怖い?」

「え!?い、いや。その。そんな、こと」

 ないです、と、消え入りそうな声で答える杏花を見て、咲良が食堂の天井を仰いだ。うん、めっちゃ怖がられてる。顔か?この吊り目化け猫顔のせいか?

「なんか、ごめん」

「あ、いえ。その、本当に違くて」

「無理しなくていいよ。苦手なら苦手って言ってもらって」

「本当に、そうじゃなくて。その、巌橋さんって、住む世界が違うっていうか。すごいなって、思ってて」

「世界?」

「だって、巌橋さん、すごい人だって、聞いて。セレブだし」

「はい?」

 セレブて。誰だそんなこと吹き込んだの。

「お昼も、いつもおしゃれなの食べてて。だから、アジフライ食べるんだーって、びっくりして」

「いや食べるよ?」

「そう、ですよね。ごめんなさい」

 恐縮する杏花を前に、今までの学校生活を振り返ってみる。咲良の家は両親とも忙しく、お弁当として持ってきているのは基本的に買ってきたものだった。家の立地的に周囲に洒落た店が多いというだけで、特に『映え』的なものを求めていたわけではない。なんなら前日に半額になっていたのを買っておいてお弁当にしていたりもした。それが側から見るとキラキラセレブ飯に見えていたのか。揚げ物大好きだし友達とポテチとかバリバリ食ってるんだけど、選択授業だけだとそっちは見てないか。

「なんか色々勘違いしてるみたいだけど。普通だからね、私」

「いえ、そんな。巌橋さんが普通なんて」

「咲良」

「さ……咲良さんは、普通じゃないと思い、ます、よ?」

 慣れない感じでそう言う杏花は可愛らしい。髪型と服装を整えれば、くるくる猫毛吊り猫目の咲良よりよっぽどセレブっぽく見えるだろう。

「まあいいや。忘れないうちに墨の話」

「あ、はい」

 咲良がきれいに食べ終えたトレイを横にどかしてお茶を手にすると、杏花も食べながら背筋を正した。食べ方が丁寧で育ちの良さを感じさせる。咲良も一通りマナーに沿った食べ方だが、「きれいに食べる」の意味が二人の間で微妙に異なるようだ。

「あれってさ、一晩でどのくらいの量できるの?」

「どのくらい、って、意識してないですけど。だいたい墨池がいっぱいになるくらいには」

「水を全く使ってないよね。硯も特別なやつ?」

「えっと、はい。実家から持ってきました」

「杏花って東北出身だっけ」

「あ、はい。秋田です」

 あまり気を張るような相手でもないと分かってきたのか、杏花もだんだん緊張せずに話せるようになってきた。杏花が言うには、実家は秋田の田舎の稲荷神社。地域の五穀豊穣を司る神社で、初代の神主はそれなりの能力のある術師であったらしい。代を重ねる中でも時々はその血を反映して能力を発揮する者が生まれており、杏花は実に百年ぶりくらいの術師になるのだという。

「それで、家族も期待しちゃって。東京で勉強してこいって、それで」

 杏花の口元がふっと歪む。地元の期待を背負って、気負って群星学園に入学したがそもそも勉強に全くついていけない。時代の変化とともに進学校としての側面が強くなった群星学園の難易度は日本有数だ。地方でちょっと勉強ができた、くらいの子がついていけるようなレベルではなかった。家族から離れた一人暮らし。周りの子達は都会でキラキラした生活をしているように見えて、友達もうまく作れなかった。どんどん取り残されていくような日々に、不安だけが募る。

 そんな中、墨を磨ると心が落ち着いた。

 実家を出る時に持たされた、硯と墨。初代が遺したと言われ家宝になっているそれは、術師の気を練り墨汁とするための媒体である。その墨で書かれた豊穣祈願の札は、冷害の年でも稲穂の実りをもたらし飢饉から人々を救ったとされている。

 術師の気力と体力を吸い上げる呪具のようなそれが、杏花の焦りも苦しみも吸い上げた。いや、生命力ごとそれらもごっそり吸い尽くした、と言うべきか。とにかく、墨を磨れば当座の眠れぬ夜も越えられる。どうにも抑えられない不安を覚える度に、硯に向かい一心不乱に墨を磨る。それで、暗がりで墨を磨る彼女──『硯女』──が生まれた。

「なーる、ほど……」

 昼食時間が終わり食堂から人が消えても、二人はまだ話していた。杏花がすっかり吐き出し終えると、咲良はまた天を仰いだ。ちょっと想像していた以上に重い話だった。軽い気持ちで聞いてしまって良かったのだろうか。

「あの、ありがとう、ございます」

「ん?」

「話、聞いてくれて。その、今まで、誰にも話せなくて」

「ああ、全然。話してくれてありがと」

 何をどう思ったのかは分からないが、信頼が無ければここまで話してくれなかっただろう。そういう意味では素直に嬉しい。咲良がにっこり笑うと、杏花は身を縮めるように俯いた。

「だったらさ、なおさらもったいないよ。せっかくの墨を使わずに捨てるなんて」

「そう、ですか?」

「うん。だってさ、実際にすごい力が込められてるわけじゃん。色々規制はあるにしても、役立てた方がいいって」

 道術、妖術、魔術。古今東西様々な呼び方をされてきた外法の類は、今では統合的に研究されて一つのものとして扱われている。単に『術』と呼ばれるそれは、それを操る術師ともども法規制の対象だ。咲良の書く護符も効果によっては違法になりかねないので、両親の管理下で運用されている。

「でも、私が書くのって実家のお札くらいで。年に一度しか使わないです」

「だからさ、私に売ってよ。できた分、全部買い取るからさ」

「全部、って」

「とりあえずさ、今残ってるの買うよ。えーっと……」

 術に使用する術具の類は、製造できる人が限られているため高額だ。取引自体も規制が多くて大変だが、「友人同士で融通する」なら直ちに罪にはならない、はず。相場はよく分からないけど、あの品質なら……。

「二十万円でどう?」

「にじゅっ…………」

「あ、やっぱ安すぎる?」

「いやいやいやいや。そんな、無理です。いらない、です」

「いや、でもさ」

「本当に、大丈夫です。あの、あげます。どうせ捨てるだけなので」

 激しく首を横に振る杏花を前に、咲良はどうしたものかと首を傾げた。タダで貰うには価値がありすぎるし、あの墨で書く符には確実にそれ以上の値が付く。

「じゃあ、今回は一度そうするけど。後で売上報告するからさ、そしたら次からは買わせて」

「いや、えっと、うーん、はい」

「あと、何か奢らせて。せめてそれくらいしないと気が済まない」

「うーん……それで巌は、咲良、が、いいなら」

 渋々、といった様子で頷く杏花から約束を取り付けて咲良が窓の外に目をやると、薄曇りの空の下、五分咲きの桜が春風に揺れていた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

興味を持っていただけたようでしたらブックマーク等していただけますと幸いです。

次回、硯女こと杏花の内面です。よろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ